ランスロットの記憶
第二話 ランスロットの記憶
ランスロットは、真っ暗な闇の底にいた。
頭に浮かぶ言葉は一つ。
「グィネヴィア様」
(どこだろう。彼女がいないなんて。僕はどうしたらいい。彼女がいなければ、僕は存在する意味もない。グウェンフィヴァフ様は……グィネヴィア様はどこ? 僕は何故、ここにいるのだろう。僕は存在してはいけないだろう。……彼女がいないのに)
「……ト、ランスロット!」
気が付いたとき、自分の右腕をガウェインが強く握っていた。
「邪魔するなよガウェイン」
「お前、自分が何をしようとしたのかわかってんのか!」
「……え?」
ランスロットは、目の前には遥か真下の地面が広がっていること、自分が窓辺にいて、飛び降りようとしていたのだと察した。
「……僕は、死のうと」
「……!」
「……だって、グィネヴィア様が見えないんだ」
「グィネヴィア様は、侍女達と一緒に部屋で刺繍をしてらっしゃる!」
「え……?」
ガウェインは、真っ青な顔で…まるで人でないものを見るかのように、ランスロットを凝視した。
「お前……おかしいぞ。幾ら、グィネヴィア様が好きだからって」
「だって、彼女は女神なんだ。僕は女神に仕えてるだけなんだ。ガウェイン」
ランスロットは、虚ろな瞳でガウェインを見上げた。
「グィネヴィア様のためなら、何でも出来る。彼女がいないと何も出来ない。…それが僕なんだ」
ランスロットは、自嘲にもならない笑いを浮かべていた。
ランスロットは、上半身裸で、髭まみれの顔で森をさ迷っていた。
「キチガイだ」
ランスロットを見た者達は、口々にそう言った。
(……あれ、僕は何をしているんだろう)
ランスロットは考えてみた。
思い浮かばない。
何日も何日も、ずっと森の中にいた気がする。
思い浮かぶのは、愛しいグウェンフィヴァフの顔だった。
(グィネヴィア様。愛しい愛しい人。そして主人の妻)
『……他の女の人と、子供を作ったんでしょう』
グウェンフィヴァフの凍てついた顔が浮かんだ。
『……私が好きだと言ってたのに。私だけに仕え、私だけに愛を捧げるって言ったわよね。私に命を捧げると。なら、死んで』
グウェンフィヴァフが冷たく笑った。
『私のために死んで。命を捧げて。そして、誰のものにもならないで。私だけのものでいて。愛してるわ、ランスロット』
森の中をさ迷いながら考えた。
(何故、僕は生きているんだろう。愛しい主人に死ねと命令されたのに。命令を実行出来ない僕は、なんて不完全な存在なのだろう)
何度も自分を失って失って。
次に気が付いたとき、ランスロットの目の前には真っ青な色が広がっていた。
(……真っ青だ。なんだろう。空かな。海かな)
焦点がぼやけていて良くわからない。
ポタポタと温かい水が降ってきて、ランスロットは雨かなと思った。
段々、頭がはっきりしてくると、目の前には澄み切った青空と、見覚えのある女の顔だとわかった。近寄ってはならない、愛してはならない女の顔だった。
「……何で、何で貴方がこんな姿で」
女が肩を震わせて泣き叫んだ。
ランスロットは、女の膝の上に横たわっていた。
「僕に触れないで。王妃様が怒るから。僕は君のものにはなれないんだ……エレイン」
「貴方は誰のものでもない! 王妃様のものでもない! ……貴方は、私が守る。私の命で」
エレインがそう言うと、温かい白い光が、ランスロットを包み込んだ。
そこで、ランスロットは目を覚ました。
故郷、ベンウィックの城だった。
朝の日差しを受けた自室で、ランスロットはゆっくり起き上がった。
ブリテンから船で軍を率いて、故郷のガリア……ベンウィック王国についた。
そして、戦争相手の砂漠の国……クラウダス王の軍団を蹴散らし、王を討ち……ベンウィック王国を囲んでいたクラウダス王の軍団は、自国に引き返していった。
この二ヶ月程のことだった。後は、ブリテンに凱旋するのみ。昨晩は戦勝祝いの宴だった。
(昨晩、酒を飲みすぎたかな……)
ランスロットは頭痛を抑えながら、たった今見た夢を思い返した。
なんだか寒気がした。夢には続きがある。
今日は途中までだったが、ランスロットは以前に見たことがある。
あの後、エレインは死んで、彼女の亡骸を乗せた小舟がキャメロットを通る。
自分は、彼女の亡骸を墓に葬らせて……彼女の墓場で嘆く。やがて、エレインの墓に刻まれた名前が増える。墓に花を添える自分の手が、血で染まるのだ。
嫌な汗が背中を伝う。
(……大体、沢山殺すとこういう夢を見るんだ)
ランスロットは顔をしかめた。
夢の中のグウェンフィヴァフは、自分の知っている彼女と同一人物とは、全く思えなかった。
ランスロットは窓辺によって潮風を受けた。ランスロットの癖のない黒髪が、風に靡く。
ベンウィックの城は海の沿岸に建っていて、どこまでも続く海の風景が見渡せた。
静かで美しい海だが、死の海と呼ばれている。
底には美しいイースの都があり、人魚……水の(モル)精となった女王が暮らしている。
以前、モルガンに「その名前はマリ・モルガンからか」と聞いたら、「良くわからないが、海を意味する名前なのは確かだ」と言っていた。
波打ち際に、少女が一人歩いているのが見えた。エレインだ。
ランスロットはゆったりした紺色の普段着のままで、外に出ることにした。
気分を晴らしたくて、浜辺に座り、空と海を眺めた。
波打ち際ではエレインが裸足で波と戯れている。
「あいつは無邪気でいいですね」
後ろから、普段着姿のパーシヴァルが声をかけてきた。
「最近は、何か悩んで、ランスロット様を避けていたみたいですけど」
「うん」
ランスロットは、遠い目でエレインを見つめた。
「彼女が僕に関わりたくないなら、本当はその方がいいのかも知れない」
パーシヴァルは何も言わず、静かにランスロットを見つめた。
強い風が、二人の黒髪を激しく揺らしていた。
「……俺が貴方に関わる限りは、あいつも関わることになるでしょうね」
ランスロットがパーシヴァルの方を見ると、パーシヴァルは揺らぎのない目で遠くを見つめていた。見つめているのはブリタニアだろうか。
その揺らぎの無さは、ランスロット、ガウェイン、アーサーをも越えるパーシヴァルの強さ……心の強さだった。
「ランスロット様は、ただ、あいつに遠慮なく対応してやればいいんです。好きでも嫌いでも……。その方があいつも喜びますよ。他に好きな人がいるなら、フってやって下さい」
パーシヴァルは小さく笑った。
「フることが出来ないなら、可愛がってやって下さい」
ランスロットはパーシヴァルと同じに、海の向こう側を見つめた。
やがて、ランスロットが膝を抱えて泣き出したので、パーシヴァルもさすがに焦るのだった。




