ゴーロイスの子供達
嵐が去り、晴れ渡った朝焼けの海を、断崖からマーリンが見つめていた。
緑灰色のローブは雨に濡れぬままで、緑色の瞳には、悲しみの色が浮かんでいる。
「……事はなされた。哀しみと引き替えに、偉大なる王が生まれる。その哀しみはずっと付きまとい続けるが、永遠ではない。私は……そう信じている」
やがて、城内からウーゼルとウルフィウスが出てきた。
マーリンが施した変身の術は解けて、今は本来の姿だ。
ウルフィウスは、褐色の髪と鬚。
ウーゼル王は、波打つ長い金髪と美しい顔、細身の姿だ。
マーリンが静かに振り返ると、ウーゼル王が不敵に笑う。
「……邪魔者は、私の預かり知らぬところで、勝手に死んだ。私を邪魔するものは、何もない。……この次は堂々と、ブリタニア国王ウーゼルとして、この城に、イグレインを后に迎えに来よう」
ウルフィウスが口を挟む。
「……あの、グウィアルという子供が気になります。スコーティア王国と言えば……北方アルバニア地方……スコット族やピクト族の国々をとりまとめる宗主国です。西方のスコット族の故郷、ヒベルニア。そして遥か北方のスコット族とピクト族の国……オークニー、ロジアン、ダリルアーダ、リオネス、レゲッド等…諸国をまとめる宗主国がスコーティア王国です」
強い風が、三人の服をバタバタとはためかせる。
「あの子供達の記憶は、消したのでしょうな」
ウルフィウスに、マーリンは「ええ」と答えたが、瞼を伏せて思いふけった。
(しかし……古の民の血を引く子供達だ。それに、彼ら自身が思い出すことを強く願い、決意していた。いつしか魔法は解けるだろう。だが、それは通らなければならぬ道なのだ。そして、購わなければならぬのは……次の世代だ)
マーリンが深刻な顔をしているのは無視して、ウルフィウスがウーゼルに言う。
「あの子供達が、古の民の血を引くならば『奴隷の刻印』を押すべきでは。それにより幾分か魔力を封じられる筈。我がブリタニアでは、古の民は炬人と呼び、奴隷として宮廷で働かせるのがしきたりです」
ウルフィウスの台詞に、マーリンは疲れた顔で首を振った。
「どうでしょうな。私は、返って仇なす気がいたします。心配を抑えるため、そういう手もあるでしょうが、奴隷の刻印は、古の民達の反感を煽る。ウーゼル様、今、ブリタニア王国が……。残されたローマの民が強いられているのは、侵略し、領地を広げる覇道の戦いではありません」
マーリンは、杖を握る手に力を込め、眉根を寄せ、真剣な顔で語調を荒げて言った。
「元来、この地は古の民のものだった。その古の民と、新たな侵略者が結託して襲ってくる。パンドラの箱は開かれた。箱から出てきた、小さな希望の光を掴みとること。生き残ること。例えわずかな光でも未来に残すこと。……それが、ブリトン人の民が迫られている道なのです。まだ貴方はわかっていない。けれど貴方の息子が、嫌という程にそれを味わうこととなるのです」
マーリンの言葉に、ウーゼルは眉を上げた。
「……息子? 息子だと?」
マーリンは咳払いして「ええ」と言った。
「イグレインの胎には貴方の息子が……未来のブリタニア国王が宿りました。間違いありません。購わなければならぬのは、その子供なのです」
だが、ウーゼルは、マーリンの沈痛な表情には構わず、浮かれて喜ぶ。
「そうか、私は世継ぎを得たのか! 間違いはないのか」
「……間違いなく」
年老いたドルイドは、緑色の瞳に小さく、光を宿して頷いた。
「……まだ見ぬ息子を思うならばどうか、出来る限りは……禍根は遺してやりますな。貴方の罪に対する咎を、背負わねばならぬ者がおるのです」
マーリンは樫の杖を突き、喜ぶウーゼル王にこうべを垂れた。
「どうか、これ以上は」
嵐が過ぎ去った空と海には、朝日が顔を覗かせ、辺りは橙と薄紅に染まっていた。
光が、三人を照らす。
「ウーゼル様……。私との約束は覚えておりますな。手を貸す代わりに、私の望みを聞き入れて欲しいと」
「……ああ、私に出来ることならば、何なりと申せ」
「……イグレインは、ローマ軍により掃討され今は失われた、丘の巫女、最後の総巫女長、グウェンドロエナの娘です。丘の巫女は火竜を崇め、今は殆ど薄れているが火竜の血を引いております。なので、イグレインの夫は、竜王を名乗るさだめにあります。イグレインをめとった暁には、竜の王、ペンドラゴンの名を名乗られますよう」
「……ペンドラゴン。……ウーゼル・ペンドラゴン?」
「ウーゼル王様。どうか、キリストの民だけでなく、ドルイド教徒や古の民、全ての上に立つ王、竜の王となることを、お誓い下さい」
「わかった。そのようにしよう」
「スコット族の故郷……。西の島国、ヒベルニアの魔法の石で円卓をこさえます。約束の証としてそれをお使いください。それはキリスト教徒もドルイド教徒も古の民もない。王も奴隷もない。上も下もない。そこに座る、全ての者が平等である、その証なのです」
光輝く朝焼けの空に、遠く、咆哮が聞こえた。
狼とも違う、もっと巨大で、低く轟く咆哮は深い悲しみに満ちていた。
魂の慟哭であった。
ウーゼルがマーリンに問う。
「あれは」
「竜の咆哮だ。……竜が悲しみ、泣いておるのだ。あの竜は、大いなる悲しみに捕らわれた。貴方を、主とは認めないかも知れませぬ。あるいは貴方の子までも。……ずっと、たった一人の主を愛しているのです」
「ブリテンの赤い竜と、サクソンの白い竜はまだ戦いの最中か」
「ええ」
「それでは、金細工師に黄金の竜を二体作らせよう。双方の竜がおさまるように」
マーリンと誓ったものの……ローマの影響が強い王族貴族達の、古の民への偏見はなくならず、古の民に対する奴隷の刻印は押され続け、彼らは奴隷として売り買いされ、ウーゼルの宮廷でもそんな奴隷が働かされ続けた。
モルゴース、エレイン、グウィアルはあの晩の記憶はなく、いつものようにベッドから目を覚ました。
だが、イグレインの泣き叫ぶ声で起きたのだ。
三人はイグレインの大きな泣き声に目を覚まし、ベッドを飛び出して駆け付けた。
そして、父の亡骸と対面した。
わけもわからず、ティンタジェルの者達は、深く嘆き悲しみ、ゴーロイスの遺体を小舟に乗せ、花を散らして海に流した。
古の民の……ドルイド教徒の、葬式のやり方だ。
湖の巫女である、イグレイン自身が執り行った。
モルゴースもエレインもグウィアルも泣いていたが、モルゴースの腕に抱かれていた赤子のモルガンはわからないようで、静かに、ゴーロイスの亡骸が小舟に乗せられ、海へ流れてゆくのを見つめていた。
エレインが泣きじゃくりながら、モルゴースに聞いた。
「お父様は、どこへ行くの?」
「海の彼方にある、古い神様の国で、傷を癒しに行くの。大丈夫よ……。お母さんが連れて行くから。……そして、お父さんはまた戻ってくる。また、会えるわ。大丈夫。私は……異界の女王だもの」
イグレインは、ゴーロイスの白い顔に手を触れ、泣きながら言った。
「ゴーロイス……。もう、貴方の真名を人前で呼んでもいいわね……。呼ばせてちょうだい。……モルドレッド。そして神々の国から、私を真名で呼んでちょうだい。グウェン、グェンフィヴァフって…。二人きりのときみたいに。私の主は、……ペンドラゴンは、貴方だけよ」
城の向こうに広がる森から竜が咆哮し、羽音を立てて飛び上がった。
その後、騎士、兵士を連れたウーゼル王が、難攻不落のティンタジェル城に、堂々と入城した。
モルゴースもグウィアルも嫌がった。
……グウィアルは、西の島国ヒベルニアや、北方にある祖国スコーティアの庇護の元、戦うべきだと主張した。だが、イグレインはゴーロイスが残した言葉に従い、戦って犠牲を出すのではなく、ウーゼル王に恭順し、子供達や城の者達を守る道を選んだ。
イグレインは死者を出さぬよう、ウーゼルに従うようブラスティアスに言った。
騎士ブラスティアスは、涙ながらに誓いを立てた。
ゴーロイスは、ウーゼル王のいぬ間に、外を歩いていて兵士に殺されたということになった。
ウーゼル王は、早速、イグレインをカドバリー城に連れて行き、正式に后とし、豪華な婚礼を挙げた。
モルゴース、エレイン、モルガン、グウィアルもカドバリー城に呼び寄せられた。
モルゴース、エレイン、グウィアルの目は決してウーゼルに恭順を示さない、敵を見る目であった。
それに最も敏感だったのは、ウーゼル王の側仕え、ウルフィウスだった。
マーリンは、大事な用事のために、旅に出なければならないらしく、城を離れて行った。
子供達を大事にするように、決して奴隷の焼き印を押さないように、ウーゼルとウルフィウスに言い残して。
イグレインは、お産が近くなると、城の医者や産婆が付きっきりで、子供達は会わせて貰えなくなった。
ウルフィウスは、モルゴース、エレイン、グウィアルの記憶が戻ることを、そしてマーリンと同じ、古の力を持つことを危惧していた。
なので、ウーゼルにもマーリンにも黙って、念のため三人に……そして赤子のモルガンにも、他の多くの古の民にそうするように、魔封じとして奴隷の焼き印を押させた。
「……念には、念を、だ。キリスト教では竜や蛇は、女の化身というからな」
マーリンの部下だというドルイドが止めたが邪魔だったので、ウルフィウスは、そのドルイドにも焼き印を押し、炬人にしてやった。
三人は尚更、反感を抱いた。
だが、逆にそれが引き金になった。
焼き印を押されたことで、マーリンが三人に掛けた魔法まで消えてしまった。
焼き印で熱にうなされながら、三人はあの晩のことを思い出したのだ。
「ウーゼルを殺してやる」とモルゴースは怒った。
ウルフィウスは、何もわからない赤子のモルガンはともかく、三人の子供は、未来のブリタニアを脅かす可能性があるとして、マーリンのいない内に始末するべきだと考えた。
グウィアルは騎士としてサクソン族との前線に送り、適当に殺して戦死扱いし、モルゴースは、後追い自殺。エレインは病死。何とでも言い訳はつく。
赤ん坊のモルガンの熱病は長く続いたが、回復方向へ向かっていた。
ふと、モルゴースが、食事のスープをモルガンに与えたところ、モルガンの病状は急変した。
怪しんだグウィアルが、スープを城の近くの池に流したところ、池で泳ぎ回っていた魚達が死んだ。
スープに毒が仕込まれていたのだ。
グウィアルは「この城の者は、誰も信用出来ない」と叫んだ。
グウィアルもモルゴースもウーゼル王やイグレインに訴えようとしたが、通して貰えなかった。
ウルフィウスが、手を回していたのだった。
逃げるべきだと三人とも考えた。
そして、ついに三人は、赤子のモルガンを連れて城を出た。
見張りの兵士は、モルゴースが眠りの呪文を掛けた。
運命の夜、マーリンがティンタジェル城の者にしたことと、同じように。
「どうか、子供達と会わせて下さい」
イグレインは子供達を心配し、医者や侍女に願った。
だが、ウルフィウスの息の掛かった医者や侍女は皆、同じように「元気に遊んでいるから、気にしなくて良いですよ」と話を終わらせるだけだった。
イグレインは嫌な予感がした。
子供達と部屋も離されている。
何度も、無理に、子供達のいる部屋に行こうとしても「王の子を宿しているのだから、勝手に出歩かないように」と怒られてしまう。
イグレインはウーゼル王にも「子供達に会わせて欲しい」と頼んだ。
だが、ウーゼル王にとって、ゴーロイスとイグレインの間に生まれた子など、愛せるわけもなく、イグレインが会いたがるのも嫌がった。
「子を産んでも、引き離されるのが王の后というものだ。私も、物心ついたときは母ではなく、乳母と司教と騎士達に育てられた」
ウーゼル王も、それ以上は何も言わなかった。
イグレインは対の首飾り……祖母の形見である蛋白石と、赤子のモルガンがおくるみの中で持っていた蛋白石を掌に乗せて見つめ、子供達の無事を祈った。
グウィアル、モルゴース、エレインの三人は、赤子のモルガンを連れ、城を逃げ出した。
グウィアルはモルゴースと話し、西の島国ヒベルニアに渡って、それからブリテンの北方、スコーティアに行こうと考えた。
ブリタニアと戦っているビクト族の元へ逃げることも考えたが、南方のピクト族は、スコーティアが統べる北方のピクト族とはまた違うこと、更に国境はブリタニアの守備が固いことから諦めた。
それよりブリタニアの南西、コーンウォールからヒベルニアに渡った方が、助かる可能性が高い。
自分達のいた土地だし、同情を注ぐ民がいる。
三人はひたすら歩いた。
途中、川や泉で水を汲み、森で、狩り、釣りなどで食べ物を取ってきた。
あるいは木の実をもいだり。
薬草を取りに行ったり。
モルゴースとエレインにとっては、ティンタジェル城で慣れたことだった。
赤子のモルガンには、木の実や魚を擦り潰して与えた。
旅の中、乙女の城や母から習った知識で、モルゴースとエレインは必死にモルガンを看病した。
度々、狼や猪、熊、人浚い、山賊に出会したが、グウィアルがコーンウォールから持ってきた……モルゴースにより与えられた、ゴーロイスの剣で防いだ。
モルゴースも戦列に加わった。
奴隷の刻印で力が抑えられているが、元々強い魔力を持っていたのもあり、多少の魔法は使えた。
エレインは癒しの魔法に長けていたので、モルガンの看病を任せていた。
四人はコーンウォールへ向かった。
四人は旅の途中何度か、サクソン族に襲われた村に出くわした。
奴隷の焼き印が押された炬人達が、強制労働させられる鉱山の村にも通った。
奴隷は罪人か、古の民ばかりだ。
賑やかな街では、焼き印を押された奴隷が売り買いされる。
街で、自分達三人が指名手配されていると知った。
皆を解放してやりたかったが、自分達が生き残ることで精一杯だった。
モルゴースは最近吐き気に襲われることに気付いていた。
それに自分の腹が膨れて来ていることも。走るのが遅くなってきたことも。
乙女の城で、医女として学問も学んだモルゴースは、グウィアルの子を孕んだのだと気付いた。
グウィアルにそれを伝えた。
だが、四人が逃げたことに気付いたウルフィウスにより、城の追っ手がやってきた。
モルゴースとエレイン、グウィアルも兵士達に追われ捕えられてしまった。
グウィアルは足の腱を切られた。
モルゴースが自分の脈や母胎の音を感じとる限り、どうにか赤子は無事だった。
「逆臣ゴーロイスの子供達だ。好きなように殺せ。特にグウィアルという少年は生かすな」
それがウルフィウスから兵士達への命令だった。
兵士達は山の掘っ立て小屋を、主から買い取った。
そして、モルゴース、エレイン、モルガンは掘っ立て小屋に閉じ込めておいて、グウィアルは厩で拷問した。
兵達はグウィアルを死ぬまで拷問して、なぶり殺しにするつもりだった。
モルゴース、エレインはお楽しみとして取っていた。
じっくり犯して、もて遊んでからなぶり殺すか、はたまたウルフィウスに内緒で自分達の好きなようにしようと話していた。
兵達は、すぐ殺してはつまらないと、グウィアルを一旦開放し、モルゴース、エレイン、モルガンを閉じ込めた掘っ立て小屋に、放り入れた。
掘っ立て小屋で、エレインもモルガンも泣きわめいて兵士に怒鳴られていた。
モルゴースは、傷を負いながら叫ぶ。
「何が王よ! 何がブリタニアよ! 私の父はゴーロイス一人だけ。ウーゼル王? あんなの父親じゃない。偽物よ。あいつがうちの城に忍び込んで父を殺し、母を父から奪ったのよ!」
「……モ、モルゴース」
「私は忘れない。絶対に! 自分に忠誠を誓い、自分のために働いてきた騎士を裏切り、謀殺し、その妻を寝取った、そんな王を。そんな王の国を……私は認めない!」
泣き叫ぶモルゴースに気付いた兵士らが、うざったそうにモルゴースを蹴り飛ばした。
モルゴースは、何度も顔と身体を蹴られて、全身痣塗れで、口許から血を滲ませていた。
だが、グウィアルに比べれば、マシだった。
グウィアルは、骨を折ったのかもしれない。
地面に体をくねらせ、苦痛に顔を歪めていた。
数刻が経った。
兵士達は食事の時間で、グウィアルやモルゴースを殴ったり蹴ったりすることに、飽きていた。
モルゴースは小さな声で、癒しの魔法をグウィアルにかけた。
グウィアルは朦朧とした意識の中で、兵士達の話を聞いていた。
我慢の限界などはとうに達していた。
何もしなければこのまま殺されるしかない。
牢獄の中で血塗れのモルゴースは、かつて乙女の城で聞いた『禁断の歌』を思い出した。
ちょうどグウィアルも、それを思い出したようで、口元から血を流しながらモルゴースに言った。
「モルゴース。前……僕に話してくれた、あの歌を……『禁断の歌』を歌ってくれないか。竪琴はないけれど」
モルゴースも血塗れだった。
反抗的なモルゴースも、兵士達に、何度も殴られ、蹴られた。
「『禁断の歌』……」
モルゴースは小さく呟き、俯いた。
(……禁じられた力の封印を解く呪文。絶対に歌ってはいけないと教えられた)
モルゴースに、グゥイアルが声を振り絞りながら言う。
「……強大な力が、手に入るんだろう」
苦痛に顔を歪めたグウィアルに言われて、モルゴースは押し黙った。
(……禁断の歌。強大な力が手に入るけれど、自分の身を滅ぼすとも言われた。ずっと昔にあった、古い文明の兵器を呼び覚ますから。それは敵も自分も、全てを滅ぼす。だから絶対に歌ってはいけない。制御し、封じるために、代々一人の守り手に、引き継がれていくだけだって)
モルゴースは、乙女の城にいたとき……。湖の巫女総巫女長ガニエダに呼び出されたときのことを思い出していた。
乙女の城で死に行く老いた湖の巫女から、自分だけが教えられた禁断の呪文。
決して使ってはならない、ただその呪文を守り、死の際に他の巫女に渡さねばならない。
「お前にだけ、教えなければならないことがあると」
何も知らなかったモルゴースは、ガニエダに呼び出され、乙女の城の奥、死に瀕した老婆の元に連れられた。
ベッドに伏した老婆の側で、ガニエダはモルゴースに言った。
「その禁断の宝はずっと昔、古の神々よりもっと昔の兵器や道具で、無人の船に乗って荒れ野にやってきた。禁断の宝は勝手に動き、勝手に主を選び、勝手に主を滅びに誘う。
だからどうにか封じ、制御しなければならない。石の環の地下、遥か古代の神々が造ったらしい地下神殿に安置し、かつて丘の巫女が封じていたが、丘の巫女が滅んでしまった。イグレインの母グウェンドロエナは、最後の丘の総巫女長だった。その死に行く老婆は、今は湖の巫女であるが、最後の丘の巫女なのだ」
モルゴースは「ならばそんな呪文など誰も覚えない方がいい」と、湖の巫女の総巫女長ガニエダに言った覚えがある。
だが、ガニエダは首を振り、モルゴースは老婆から、禁断の歌を伝え聞くことになった
「口に出すな。覚えるだけだ」と。
モルゴースが覚えたと頷くと、老婆は安心して死んでいった。
「お願いだ。モルゴース。僕に力をくれ。このままじゃ、君も、君の妹達も、僕達の子供も……」
腹を抑え、苦し気なグゥイアルに、モルゴースは言う。
「一番、酷い目に遭っているのは、貴方じゃない」
「……僕達はもう、子供じゃない。僕達は僕達自身で、自分達の身を守らなければならない。もう……それしか、方法がない」
「……グウィアル」
「……お願いだ」
モルゴースは、口許の血を拭いながら俯いた。
(このままじゃ、一番危ないのはグウィアルだわ。殺させたくない。グウィアルも、エレインも、モルガンも……。お腹の子も)
「……神様。どうか私達をお許しください」
それはまるで、キリスト教徒の懺悔だった。
モルゴースは泣きながら、その歌を歌った。
禁じられた歌を。
それは美しいが薄ら寒く、聞く者に畏怖と不気味さを感じさせる歌だった。
『我はゲイボルグの槍。我はモリグーの杖。我はダビデの剣。我はロンギヌスの槍。遥か此方より伝わるもの。我が名は、破壊。大いなる(マグナ)力。武勲が欲しければ我を求めよ。地位も名誉も手に入る。王位が欲しければ我を求めよ。我は全てを平らげる。血さえ残さず終わらせよう。何もかもを、無に帰そう』
その歌と、モルガンの泣き声が響き渡った。
その頃、荒れ野地方、リスティノイス王国、地下。
古い神より、更に古い時代に造られた、石造りの、太古の遺跡の奥深く。
鎖に縛られていた剣が……呪われた魔剣が、共鳴した。
その、魔剣の目の前で、座り込んでいたマーリンは、驚きと恐怖に顔を挙げた。
マーリンは立ち上がり、眉根を寄せてよろけた。
そこにあった筈の、魔剣は消えていた。
マーリンは、口惜し気に、臍を噛んだ。
「……幾日も、飲まず食わずで、全力で祈った。……それでも駄目なのか」
すっかり縛る相手を失った鎖は、じゃら、と音を立てて崩れ落ちる。
子供達に思いを馳せ、マーリンは俯く。
(子供達の傍にいれば、子供達を守る方を選んでいれば、止められただろうか……。念のために、ドルイドを置いてきたのだが……無意味だったか。いや……結局……。何をどうあがいても、結局は……。それでも……この、さだめだけは……どうにかして止めたかった)
掘っ立て小屋のあった場所は、一面に荒野が広がり、兵士達は白骨と化していた。
グウィアルは魔剣を手にし、モルゴースを抱き締め、モルゴースは父ゴーロイスの剣とエレインを抱き締め、エレインは怯えて震え、泣きわめくモルガンを抱き締めていた。
「これが……禁断の力」
「ウェールズ地方に伝わる、太古の宝。ウェールズの二人の王、ウルヴァンとランボールが奪い合い、二人の国どちらも荒野と化して滅びた」
静かに言うモルゴースを、グゥイアルは振り返る。
「……私は、そう聞いたわ」
荒野に、土煙を上げて風が吹き、モルゴースの長い黒髪を揺らした。
グゥイアルは、剣を見つめて何かに気付いた。
「剣に何か、銘文が彫られている」
グウィアルとモルゴースは、剣を見つめた。
剣身には確かに、文字が彫られていた。
『この剣は、グウィアルのものである。グウィアルはこの剣で、最も身近な者を殺すだろう。その者の名はアルグスである』
グゥイアルは、不気味さに戸惑いながら言った。
「アルグス? ……僕の祖父の名前だ……。ロジアンの……僕を育ててくれた……。あちこち旅するのが好きな人だ。この剣は一体……」
グィアルは、手を震わせながら、剣身を鞘に封じ込めた。
「……嫌だな。これのお陰で、助かったけれど……。僕は……ゴーロイス様の剣の方が好きだ」
「……同感だわ」
「……大丈夫なの?」
エレインが不安気に聞いてきたが、グゥイアルとモルゴースは何も言えなかった。
エレインも、赤ん坊のモルガンをぎゅっと抱き締め、それ以上は何も言わなかった。
モルガンの泣き声が、荒れ果てた野に響き渡った。
グウィアル、モルゴース、泣きじゃくるモルガンを抱くエレイン。
三人は、かつての目的を思い出し、西へ向かい、荒野を再び歩き出した。
掘っ立て小屋も、兵士達も、木々も。魔剣は全てを平らげていた。
三人は、恐怖で何も言えず、無言でひたすら歩いた。
グゥイアルとモルゴースの傷は、モルゴースとエレインが癒しの呪文で、どうにか癒した。
風が吹くたびに、土煙と砂埃が舞い上がった。
途中、獣や人の骨を、幾つも見た。
木も草も枯れ、川も泉も干上がっていた。
そして、荒野の終わり……ようやく、生きた木や草が、辺りに見え始めた頃だった。
無人の小さな小屋があった。
喉が乾き、腹も減らした三人は(モルガンは泣き続けていたが)小屋に入り、物色した。
小屋の裏には、人骨があった。
そして、小屋の中に立て掛けられていた楯と、木で出来た机の上に置いてあったスカーフを見て、グゥイアルは声を失った。
「……どうしたの」
モルゴースが聞くと、グゥイアルは途切れ途切れに言った。
「この楯の紋章は……。この大鴉の紋章は……。僕の故郷……スコーティア。ロジアンのしるしだ。……それに」
グゥイアルは、スカーフを手にして、辛そうに言う。
「これは……この、大鴉の刺繍が入ったスカーフは……。……旅好きな祖父にと、母が作って渡したものだ。その内に、コーンウォールに、僕に会いに来ると、手紙を寄こされていたけれど」
グゥイアルは、俯いた。
「お祖父様! 間違いない……。僕の祖父、アルグスだ。あの剣の力で、僕は……僕は……なんということを」
「……禁断の力。呪われた魔剣。そういうことなの?」
『それだけじゃないよ』
誰かが囁いたような声が聞こえて、モルゴースは顔を上げた。
だが、赤ん坊のモルガンが泣きわめき、それと同時に荒野から、カラスが一羽、羽根を広げ、羽ばたいて行っただけだった。
マーリンはウーゼル王の宮廷に行き、グゥイアル、モルゴース、エレイン、モルガンら……子供達に焼き印を押したことなど、ウーゼル王とウルフィウスを強く責めた。
また、自分の残したドルイドに、奴隷の刻印を押したことも。
強力な奴隷の刻印を押されたドルイドは、すっかり親指サイズの小さな姿になってしまった。
そして、鴉に咥えられ、どこかに連れ去られてしまった。
彼は、子のない夫婦に拾われ、その小ささから『親指トム』と名付けられた。
イグレインは産気づいていた。
……ブリタニア王国、世継ぎの誕生は、近付いていた。
ウルフィウスは、マーリンの言うことを聞く気などなかった。
それに、四人に向けた兵士が帰らず、その山が荒れ山になってしまったとの報告に驚き、苛立っていた。
ウルフィウスは、グウィアル、モルゴース、エレインを逆臣の子として広く指名手配していた。
指名手配されていることに気付いた三人は、村を避け、なるべく山や森を歩いた。
エレインは、赤子のモルガンの体調を酷く気にしていたが、城にいたときよりも今の方が生き生きしているように見えた。
エレインは、腕に抱き締めたモルガンを見つめて、微笑んだ。
「……不思議な子ね。まるで妖精に守られているみたい」
グウィアルは魔剣を持っていると、何だか心が暗くなり、不安や疑心暗鬼な考えに襲われるようになっていた。
自分は、何より自分を心配してくれた祖父を、殺してしまった。
故郷ロジアンに帰ったら何と言えばいいのだろう。
自分の罪深さが怖かった。後ろ暗い想いを抱えた者が、キリスト教徒になるのがわかる気がした。
(……魔剣など、呼び寄せなければ良かった。でも、それ以外に、僕達が助かる方法があっただろうか)
モルゴースも産気付いていた。
モルゴースが思っていたよりも早い。早産だ。
モルゴースは苦痛に顔を歪めていた。
グウィアルは、エレインとモルガンは山の洞窟に留守番させ、産気付いたモルゴースを連れて、麓にある村を訪れた。
ゴーロイスの剣を腰に穿き、魔剣は洞窟に置いて、エレインには触らないようにと言った。
そして、村外れに一人暮らしていた老いた産婆に、お産を頼んだ。
「誰にも言わないで、黙ってて欲しいんです」
グウィアルはそう言って、出てくるときに適当に持ってきた装飾品を、口止め料に、産婆に与えた。
モルゴースは、無事に男の子を産み落とした。
グウィアルは「子供の名は、自分に考えさせて欲しい」とモルゴースに言った。
生れ立ての赤ん坊を抱きながら、モルゴースは聞き返した。
「……名前?」
「うん。既に考えてある」
モルゴースは、すっかり疲れ切って、汗だくな顔で頷いた。
だが、産婆は四人が手配されている者達だと気付いていた。
村の中、立て掛けられていた木の板に、似顔絵が描かれた手配書が張られていたのだ。
産婆は、貰った分の受け賃として、産婆としての役割を果たしはした。
だが、既に領主に話していたのだ。
領主からの使いで、子供達の居所を知ったウルフィウスは、早速兵を放った。
兵は金を産婆に渡し、産屋を引き渡させた。
産婆は、赤ん坊を抱くグゥイアルとモルゴースを後に、こっそり、産屋を抜け出した。
産屋は兵士に囲まれ、火が放たれた。
濛々と立ち上がる黒煙に驚いて、グゥイアルは、疲れ果てたモルゴースを連れて産屋を出た。
兵士達が囲んでいることに、グゥイアルはすぐに気付いた。
咄嗟に、赤子とモルゴースを連れ、グゥイアルは傍の岩影に身を隠した。
今の状態では、とても遠くへは逃げられない。
モルゴースは脂汗を浮かべているし、生まれ立ての赤ん坊がいる。
グゥイアルの目には、少し離れた丘に建つ、小さな教会が眼に映った。
「……あそこしかない」
グゥイアルはモルゴースと赤子を連れ、上手く煙に紛れて、丘に建つ小さな教会に入った。
だが、二人を連れて教会の扉を開くと、すぐ眼の前には、老いた司教が立っていた。
灰褐色のローブを纏って、ラテン語で書かれた羊皮紙の聖書をパタンと閉じている。
(どうにか隠れさせて貰いたかったが、仕方がない)
グゥイアルは咄嗟に剣を抜いて、司教を脅して、自分達三人を隠させようと思った。
だが、司教は、不思議な程に落着き払っていた。
とても穏やかな眼つきで、グゥイアルと、グゥイアルに支えられ、脂汗に黒髪を張り付かせたモルゴースと、その腕に抱かれた赤ん坊に目をやっていた。
「すみません。隠れさせて下さい」
グゥイアルは、剣を抜いて、司教に向けた。
だが、司教は、グゥイアルとモルゴースに向けて、手を差し出した。
「その赤子を、私に渡しなさい」
グゥイアルとモルゴースは、驚きの目で、司教を見返す。
外で、兵士達がものものしく、自分達を探し回っている。
「どこだ」
「こちらにはいないぞ!」
男達の騒々しい声と、ガシャガシャと、鉄の具足が走り回る音が聞える。
司教は足を進め、グゥイアルとモルゴースに手を伸ばした。
「その赤子を引き渡しなさい。その代わりに、貴方達を兵士達から逃がしてやりましょう」
モルゴースは目を驚愕に開いて、怒鳴った。
「嫌よ! 絶対に嫌!」
「……騒がないで」
グゥイアルも驚いていたが、どうにか息を落ち着けて、司教の目を見つめ返した。
グウィアルは二人を連れてどうにか逃げ、エレインとモルガンを連れて海を渡って西のヒベルニアに逃げ、故郷……スコーティアに行きたかった。
だが、司教は手を伸ばし、近付き迫って来る。
「その赤子を、渡して下さい。そうしなければ、私は貴方達を兵士らに突き出さなければならない」
グゥイアルの腕をつかむ、モルゴースの手は、力が入り、震えている。
グゥイアルは息を整え、司教に問うた。
「……それは、何故ですか。貴方の跡継ぎが欲しいからですか」
だが、司教は首を振った。
「神の啓示です」
「神の?」
「……そう。神から授かった啓示です。昨晩、私が夢に見たもの。私は、神よりお告げを受けました。今日、歳若い少年と少女が、村外れにある産屋で男の子を産む。少年と少女は、ブリタニア国王、ウーゼル王から指名手配され、産屋に火を掛けられる。私は、その少年少女を匿い、赤子を預かり、少年少女は逃がさなければならない。そして、赤子は立派に育て上げ、ブリタニアの騎士にしなければならない。そう、神からの啓示を受けたのです」
グゥイアルは、半ば、半信半疑で司教を見つめた。
その瞳には、迷いと嫌悪感が浮んでいた。
「……息子を、ブリタニアの騎士に? 私達は、今、そのブリタニアの騎士に指名手配され、ブリタニアの兵士達に命を狙われ、探されているというのに」
だが、司教の瞳には迷いがなかった。
「私も、ウーゼル王は好みません。ですが、時代は変わると、神は仰られた。どうか、その子供を私に託して下さい。立派な騎士に成長させて、お返ししましょう」
グゥイアルの腕を摑む、モルゴースの手から力が抜けて行くのを、グゥイアルは感じた。
モルゴースは、自分の無力さに歯噛みしていた。
「……大事な子供を」
グウィアルは、魔剣を呼び祖父を殺した自分の罪のせいだろうかと思った。
(これは咎なのだろうか)
だが、一方で、モルゴースは教会を見渡して、溜息を吐いていた。
「……丘の上。きっと、かつては、古の民が。丘の巫女やドルイドが、古い神を祀る場所だったんだわ。教会は、そんな場所に建てられているって聞くもの」
「……モルゴース」
「……本当は、渡したくないのだけれど」
仕方なく、グウィアルとモルゴースは取引を飲んだ。
「……わかりました。成長したならば、子供を返して下さい」
「……約束しましょう」
モルゴースは手放し辛そうにしていたが、結局、司教に赤子を渡した。
グゥイアルは、瞼を伏せて、赤子に付けようと思った名前を頭に浮べていた。
五月。草や木が生い茂り、鷹が空を飛び、鳴いていた。
そんな風景をグゥイアルは見つめて、決めたのだ。
グゥイアルは、赤子を腕に抱いた司教を見つめながら、瞼を上げた。
「この子の名はグワフルマイ。五月、空を飛ぶ鷹。ガウェインです。私は……遥か北方の国、スコーティアの王子、グウィアルという。妻はモルゴース。今はなきコーンウォール公の娘です。……それを、息子に、ガウェインに伝えて下さい」
司教は、生れ立ての赤子……ガウェインを腕に抱きながら、しっかりとした目付きで、グゥイアルとモルゴースを見つめ返した。
「わかりました。私はギルダスと申します。すぐには無理でしょうが……。貴方達は手配される身ですからな。いつか時が来たら、話しましょう。そして立派な騎士にしてお返ししましょう。……暫くは、川で拾った、樽の中にいたとでも通しておきましょう」
グウィアルは祖父から貰った御守りを、そっと、赤子のガウェインの、小さな掌に握らせた。
「……これを、息子に。ガウェインに持たせて下さい。ロジアンの、大鴉の紋章が入ったお守りです。きっと、息子にとって守りとなるでしょう」