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湖の巫女達

夕暮れのカールレオン城の胸壁。

マーリンはキャメロットの都を背に、懐中時計を見ていた。

(……二周目か)

隣で、公務姿の(すなわち、王のマントを羽織った)アーサーが、夜風に髪を揺らして、 眼下の都や、その先の風景を眺めていた。

城下町は松明やランプの灯りで照らされていて、 街を囲むように張り巡らされた外壁の向こうは、ただインクのように真っ黒な闇で覆われていた。

麦畑の向こう、山や丘が連なる地平線は、沈みかけの夕陽に、僅かに橙に照され、薄桃色の雲が靡いている。

秋の夜空には星がまたたいていた。

「話って?」

アーサーは目線を、外の風景から、マーリンに向けた。

マーリンは、懐中時計から目を上げた。

宮廷魔術士マーリン。

時を逆さまに生きる、不思議な魔法使い。

今は少年の姿をしているが、老人にもなる。

生きてきたという年齢を考えれば、本性は老人のようなのだが、その実体が本当にそうなのか、アーサーには良くわからない。

今、マーリンが手にしている懐中時計も、たまにかけている眼鏡も(モルガンやケイなんかにもあげたらしい)どれも、アーサーは他では見たことがない。

マーリンが言うには、もう千数百年後には、皆が使っているという。

マーリンは色々なものを超越している。だが、それが、マーリンなのだ。

アーサーの大好きなマーリンだ。

「本当は話さない方がいいのかも知れません。でも、やっぱり話した方がいいのかなと思いまして」

マーリンはそう言って、話し始めた。

「一度、貴方達は……ブリタニア王国は滅亡しているんです」

アーサーは気難しい顔をしたマーリンに、目を瞬いた。

「以前は、ソールズベリー平原近くのカドバリー城を中心に日々を過ごしていました。あのときより、時は過ぎた。アングル、サクソン族の侵攻も進んだ。だから、カドバリー城はたまに行くぐらい。基本、ウェールズ地方のカールレオン城を中心に時を過ごしている。それが今です」

「……」

「いつか話しましたね。ウェールズ地方に伝わる四つの宝について。僕が今、話そうとしているのは、第三の宝についてです。……そういえば、モルガンは?」

「湖の巫女のことだかで、巫女長のニムエに呼ばれたってさ」

「……そうですか。出来れば彼女も知っていた方がいいんですけど…。いつか話しましょう」

「この懐中時計は、ただの時計じゃありません。どれだけ運命を重ねたか測ることが出来るんです」


転移呪文を唱えたモルガンは、静かな湖の湖畔にいた。

夕暮れの色に染まった湖畔は薄暗く、霧が立ち始めて湿っぽかった。

モルガンは、黒い外套を手で寄せて、そっと湖の底へ続く階段を下っていった。

やがてモルガンの全身はとっぷりと湖面に沈んでいく。

湖の中に全身が入ると、重力を失った栗色の髪の髪が水中でふんわりと広がり、揺れた。水中は、湖面から降り注ぐ夕暮れの日差しがゆらゆらと揺れて、湖底を橙色に染めていた。水中花の下で自由に泳いでいた魚の群れが、モルガンを避けて散らばっていく。湖底に続く階段の先には石造りの城があった。ブリテンの湖の巫女長、ニムエの住む城だ。ニムエはこの湖の主なのだ。

(普通の人が見たら、入水自殺に思えるでしょうね)

モルガンは今までも、湖に入るたび何度か思った。

(湖の精である湖の巫女にとっては、水中も、地上の世界と代わりはないんだけれど。

ただ、ここは古い神の領域。神聖な場所だわ)

既に滅んだ丘の巫女は、丘に仕え、湖の巫女は湖に仕える。それぞれ、丘も湖も、古い竜の死骸や血痕で、この世ならざる古い神々の世界に繋がっている。その扉を、丘の巫女や、湖の巫女が守ってきたのだ。

湖底の城からは、白い銀欄織りのドレスを纏い、長い金髪を揺らしたニムエが出てきて、モルガンを出迎え、抱き締めた。

「良くきたわね、モルガン。」

「お久しぶりです。……ニムエ様」

ニムエの後ろからは、灰色のローブに長い杖をついた褐色の髪の少女が出てきた。

モルガンは彼女を見て、慌てて臣下の礼をとった。

「お久しぶりです、湖の総巫女長……ガニエダ様!」

「うむ。ところで、我が兄上はどうしているかな?」

「マーリン様は相変わらずです」

「相変わらずか。そりゃ、良かった。わしゃ、どうも時を逆さまに生きるということに、不自由を感じることが多くてな。何より、本来、自分と歳が近い婆さん達と、茶が飲みづらい。気にせんでくれる友人も数名いるがな」

ガニエダは肩をすくめて笑った。モルガンの首元に揺れる、半分しかない石の首飾りをチラリと見て、ガニエダは口を開いた。

「取りあえず、中で話をしよう」

客間で、ニムエが使用人に出させたハーブティーを片手に、ガニエダは話し出した。

「今、お主は自分の居城を持っているかな」

「岩山の中にある、小さな赤い湖の底にあった古城を一つ……。打ち捨てられたもので、まず、普通の人間は、()妖精(ボルト)の住む長い洞窟を通らなければ到達出来ません。

デモゴルゴンの洞窟と呼ばれています。勝手に使ってます。でも普段はカールレオン城にいます。本当は、父ゴーロイスの城、コーンウォール城が私の城ということなんですけれど」

「けど?」

「ウーゼル王が留守役として、マルクという男をコーンウォール城主に任命していて。私は追い出されたようなもので」

「……ふむ」

ガニエダはハーブティーをすすった。

「……モルガン。いずれ、言うつもりだった」

「……はい」

「お前にアヴァロンを任せる。いや、そもそも既に……お前はアヴァロンの主だったのだ。お前が以前、死んだとき。アーサー王が滅んだときに。お前はアヴァロンの主になったのだ」

見上げてくる、モルガンの瞳を、ガニエダは見つめ返した。

「…死んだとき?」

ふと、モルガンの瞼に、泡になって深く暗い水の底に沈んでゆく自分のイメージがよぎった。

「あの、それは私にアヴァロンに住めということでしょうか」

モルガンの返答に、ガニエダは言う。

「アヴァロンは大まかに三つ存在する」

ガニエダは指を一本一本立てながら話した。

「一つ目。地上に存在する、あるがままのアヴァロン。二つ目、幾つもの世界のアヴァロン。三つ目、聖なる島のアヴァロン。普通の人間は一つ目、希に二つ目に到達する。三つ目は……普通の人間には開けぬ場所だ。お前はそこへ到達した」

「地上のアヴァロンに住むということならば、誰にも出来る。イニス・ウィトリン教会が既にある。お前が手にしているのは、幾重にも連なり、重なる世界を辿るためのものだ。

あらゆる道に繋がる扉の果てに、古い神々の国や小さな妖精の国、そして、林檎がたわわに実る聖なる島。常若のアヴァロンがある。……湖の巫女の最も崇高な聖地だ。お前はその主。……はじめから、お前がその姿形で生まれる前からそうだったのか」

モルガンの胸元の首飾りの先……半分だけの石が、光を受けて反射した。

「あの……」

ガニエダの勢いに押されるモルガンに、ガニエダは重々しく言った。

「その胸元の宝を、決して誰かに渡してはいかんぞ」

モルガンは外套を被り、カールレオン城へ帰り支度をしていた。とは言え、杖で転移呪文を唱えるだけだが。見送りに、古城からガニエダとニムエが出てきた。ニムエが話しかける。

「モルゴースはどうしてる?」

「……姉のモルゴースは」

モルガンは瞼を伏せた。以前、雨が降る中でアーサーと話したとき、頭によぎったものは。

(あれは、一体なんだったんだろう)

モルガンは、カールレオン城にモルゴースがやってきて、忠告されたのを思い出した。

アーサーは敵だから、余り心を寄せるなと。

「姉は、オークニーの城で暮らしてます。私の年の近い甥達……ガウェインら、姉上の息子達はアーサーに仕えてます」

「そう。モルゴースは、乙女の城時代、優秀な成績を残していてね。ヴィヴィアンと私で、どちらがモルゴースの成績を抜けるか競ったわ。懐かしいわね。憧れの先輩だった」

普段、きつめの顔つきのニムエが、柔らかく微笑んだ。

モルガンも、ほんの少し笑い返した。


オークニーの城では、……古代アトランティスとゲルマンの術を混ぜたホムンクルスの禁術により、かりそめの命を得たエレイン……モルゴースの妹でモルガンの姉、ペリノア王の妻で、バーシヴァルとエレインの母親の…が、忙しなく動いていた。

「……エレイン。あなた、旦那の傍にいなくていいの?」

モルゴースが呟くと、エレインは色素の薄い長い髪を揺らして笑い返した。

「だって、ペリノアったら私が傍にいるっていうのに、“クエスティング・ビースト”っていうのを探すからって旅に出てしまったんだもの」

「“クエスティング・ビースト”」

モルゴースが言うと、エレインは肩を竦めた。

「私の命をかりそめのものでなく、完全なものにしたいって。だから、絶対捕まえるって」

「完璧主義か」

「なんだか、竜の亜種らしいんだけれど、良く聞いてみると、頭が蛇で胴は豹で尻はライオンで鹿の足で、何十もの猟犬みたいな声を出すって」

「……それ、最早、竜を逸脱してるわよ」

「でも、目覚めてびっくりしたわ。何もかも変わってるんだもの。いつの間にか、アーサーって弟がブリタニアの宗王をしてるって言うし。私の子供達もアーサー王に仕えてるって言うし。今度、子供達に会いに行かなくちゃ」

頬に指を当て、エレインは微笑んだ。

「おば様、焼き菓子まだー?」

ひょこっと、小さなモルドレッドが扉から顔を出した。

「もうすぐ焼けるから、ちょっと待っててね」

エレインはバタバタと、早歩きで台所に向かい、使用人に混じってお菓子作りをしていた。

「……一応禁術なのよね」


モルガンは、黒い外套のまま、転移呪文でキャメロットに戻った。

早足で城に戻る間、ガニエダとの会話が頭の中に響いた。

 ガニエダが、客間でモルガンに聞いてきた。

「どうじゃ、最近は」

「アーサー王の居城で……アーサー王に仕えています。湖の巫女として」

「……辛くはないか。湖の巫女の立場はどうじゃ」

モルガンは、カップの中に注がれた茶を見ながら、口を開いた。


「……今はキリスト教が入ってきて。アーサー王もキリスト教です。古い宗教とキリスト教、それぞれの立場の者達が、軋轢を起こしている。けれどアーサー王は、私達の長、マーリンを宮廷魔術師として傍におき、彼の指導を受け《竜の王》を名乗っています。ウーゼル王のように。古い神々を信仰する者も、キリスト教を信仰する者も、皆、平等であるべきで、宗教や人種など関係ないと。その象徴として、ドラゴンの旗を掲げています。

そのアーサー王の信念の元に、様々な立場の者達が、アーサー王の下についているのです」

 モルガンの目はキラキラと輝いていた。

「私は、湖の巫女。古い神々を信仰する側です。アーサー王の都にも、今も、古いやり方で婚儀を挙げたい人々や、葬儀を挙げたい人々がいます。古い神々のお祭りを愛する人々も。

中には人道的に良くないものがありますが、そういったものは廃止の方向にあります。でも、古いやり方の全てが人道に反するわけではないことを、アーサー王は…アーサーはわかっています。それに、湖の巫女は、人々を看護したり、藥を作る役目があります。織物や縫い物、染め物や音楽。様々なことを先代から教わり、後に伝える役目も。……その役目も買われて……だから私は、湖の巫女としてアーサー王の宮廷にいます」

 モルガンは瞼を伏せた。

「……私を魔女と呼ぶ人もいます。妖精の血が濃いと。……姉は私に、アーサーを敵として見るべきだと言います。時に、アーサーと対峙する私の姿が、見えて、予知ではないかと怖くなるときがあります。けれど、私は……私だって。彼の仲間でいたいんです。……ただの妖精の戯言です」

ガニエダに、吐き出すように、モルガンは言った。

「おかえり」

どこからか、声がしてモルガンは声の方向を見た。

カールレオン城の城壁に、アーサーが寄りかかって立っていた。

 王様姿で小さく笑うアーサーに、モルガンも小さく微笑んだ。


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