記憶と予感
ランスロットの文字にヒビが入り、割れた円卓。
沢山の兵や騎士の死体が散乱する城。
アーサーの死骸の上で泣き崩れる自分。
その、知らない筈の朧気な記憶を頭に過らせ、ランスロットは出窓の外を見つめていた。
静かな、だが芯の強い眼差しで、遠い空を見据えた。
グウェンフィヴァフの部屋で、グウェンフィヴァフは鏡で体を見た。兄、ゴートグリムにつけられた痣は幾つか痕になってしまったが、随分治った。
(治って来て良かった……)
そう思うと、ふと、自分の体型が気になった。
(……私、背が低いし。モルガンやエレインに比べると、頼りなく見える)
だが、次の瞬間、違う自分が鏡に映った。
鏡の向こうの自分は、もっと成長していて、冷たい瞳と張り詰めた顔をしていた。
(貴方は誰……?)
鏡のグウェンフィヴァフが言う。
(私は貴方よ。そして凄く嫌な奴)
鏡の中のグウェンフィヴァフはクスッと笑った。鏡の向こうの冷めた自分が言う。
(私は私が嫌い。だって無力だから。誰かが助けてくれなければ何も出来ないから)
「……私……?」
(相変わらず無力なのね)
(宮中で噂話ばかりしてる人達が嫌い。何故、皆……私の悪口ばかり言うのかしら)
グウェンフィヴァフは呆然と鏡を見つめていた。だが、それは確かに知っている感情だった。
(……私……知ってる。この感情)
鏡のグウェンフィヴァフは話す。
(私はブリタニアの女神の化身らしい。沢山の人がそう言う。だから私を妻にしたい男がたくさんいるらしい。……だから、私は何度も拐われたらしい)
グウェンフィヴァフは鏡の向こうの自分を静かに見つめた。
(……宮中の女達は、私がランスロットや円卓の騎士に助けられてばかりいるのが、羨ましかったり妬ましかったようだ。私は口々に中傷された。だったら、自分が私の代わりに拐われればいい。脅されて、髪を掴まれたり、殴られたり、蹴られたり。死ねとか殺すとか言われたり。何が羨ましいのだろう。……拐われるって、そういうことなのに。ランスロットは…好きだった。そう、言えるのだろうか。私が中傷されたら、私の名誉を守るために……戦ってくれた。私のために。彼だけだった。アーサーは中立を保たなければならないから、そんなことはしない。……それに、他に本命がいる。ランスロットは私を女神だと崇拝するし、私が拒絶すれば正気を失った。私がいなければ生きる意味を見失った。面白い程に)
鏡の向こうのグウェンフィヴァフは、冷たく笑ったが、沈痛な面持ちに変わった。
(……だから私はわからなくなった。怖くなった。私のランスロットへの想いは、本当に愛だったのだろうか。支配欲でしかなかったのではないだろうか。彼を本当に想い、愛する娘を見て私は……益々わからなくなり、ムキになった。ランスロットの私への想いも、愛だったのだろうか。それは……本来、人に向けるべきではないもの……信仰心だったのではないか)
鏡の向うのグウェンフィヴァフを、グウェンフィヴァフは見つめた。
(そして、それはアーサーの足枷になった。ランスロットは解放を望んでいた。だから私は彼を解放しなければならない。私達はただ……寂しかっただけだ。ランスロットは私に狂っている間も、エレインを拒絶し切れなかった。そういうことなのだろう)
鏡のグウェンフィヴァフは張り詰めた顔をほどき、大人びた優しい笑みを浮かべた。
(結局、私達の本命は……私達が子を残したのは……。でも……)
鏡のグウェンフィヴァフは思い詰めたように言った。
(私のそれは……ランスロットより……遥かに道ならぬ道だったかも知れない)
グウェンフィヴァフが鏡に手を当てると鏡に映った自分は、いつもの幼く小さな自分に戻った。
グウェンフィヴァフは震える手で、鏡に映った自分に触れた。
確かに自分だった。
グウェンフィヴァフは、小さな声で歌った。
「トカゲのしっぽ、バターミルク、腐りかけの丸太橋。ポケットの中に入ってるものなあに」
「この歌を口ずさむと心が和らぐ……。不思議。……どこで聞いたんだったかしら」
カールレオン城、近くの花畑。
聖母マリア被昇天の祝日はグウェンフィヴァフとエレインが城中を美しく花で飾った。
その日も、聖ミカエル祭に向けてグウェンフィヴァフは花を摘み、お付きのランスロットも花の冠や首飾りを沢山量産していた。
「ランスロットは花の冠や首飾りを作る天才ね」
「いや、それほどでもないですよ」
グウェンフィブァフの笑みに、ランスロットは照れながら、言葉を詰まらせた。
二人の間に沈黙が降りた。
少し離れたところから、花を髪に飾ったエレインが、色とりどりの花を大量に入れた篭を持ってやって来た。
「ランスロット様、グウェンフィヴァフ様! こんなにいっぱいお花摘みましたよ! 見て下さい!」
エレインはランスロットの横に、どっさり花を置いた。
「……何か、幾ら作っても終わりのない作業をしてる気分だな。そのへんにしといてくれ」
ランスロットはエレインを見て溜め息を吐いた。だがほんの少しだけ笑った。
グウェンフィヴァフは静かにそれを見つめていた。が、やがて溜め息を吐いて小さく笑みを浮かべた。どこか、大人びた優しい笑みだった。
「ねえ、ランスロット。エレイン。ちょっと聞きたいんだけれど」
「はい」
「この歌、知らないかしら。『トカゲのしっぽ、バターミルク、腐りかけた丸太橋。ポケットの中に入ってるものなあに』」
ランスロットは目をぱちくりさせて考えた。
「子供向けの歌ですか? 聞いたことないですね。まあ僕はアルモリカの出身なんで」
「私も知らないです。グウェンフィヴァフ様の出身地の歌なんじゃ?」
ランスロットとエレインに、グウェンフィヴァフは少しがっかりした顔をした。
「そう……。カメリアードでも知ってる者はいなかったわ。乳母も知らないし」
「不思議ですね」
エレインに花の冠を被らされて、グウェンフィヴァフは笑った。
だが、ずっと心の中では、そのどこかで聞いた子供向けの歌が浮んで、離れなかった。
何故だかはグウェンフィヴァフにもわからなかった。
ランスロットは、笑い合うグウェンフィヴァフやエレイン、蜜蜂や蝶と共に花に群がる小さな妖精達に小さく微笑んだ。
ランスロットの中のもう一人の自分が呟く。
(僕は、一体、誰を崇拝し、誰に仕えるべきか)
頭によぎる。それは良くランスロットが見る夢だった。
それはいつの記憶なのか。昔なのか、過去のイメージなのか。眠ってる間の出来事でしかないのか。
知らない筈なのに、ランスロットの胸には、いつか起こったそのイメージが妙に深く刻まれていた。ランスロットの中にはもう一人自分がいて、それがいつか起こる未来かも知れないと囁くのだ。もう一人の夢の中にいるランスロットは、ずっとランスロットに訴えかけて来る。それはランスロットが心の内で覚えていることだった。
『ランスロットがグィネヴィア王妃の部屋にいる現場を押さえました。……それに、私の兄を殺しました。明らかな裏切りです。アーサー王』
記憶の中で、誰かがランスロットに負わされた傷を抱え、謁見の間でアーサーに伝えた。
明らかに、何者かの陰謀だった。ランスロットは……。仲を疑われたことで、グウェンフィヴァフ王妃に、別れを告げに行っただけだった。ランスロットとグウェンフィヴァフの間に肉体関係はなかった。だが、ランスロットは、やり過ぎた。おかしかった。
ガウェインの弟や息子を三人斬り、二人が死んだ。アーサーという主の妻。王妃。だから僕は彼女に仕え、守る。そのはずだった。けれど、ランスロットは彼女を愛し、女神として崇拝し、信仰した。彼女のためなら何だって出来た。それはどこかおかしかった。ランスロットも彼女もおかしかった。ランスロットはやはりどこかで違和感を感じていた。でも、ランスロット達は何もわかっていなかった。
『アーサーへの裏切り』『不倫』『アーサーの面子潰し』間違ってると気付き始めたときは遅かった。ランスロットは苦しんだ。グウェンフィヴァフ王妃の姿が見えなくて飛び降り自殺しようとしたり。……エレインと結婚を決めて、グウェンフィヴァフ王妃に拒絶されたときは狂人になり、数年裸で森をうろついた。……彼女は本当に女神の化身だったのかも知れない。まるで、ケルト神話のミディエールとエーディンだと人は言った。
エレインに看病を受け、ランスロットは正気を取り戻した。エレインは一見世間知らずの娘だが、芯が強く辛抱強く、健気だった。解放を求めていたランスロットの心はエレインに強く惹かれた。
キャメロットを離れて彼女と息子と、過ごした数年は穏やかで平和だった。
グウェンフィヴァフ王妃と共にいても、アーサーへの罪の意識で苦しいだけだった。
そして、息子のガラハッドは聖杯探求に成功した。ランスロットは王妃からの解放を望んだ。けれど、結局、彼女を守るのは僕の役目だった。それに遅かった。
『……王妃を姦通罪で火刑に処す』
アーサー王の前で読み上げられる通達。
誰かを……ランスロットを待ち、焦る表情のアーサー。大勢の観衆の中、下着姿で火刑台に掛けられるグウェンフィヴァフ。沢山の騎士を斬りつけ、グウェンフィヴァフを助け、馬に乗せ、逃げ出す自分。丸腰なのに自分の剣に倒れるガウェインの兄弟達。
ランスロットは、自分の到来を待ち、丸腰だったガウェインの弟を一人、息子を一人殺した。ガウェインの弟は四人の内、末の弟一人しか残らなかった。
涙を溢し怒りに震えるガウェイン。
「ランスロットを俺に殺させて下さい! 俺は三人も弟を殺された!」
ガウェインと剣を交えるランスロット。
ランスロットは息子の遺した剣を恐れ、グウェンフィブァフに預けた。だが結局ガウェインを……親友を殺した。ガウェインの最後の弟は、とっくに反撃に動いていた。……いや、始めからだったのだろうか。『奴』がどういうつもりだったのか。ただ言えるのは『奴』は、いつの間にかスコーティア、ヒベルニアの王だった。…ゲール同盟の盟主だった。そして、アーサーの最も身近な者で、最大の敵だった。
カールレオン城に死体が散乱する。
傷付き、倒れたアーサーの元へ走り、ランスロットは泣いた。
答えはわかりきっている。ランスロットは女神を崇拝していた。ランスロットはアーサー王に仕えながら、必死に彼女のために奉仕した。道ならぬ苦しい道。でも、もう……。もう、大丈夫。振り返らないだろう。ランスロットには大切な人がいる。グウェンフィヴァフ王妃。ランスロットは彼女に仕えるだるろう。アーサーに対するのと同じように。
ランスロットは、エレインが花びらのシャワーをグウェンフィヴァフに浴びせ、二人がはしゃいでいるのを見た。
黒髪を風に靡かせ、静かに微笑んだ。
それは結局、夢の中だけの出来事だったのだろうか。
だがランスロットには、それはいつか起こった過去のことのような気がした。いや、本当はわかっている。今、花畑の中にいるランスロットにとって、もう一人の自分は確実に自分として、存在して溶け込んでいる。それは自分なのだ。いつか起きた自分のことなのだ。間違えてはいけない何かを、ひたすらに訴えかけてきているのだ。だから、自分はそれを、いつか起きたことを覚えている自分を、その悲しみを、この先起さないように真摯に受け止めなければならないのだ。
エレインの中にも、もう一人のエレインが顔を出していた。
(私はランスロット様が好きなのである。だから誰にも渡さないのである。どんな手段を使ってもランスロット様を私のものにするのである。立ちはだかる者は全て倒してやるのである。グィネヴィア様といちゃつこうもんなら徹底的に邪魔してやるのである。グィネヴィア様と仲良くして、上手いこと百合を演じるのもお手のものである。でもあんまりランスロット様に冷たくされると堪えるのである)
エレインはランスロットを見ながら、心に浮かぶ夢の風景を思い出していた。
それは黄金色の麦畑だった。もう一人のエレインが言う。
(何度も何度も泣いた気がする)
もう一人のエレインは黄金色の麦畑の中に立ち、風が彼女の銀髪を揺らした。
麦畑に立っていたら、神様の声が聞こえた。ランスロットという騎士を愛しなさい。生まれた息子が、聖杯の…癒す(ラピス)杯の当の力を目覚めさせ、荒れ果てた国を癒し、救うだろうと。その声は、礼拝堂の司教様にも、侍女にも聞こえた。エレインは、自分の使命を知った……ランスロット。彼には、想い人がいた。それは道ならぬ道だ。ランスロットとグウェンフィヴァフ。彼らはアーサー王の足元を脅かしていた。
だから、エレインの想いは間違っていないとエレインは考えた。エレインの想いで、ランスロットを救える。ブリタニアも救える。だから、エレインは彼を……ランスロットをただ、強く愛せばいいのだと。
(彼が例え私のことなど愛してなくても……私は。それが私の使命なのだ)
……エレインは、城の者逹と話し、藥でランスロットに王妃の幻を見せ、彼に迫った。
国のため、天から与えられた使命のためだと心に言い聞かせても、それは嫌な、辛い覚悟だった。けれど、ランスロットはエレインであることを見抜いた。
……破幻の指環を持っていたらしかった。その上で、彼はエレインを受け入れた。 私は…泣きじゃくった。結局のところ、エレインは使命だと言い聞かせながら、ランスロットを……好いていたのだ。エレインは、決意した。癒す(ラピス)杯はエレインと共にある。
(道ならぬ恋からランスロットを引きずり出してやる。彼が狂ったなら……私が正気に戻してやる)
エレインは花の首飾りを編みながら、ランスロットとグウェンフィブァフを見つめた。
もう一人のエレインは、エレインの中にあった。エレインの中に溶け込んで、彼女を突き動かしていた。




