アーサー対モルガン前編
ある、小さな田舎の村で少女が猫と戯れていた。
だが、突然に深くフードを被ったローブ姿の男達が現れた。
少女は当惑して聞く。
「あなた達……誰?」
だが、ローブ姿の男達は少女の口許を押え、有無を言わず少女を浚っていった。
マーリンは、丘の上に聳え建つ巨石墓の上に立っていた。
緩やかな風が、幼いマーリンの金髪とぶかぶかのローブを揺らす。
マーリンの眼の前に、ぼんやりと白いローブを纏った長い波打つ金髪の女が、姿を現した。
「マーリン、行くのですね」
落着いた声で言う女に、マーリンは深く頷く。
「ええ、世界の主、ブリギッド。アーサー王と円卓の騎士、彼らを取り巻く人々……。全ての悲しみは『無知』によるものだと私は考えます。だから私は彼らに教えます。彼らの過去の、そしてまた行うことになるかも知れない未来の悲しみを」
ブリギッドは空を仰いだ。
「あのブリタニアの……アーサー王と円卓の騎士団の滅亡から、今は百年の時が経ち、今、アーサー王達は再び、やり直しをしている。アーサー王の強い願いによって。アーサー王達は忘れているけれど、過去を本当は心のどこかで覚えている。はっきり覚えている者も中にはいるかも知れない。けれど、アーサー王が望んだことを邪魔するものもいるでしょう。頑張って下さい。マーリン」
ブリギッドの後方では、どこからか黒い霧が立ち込め、人の形をしたものが現れた。
それは、地響きのような低い声で、黒いもやのような手をマーリンに伸ばす。
『……そんなことは許さない』
マーリンはハッとして人の形をした黒いもやを見つめた。
『お前は目障りだ。マーリン。お前もまた潰してやるよ』
だが、マーリンははっきりした声で、黒いもやを睨んだ。
「邪竜教団を呼び寄せたのは貴方ですね。邪竜よ。古代アトランティス大陸の禁断の産物よ」
謎の声はニヤリと笑った。
「私は貴方には負けない」
マーリンは毅然と影を睨み付けた。影は手を挙げ、マーリンを黒い風で包むが、マーリンは杖を振り、黒い風を消し去った。
海の彼方、岸壁と岩山に囲まれた不毛な土地に聳え建つ邪竜教団、その内部には蝋燭の火が点された暗い祭壇に、邪悪な竜のモチーフが照らされていた。
祭壇の前には邪竜教団の大司祭クリングソルがおり、下がったところに信者逹が不気味に膝まずき、祈りを捧げていた。祭壇の下は巨大な空間があり、邪竜の黒い死骸があった。
拐われた娘は、縄で縛られ生け贄に捧げられようとしていた。
「お願い、助けて! お願い…」
だが、柱の影から見ていたモルゴースは、こっそりと娘のロープをほどいた。
娘は泣き腫らした目で、モルゴースを見上げた。
「……今の内にお逃げなさい」
モルゴースは娘の耳元に囁き、腰に下げた革袋から転移呪文に使う薬草の粉末を娘に振りまいた。たちまち、娘は煙に包まれ、光り輝く粒子の中に消え去った。モルゴースは娘を逃がしたのだ。
少女は元にいた村に戻り、泣きながら走って実家に戻り、自分を探していた両親と抱き締めあった。
一方、邪竜教団のモルゴースは、背後から男に杖を向けられる。
モルゴースは眉をきつく寄せて、背後にいる男に顔を向けた。
「……まさか、貴方が邪竜教団の人間だったとはね……ドルイド七賢人の一人……ヴァレリン。それに……。サロメ」
モルゴースの目の前には、暗い闇の中でぼんやりと獣脂の蝋燭に照らされて、魔法使いヴァレリンと魔女サロメが姿を現した。
ヴァレリンは「……ふん」と首を傾け、若い魔女サロメは「あーあー。よくも何人も生け贄を逃してくれたわね」と、モルゴースを睨みつけた。
その後ろから、黒いローブを纏い、フードを目深に被った邪竜教団の大司教、クリングソルがしわがれた声で、モルゴースを見つめている。
「モルゴース。君はブリタニアを滅ぼしたいという意見は一致している筈だよ。ゲール同盟の盟主よ」
モルゴースはクリングソルをきっと睨み返した。
「……邪竜教団。ブリタニアに奴隷の烙印を押された、魔法使い達のよすが。でもあんた達のしてることは……。子供を拐い邪竜の死骸に……贄に与えることは……私には耐えられない。あんた達と手を結ぶのは……間違いだった」
クリングソルの傍からは、灰色のローブに身を纏った、赤い瞳を持つ幼い銀髪の少年シャッヘルが現われた。そしてシャッヘルは、傍に控えているサクソン族のローブを着た若い男、オズモンドに目を向けた。
「彼女に罰を。オズモンド」
「はい。シャッヘル様」
「何を……」
オズモンドは爪と牙の生えた毛むくじゃらの化物に、黒い葡萄酒の入ったガラス瓶を持ってこさせた。
モルゴースは羽交い締めにされ、無理矢理に黒い葡萄酒を飲ませられた。
オズモンドがにたにたと笑いながら、自分が作った葡萄酒の入ったガラス瓶を掲げた。
葡萄酒の瓶は蝋燭の灯りを受けて、その中に黒い葡萄酒が揺らめく姿が見えた。
「これは、邪竜の血の濃度を高めて改良した葡萄酒です」
モルゴースは自分の血が逆流するのを感じた。熱く、激痛が全身を襲う。
「ぐっ……うっあぁあぁ!」
モルゴースは全身を襲う苦痛に喘ぎ、苦悶しながらのたうち回ると、やがて崩れ落ち、気を失った。
脂汗にまみれたモルゴースを、シャッヘルが冷たく見下ろした。
「……君はもう人間でなくなった。魔物だ。君には僕の駒として動いてもらうよ」
ウェールズ、グウィネズにあるブリタニアの宗主国。
ログレス王国の王都キャメロットは、雨が降っていた。傍を流れるウスク川は水位が上がり、霧が立ち込めていた。キャメロットはぐるりと外壁で周囲を囲まれ、その中に尖塔がそそり立つカールレオン城が聳え立っている。今はその王都もカールレオン城も雨にさらされている。
モルガンは猫のパルを抱き締め、カールレオン城の胸壁から、激しく流れるウスク川や、雨の降る海を見つめていた。そして、昨晩の夢を思い出していた。
そんなモルガンに、白狼を足元に連れたアーサーが話しかけてきた。
「モルガン」
モルガンは驚いて後ろを振り返った。
「……! ……アーサー」
「ずっと雨なんて見てて楽しい?」
怪訝に聞いて来るアーサーに、モルガンは少し眉根を寄せて、再び雨を見つめた。
「別に……昨日の夢を思い出していたのよ」
「夢ね」
「夢でも雨が降っていたわ」
モルガンはふっと夢を思い出した。
夢。その夢でも、モルガンは今と同じようにはカールレオン城の廊下で、アーサーと並んで外を見ていた。空を暗雲が覆い、海に雨が降っていた。モルガンはアーサーと言い合っていた。
『私、結婚しなくてはいけない。……ゴール王国のウリエンス王と』
『……知ってる。ウルフィウスが持ってきた話だって聞いた』
『……それだけ?』
『決めたのは君だろ。僕が何か言えるわけじゃないし』
『何で? 王様のくせに』
『そりゃ、僕がやめろって王命を出せば、君はやめるだろうな。別に君の意志でなくても』
モルガンは唇を噛みしめて、アーサーの腰にぶら下がった、美しい刺繍が施された聖剣の鞘を見た。
『アーサー……その……鞘は……その刺繍は』
私が五日間、アーサーのことを考えて作ったものよ。
そう言い掛けたが、モルガンは言葉を切った。
(馬鹿……何やってるの私。言っちゃ駄目だ。……言ったらアーサーを守る効力がなくなる)
だが、アーサーは冷たく言った。
『……こんなことで王命なんて馬鹿馬鹿しい』
モルガンはショックを受けた。
『……何で馬鹿馬鹿しいのよ』
『ある意味でお似合いなんじゃないか? 君は先走るところがあるから、ずっと年上の男の方が……さ。僕も、僕に似合いの子と結婚するよ。相手はもう決まってるんだ』
モルガンは傷ついた瞳でアーサーを見つめるが、アーサーはモルガンの方を見なかった。
じっと、雨を見つめていた。
「そうかも知れないわね」
モルガンは泣きながら、アーサーに背を向け、走り去った。
アーサーは何か言おうとしたが、結局、唇を噛み締め、小さく呟いた。
「……あいつは……姉妹だ」
泣きじゃくるモルガンに、モルガンに似た大人の女が笑う。
最近、息を潜めていた幻視が浮かんだ。
暗い塔の中で、蝋燭の火に囲まれ糸車を回す女がくすくす笑う。
モルガンの目に、モルガンがもっと成長したような姿の、糸紡ぎの女の姿が浮かんだ。
「……また、あなたなの」
「私は死の女神モリグー。運命の歯車を回す者。運命の糸を紡ぐ者。そしていつかあなたがなる姿」
「……私はあなたになんかならない。運命の糸なんか紡がない。糸紡ぎは好きよ。…ただ、綺麗な糸が紡げればいい」
モルガンはレゲッド王国のウリエンス王と結婚することになった。城は湖に面していた。
ウリエンス王は背が高く中年の茶髪の男だった。女との結婚も何度目かだといういことだった。式はウリエンス王の城の礼拝堂で行われた。式にはモルゴースやアーサーも出席した。アーサーには数人、騎士が付き従っており、アーサー自身も、グウェンフィヴァフという姫と婚約をしていた。
モルガンとアーサーは形式的な言葉しか交わさなかった。
モルガンとウリエンス王の口付けに、アーサーは目をそらしていた。
結婚の宴が終わり、夜が来た。
花嫁姿のモルガンはウリエンスに手を引かれ、彼の寝室に連れられた。
ウリエンスは蝋燭に火を入れた。そして、震えるモルガンをベッドに押し倒した。
「い……いや!」
嫌がるモルガンに、ウリエンスは不快そうに眉をしかめた。
「面倒な娘だな。結婚するということはこういうことだ。お前はわかっていた筈だ」
無理矢理、モルガンの服を脱がそうとするウリエンスに、モルガンは泣きながら嫌がった。
モルガンはどうにかウリエンスの剣を掴み、ウリエンスに刃先を向けた。
「……やめて!」
「この……優しくしてれば…なんという娘だ!」
「……わ、私は……貴方とこうなりたいわけじゃなかった! 私は……私は……」
モルガンは激しくなる動悸を抑えようと、必死に呼吸を整えながら言った。
「私には好きな人がいます。でもその人は私なんかどうでもいいんです。貴方とこうなったって構わないんです」
モルガンは涙を溢れさせながら、乱れたドレスを必死に抑えて、ウリエンスの部屋から逃げ出した。
中庭でむせび泣くモルガンに、誰かが声を掛けてきた。
「……こうなるんじゃないかと思ったわ」
モルガンが振り返ると、モルゴースがそこにいた。
だが、その瞳は薄暗く、怪しく光っていた。
「……モルゴースお姉様……」
「だがら言ったでしょう。アーサー王は私達の敵だと」
モルガンはしゃくりあげながら俯いた。
「アーサー王は……モルガンの造った鞘の力で守られている。あの鞘を持っていれば、戦いで血を流すことも死ぬこともない。私達……アーサーを潰したい者からしたら邪魔でしかないわ」
モルガンは何も言えず俯いた。
「モルガン。アーサーを殺しなさい」
モルガンは驚いて見上げると、モルゴースはモルガンに何か呪文を掛けた。
「私に……アヴァロンに誓いを立てなさい。アーサーを殺すと」
「そんな…」
「アーサーを殺さなければ海の泡となって消える。そういう呪文を掛けたわ」
モルガンは驚いてモルゴースを見つめた。モルゴースは淡々と言う。
「……アコーロンという騎士にもアーサーが敵に見える呪文を掛けたわ。彼の剣は刃こぼれしてるから、エクスカリバーと取り替えてあげなさい。いいわね。アーサーから鞘を奪い……貴方の手で殺しなさい」
絶望したモルガンの脳裏で死の女神モリグーが笑ったような気がした。




