アーサーとマーリン
それは、湖水地方のカーライル城で、アーサーが実母イグレインの元、血の繋がらない姉妹、モルガンと共に育てられた頃のことだった。
アーサーは五歳だった。
普段は、南部のソールズベリー平原近く、カドバリー城を居城としていたウーゼル王が、湖水地方のカーライル城にやって来た。
ずっと幼いアーサーは、滅多に顔を見せず、噂しか聞かない父、ウーゼル王に構って貰えるのだと期待を持っていた。
カーライル城の渡り廊下で、騎士達を引き連れて歩く父の後を、アーサーは、懸命に追い掛けた。
「父上、父上!」
父、ウーゼル王を必死に追い掛けながら、幼いアーサーは小さなカツミレの花を手にしていた。
「父上! このお花、モルガンが摘んできたんです」
ウーゼル王はゆっくりと、感情の籠らない目でアーサーの方を振り返った。
でも、滅多に姿を見せない父が、自分の方を見たことが嬉しくて、アーサーは息を切らせながら、手に持ったカツミレの花を見せた。
「父上、これ……綺麗だから母上や父上に見せたいって……。モルガンが。……でも、あいつ父上に会うの嫌がってて。だから僕、持ってきたんです。父上……」
だが、ウーゼルは、アーサーからカツミレの花を貰い受けると、手の平を開いて、花を手放し、地面に落とした。そして、アーサーが見ている前で、靴を履いた足で踏み潰した。
「このようなつまらぬことで、私を呼び止めるな」
ウーゼルはそう言い放つと、踵を翻して、再び、大勢の騎士を連れ立って歩いて行ってしまった。
アーサーは、父、ウーゼル王に無惨に踏みつぶされたカツミレの花を見つめて、茫然と立ち尽くした。
「父上……何で」
その頃のアーサーは、幼さゆえに何もわかっていなかった。
母、イグレインが父、ウーゼルに冷たく頑なで、自分より……姉妹のモルガンに優しく笑う理由。妹のモルガンが、父を恐がり、避けていた理由。
父が、モルガンに冷たい理由。
だが、アーサーは歳を重ねるに連れて、少しずつ理解していった。
良く、カーライル城では侍女達が、モルガンを遠くから見つめて話していた。
「モルガン様は古の民の血を引くからか、髪も黒いし、薬草に詳しいわね」
「気味悪いわ」
「血の繋がらない、反逆者の男の娘なのに、何故ウーゼル様は手元に置くのかしら。奴隷の刻印もあるんでしょ」
「イグレイン様が手放したがらないからよ。反逆者と言ってもウーゼル様の方が無理に奪ったわけでしょ」
「しっ。聞こえちゃうわよ」
カーライル城内の回廊で侍女達がしていた会話を、ふとした偶然から聞いてしまったとき。アーサーは腑に落ちた。そして知った。はじめから……自分は、生まれ方から間違いだったのだと。
母が自分よりモルガンに優しいのが恨めしかった。モルガンを恨んで、父がアーサーにはまだ優しいのを鼻にかけて、皮肉を言ったりもした。それで随分、アーサーはモルガンとは口喧嘩をした。
その癖はなくらなかったけれど。……でも、今、アーサー自身は、知らないよりは知って良かったと思う。アーサーは少しだけ優しくなった。
そして、父ウーゼルが死に、母イグレインも死に。
家臣達は、王位は他の庶子が継ぐのが妥当だと話した。
お払い箱のアーサーは、ウーゼル王に仕えていたマーリンの手で騎士エクトールの城に預けられ、育てられた。アーサーは、モルガンは湖の巫女を育てる城に行くのだとマーリンから聞いた。
カーライル城の湖畔で、アーサーはマーリンに手を引かれ、モルガンは湖の巫女に手を引かれ、それぞれ別れることになった。
葦が生い茂る広く静かな湖畔には、水鳥が群れをなして、魚を突いていた。
アーサーは、モルガンに少し笑った。
「僕は、本当は王でもなんでもない。エクトールという騎士の息子なんだって」
「え?」
「それだけ」
幼いアーサーはそう言うと、モルガンの頭を撫でて、マーリンにエクトールの城へと連れられ、別れた。
ハリエニシダが茫々に伸びる荒れ森のエクトール城で、アーサーは六歳になった。
荒れ森のエクトール。頭は、禿げかけていたし、裕福な方じゃなかったけれど、優しく温かい。エクトールの妻フラブィラも……。実母イグレインも優しかったけれど……ずっと遠慮なくアーサーに接してくれた。
義兄となったケイは「はあ」とか「へえ」とか「ふん」とか、無愛想この上ないし、鼻で笑うし、本ばっかり読んでるし、まあ、アーサーにとっては腹立つことこの上なかったけれど。エクトール一家はアーサーにとって、なんだが……。
そう。ずっと、本当の家族みたいだった。
ウーゼル、イグレイン。結局は他人行儀で、心が通る感じなんかしなかった。アーサーはエクトールの城で本当の家族を知ったような気がした。
父、ウーゼルは、アーサーに会うたび……次の王位はお前だと言った。
お前は王となるべく産み出された。
だから常に王になるための、勉強や稽古をしなければならないと。
湖水地方のカーライル城で、アーサーはいつも家庭教師や騎士に囲まれていた。
普段、ソールズベリー平原のカドバリー城にいる、ウーゼルと話すことは滅多になかった。
期待されるのは嬉しくて頑張ったけど、アーサーがどれだけ剣の腕が上達したかとか、ウーゼルは何の興味も示さなかった。
ウーゼルは、アーサーを跡継ぎとしてしか見なかった。
アーサーは、何だか虚しくてつまらないと感じるようになっていった。
自分の出生の秘密を知ってからは、父に反発心を抱くようになった。
アーサーは、一々抜け出してはモルガンの顔を見に行って一緒に遊んだり、昼寝してサボったりした。
父ウーゼルが死んで、エクトールの城に預けられ、アーサーはもう王位を考える必要はないのだろうと思っていた。
そんなアーサーの前に、彼ら……いや。『彼』が現れたのだ。
荒れ森のエクトールの城で、アーサーが八歳になった頃だった。
アーサーが城の小さな書庫で本を……ホメロスのイリアスを読んでいたとき、ひょっこりとやって来た客人。旅の詩人。フクロウを肩に乗せたその老人は、アーサーの頭を撫でた。「君は強い力が欲しいかい?」
アーサーは「そりゃあ」と答えた。
老人は瞳に憂いを讃えて聞いた。
「多くの人間が強い力を求める。全てを支配する強い力を。けれど、だからこそ争いも生まれる」
そう言って、老人はアーサーの頭を撫でた。
「お勉強するんだよ、アーサー」
アーサーはエクトールの城で、ケイのついでで家庭教師がついた。
武術や勉強、狩りや鷹狩りはもちろん、畑の手入れや、干し草の作り方、羊の毛の刈り方、倉庫の勘定の仕方、釣りの仕方、厨房での味付けや肉や魚の炙り方。
アーサーは様々なことを知った。
王子だったことなんて、綺麗さっぱりなくなって、アーサーはただの田舎の子供になってしまった。
そんな田舎の子供でしかないアーサーに、一番、おかしくて面白いことを教えてくれたのは彼だった。
アーサーの家庭教師。魔法使いマーリン。
アーサーが十歳の頃。
荒れ森のエクトールの城のすぐ傍。
麦畑に面した小川沿いの原っぱで、ぼんやり昼寝していたアーサーの前に、杖に乗って宙に浮かぶ少年が現れた。
肩には、丸眼鏡を掛けた目付きの悪いフクロウを乗せていた。
少年は肩までの金髪に緑色の瞳で、灰緑色のぶかぶかのくたびれたローブを着ていた。
「お久しぶり。または始めまして。どっちでもいいですけどね。勉強やお稽古ははかどっていますか? アーサー」
アーサーは、ぽかんとして宙に浮く少年を見つめる。
「き、君は……」
「ふふふ。詩人や旅人や物乞いは仮の姿。その正体はこの僕。魔法使いマーリンです。フクロウのピュタゴラスを忘れましたか?」
「魔法使いマーリン?」
「魔法使いマーリン。 あなたの家庭教師をさせて頂きます。どうぞよろしく、アーサー!」
マーリンは夜とか朝とか、色んな時間に来た。アーサーはマーリンと一緒に、夢の中で色んな冒険をした。
ドラゴンの巣に行って、ドラゴンに変身してドラゴンの友達を作ったり。アーサーは老いたドラゴンと仲良くなった。
アルモリカの巨人の郷では巨人に食べられそうになって、どうにかマーリンと一緒に短剣で倒した。アルバニアのネス湖では水竜に会った。あとピクト族の中でも最強らしい一族の子供達と一緒に遊んだ。サムハインの火祭りのときだった。彼らのすばしっこいこと。
ロンドン塔ではカラスが鳴いていて、ブランの首を探せ、ロンドン塔の地下に埋めろと言われた。でもどこにあるのやら。マーリンと一緒に探したら、荒れ森の外れにブランの丘という丘があって、そこにブランの首があったから、アーサーとマーリンで、ロンドン塔の地下にブランの首を埋めた。これで当分、ブリテンは大丈夫なんじゃないだろうか。
西にある島国、ヒベルニアでは聖パトリックがいて、ヒベルニア中の蛇は全部倒したと胸を張っていた。ヒベルニアにあるコノートという国のメイヴ女王は鉄鎧の兵達に囲まれ、強そうだった。ああいうタイプは苦手だなと思った。
マン島にあるラッシェン城には、マーリンが国中で捕まえた巨人やドラゴンがたくさん閉じ込められていて、アーサーはマーリンの手でラッシェン城に突っ込まれたこともあった。ドルイドの卒業試験だという、カマーゼンのドルイド見習いヴァレリンと、乙女の城の湖の巫女見習いニムエが居合わせて、アーサーは二人に助けられてどうにか、ドラゴンと巨人を倒しまくって、ラッシェン城を抜け出した。
ソールズベリー平原の石の輪から、妖精の国に行ったときは大変だった。
アーサーは、ケイも連れていきたいとマーリンにねだって、ケイも同行したが……。途中の森で、ケイはロビンフッドに出会って弓矢を習い、一緒に猪狩りをして、獲った猪をさばいて焼いて食べた。
ロビンフッドらと洞窟を抜けて、妖精の女王の城、車輪城に行った。
そこに住む妖精の女王はモルガンに似ていて、モルガンがデブになって嫌な奴になったような感じだった。しかもウロコまみれで水掻きやヒレがついた怪物に変身して襲ってきた。ちょっとしたトラウマだ。マーリンは海竜だと言った。
頼りのマーリンは、睡眠作用のあるお菓子を拾って食べてしまい『こういうときは決まってます。王子様がキスすれば大体お姫様は呪いが解けるんですよ』と言って寝てしまった。
ケイにも『とっととチューしてくれよ。僕は眠いんだ』と言われて、アーサーは怪物にキスする羽目になった。キスをすると怪物は、小柄で、艶やかな長い栗色の髪のモルガンに戻った。幼い頃に別れたときより、幾分か成長して可愛くなっていた。
彼女は真名を教えてくれた。グウェンフィヴァルというらしい。
そして、アーサーも夢から覚めてエクトールの城のベッドの上に戻った。
隣ではケイがぐっすり寝てて、くしゃみしていた。
アーサーはマーリンの魔法で色んな動物になる夢も見た。
騎士のような鷹、生まれつき奴隷のような蟻、戦を望まぬ渡り鳥、哀れなハリネズミ、全ての動物や人の罪に思いを馳せる、哲学者のアナグマ。
アナグマは言った。人は我ら生き物の頂に立つが、人が神に祝福されているのか、私には自信がない。竜をのぞくと…戦いを愛するのは僅かな種類の蟻と人間だけ。
十二歳になってからは……もう、そんな夢は見なくなった。
マーリンもやって来なかった。
旅人や詩人の客人に、混じっていたかも知れないけれど……。
そう思って声をかけても皆、首を振った。
アーサーは、全て夢の中の話で、現実ではなかったのだと思うようになった。
アーサーの将来は決まっていた。ケイの従者だ。騎士への憧れが胸に募った。
だが、心のどこかでアナグマの言葉が思い出された。
君は戦いを愛するか。蟻と渡り鳥、どちらが楽しかったか。




