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短編

作者: 水月美ツ夜

 姉はいつも外遊びの好きな子供だった。人形よりもボールを手に抱え、スカートを履くよりもズボンを履き、髪はショートカット。声が高かったから男だと思われることは少なかったが、見た目だけだと男だと勘違いされてもなんら違和感はない、そういう子供だった。

 俺は姉とは対照的に、常に静かに部屋で本を読んでいるような子供だったように思う。運動はあまり得意ではなくて、どちらかと言えば、女子との方が気が合った。

 幼稚園は、別に気にならなかった。俺と姉は双子だから、たまに服装と性格で俺は姉に、姉は俺に間違われることはあったが、それだけだ。

 小学校に上がっても、まだ姉はずっと男子と行動していた。休み時間になると真っ先に外へと駆け出し、図書室などには授業以外で行くことはなかった。俺は反対に、ほとんどの時間を教室か図書室で過ごすようになり、外に出なかった。

 小学校に上がると周りの意識が苦手や得意に向く。俺は男子に、そして姉に、女子よりも遅い五十メートル走の記録を笑われた。姉はいつも賞賛と尊敬の眼差しを一心に浴びていて、誇らしげに胸を張っていた印象しかない。

 彼女は勉強こそ出来なかったものの、人望もあり、学級委員をやるなど、積極的に能力を磨いていた。そんな姉に対し、俺は勉強だけは負けたくなかったから、全ての力を使い、勉強に縋り付いていた。それに、笑われた時の屈辱と言ったら、それはもう半端ではなかったから。そのおかげか、勉強は得意になったし、真面目で利口な態度でいたためか、教師と、同じく真面目な女子からは概ね好印象を持たれていたと自信を持って言える。

 口数が減っていく俺とは反比例して、姉は生き生きと発言するようになっていた。年を重ねるごとに失敗も成功も経験として飲み干し、自信や自己肯定感を高めた。

 男勝りで、なんとなくカッコよくて、いつもクラスの中心で、心底楽しそうにケラケラ笑っている、なんかムカつく奴。

 それが俺が当時抱いていた姉への評価だ。

 それでも両親が特に比べたりせずに俺と姉を育ててくれたので、俺はひねくれた性格になることはなかったし、姉との関係も悪くなかった、と俺は思っている。

 しかし、小学五年生になった時から、少しずつ姉の様子がおかしくなってきた。

 まず、髪を伸ばし始めた。スキンケアってやつにも興味を持ち始めて、相変わらず外で男子と遊ぶことが大半だったが、日焼け止めを塗るようになった。

 次に、身体の変化だ。胸が膨らみを帯び始めたり、生理とかいう奴が始まりだしたり、徐々に大人の体へと変化を遂げていった。

 一年経つ頃には、どこをどう見たって女の子にしか見えなかった。ズボンを履いているし、男子と絡む方が多かったし、自信満々の表情は変わらなかったが、髪は伸びて胸ほどまであるし、胸も目立つようになってきた。肌は薄っすら日焼けしている程度で、俺に負けず劣らず白くなった。風呂もいつの間にか別になっていた。

 中学に上がると、姉は制服の関係でスカートを履く。慣れるまでは違和感が絶えなかったらしく、俺は登下校中姉の文句を永遠聞く羽目になった。……いや、まあ、それは一週間だけだったが。一週間もすれば姉はスカートを気に入り、毎朝ドヤ顔で俺に制服を見せてくるようになる。

 言動も恋愛だのなんだのという話が増え始め、いよいよ女子中学生感が出てきた。俺と姉の部屋は分けられるようになり、着替えを見ることはまずなくなった。

 そういう変化はあったが、俺より余程カッコいい部分はより周囲に認知されていった。入学式、俺が新入生代表として挨拶をこなす後ろで、彼女は堂々と寝ていた。隣の人に起こされてイケメン顔負けの笑みでお礼を言っているのを、俺は見逃さなかった。加えて、男子が大人しそうな、つまりは俺のような女子をからかうと、思いっきり顔を殴りつけた。基本的に毒を吐き、愛想は振りまくことがなかった。ただし、前述のとおり、自身に非がある時は躊躇いなく謝罪と感謝を伝えた。ごめん、ありがとう、そういった言葉を躊躇なく口にできる人間だった。そんな部分が、目立つようになった。

 中学に上がっても、俺と姉は変わらず各々の休み時間を過ごし、互いにそこに口を出すことはなかった。俺は図書委員をやってみたりして、勉強と読書にもっとのめりこんだ。姉の足の速さは、さすがに男子以上ということはないまでも、女子の中では一番であり、男女混合でも上位十位以内には入っていた。

 俺は美術と体育の成績が悪くて、姉の成績は体育以外は一に近かった。俺の部屋に勝手に入り、宿題を必死に写していたのをよく覚えている。

 そんな中、俺は声変わりによってうまく声が出なくなっていた。このままでは音楽が酷いことになると悟り、一人家で音楽の教科書とにらみ合った。隣から響く喧しい音を気にせず、裏返る声をどうにかして綺麗にしようとあがいた。

 歌唱テスト前日。俺はいつもやる勉強を放り投げて歌を歌っていた。喉が痛い。酷使してしまっただろうか。これでは明日、まともに声が出ないのではないか、いや、どっちにしろこれじゃAは取れない。焦燥感にかられ、情けなくも泣きそうになっていた。すると、ノックもなしにドアが開いた。ドアを開けた張本人である姉は、ずかずかと俺の部屋に入ってきて、突然歌い始めた。

 一瞬、呆然とした。こんな真夜中に人の部屋で何やるんだ馬鹿、と叫びそうになったが、そんな元気も声も、とうに消え失せていた。中途半端に開いた口を慌てて閉じる。その数秒が俺の頭を冷やした。気を取り直した俺は、姉の歌声にじっと耳を傾けた。少しでもなにか得られるものがあれば、と思ったのだ。俺の手の汗で柔らかくなった教科書に目を走らせながら、姉の歌を黙って聞きこんだ。

 姉は何回か課題の歌を歌った後、ベラベラと口を回した。ここはこうするとそれらしいだの、一オクターブ下げたって問題ないだろだの、アドバイスなのか説教なのかわからないそれを、俺は頭に刻み込んだ。

 気にくわないと思いながら、俺は翌日、姉に一言、ぼそりと言った。

「……ありがと」

 俺も姉のように素直になれる性格であれば、もっと笑って大きな声で言えたのだろうか。そんな意味のないことを、錆びた金属を舐め取るように思ったことだけが頭に残って離れない。

 悔しいような、尊敬するような、微妙な気持ちでいた気がする。

 そんなことがあっても、俺と姉は特別仲がいいわけではなかった。成長するにつれ、過激な言葉を覚え、相手を罵る語彙も増える。小学校よりも会話の内容は酷くなった。

 しかしまあ、やはり特別に仲が悪くなることはなく、ごくごく普通の自分の片割れとして接していた。

 心が不安定になり、姉にからかわれ、姉が急に沈んだ顔をして、俺がその顔を笑い、非常に遺憾ではあるが、持ちつ持たれつの、いわゆる兄弟という関係が俺と姉の間柄だった。というよりも、である。

 俺は小学校のころに比べれば男の友達も出来た。姉はむしろより男子とつるむようになっていたが。どうも、クラスで人気の男子と話しただけで敵視されたとかなんとか。姉は陰でこそこそとするところが合わないと思い知り、若干残念だと思いながら男子と外遊びを楽しんでいた。

 姉の一番の変化と言えば、そう。休日にはネイルやら化粧やらをやり始め、制服以外のスカートも本当に僅かではあるが買ってくるようになったことだろう。

 俺の顔を覗き込んで、二重羨ましいとか言い始めた時は、正直耳を疑った。外側も大事だわ、とも言っていたっけ。その言葉も今ではそこまで驚くことでもないと感じる自分の感覚が恐ろしい。なにせ、見た目なんて猿も花も人間も変わらんだろと言い放った姉が、見た目を羨むことを言うとは。

 中学三年生になると、姉は生徒会に入って、なんと生徒会長の座を勝ち取った。周りと比べて気づいたのだが、姉は演説に滅法強い。チートレベルだ。具体的には、あの姉に生徒会を任せてたまるかと思っていた俺も、立候補者の中で一番会長として相応しいのは姉なんじゃないかと考えてしまうほど。俺の一票は姉の名前に入れられた。

 見事当選されたとなれば、ほらいっただろ、私は凄いんだ、と誇らしげに語ってきて、うざかった。

 俺は三年間無事に図書委員をやり遂げ、テストの順位も学年二十位以内には必ず入っていた。最低順位が十二位とかだったか。さりげなく机に成績表を置いておくと、姉が真っ先に気づき、褒め称えてくれた。両親も騒ぐ姉の声に驚いて、それからパッと顔を明るくして喜んでくれた。凄いね、頑張ってたもんね、両親の言葉に、俺は姉ほどではないものの、かなり自信はついた。

 そんな人生を送ってきた姉と俺が同じ高校なわけもなく。高校で姉と俺は分かれた。

 姉は運動系の推薦でそこそこな高校に行ったらしい。部活の大会でも優秀だったから、驚きはしなかった。

 俺はというと、この時期に音楽にハマった影響で、音楽に力を入れていて、尚且つ偏差値も姉以上の高校に入った。理解できなかったところは先生に質問できるようになった。音楽について詳しく先生に尋ねることもできた。拙い曲を作ってみせたりもした。

 本好きは幼少期から変わらず、図書室で本を大量に読んでいた。

 ある日、俺はいつものように図書室で勉強をしたり、休憩としてたまに本を手に取ったり、快適に過ごしていた。

 ふいに机が動いたような気がして、勉強の手を止め顔を上げた。

 息が詰まりそうになるほどこちらを見つめる目と俺の目が合った。

 あ、すんません。そんな風に言って、彼は俺のノートを眺めた。

 すげー勉強熱心だなって。オレ、努力したことねえから、すげえなって。

 そんな内容のことを言って、彼は俺に問いかけた。

 お前、名前は?

 それが俺と彼との、初めての会話だった。俺は親友、だと思っているが、未だに怖くて聞いてない。彼にとっての俺はどういう関係の人間なんだろうか。気になるが、精神的にダメージを負いたくないので一生聞かないと決めている。

 まあとにかく、彼は俺の姉の愚痴に付き合ってくれる、貴重な存在になった。

 この時姉は、時々帰りが遅くなることがあった。何とも言えない嫌な予感がして、俺はそのことについて咎めたり、疑問を振ったりすることはなかった。が、それから一年が経ち、高校に入って二回目の夏休み、本人から相談を持ち掛けられたのだ。

「私、恋しちゃったかも。あ、もちろん恋にじゃないよ?」

「は?」

 後半の意味が分からない上、困っているというポーズを決める顔(にやつきが漏れている)、絶対に関わりたくない。即座に出した結論に従い、俺は厄介ごとをなんとかして回避しようとした。しようと、した。

「恋に恋する乙女はあ、先輩に恋する一途な乙女になったの!」

 甘ったるく、ねっとり絡みつくような声音に、俺の耳は無事に壊れた。軽く、いや、俺は全力で引いた。

 できる限りそっけない回答を、いつも以上に心がけたが無意味。その後俺は名前すら知らない男の話を数時間機聞き続ける地獄を見た。身内の恋愛事情など聞きたくもない。それが、同い年の、それも異性の双子の兄弟だ。複雑怪奇。俺は当時十七にして初めて四字熟語を心の中で使った。

 父がご飯できたぞーと叫んでくれなければ、俺は姉の恋愛の話に倍くらいの時間を費やすところだったと思う。父は救世主である。今もたまにそのことに関して感謝を伝えることがある。

 本人の言う通り、恋をしたのは確かであるようだ。この頃いつも上の空だから。恋愛について話すと、挙動不審になるし。

 冷静に分析し、俺は達観した心地で、ああまあ、好きにすればいい、と考えるまでメンタルが回復していた。

 姉がウキウキだらしなく口元を緩めているところを見るのは、嫌だけど、まあ、姉も女子高生だ。仕方ない。

 嫌だけどな。嫌だけど。

 正直、親友(だと思わせていただいている)彼がいなければ、寛容になることはできなかったと考えている。

 化粧やら小物やらをゴタゴタ身に着けて、とっておきの服らしいワンピースを着て、髪は巻いて、その姿にちょっと見ていられない気分になりはした。彼氏を家に連れてきたときは、うわー、と引く声を出してしまったし、本当に姉は恋をしたんだなあ……という感動を覚えたりした。ちなみに彼氏さんには不愉快になりかねない声を出してしまったことを全力で謝罪した。姉の一つ上らしい彼氏さんは、笑って許してくれた。姉にお似合い……いや、不釣り合いなできた人だった。姉の一個上ということは俺からしてみても一歳年上ということだ。畏れ多さ? を感じる中、彼氏さんは、それはもう大変丁寧に優しく話してくださった。

 この彼氏さんによって、姉は女になった。

 そんなことを、姉のウェディング姿を見ながら思い出した。

 生まれてからずっと、姉は俺の憧れであり腐れ縁であり、家族であり幼馴染のような、それでいて大嫌いなような大好きなような、一文では表現しきれない思いを抱いてきた相手だ。

 その中で、確実なことがある。

 姉は、いい意味であれ悪い意味であれ、俺の人生の中心だったことだ。

 どうか姉に平凡な幸せが降り注ぎますように、そう思いながら、俺は口を綻ばせた。

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