第六十一話 迷宮化(その六)
レベッカを追って男子寮へと突入した。
「臭っ!」
後輩が顔を顰めた。
おかしい。
百歩譲って汗臭いのは仕方ないと思おう。
しかしなぜ生乾きの洗濯物のような臭いが漂ってくるのか。
ここにはハウスキーパーが入ってるし、衣類のクリーニングサービスだってあるはずなのに。
「高校の部室みたいな臭いがするっす」
「ゲンゾー時代ね」
「プギャー!!」
後輩が怒った。
話を振ってきたのはそっちなのに。
「曲がったわよ」
大人な私は話題の転換を図る。
廊下の角を曲がったレベッカを追い、その先にあったのは大浴場。
バン
木枠の扉を開いた。
オシャレな飾り枠の扉とは裏腹に、浴場内は一層の汗臭さが充満している。
何故脱衣所まで湯煙に包まれているのか。
この湯煙が汗の蒸気のような気がして気分悪いぞ。
こちらの足が鈍った隙にレベッカは浴室の扉も開けた。
「ああっ、あいつ!!」
さらに湯船に飛び込んでしまった。
目の前の湯は白く濁っている。
何となくドロリって印象を受けるんだけど、浴場にも手入れは入っているはずだよね?
「レベッカ、浮かんで来ないっすね……」
分かってるよ。
あいつはただお湯に入りたかったわけじゃない。
きっと、この湯の中に進むべき道があるんだ。
「行くわよ」
「やっぱりっすか……」
「大丈夫、旅の扉とでも思いなさい」
「こんな嫌な旅の扉無いっすよ」
いざ参らん!
後輩が続くものと信じて先に飛び込んだ。
視界が歪み何層にも分かれ、層が潰れていく。
本当に旅の扉の効果映像みたいだ。
適当に言っただけだったのに。
上下の判別できない浮遊感がある。
昔のテレビでよく発生した砂嵐のような景色、これは目で見えているのか、それとも夢のように脳内で再生されている映像なのか。
ワケも分からぬ内に、潰れた層が次第に復元し、歪みも元に戻った。
ここは……職員室か?
それほど馴染みは無いが、何度か見たことのある先生方の事務机が並んでいる。
私のすぐ前にあるのは際立って整頓されていない机だ。
文具や紙束が乱雑に机上に散乱している。
ブン
目の前にお尻が現れた。
「キャイン!」
空中に突然現れたお尻の主、後輩はバタバタと手足を動かして机上に落下した。
「も〜! 何なんすか、この散らかった机は? 着地していいか迷って尻餅突いちゃったじゃないすか!」
ヒラヒラ、と私の手元に舞ってきた一枚の紙を取る。
……私のペーパーテストじゃん!
ってことはこの机はモルガノ先生かぁ。
お菓子のカスとか付いててもおかしく無さそうだ。
ヒュウガ先生とかが先輩っぽいんだから注意すればいいのに。
若しくは仲のいいクイラ先生が。
ベシッ
後輩が腹癒せに机を叩いた。
ドサドサッ
机に積まれた本が崩れた。
でも元から散らかっているので、今更本が崩れた程度では変わったようには見えない。
「レベッカ! どこ行ったっすか!」
「クワ〜レ〜!」
後輩が呼びかけた途端に聞こえた、あ〜れ〜、的なレベッカの悲鳴。
私たちは声の方へと駆けて向かった。
案の定魔物に追われるレベッカを発見。
弱いのに一人で突っ走るから。
皺だらけの老人みたいな人面蜘蛛に石を投げる。
「お? 姉様の投石をくらって体に穴が空かないなんて。ちょっと硬そうな奴っすね」
めり込んではいるけどね。
そして魔物の意識がこちらに向いた瞬間、八本の脚は切り飛ばされた。
「ワシャワシャ動かれると不気味っすからね」
やったのは後輩だ。
その手はパチパチと弾ける緑色の光を発している。
雷と何かを掛け合わせたな。
すぐ魔法に頼るんだから。
「すうぅぅ」
後輩は結構な魔力を使ったようで、もう魔力チャージしてる。
凡人種は適正値が低いんだから魔法に頼るのは感心しないぞ。
それにしてもそこそこ硬かったんだ、あの魔物。
一発で魔力チャージまで必要な程魔力を消費させるとは。
「クワー」
「『クワー』じゃないっす。何興奮して突っ走ってんすか」
「ククワ……クワ、クワクワ!」
ごめんなさい……でも、聞いてよ!
みたいな。
少し落ち着きを取り戻したレベッカは、この迷宮の力の源が分かるようなことを言っている。
つまり、どうやらダンジョンコアの場所が分かるらしい。
「よし、行くっす!」
後輩はレベッカの首根っこを掴んで前に突き出した。
「クワクワ……」
「あっちっすね」
そんなダウジングみたいに使わなくても、普通に歩いて道案内させた方が良くない?
レベッカも不承不承って感じだし。
向かうのは廊下ではなく、職員室の奥。
確かそこにはまだ入ったことのない部屋があったはず。
「学院長室。初めて入るっすね」
エディケイン学院のスーパーレアキャラ、学院長。
始業式と卒業式ぐらいでしか見たことない。
先生総出で魔物から学生を守っているのに、学院長は何をしているのだろうか。
あ、まさか脱出が間に合わず魔物にやられちゃったとか……
あんな強そうな外見だけど、先生と違って本人に戦闘力があるとは限らないからなぁ。
経営の腕が凄いとか、政治力的な能力の高さを買われて学院長をやっている人だったかもしれない。
嫌な想像をしてしまった。
気分を切り替えて探索に集中しよう。
学院長室の壁には歴代学院長らしき人物の肖像画が掲げられている。
他には豪快な崩し字の書かれた掛け軸や、整頓された書棚、それと黒檀の机。
上品な資産家の書斎を思い出すような造りだが、華美な調度品の類は無い。
何となくあの学院長の人柄を推し量れるような気がする。
話したことも無いから人柄なんて分からないんだけどね。
さて、一見行き止まりだが、レベッカは掛け軸の方を向いている。
なるほど。
あの掛け軸の裏に次のステージへの入口があるのかな。
「書棚の裏じゃなかったっすか。残念」
後輩の推理はハズレのようだ。
私は掛け軸を捲った。
「あれ? 何も無い」
「ホントっすね」
後輩と掛け軸や壁を念入りに触るが、何も現れない。
「クワッ」
そっちじゃないよ、とレベッカが机を向く。
「机なんか何も無い……って、まさか」
ハッとして引き出しを開けた。
「残念、タイムマシンは無かったっすね」
危ない危ない。
最上段の長引き出しの中は、時空間が歪んだような奇妙な様相を呈していたが、過去や未来を冒険することにはならずに済みそうだ。
「クワー」
分かってるって。
ここに飛び込めばいいんでしょ。
ホイっと私たちは玄関から出て行く感覚で引き出しの中へと飛び込んだ。
「もがっ!!??」
ガボガボ
一瞬何が起きたか分からなかった。
ここは水の中だ!
水面はどこだ!?
私は慌てる気を抑え、より抵抗の軽い方へと泳いだ。
僅かな光に手を伸ばすと、バン、と蓋のような物が開いた。
「プハッ!」
ゲホゲホ
何とか水中から脱して空気を吸えた。
隣ではぐったりした後輩をレベッカがペシペシ叩いている。
「う、う〜ん」
良かった、生きてる。
それにしても危なかった。
ワープ直前の呼吸のタイミングが悪ければ、私も後輩みたいに意識を失っていたかもしれない。
念のために後輩には回復魔法を施しておこう。
「ここは、貯水槽? ……そういうことっすか」
辺りを見回して後輩は呟いた。
「油断したっす。こういうケースもあるってことっすね」
まったくだ。
“いしのなかにいる”状態じゃなくて助かった。
これからは何らかの対策をした上でワープに臨まなくてはなるまい。
私たちは心を落ち着けるため少し休むことにした。
その合間にあらゆる場所に転移した時のことを考えて、防御魔法を試す。
たとえ火の中水の中草の中、森の中……
「ど〜うりゃぁあああ!!!」
「えっ?」
「何すか?」
突然響いた豪快な掛け声。
でもどこかで聞いたような声だ。
私たちは声のする方へと駆けて行った。




