第五十話 あなたは誰?(中編)
牧歌的だった故郷は荒れていた。
質素な茅葺き屋根の家は破れ、資産家の美しい木組みの家は窓を閉められている。
代わりに目立つのは無骨な石造りの建物だ。
金属を打つような高い音、鈍い音が絶え間なく響いている。
ミノンさんは暫し呆然と立ち尽くし、それから両親の住む実家へと急いだ。
その実家は、垣根の高い屋敷はそのままに、門にかつてはいなかった門番が立っていた。
名前を言って入れてもらおう。
そう思って足を向け始めた時。
「お嬢様!?」(お嬢様! ……ミノンさんが)
懐かしい声で呼びかけられて振り向いた。
声の主は、実家に通いで勤めてくれていたお手伝いさんだ。
中年だった女性が初老となり、皺が増えていたことに胸を打たれた。
が、それよりも気になったのがその人の表情だった。
いつも小綺麗にしていて明るい女性だったはずだが、今の顔は曇っていて、解れた着物を着ており身なりにも気遣った様子はない。
ミノンさんが駆け寄り名前を呼ぶと、お手伝いさんは涙を浮かべて、再会とミノンさんの元気そうな様子を喜んだ。
「ここは危ないから」
そう言ってお手伝いさんはミノンさんを荒屋に連れて行った。
そこが今のお手伝いさんの自宅らしい。
もっといい家に住んでいたはずだが。
それに危ないとはどういうことなのか。
ミノンさんは事情を尋ねた。
答えはショックなものだった。
嫁いだ姉の家に武力制圧をされたものだと言う。
そんなバカな、とミノンさんは声を上げた。
穏やかな者が多いオークで覇権主義を主張する者がいるのか。
たとえ豪族の中でそのような頭首が現れたとて、周りが許すことは無いはずだ。
もしや、噂に聞いた、追放された頭首の息子に家が乗ったられたのではないか。
しかしお手伝いさんは違うと言った。
現頭首である、ミノンの姉の夫が指揮をしてやったことだと。
直接指揮している所を目撃したのだと。
さらにその隣には女王の如く振る舞う姉がいたとまで聞き、ミノンさんは目眩を覚えた。
それで、両親はどうなったのか。
「お屋敷に軟禁されております」
そしてお手伝いさんはミノンさんに早くここを去るように忠告した。
何とか寺院の援助を要請するだろうが、しばらくは荒れたままだから、と。
ミノンさんは礼を言って立ち去り、そのままダチョボに乗った。
姉に直接会うためである。
両親が軟禁されていることも忘れる程に冷静さを失っていた。
そして姉の嫁ぎ先の豪族の元に着いたミノンさんは、案の定姉に会うこともできぬまま、身柄を拘束されてしまった。
地下牢に押し込められ水だけを与えられ二日過ごした。
三日目に頭首と姉が牢にやって来た。
姉に呼びかけたが反応は無い。
瞳がアメーバのように奇妙に歪んでいる。
頭首も同様だ。
二人は取り巻きを何人も連れているが、よく見るとその者らは頭首夫妻を中心にしてはいない。
一人の、オークだがオークらしからぬ痩せた小男を護衛するように囲んでいる。
額が大きく張り出して、不気味なギョロ目をした男だ。
何者だ、と誰何したが答えは無い。
ゴブリンのように皺を深くして醜く笑い(ゴブリンを悪く言わないで!)、ミノンさんの乳房をいきなり鷲掴みにした(!)。
反撃したくても空腹で力が出ない。
その上、小男はそのギョロ目で彼女の目を凝視し、何かしらの魔法をかけてきていた。
頭に靄のかかったようになってきた彼女が、自らの衣服に手を掛け、その豊満な乳房が露わになりつつある。
醜い笑顔がますます深くなるのが不気味で、しかし手を止めることはできない。
その時、上から大きな破壊音が聞こえてきた。
小男の意識が逸れると同時に、ミノンさんも少し正気を戻し衣服を正した。
「様子を見に行け」
小男に命令された取り巻きの一人が上へと向かう。
そしてしばらく後、その取り巻きが階段を転げ落ちて戻って来た。
「何事だ!」
返事は無い。
意識を失っているようだ。
やって来たのは見知らぬ美丈夫だった。
「バカな! 貴様は!!」
小男は生き返った死人を見たように驚いている。
「もう二度とこの地を踏むことは無いと思っていたが……」
美丈夫は頭首を見て口を引き結び、ミノンさんの姉を見て瞳に涙を滲ませ、そして小男を怒りの顔で睨みつけた。
「当時の我は愚かだった。あのまま野垂れ死んでもおかしくはなかっただろう……だが、ここの民は! 頭首たちは! ただ平和に暮らしていたはずだ! どういうつもりだクズォーク!」
クズォークと呼ばれた小男は、美丈夫が一人であることを見て取ると、落ち着きを取り戻しクククと笑いを噛み殺した。
「運良く生き延びたか。まあ良かろう。ワシにどういうつもりかと言ったな? 分からんか?」
スススと取り巻きの後ろに動きながらクズォークは語る。
「貴様がワシの術中に陥ったのは、貴様の心の弱さ故よ。当時のワシはそこまで強い魔法を持っておらなんだからの。だが! 今やワシの魔技も極地に至った。良き主と呼ばれた此奴らもこれ、このとおりよ!」
クズォークが高らかに笑うと頭首と姉は、クズォークの臣下のように恭しく頭を下げた。
「優れた者が劣った者を支配するが正しき理よ! 貴様も再び我が魔技の前に無様を晒すが良い!」
クズォークは巻きつくような魔力を美丈夫に放った。
美丈夫が魔力に縛られていくにつれ、クズォークの笑みは醜く深くなる。
だが、美丈夫はいつまでも泰然としていた。
次第にクズォークの笑みは崩れ、手は震えてきた。
「な、何故効かん!? 貴様のような己の欲望で身を焼くような俗物が! ワシの魔技に抵抗するなどと!!」
苛立つクズォークの罵倒に動揺することなく、美丈夫はゆったりと大きく両腕を回した。
それだけの動作で美丈夫を縛ろうとしていた魔力は塵のように空気に溶けた。
「過ちを犯してからのこの九年、修行に明け暮れ、ただ故郷の平和を祈ってきた。その日々が! 祈りが! このような魔に冒されるはずもなし!!」
「お、おのれ小癪な! ええい、敵は一人だ! かかれかかれい!!」
クズォークの号令で、取り巻きが美丈夫に一斉に襲いかかる。
やられてしまう。
ミノンさんは悲鳴を上げそうになった。
しかし美丈夫は太く長い息を吐き、気を練った。
千手観音を思わせる無数の手が現れ、襲って来た者たちを一人残らず打ち倒した。
クズォークは呆気にとられている間に、ついでのように倒され捕縛された。
頭首とミノンさんの姉は美丈夫が喝を入れたら気を失い、ミノンさんは彼に抱えられ頭首の家に寝かされた。
数日を頭首家で過ごす内に、何度か美丈夫と会った。
すぐに以前の故郷に戻ると励ましてくれた。
体調を心配してくれ、無茶をするものではないと叱られた。
働き者の手だ、夫が羨ましいと言われ、独身だと答えると少し気まずい雰囲気になった。
料理を振る舞って出来栄えを褒めてもらった。
怒りの印象はすっかり無くなり、優しい人だと分かった。
でも家令らしき人物に「戻ってください」と懇願されていたのに、首を振り拒否をする悲しげな顔が忘れられない。
正気に戻った姉ともようやく再会を喜びあえた。
里が元の平和を戻すのも見届けられた。
なのに美丈夫はいなくなった。
いつの間にかに。
姉に聞いても何も答えてくれない。
頭首は復興に忙しそうだったが、時折遠くを見て悲しそうな顔をしていた。
その顔はどこか美丈夫と似た雰囲気があった。
そしてミノンさんは、惜しまれつつも長期休暇の終わりに合わせて学院に戻った。
と、言うのがミノンさんが長期休暇の間に経験したこと。
……何だそのイケメン……
いや、ミノンさん風に言うと美丈夫だけど。
イケメン力が溢れ出ているじゃないか。
そりゃミノンさんが惚れるのも無理ないよ。
最高のオークを知ってるとか言っちゃった後輩も、その軽口を後悔していることだろう。
……なんかキュンキュンした顔してるけど。
「やるじゃないすか……トンダっち」
へ?




