表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ハイッテルノ 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふああ……おう、つぶらや。俺、どんくらい寝てた?

 15分か。昼寝にしちゃ、ちょうどいい時間かもな。

 ん? やけに寝言がひどかったって?

 ああ、それな。もうぼんやりしてんだが、懐かしい夢を見た。ちと教えるにはプライベートが過ぎるんでくわしく話したくないんだが、もう会えない、話せない人との逢瀬ってやつだ。

 他愛もないことだったが、口をついて出る言葉が止まらなかったよ。その一部が、寝言になっちまったかもな。ま、もし聞いてても、オフレコで頼むわ。


 あ、そうそう。お前、その寝言に返事してねえよな?

 昔から寝言に反応すると、魂を持っていかれるって聞くからな。科学的にも、寝言をいうときの眠りは浅く、それに返事をすると、眠っている人の脳が反応しちまって疲れがとれなくなるようだぜ。まるっきり迷信ってわけじゃないみたいだ。

 だが、場合によっては眠った人よりも、返事をしちまった奴の方が、やばい目に遭うケースも、なくはない。

 俺がちょっと前に聞いた話なんだが、用心ついでに耳へ入れておかないか?



 むかしむかし。年に一度の収穫を祝う祭りに備え、とある染物職人が手拭いを用意していたらしいんだ。

 手拭いの上半分を白地、下半分を緑色に染め上げ、雲と地面の対比を表したかったらしい。

 せっせと注文通りの品を作る職人は、納期に余裕をもって終わらせようと、昼も夜も時間を使って、手拭いをこしらえていったらしい。


 職人には、まだ生まれて数年になる小さな子供がいた。

 仕事を見せるという意味で、邪魔にならない程度のそばに置いておいた職人だが、子供は喃語をほぼ卒業した、たどたどしい言葉をつむぐ。


「ミドリ……ミドリ……ミドリノセンガハイッテルノ?」


 たいていの赤ん坊なら、「バーバ」とか「マンマ」という単語からしゃべり出しそうなものだ。

 だがこの子の場合は「〜ガハイッテルノ?」という、疑問文になることばかりだ。


「ああ、入っているよ」


 職人はそう返すが、実際に聞いてくるものは、他にもたくさんある。

 妻をはじめとする家族は、たとえ口に出てきたものが入っていようといまいと「入っている、入っている」とご機嫌をとっているが、職人としてはそれを渋い顔で眺めていた。

 嘘八百のおべっかを使って、この子に何か悪い影響が出やしないかと、気が気じゃなかったからだ。

 誠実、まっとうな精神こそが、最終的に仕事でものをいう。いざウソをついてばれたときの失墜は計り知れない。

 今からでも、ないものはない、あるものはあるとはっきり教えておかないと……。

 職人は、そう考えていた。



 やがて職人の同居している母、赤ん坊にとっての祖母が病を患ってしまう。

 熱が下がらず、せきも止まらず。寝間着も布団もおおいに汗で濡れて、ときおり血の混じったタンが口元を汚す。労咳(結核)ではなかろうかと、一同が不安を抱き始めていた。

 作るべき手拭いの残りはまだあるが、納期までの余裕もまたしかり。働く時間を減らし、母親の看病にあたる職人。

 その晩も新しい水枕をもって、ほぼ意識のない母の枕と入れ替え、その息づかいを見守っていると、やがて「とん」と畳を踏む音がひとつ、すぐ後ろから聞こえてきた。


「バーバ……バーバ……バーバノタマガハイッテルノ?」


 息子だ。だが、その物言いに、職人はいささかカチンとくる。


 息子のいう「タマ」とは命のこと。職人が意識して覚えさせた言葉のひとつだ。いかなる仕事であれ、最終的に「タマ」を支える仕事になるのだから、その重みを真っ先に知らねばいけないと。

 しかし、この使い方はあたかも祖母が死を確かめるかのようで、気に食わない。


「当たり前だろうが、たわけ」


 夜ゆえ、たしなめるような小声で振り返るも、職人は目を丸くした。

 息子は畳の上に、丸まるようにして身を横たえていたんだ。静かな寝息を紡いでいて、試しに頬を叩いてみても、反応がない。

 狸寝入りをしたにしては、身体の下の畳が汗に濡れていて、あたかも前々からここで眠っていたことを伝えている。まったく気配に気づくことはできなかった。

 だが職人は、抱き上げた息子を部屋に運びながら、おののきを隠せなかったらしい。なにせ息子が本当に眠っているのなら、自分は寝言に返事をしてしまったことになるのだから。


 ――眠っている者の寝言に答えると、魂を持っていかれるか、たたりがある。


 他でもない母より、そう聞かされていた職人は、息子を布団へ寝かせた後、ずっとその様子をうかがおうと思ったらしい。ふとした拍子に、呼吸が止まってしまうようなことがないか、ずっと見張っているつもりだった。

 だが息子の肩と胸が、いくども息とともに上下し続けるのを見ていくうち、だんだんと自分もまぶたが重くなってきて……。


 気がつくと、職人は父が存命だったころ、母と一緒に住んでいたあばら家の前にいた。父が亡くなった後、自分は母を引き取り、今の家で暮らしているわけだが、職人にとって懐かしい実家でもある。

 すでに存在しないはずのそれに、夢の中の職人はフラフラと足を踏み入れた。


 中には長い箸を持って、囲炉裏の火をいじる、在りし日の母親の姿があった。父親はいない。職人が草履を脱いで、すぐそばまでよると、腰を下ろした。

 夢の中のためか、起き上がっている母に疑問を抱けない。職人が口を開きかけたところで、先に母が口を聞いた。


「外から水、汲んできてくれるかい?」


 家の裏手には井戸がある。いつもそこから水を汲んでいた職人は、快くうなずいて、かまどのそばにある桶を手に取った。


「バーバ……バーバ……」


 はたと、職人は手をとめた。どこからともなく聞こえてくるその声は、息子のものだったからだ。


「バーバ、バーバノタマガハイッテルノ?」


 玄関の外から聞こえる声。それを確かめようと、職人は外に出ようとするも、暗さに慣れた目が映したものに、息を呑んでしまう。


 先ほど自分が入ってきた入り口が、完全に塞がっている。さも、はじめからこうでしたと言わんばかりに、立ちはだかる灰色の石壁。体を押し付けて強く押しても、びくともしない。


「ハイッテルノ? ハイッテルノ?」


 繰り返される声に、職人はあちらこちらの壁を叩くも、同じように頑丈な手ごたえしか返ってこない。

 かすかな光さえ差し込んでこない小屋の中、背中から新しい音がじわじわと、立ち上り出した。

 お湯が沸いてくる音。振り返ると、先ほどから母が動かしている母の上で、鉄鍋がぐらぐらとゆだっているんだ。

 ぶくぶくと泡をふき、音を立てながら下の灰の中へこぼれていくお湯たち。それがほどなくいろりのふちを越え、どんどん家の床を濡らし始めたのさ。

 そこから先は早かった。抱えられるほどの大きさしかない鍋の、どこから出てきたのかともうほど、かさと勢いをひたすら増していくお湯たち。足元へ届いたかと思えば、すぐに足首、すね、太ももと駆け上がり、熱い風呂へ飛び込んだときのような震えが、身体を走った。

 心地よさはない。むしろ糸引くような粘っこさを持つお湯が、顔いっぱいを覆うところまでくると、職人の意識はぷっつり切れてしまう。


 目覚めたとき、すでに夜は明けていて、職人は子供のかたわらでぶっ倒れている自分に気がついた。

 子供はちゃんと息をしている。母も同じだ。それでもあの夢の感触が、かすかに肌へ残っている。肌をさすりながらも、残りの手拭いを作成した職人は、納期に余裕をもって仕事を終えた。

 しかし、祭りが終わった直後から、彼は体調を崩してしまう。

 長引く微熱、何度も出るせきと血の混じったタン、身体のだるさに汗っかき……まさに労咳のもたらす症状だったという。

 母はというと、件の症状も軽くなり、自力で歩行できるまで急速に回復したのだとか。


 あの夢で、自分は母の「タマ」の中に入ったのかもしれないと、晩年の職人は語る。そうして彼女一人で受け止められなかったものを、自分が引き受けてしまったのだろう、とも。

 当時の息子の何気ない「ハイッテルノ?」。それが本来は入れないところへの、鍵となったのかもしれない。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ