さばくにふるゆき
ある日の事、誰もが恐れる山の樹海で、一人の少年が彷徨っていました。
「おまえさんこんなところで何をしているんだね。」
真っ黒なマントを羽織った美しい女が少年に声を掛けました。
「雪を探しているんです。」
少年は真っ直ぐな声で言いました。
「雪だって?」
女は思わず、大きな声を上げました。
「お前、雪が何だか知っているのかい?」
今度は呆れた顔をして女は少年に問いかけました。
「はい、何でもひんやりしていて、ぐっと体を冷やしてくれるんだとか。」
その時、身長の小ささに反し、大人びた口調の少年に子供らしい笑みが見て取れました。
「…。お前ここに雪が有るなんて、いったい誰に聞いたんだい?」
「水を売っている商人のおじさんに、昔はこの山の奥に来れば、年中雪が見れたと聞いてきました。」
女は頭を抱えました。
「全く、自分で見たわけでも無いだろうに。」
「今日は大寒なので、もしかしたら見つかると思ったんですが、」
少年は女の態度から、今はもう冬にもここに雪は無いのだと悟りました。
「雪が何かも知らないのに、そういう事は知っているんだね。」
女は少年自身の方へ話を変えました。
「はい、大人の話はよく聞けと、よく言われるので。」
少年は大人びた顔で笑いました。
「その大人たちはお前がここに来るのを止めたかい?」
女はしゃがみ込んで、自分の膝で頬付けを付き、少年の顔を下から覗きました。
「いいえ。それがどうかしましたか。」
少年が答えると、女は盛大な溜息を付きました。
そして立ち上がると、黒いマントの袖から菜箸程の長さの杖を出し、それを一振りさせてみました。
するとどうでしょうか、女が杖の先を回した空気の中に、白くてキラキラした物体が現れたのです。
「わぁ」
少年は思わず両手を差し出しました。
「冷たい!」
しかし、触ったそれが余りにも冷たかったので、思わず手を引くと、それは手から零れ落ち、乾いた土の上で水に変わってしまいました。
「そうか!雪は水から出来るんですね!」
少年は飛び上がってはしゃぎまわりました。
そして微笑んでいる女と目が合うと、少し遠慮がちに質問しました。
「あなたは魔女ですか?今のは魔法ですか?」
「…まぁ、そんなところだよ。」
「じゃあ、どうか僕の命と引き換えに、僕の住んでいる町に雪を降らしてはくれませんか。」
女は先程より更に大きな声を上げました。
「あんた馬鹿言うんじゃないよ!命は一つしか無いんだからね!」
「いえ、そんな事無いですよね?僕の替え何て幾らでも聞くんです。それが世の中でしょ?」
「生意気を言うな!」
女は思わず少年を殴りました。
「いった!」
少年は余りの痛みに地面に伏しました。
「ふん!」
女は怒ってその場を立ち去ろうとしました。
しかし、その足首を地面に伏したままの少年に掴まれてしまいました。
「どうかお願いです!どうか僕の街に雪を降らして下さい!」
少年は樹海の生き物たちが飛び上がって驚く程の大きな声で叫びました。
しかし、心底怒っていた女は少年をくっつけたまま、ずんずん、ずんずん山の上の方へ進んでいってしまいました。
流石にてっぺんまで来ると、女も息絶え絶えになり、地面に突っ伏しました。
「お前さん、どうしてそんなに雪を降らしたいんだい?」
その場で胡坐をかいて、少年の正面で女は問いかけました。
「幼い弟の熱が下がらないんです。このままでは死んでしまうかも知れません。」
少年は地べたに這いずったまま言いました。
「それなら、水を買ってやったらどうだい?その方が早いだろ?」
「僕は、あの町に戻れないんです。他の人が水の配達先を間違えたのを、僕のせいにされたから。罰としてもう、僕はあの町に帰れない。僕には帰る場所が無いんです!」
少年は少し泣いている様でした。
「それならそうだってちゃんと言えよ!」
「言ったって聞いてもらえませんでした!子どもの言う事だからって!
追い出されたのは初めてですが、以前からそういう事は何度もあったんです!いっても「最近の若い子は我慢が足りない」「どうしてお前はそうなんだ」と、言われるだけでした!僕にはもう、あなたに頼み込む以外何にも出来やしない!」
「…ふん!そんな思いまでして、弟を助けたいのかい。命何て替えのきくものだと、そうあんたは言っていなかったかい?」
少年は女の前で正座し直すとゆっくり喋り出しました。
「弟は別です。弟はこの世にたった一人しかいない僕の弟です。」
「…。いいさお前の願いを叶えてやる。お前の魂と引き換えにな。」
女は不敵な笑みを浮かべ立ち上がりました。
「ありがとうございます!」
少年も立ち上がりました。その顔にはへたくそな愛想笑いが浮かんでいました。
女は山の頂きで今にも消えそうな細い月に向って立ちました。
女はオーケストラの指揮者がする様に片手のひらを正面に向けたまま、杖を三角形に回しだしました。
「見てごらん、あの月を。明日には欠けるあの光。だけどなくなるわけじゃない。いつでも空に浮かんでる。
君の帰るところもそうさ、移り変わっては行くけれど、決してなくなることは無い。
形を変えていくという、ただそれだけの事なのさ。」
呪文なのかうたなのか、わからない言葉を女が唱えていると、空の星々と、細い月がキラキラと光だし、空に雨雲が現れました。
すると、瞬く間に雪がどんどんどんどん降ってきました。
「凄い!雪だ!雪だ!」
少年は体中の疲れも忘れて、走り回って喜びました。
「はっくしょい!」
雪は吹雪になって、少年は思わず身震いしました。
「ふふふ。」
女は振り返り、少年に近づくと、自分の黒いマントを少年にかけて、杖を手渡し言いました。その杖は先端がピカピカと光っていました。
「この杖の光の射す方へ行きなさい。その方向に暖炉のある小屋があるからね。」
マントを脱いだ女は白く輝く美しい着物を着ていました。
「うん、分かった!ありがとう!」
少年がそう言うと、杖の光は、山の下を射しました。
女は少年を見えなくなるまで見送ってました。
「こちらこそ、ありがとう。」
女はそう言うと、真っ白な吹雪の舞う空に舞い上がり、鮮やかに踊り始めました。
少年は小屋に着くとすっかりくたびれてしまい直ぐにベット潜り込みました。
そうして、何日も、何日も眠ってしまったのです。
少年が目覚めると、外は真っ白な銀世界でした。
雪が日の光を浴び、きらきらと目が眩むほど輝いていました。
少年は女を探しましたが、何処を探しても女の姿はありませんでした。
少年は山を下りてみる事にしました。
するとどうでしょうか。
砂漠だった大地は艶やかな茶色の土に変わり、少しづつ緑色の草が生えて来ていました。
少年は山を下りた後も、何日も、何週間も、何か月も、そして何年も女の事を探し続けました。女のくれた黒いマントと杖を共に。
少年は女に魂を奪われてしまったのでしょうか?
女の正体は、初恋泥棒です。