死霊の王と炎氷の魔法使い 9話
それから半時ほどして、小屋に訪問者があった。ロドリゴである。
「無事か、おい!」
小屋に入り、オルカの顔を見るなり、ロドリゴはそう言った。
「ソーサラーは?」
「今、イクイ村に行ってます」
「そうか」
ロドリゴはそう言うと、額の汗を拭いながら、先ほどまでカーラが座っていたベッド脇の椅子に腰掛けた。オルカもベッドから上半身を起こして、ベッドの縁に座った。
「どうしてロドリゴさんがここに?」
「渡したハイダンジョンの地図がまずかったことに気づいたんだ。〈イクイコロド〉は十年前の傭兵ギルド会議で、『タブーダンジョン』に指定された。それを資材部の連中、修正し忘れていやがった」
「そうだったんですか……。あれ、でも、タブーダンジョンは、入場にギルドの許可がいるんじゃ……番の人たち、通してくれたんですよね」
「そりゃ、たぶんギルドの人間――つまりお前がいたから、許可が下りてるものと勘違いしたんだろ」
「あー……」
オルカは、額に手をやって、ベッドに仰向けに倒れた。どっと疲れが押し寄せてきた。
「でも、よく地図が間違ってるって気づきましたね」
「カーラもお前も、酒場を出て北に行っただろ」
「はい」
「一番近いハイダンジョンは、町の南にある。そこを目指したなら、カーラは酒場を出て左手に歩いて行ったはずだ。つまりな、俺は酒場のあの位置から、カーラとそれを追いかけるお前を、窓越しから見たはずなんだ。だが俺はカーラもお前も、窓の外を通るのを見なかった。それで、お前たちが北を目指したと思ったんだ。一昨日はその後用事があたから深く考えもしなかったんだが、昨日思い返して、気になってギルドにあった他の地図を見てみた。俺が渡したあの地図は、町の北にある〈イクイコロド〉がハイダンジョンの表記になっていやしなかったか。――そうしたら案の定だ。地図を管理してる資材部で確認して、今日の朝一でここまで馬を走らせてきたってわけだ」
「仕事は、良かったんですか?」
「いいわけあるか。でもいいんだよ。イクイ村に行って焦ったぜ。〈イクイコロド〉から帰還した英雄がいるって、宿で大盛り上がりだ。俺はまさか、そんなすぐに潜るわけないだろうと思ってたんだ。それが酒場のお祭り騒ぎ、慌てて馬に乗って、ここまで襲歩だ。こんなに急いだのは、昔グリフォンに襲われたとき以来だ」
オルカは笑い、ロドリゴは肩をすくめて見せた。
「しかし、よく帰ってこられたな」
「カーラはもう一回行くつもりですよ」
「ほっとけそんな奴!」
「ロドリゴさんが、彼女を育てろって言ったんじゃないですか」
「せめて違うダンジョンにさせろ。〈イクイコロド〉は、危険すぎる」
オルカは首を振り、それから、なぜカーラが〈イクイコロド〉への再挑戦を考えているのかをロドリゴに話した。ロドリゴはそれで、オルカの余命幾ばくもないことを知り、これまでの上機嫌をすっかり引っ込めてしまった。ロドリゴは片手で顔を覆い、暫く言葉を発しなかった。
「俺は別に、誰も恨んだりはしてませんよ」
オルカが言った。
「これも運命と思って――」
言いかけて、オルカは思わず嗚咽を漏らした。運命と思って諦めましたと、そう言うつもりだった。しかし、それはできなかた、そんな簡単に命を諦めるなんて事は、できるはずもない。どうして今なのだ。死ぬにしても、もう少しは生きていたかった。やりたいことだってまだまだある。美味い酒を飲むとか、ギャンブルで少しは勝つとか、女を知るとか、そんな些細なことでも、死んだら何もできないのだ。
「どうして、どうして俺なんですかね。今なんですかね」
泣きながら、オルカが言う。ロドリゴは、すまない、すまないと、オルカの肩を抱き、謝ることしか出来なかった。
「いや、ゴールド等級の傭兵を連れてこよう。内部のことがわかってるなら、踏破できるかもしれない」
思いつきでロドリゴが言った。しかし、それはできないことだと、ギルドの内情を知っているオルカにはわかっていた。
「こんな得にならないタブーダンジョンになんか、誰も集まりませんよ。ちょうど今は、〈ガウラカストラ〉に腕の立つ傭兵を集めてるじゃないですか。同じ危険を冒すなら、傭兵としては、大量の報酬が約束されている〈ガウラカストラ〉です」
〈ガウラカストラ〉の名前がオルカの口から出てきたので、ロドリゴは驚いた。ロドリゴは当然〈ガウラカストラ〉のことも、その他のことも、全体として頭の中に入っていたが、オルカにはまだ、そこまでの把握能力はないと思っていたのだ。しかもこの、自分の死に向き合わなければならないという中で、随分冷静に状況を分析しているではないか、と。
ロドリゴが意外そうにしているのを見て、オルカは、涙を拭い、種明かしをした。
「実はあの子、勇伯家の娘なんですよ」
これには、流石のロドリゴも、驚きのために固まってしまった。
「ハルベルトの姫です」
優秀なロドリゴの脳みそも、すぐには状況を飲み込めなかった。一度水を飲み、それから何度か頭を叩いて、それからやっと、思考に入った。考え出せばロドリゴは早い。カーラがハルベルト家の娘であると言う情報だけで、カーラがオルカに語った背景を明察してしまった。
「つまり、彼女がアルカーラ・フォル・ハルベルトだったってわけか」
「彼女、の本名、アルカーラって言うんですか」
「あぁ、知らなかったか。しかしなるほど、それで〈ガウラカストラ〉が出てきたってわけか」
ロドリゴは腕を組んだ。
「魂の結晶が市場に出回ることはない。〈イクイコロド〉を踏破できるほどの傭兵を集めることも出来ない。となればオルカ、今度こそ天命を掛けた大勝負に出るしかないな」
「本気で言ってます……?」
「本気だ。カーラには、行って貰うしかない」
「馬鹿言わないで下さい。俺は確かに、命は惜しいですよ。惜しいですけど、それはできません」
「だがカーラ様は、そのつもりなんだろう? 止められるのか?」
そう言われると、オルカも答えられなかった。ダンジョンに入る前と今では随分自分への態度が変わったが、一途というか頑固というか、猪突猛進的なところは変わっていなさそうである。
「本当はカーラに、タブータンジョン挑戦の権利はないんですから、番人の誤解を正して、入れなきゃ良いだけの話です」
「俺は入れるよ」
「なんでですか!」
「お前の命がかかってる」
「もうそれは良いですよ。死ぬ運命なら受け入れるって――」
「俺は認めてない。オルカ、しゃきっとしろ。もうやるしかないんだ、覚悟を決めろ」
「覚悟はもう――」
「そうじゃない」
ロドリゴが叱咤するように言った。
「お前のそれは甘えだ。この世に生を受けたんだったら、最後までそれにしがみつけ。お前、まだやれるはずだぞ。よく考えろ」
オルカは手で頬を撫で、顎に手を置いた。
「必要な物は俺が揃えてやる。どうだ、オルカ」
オルカは考え込んだ。果たして〈イクイコロド〉を攻略する方法があるだろうか。暫く考えた後、オルカは言った。
「ロドリゴさん、行けるかもしれません」
それは、ほとんど思いつきだったが、一つの妙案が脳裏に浮かんできたのだった。
「白酒と桔梗の花、糸、糸車、ビスケット、ラム酒、クサリヘビの抜け殻、プラチナの装飾品、ブルーダイヤモンド――用意できますか?」
「ま、待て、もう一回言ってくれ」
ロドリゴはメモ帳と羽根ペンを慌てて用意した。
「白酒、桔梗の花、糸と糸車、ビスケット、ラム酒、クサリヘビの抜け殻、プラチナの装飾品、ウルーダイヤモンド、です」
とりあえずメモをとったロドリゴは、オルカに訊ねた。
「何に使うんだ?」
「新しい魔法の契約です。一度覚えようとしてやめた魔法なんですけど――」
「酒はどれくらい必要だ?」
「白酒は樽二つ分ほしいです。ラム酒は、ボトル一本で大丈夫です」
「わかった。用意しよう。それで、何て魔法を覚えるんだ?」
「〈マナリンク〉です」
ロドリゴは意外に思った。もっとニッチな魔法なのかと思えば、〈マナリンク〉は、習得している者こそ多くはないが、名前自体は有名な魔法である。その効果は、術者と対象者のマナをつなげ、共有させるというものである。
「それで、〈イクイコロド〉が攻略できるのか!?」
ロドリゴの問いに、オルカは難しい顔をした。オルカ自身も半信半疑なのである。しかし、賭けるならこの方法以外ないとも思っていた。
「まぁいいや、お前に賭ける。できるだけ早く戻るから、お前も、まだくたばるなよ」
ロドリゴはそう言い残すと、小屋を後にした。