死霊の王と炎氷の魔法使い 8話
オルカが目を覚ましたとき、小屋の中にはカーラ一人だった。番人たちは、ダンジョンの見張りに出ている。
「すうう、はぁー……」
オルカは、肺に貯まっていた空気をいっぺんに取り替えるように、深い呼吸をして目を開けた。まぶしさに何度か目をしばたかせて、そのうち視界がはっきりしてきた。そして、近くにカーラの顔を見つけた。
「あぁ……逃げ切れたんだな」
オルカは再び深く呼吸する。
「無謀だってことがわかっただろ。死ぬかと思ったよ」
カーラは何も応えなかった。言葉が、出てこなかった。オルカは体の各部を動かして、ちゃんと動くことを確認した。それから、上半身を起こす。
「けほっ、けっほ、けほっ……」
急に動いたせいで、オルカは咳き込んでしまった。カーラが慌てて、その背中に手をまわし、さすった。咳がおさまると、オルカは肺の辺りに手を置いて、荒くなった呼吸を落ち着かせた。ぶわっと汗が出てくる。
「咳で息切れ、なんて、随分弱ったな」
自分の体力の落ち具合に苦笑いを浮かべ、起こした上半身をまたベッドの上に戻す。カーラが泣きそうな顔になっているので、それが可笑しくてオルカは笑った。その弱々しさに、カーラは鼻を啜った。
「なんだよ、生きてたんだから、もっと喜んでほしいもんだね――カーラ、水あるかい」
カーラは、なおも無言のまま、水を注いできて、オルカに渡した。オルカはそれを上半身を起こして受け取り、ごくりごくりと飲み干した。
「あぁ……はぁ……」
水を飲むと、重たかった体が随分楽になた。オルカは体を回転させ、足をベッドから下ろして座った。
「それで、考えは変わったか?」
オルカの質問に、カーラは首を横に振った。これを受けて、オルカは顔を真っ赤にして怒った。
「ふざけるなよお前、あれだけの思いをして、それでもまだあそこに行こうって本気で言ってるのか! お前は、あの亡者たちを見ただろ! 次に行って見ろ、お前もあいつらの仲間入りだ! プライドだか名誉だか知らねぇけど、そんなもん捨てちまえ! くだらねぇんだよ馬鹿野郎、そんな、そんなもののために、あの化け物の世界に捕らわれてもいいっていうのかよ! ふざけるなよお前!」
呼吸が荒くなり、心臓が早鐘を打ち、汗が噴き出すのも構わず、オルカは一気にまくし立てた。ぽろぽろと、カーラの目から涙がこぼれ落ちた。その泣き顔を、オルカはじろりと睨み付ける。カーラは、今までの人形顔が嘘のように、ひくりい、ひくりとすすり泣きはじめ、そうかと思うと、両手で顔を覆って、さめざめと泣き出してしまった。
これにはオルカも驚いた。同時に、声を荒げたせいで軽いめまいが襲ってきたので、右手をこめかみに添える。
がたんと、扉を開けて二人の魔窟番が小屋に入っていた。怒鳴り声がしたので、慌てて駆けつけたのだ。そこで、意識を取り戻したオルカを認め、二人は笑顔を見せた。
「おぉ、お目覚めか!」
「良かった良かった! 食事にするか? いや、酒がいいか!」
「馬鹿野郎、いきなり酒飲ます奴がいるか!」
番人たちは言いながら、水をもう一杯、オルカのコップに注いだ。二人はそれから、再び番の仕事に戻った。
静かになった小屋の中で、カーラは涙を拭った。オルカはため息をつき、カーラに訊ねた。
「どうしてそんなに、ハイダンジョンにこだわる。どんな理由があるんだ」
カーラは素直に答えた。
「家の、存続のためです」
存続? とオルカは聞き返した。
「私は、ハルベルト家の長女です」
オルカは、まだ動きの悪い頭の中から、ハルベルト家という単語を探した。やっとそれを思い出したとき、オルカは思わず息を呑んでカーラを見つめていた。
「あの、勇伯の!?」
オルカが訊ねると、カーラは頷いた。
ハルベルト勇伯家は、勇伯位を持つ数少ない血筋の一脈である。ハルバードという武器の名前の由来でもあって、ハルベルト家の初代である勇者ハルベルトの伝説的なエルゴンド谷の戦いは、今でも語り継がれ、歌や童話として生きている。
オルカは冷や汗を流しながら、ベッドを出、カーラの足下に平伏して――。
「これまでのご無礼お許しを――」
「やめてください!」
カーラはオルカの体を引き上げて、再びベッドに座らせた。
「謝るのは私の方です。私は、わかったような気になっていました。『死』の恐怖というものを。貴方の――オルカ様の言うこと、全てもっともでした」
オルカは「様」と呼ばれて、思わずきょろきょろと周りを確認した。勇伯家の娘に「様」付けで自分の名前を呼ばせるなど、恐れ大くて天罰が下っても文句は言えない。
「私のような屑のことなどは、その辺の埃のように扱って貰って――」
「オルカ様!」
ふざけている場合ではないと、カーラはオルカの肩を両手で揺すった。何度か揺すって。やっとオルカが目を合わせてくれたので、カーラは言った。
「今まで通りにして下さい、オルカ様。そして、勇気と奢りを取り違えていた私を、叱って下さい」
カーラは頭を垂れた。
「勇伯様に説教できるような人間じゃないですよ、俺は」
傭兵からすると、基本的に貴族は、金貨の詰まった財布のようなものだ。貴族に雇われる場合でも、敬意や崇拝で仕事をするわけではない。しかし勇伯家というのは、他の貴族とは違う。傭兵が一目置く貴族というのは武門の貴族であって、その中にあっても勇伯家というのは、特別な尊敬を集めている。勇伯家からの依頼がギルドに届いた場合、ギルドはいつも、クランに対して、依頼を受ける権利をオークションにかけているくらいだ。
「お願いしますオルカ様、これまで通りにしてください。私は、貴方の前では、無謀で世間知らずな、生意気な小娘です」
反省しすぎだとオルカは思った。寝て起きたらこれでは、明日には太陽が二つになったりしているんじゃないだろうか。
「私の父は、勇伯として恥ずべき過ちを犯してしまいました。――闇の魔術師と、手を結んだのです」
オルカの目を見つめて話すカーラ。オルカは、もう、何から驚いて良いのかわからなかったので、驚かずにじっと話を聞くことに決めた。
「そのせいで、闇の魔術師は強大な力を手に入れ、いくつもの村が滅ぼされたのです。父は、その罪を私に打ち明け、自ら命を絶ちました。このことは、公爵様も知っています。一月後裁判があり、それまでにしかるべき功績が挙がらない場合は、そこで勇伯位は剥奪、取り潰しの沙汰が下ることになっています」
「それで、ハイダンジョンか……」
カーラは首を振った。
「目的は、その闇の魔術師が作った、カストラを破壊することです」
カストラというのは、邪神玉の力を用いて作られる大結界のことである。霊的にはダンジョンと同じような構造になっているが、ダンジョンと違い、入ったからと言って、そこが別空間になるわけではない。
「それならどうして、わざわざハイダンジョンなんかに挑んだんだ?」
「カストラ攻略のパーティーに入るためです。パーティーに入るには、ギルドの認可が必要なんです」
オルカは、やっと回ってきた頭の中から、最近のカストラ攻略についての情報を素早く見つけ出した。基本的にはカストラもダンジョンも、その攻略メンバーやパーティーにギルドが制限を掛けることはない。クランで行く場合にはクラン内部でのメンバー選考、そうでない場合はその攻略パーティーの主軸の人間がパーティー編成を決定する。
しかし稀に、ギルドが攻略パーティーを作る場合がある。その場合は、パーティーメンバーを決めるのはギルドである。「その場合」というのは、のっぴきならい事情の場合である。そしてその「のっぴきならない事情」のあるカストラを、オルカは思い出したのだ。近頃形成されたカストラで、国から急ぎの討伐依頼がギルド宛てに出された(実際には、ギルドが国に報告し、国からの依頼を要請した)ものがあった。
「〈ガウラカストラ〉か」
カーラは頷いた。
人間がカストラを形成するという珍しいケースのもので、島一つをカストラとしている。通商上の重要な海路が使えなくなっているので、緊急に事態を収束させる必要があると、国もギルドも判断したのだ。
「自分でケリをつけたいってワケか」
「それもありました」
カーラの言い方に、オルカは首を傾げた。
「でも今は、違います。今〈イクイコロド〉に挑もうと思うのは、別の理由です」
「まだそんなこと――」
「オルカ様は、命を賭して私を助けてくれました。今度は私が、それに報いる番です」
オルカは口を閉じた。カーラは、妖術師エイゲルの語ったことを、オルカに伝えた。オルカは、自分の体の状態を聞かされて、頭を抱えた。しかし、青天の霹靂というよりは、「やっぱりか」という気持ちが強かった。自分の使っている技が危険だということは、わかっていたのだ。
「……いや、いいよ、よしてくれ」
オルカはカーラに言った。
「〈イクイコロド〉から帰還したと言うだけで一つの功績になる。君の実力は俺がギルドに伝えるよ。それで運と巡り合わせがよければ、〈ガウラカストラ〉に行けるかもしれない。――いや、無理だとしても、君はそのうち、すごいソーサラーになれる。今慌てて、生き死にの賭けをすることはない。勇伯の重みは、俺なんかにはわからないけど、君はまだ生きるべきだ」
オルカが言うと、カーラが反論した。
「オルカ様もそうです。オルカ様も、生きるべき人です」
「そりゃあ俺だって死にたくはない。でも、俺の命と君の命と、天秤に掛けなきゃ行けないなら、傾くのは君の方だ」
「私は諦めません。絶対に〈アラクベラ〉を倒して、貴方を助けます」
カーラはその後、〈イクイコロド〉への再挑戦のための準備といって、イクイ村に向かった。どんな準備をするのかはオルカには言わなかったが、カーラにも作戦があるらしかった。思い込んだカーラを止める元気は、今のオルカにはとてもなかった。