死霊の王と炎氷の魔法使い 2話
数日後、酒場にカーラがやってきた。足首までを覆う黒いローブコートを着た、美人である。かつて一度も笑ったことがないような、氷彫刻のような造形美の繊細な顔立ちである。十五、六の少女にしては、まったく浮ついた所がなく、隙も無い。傭兵と言うより、錬金術学者か図書館司書である。身長だけが、年相応に小さめである。
酒場の丸テーブルを囲む椅子に座り、カーラは水を注文した。ロドリゴとオルカは、カーラの来訪を店の奉公人から聞かされたので、二階から降りた。
「あの子ですか?」
「あぁ、そうだ。綺麗な子だろ」
「本当に傭兵志望なんですか?」
階段を降りながら、オルカは早くもカーラを見つけ、ロドリゴと小声でしゃべりながら、カーラの座るテーブルにやってきた。
「どうも、お嬢さん」
ロドリゴが声を掛けると、カーラはロドリゴ、そしてオルカへと視線を移した。友好的とはほど遠い、ナイフのような視線である。傭兵希望の新人というのは、成り上がってやろうというやる気のみなぎった目をしている者は多いが、ギルドの職員を端から敵視するような者はいない。
「カーラでいいです」
「それじゃあカーラ――朝食は?」
「本題に」
とりつく島もないなと、ロドリゴは苦笑いを浮かべる。普通であれば、こんな生意気な傭兵志願者など怒鳴り飛ばされて、この段階で酒場を放り出されている。ギルドにとって、傭兵は客ではない。
「わかった、本題に入ろう。まず、君の傭兵資格だが、発行しよう」
カーラは、じろりとロドリゴを見据えた。顔立ちが綺麗なだけに、その一睨みの視線の冷たさは、まるでつららのようである。
「クランを通さずに、ですか」
カーラは、まるでロドリゴの腹の内を見透かしているかのようだった。仕事もベテランの域に差し掛かっているロドリゴさえ、冷や汗を流してしまう。その時点でオルカは、このカーラという少女が、ただ者ではないとわかった。ただ〈センス〉を持っているだけではない。この少女には、‘何か’ある。
「急いでいると言っていたからな。君だってその方が助かるんだろう?」
カーラは、頷く代わりに、今度は視線をオルカに向けた。オルカは一瞬、息を止めてしまった。首筋にナイフを突きつけられたのかと思ったのだ。
「彼はオルカ。君の指導員をやってもらう」
オルカは、軽く会釈をする。
「必要ありません」
にべもなく、カーラが言う。しかしこれについては、ロドリゴは折れるつもりはなかった。
「クランで審査される代わりだよ。君が、クラン選びから何から何まで――雑多な事柄や人間関係に時間を浪費する覚悟があるなら、従来通り、君にクランを紹介して、クランの推薦状を貰って、それからギルドとして、君の傭兵入りを認めるか審査する。それで良ければ、指導員を付ける必要は無い」
ロドリゴとカーラの視線がぶつかる。カーラはきゅっと唇を結ぶと、オルカに一瞥を送って言った。
「そういうことなら、わかりました。オルカさん、よろしくお願いします」
よろしくと言いながら、その態度は、「邪魔するな」と言っているようだった。オルカは、何とか顔に笑顔を貼り付けた。
「よ、よろしく」
オルカの挨拶にはまるで耳を傾けず、カーラはロドリゴに訊ねた。
「もうハイダンジョンには入れるんですか」
答えようとしたロドリゴだったが、口を開き、そのまま固まってしまった。自殺志願者でもなければ、新人傭兵でハイダンジョンに挑む者はいない。ブロンズ等級の冒険者はハイダンジョンに入ってはいけないという決まりはないが、誰もがその無謀さを窘め、引き返させるだろう。
「どうして、そんな危険を冒そうとするんだ?」
「その必要があるからです。ここから一番近いハイダンジョンを教えて下さい」
「待て待て――」
ロドリゴが慌てる。
「良いかカーラ、俺たちは死人を出すために傭兵を登録しているわけじゃない。今の君じゃ、ハイダンジョンの踏破は無理だ」
ロドリゴの言葉に、カーラがかみついた。
「私の何を知ってるんですか。ハイダンジョンくらい、踏破して見せます」
「見せますって言ったって――」
カーラは、ローブの左袖をまくり、左腕をテーブルの上に出した。ほっそりした、シルクのような白い肌が露わになる。
「レベルを測定すればわかります」
ロドリゴは眉を顰めた。カーラのレベルは、数日前、初めて会ったときに測定している。その時は、レベル「8」だった。レベルがそのまま強さを表わすわけではないが、レベルが嘘をつくことも稀である。どんなに才能があったとしても、レベル「8」はレベル「8」である。センスのないレベル「15」の傭兵の方が強い。ロドリゴの経験上、レベルのプラスマイナス「5」は覆ることもあるが、逆に言えば、覆るのはそれくらいまでである。
ロドリゴは腕を覆うような金属製の道具――戦力測定器を魔方陣の中から取り出し、カーラの左腕にはめた。銀色の測定器の表面が、ロドリゴの呪文で所々青く光る。いくつかの呪文によって数種目の測定が終わり、ロドリゴは戦力測定器をカーラの腕から外した。
ロドリゴは測定器を魔方陣の中に収納し、困ったような顔でオルカを見た。
「どうしたんですか?」
オルカは小声でロドリゴに訊ねた。
「レベルが上がってた」
ひそひそ声でロドリゴが答える。
「何レベルですか?」
「ニジュウ」
「え?」
「20レベルになってた」
「たった一週間ちょっとでですか!?」
オルカもロドリゴも、驚きを隠せなかった。ロドリゴは測定ミスの可能性も考えて、三度も測定を繰り返していた。その結果、カーラがレベル20であることは、かえって確実であると認めざるを得なくなってしまった。
「異常、ですよね?」
「異常だ。いや、不可能ではないことは知ってる。寝る間も惜しんで死ぬほどゴブリンを狩るとか、大物を倒すとかすれば……そういう奴も稀にはいる」
つまりその稀なのが、彼女だったということかと、オルカは、畏怖の念を持ってカーラを見つめた。
「これで、無謀じゃないと言うことがわかりましたか」
ロドリゴとオルカは顔を見合わせた。ロドリゴは咳払いをし、カーラに質問した。「ハイダンジョンに挑まなければならない理由を教えてくれないか」
「嫌です」
即答され、ロドリゴは思わず、からからと笑ってしまった。笑う以外、やりようがなかった。ぱんぱんと、オルカの肩を叩く。
「証明印をお願いします」
カーラはそう言って、ずいっと左腕をロドリゴの前に突き出す。ロドリゴは、苦虫を噛みつぶしたような表情で、カーラの左手首にブロンズ等級の傭兵であることを示す印を押した。
「オルカ、頑張れよお前」
満面の笑い顔のまま、ロドリゴがオルカに言う。目が、笑っていない。
「いや、でもハイダンジョンは――」
オルカが言うのも聞かずロドリゴは魔方陣から筒状に巻かれた羊皮紙を取り出した。地図である。その地図を、オルカに渡す。思わずオルカは受け取ってしまった。
「無茶です。レベル20だったとしても、ハイダンジョンなんて――」
「付いてきて貰わなくても結構です」
カーラが言う。ロドリゴも、オルカに言った。
「この短期間でレベルを8から20にあげる実力と執念があるんだ、百に一つくらいは可能性があるかもしれんよ、オルカ」
笑いながら言うロドリゴ。冷静さを失っている。カーラはオルカの手から地図を引っ張り抜くと立ち上がった。
「では私はこれで」
そう言うと、カーラはさらい風よろしくその場を去った。オルカが気づいたときには、カーラはすでに、酒場の扉を開け放って出て行くところだった。遅れ散らすは舞銀花、オルカは慌ててその後を追った。
ロドリゴはオルカが店を出て行くのを見送って、麦酒を一杯、角銀貨と交換で受け取った。そして、誰にともなくジョッキを掲げた。