死霊の王と炎氷の魔法使い 11話
「カーラ、逃げろ!」
オルカはカーラの背中に叫んだ。この戦いは負けだ。逃げるなら今しかない。今を逃せば、逃げることも出来なくなってしまう。
「逃げろ! 俺はどうせ死ぬ! 置いてけ!」
しかしカーラは、動こうとしなかった。ハルバードを構え、牛蜘蛛と、その向こうの〈アラクベラ〉を睨み据える。
「逃げません。勇者ハルベルトの血にかけて」
カーラが宣言した瞬間、カーラを取り巻く気配が変わった。カーラから発せられる気配――霊質が変わったのだ。氷のように動きを止めていたマナが、少しずつ、動き始めた。しかし、解氷と相反するように、カーラから生じる冷気は、いっそうその冷たさを増している。
「これは、まさか――」
オルカは囁いた。
この異様な霊質のマナとそのうねり。カーラのマナは、炎のように熱く、しかも冷気を発している。
カーラは、ハルバードを地面に突き立て、握りしめた。カーラが呼吸するたび、炎のような白息が発せられる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
カーラは胸を押さえた。心臓が早鐘を打ち、と思えば、急に止まり、肩や腹の筋肉に、絞るような痛みが走る。痛みを堪えて歯を食いしばり、脂汗が額から流れる。
このままではいけない、とオルカは見て取った。カーラは今、霊質を変えた。しかしその制御には、充分なマナが必要だ。今は、そのマナが決定的に不足している。しかし、マナさへ補填できれば――。
カーラが苦しそうにするのを、呪毒の効果だと思い込んだ〈アラクベラ〉は、いよいよ大口を開けて笑った。
『はっはっは、お前たちはここで死ぬのだ。魂も、屍も、我がものだ』
牛蜘蛛が、じりじりとカーラに近づいてゆく。いつでも飛びかかれる体勢である。カーラは、ハルバードを支えに立っていることが精一杯である。
「食らえ!」
オルカは、左手をカーラの背に向けた。放ったのは、〈マナエクスプロージョン〉である。前回のような渾身の一撃ではなく、マナの半分ほどを使って放ったのだ。カーラに迫る牛蜘蛛の前に爆発を起こした。
突然目の前でマナの爆発を起きたので、牛蜘蛛は驚いて後ろに飛び退いた。
「くっ、かっは、かっは……」
オルカが咳き込む。心臓が飛び出しそうな、吐き気を催す咳である。
『悪あがきはよせ。ここまで私を追い詰めた人間は、お前たちが初めてだ。褒美として、苦しまぬように殺してやろう。蜘蛛の毒でな』
〈アラクベラ〉が言うと、牛蜘蛛たちは口を開け、土色の牙を見せつけた。牙から黄色い液体が流れ落ち、それが地面に溢れると、じゅっと音を立てて、黒い蒸気を発した。
しかし、オルカは笑っていた。咳込んだ時に出てきた涎を拭い、口元は土で汚れている。身体は、すでにマナを大量に失ったせいで思うように動かない。しかしオルカは、その状況にもかかわらず、笑っていた。
「お前の負けだ、化け物蜘蛛……」
ぎちぎち、ぎちぎちと牛蜘蛛たちが牙を鳴らす。〈アラクベラ〉も牛蜘蛛も、獲物を前に、舌なめずりをしているようだった。だから気づかなかったのだ。先ほどまで、カーラの身体を不規則に這いずっていたマナが、カーラの丹田のあたりに収束したことに。
『死ね』
〈アラクベラ〉が言った瞬間、牛蜘蛛たちがカーラに殺到した。刹那、信じがたいことが起こった。
ビンと、カーラの身体から冷気とも炎気ともとれないマナの波動が生じた。波動に当てられた牛蜘蛛はその瞬間、ギチリ、と氷に包まれ、後方に弾き飛ばされた。
カーラの身体が、冷気の炎に包まれている。その瞳は冷たく燃え、ハルバードの切っ先は、銀の炎をまとっている。
地面に転がった氷漬けの牛蜘蛛が、青い炎をあげて燃え尽きた。
『な、貴様ら、何をした』
〈アラクベラ〉はジ呪毒の中から牛蜘蛛を呼び出した。再び出現する大量の牛蜘蛛をたてに、〈アラクベラ〉はじりじりと後退する。オルカは左手の人差し指でカーラを指し、〈マナシェード〉をかけた。その瞬間、カーラの足下から冷気と炎気、二つの波動が迸った。その霊気は〈アラクベラ〉の呪毒は吹き飛ばし、聖域を作り出した。オルカも、その聖域の中に入った。オルカの足を掴んでいた骨の腕は、一瞬で凍り、そして燃えた。
オルカは、大きく呼吸をする。
聖域の中の空気は、墓場の瘴気を帯びたそれではなかった。高原や滝の近くの清涼な空気そのもので、きらきらと、細かい細氷がきらめいている。その聖域の中に入ろうとした土蜘蛛は、ことごとく凍てつき、そのあとには、青い炎に包まれて消えていった。
〈アラクベラ〉が赤霧を吐いた。霧は聖域を作り出しているカーラの霊気とぶつかると、きらきらと細かい凍りの粒子となって消えた。
『おのれ、おのれぇ!』
〈アラクベラ〉は墓地を揺るがす叫びを上げると、カーラに飛びかかった。その捨て身の一撃を、カーラは〈クラウソラス〉で迎え撃った。冷気と炎気を帯びた飛光剣は、〈アラクベラ〉の外殻を貫き、空中に繋ぎ止めた。
カーラはハルバードを地面に突き立て、両手に印を結び、呪文を唱えた。前回、ダンジョンの結界扉を破壊した、〈アッサル〉の槍撃魔法である。
『自らを称えよ、人間。亡者の奈落の底で待っているぞ。はっはっは、はっはっはっはっは!』
凄まじい霊気を帯びた〈アッサル〉の魔法の槍が、〈アラクベラ〉の腹を貫いた。無数の亡者――百や二百ではない、千、二千を超える凄まじい亡者の怨念と悲鳴が、墓地のいたるところから、一斉に発せられた。紫色の有象無象の靄が、〈アラクベラ〉の、貫かれた腹から溢れだし、無茶苦茶に宙を飛び回る。
やがて、〈アラクベラ〉の身体が青い炎によって燃え尽きると、靄も薄れていき、悲鳴の残響も、だんだんと小さくなっていった。
カーラは、ふらりとよろめいて、地面に膝をついた。消滅した〈アラクベラ〉から、〈アラクベラ〉を形作っていた呪物が雪のように降りてくる。古いダンジョン主というだけあって、呪物は次から次に、二人の近くに降り注いだ。カーラはそれを眺め上げた。オルカは、ゆっくり立ち上がり、カーラの元に歩み寄った。
「驚いた」
オルカは、カーラに言った。カーラが使ったのは、まさに、聖域の魔法だった。それも、炎氷の聖域という、珍しく強力な魔法である。
「無我夢中、でした」
カーラは震えながら答えた。
オルカは頷いた。聖域魔法の威力を見たオルカは、この魔法が、こうしたら習得できるという類いの、定まった道筋のあるものではないことを実感したのだった。最後の最後、全身全霊をかけた土壇場になったとき、魂から生じるような魔法なのだろう。炎氷は、カーラの霊質であり、魂そのものに違いなかった。英雄ハルベルトは、炎のように果敢であったが、同時に氷のように冷静な軍師の一面もあったという。
「立てるか?」
オルカは、カーラに手を差し伸べた。
カーラは、両手で抱いていた呪物をオルカの手にさしだした。こぶし大のそれは、一見すると水晶の原石であるが、その中に青白い光が、強くなったり弱くなったりして照り動いている。
「魂の結晶です」
カーラはそう言うと、オルカに笑いかけた。オルカは、ふつふつと笑いが込み上げてくるのをとめられなかった。カーラもそれは同じだった。やがて二人は、笑いを腹に収めきれず、大声で笑い合った。その泥だらけなのを、みっともない汗の後があるのを見て、互いに、なんて顔してるんだと、笑いに笑った。痛みさえも可笑しかった。




