デイジーの村で 6
「……」
声の主は、少年というよりまるで少女だった。手足が細く、小柄で、秋の野を一面に飾るスーキの薄茶をした髪の、その下の顔は青白い。対照的に唇は紅く、小さな鼻に、大きな瞳は琥珀色。全体的に華奢だが、それでも声は低く、喉ぼとけも出ている。それなら少なくとも性別は男なのだろうと、リーフィアスは納得する。
「なあ」
もどかしそうな少年に答えようとして、躊躇った。穢魔の風の中、確かに祝詞は歌えた。だが、その前はどうだった? どうやっても声が出なかったではないか──。リーフィアスは喉をさすった。己の喉が吐き出した、掠れた吐息を思い出す。
「あんた、本物の吟遊詩人なら……、なんであんなに音痴なんだ?」
少年の問いに困惑が一瞬にして吹き飛び、こめかみで何かが切れた音がしたような気がした。
「音痴ではない! 拍子を取るのが少々苦手なだけだ──! あ、れ……?」
反射的に叫んでから、大きな声が出たことに驚いて、リーフィアスはまた喉に手をやった。
「……いや、爺さんに聞いたとおりのモン見たから、あんたが本物なのはわかるさ。でも、何度か聞いたバードの歌に比べて、えっと──」
自分が目の前の吟遊詩人に何をしたのかを、少年は思い出したのだろう。眼を泳がせ、尻すぼみに言葉を呑み込んだ。
気にしていることを指摘され、ムスッとしながら、リーフィアスは<バルドの竪琴>を抱え直す。──そういえば、穢魔の風に耐えながら弥栄の祝詞を歌っていたとき、竪琴を弾くのを忘れていたことを思い出した。
「……」
そう、弾くのを忘れていた。それなのに、何故浄化の儀式を成功させることができたのか──いや、今は置いておこうとリーフィアスは竪琴の音に集中する。音痴の汚名を雪ぐのが先だ。切れた弦の音を即興で補いながら、ゆっくりと歌い始める。
「デイジー デイジー
こたえておくれ
わたしははんぶんこわれてる
きみが小鳥につままれて
そのまま連れて行かれたときいたから
わたしははんぶんこわれてる
もうはんぶんで きみへの愛を
デイジー きみの行くさきに
きれいな水と おだやかな風
天の恵みがありますように」
伝説の吟遊詩人バルドが、綿毛の種が風に散るさまを歌ったとされる戯れ歌だ。
再生の祝詞のあと、名前の部分にその土地の名を入れて歌うのが一般的で、特に吟遊詩人が好んで歌うものでもある。
竪琴と声の響きを空に飛ばせ、じゅうぶんに余韻をもたせてから……リーフィアスが失礼な少年に目をくれると、彼は呆けたように足元に一輪咲いた白い花を見つめていた。
「……前に来た、バードが歌ってたのよりずっといい……なんか、元気になる……」
小鳥に運ばれていった先で、豊かな緑の大地に出会ったような気がする、と呟く。
「あんた、音痴じゃないや……ごめん、俺、」
言葉をさえぎって、リーフィアスは言う。
「ここがその緑の大地だ」
「え……?」
「壊れた半分というのは喩えで、枯らされた土地、枯らされた生き物を意味する。歌の願いを混ぜることによって、壊れた半分は均され、力を取り戻し、その地を養う養分となる。そしてまたひとつとなり、世界の流転のめぐりに戻る──。神々の力に触れて、再び緑の弥栄を謳歌するようになるのだ」
少年はびっくりしたように顔を上げた。
「──禍つ風に枯らされてしまったものが、また緑に戻れるのか? めぐりの中に? 消えてなくなってしまうんじゃないのか?」
「戻れる」
リーフィアスは大きくうなずいてやる。
「お前のお祖父さんや、ロア婆さん、エメリ夫婦もみんなこの緑の中にいる──。神々の庭で、幸せな草としてゆらゆらゆれながら、この地を祝福している」
人は、死ねば“常若の野”あるいは“歓びの野”と呼ばれる初めの世界、創世の神々の庭に還るといわれる。流転の神々の起こす力につれて揺れ、揺れふるえて苦しみ悲しみを祓い落しながら、いつか神々と世界を言祝ぐ歌を歌うようになる──。
少年の琥珀の瞳から、みるみる涙が溢れ出した。
「みんなと一緒に、緑を見たかったよ……このデイジーの村に、こんなに緑が繁って、こんなにたくさんの虫や鳥が戻ってくるなんて、昨日までは想像してみたこともなかったよ」
しゃくり上げる。
「バルド! あんた何で……何でもっと早く来てくれなかったんだよ! もっと早く、早く来てくれれば……! なんで、なんで……!」
わめいて、激昂して……。それも、最後は小さな啜り泣きになった。
「すまない……」
リーフィアスは少年の背中をさすり、水筒から水を飲ませながら謝る。──痩せた穢魔の土地で育ったせいだろう、少女のように見えるのは、骨からして身体が細いせいだとわかった。
「バードのほかに、バルドも来ていたのだよ。みな一所懸命に緑の弥栄を歌った……今回、どうして私が浄化に成功したのか、自分でもわからない」
禍つ風、あるいは穢魔の風、穢魔の土地について、神殿の神官たちも吟遊詩人たちも多くを知らない。ただ、力を乗せた歌声で祓うことはできる……はずだった。このデイジーの土地で、何故リーフィアスの前に来た吟遊詩人たちの歌が響かなかったのか、リーフィアスにはわからなかった。
わからないことはまだある──。
どうして俺は背中もどこも痛くないんだろう。この子も、声だけ聞いてたときは弱り果ててる様子だったのに、今はそうでもない。
それより何より。
ぴょんぴょこ、ちょんちょん、ぴょこぴょこ、くるくる、とんとんと踊っていた、頭に双葉を生やした小さなおっさん。あのおっさん草はどこへ行ったんだろう──?




