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デイジーの村で 2

※2019年1月12日推敲。2988文字→3011文字 話の流れに影響はありません。

吟遊詩人(バルド)とは遍歴するものである。神々にならって世界をめぐり、生きとし生けるものを言祝ぐのだ。その力の根源は流転。定住すれば、力は薄れる。


だから。


── 一人で無理なら頭数を増やせ。

── 一度でダメなら何度でも。


神殿の賢者たちはそう考えた。


バードのわずかな力でも、塵も積もれば山となる。変化は見えなくとも、歌は穢れに密かにしみこみ、祝詞の韻律が澱みを揺らせる。──穢魔(エマ)の地に、少しだけ風が通りやすくなる。


とはいえ、街道から外れた辺鄙なところになると、好んで行こうとする者は少ない。旅は通常より過酷なものとなるのに、そんな貧しい土地では大した儲けが期待できないからだ。吟遊詩人に強制することはできない。彼らは何者にもとらわれない自由な存在だとされている。


だから賢者たちは褒美()を用意することにしたのだ。金品を少し、それと吟遊詩人の一番喜ぶものを。それは神殿に集まる各地の情報──新しい歌だった。


心のおもむくままに各地をめぐる吟遊詩人たちは、見聞したものごとを言葉にし、詩に整え、ふさわしい旋律を作って歌う。聴衆は自分の行ったこともない、見たこともない土地の光景を、そこに生きる人々の物語を知ることができる。


たとえば、木の根っこを羽兎の罠にしようとした愚か者の話に笑い転げたり、平原を横切る薄い紫がかった渡り牛の群れが、夕陽の向こうに消えていくさまに溜息をもらし、また、(かたき)同士の家に生まれた男女の悲恋に涙したりもする──。


注意深い者が聞けば、その土地の民の暮らしぶりから治める者の力量も推察できる。民の不満や懸念、嘆きから、何が足りていて、何が不足しているのかも読み取ることができる。──初めての土地でどういった歌が喜ばれるのか、どういった事柄に気をつけなければならないのか、道中にどんな危険があるのか、そういうことがわかるのだ。


新しい歌は、神殿に立ち寄った吟遊詩人たちが望めば奉納を許され、立ち会った神官たちがその名と共に記憶する。彼らもまた吟遊詩人であり、聴いた旋律を正確に再現することができるのだ。


各地をへめぐるには身体が弱すぎるなど、それぞれの理由でその地に留まる彼らは歌神官とも呼ばれ、神殿に祀られる神々のために、日々世界の弥栄(いやさか)を歌い讃えている。


そんな歌神官たちが神殿に溜め込んだ(情報)を、人の行かない荒地に赴き、弥栄の祝詞を歌うだけで教えてもらうことができる──。歌うのは得意だが、歌を作るのはうまくない者や、好奇心の旺盛な者、自分がまだ行ったことのない土地の、最新の情報を己の歌に取り入れて歌いたい者たちが、穢魔(エマ)の地を目指すようになった。


──だが、どうやってそれを証明するのか? 既に人の住まなくなって久しい土地もある。ならば、行って歌ってきましたと、騙る者も出るのでは? 


歌うたい(バード)でも吟遊詩人(バルド)でもない人々の中には、そんな疑念を抱く者もいる。


そう、確かに穢魔の土地で歌ってきたと、証明することは難しい。目に見える証拠もない。だが、神殿で神々に対して嘘を吐くと、歌が濁るようになるのだ。それは本人にしかわからない。わからないが、歌を命とも思う吟遊詩人たちには耐えがたいことだ。だから、そんなことをする者はいない。


穢魔の地から戻ってきた吟遊詩人には、新しい歌とともに、神殿から一筋の銀を編み込んだ細い腕輪が贈られる。一本でも名誉なことであり、他の吟遊詩人たちから一目置かれるようになる。それが九本から十本めになると、十本分の銀と一筋の金の編み込まれた腕輪をもらうことができる。


百本──つまり、穢魔の地にて百回弥栄の祝詞を歌ってきた者には、金糸と銀糸、緋緋色金で編まれた腕輪が贈られる。かつての吟遊詩人たちが遺していった楽器の名品を、貸し与えられる栄誉も得る。


それを持っているのは、現在はリーフィアスの師匠、シダリアスだけであった。流転草神殿の大神官でありながら、偉大な吟遊詩人(バルド)でもある彼は、今このときも世界のどこかをめぐっているはずだ。


シダリアスの養い子であり、弟子であるリーフィアスは、ついこの間までシダリアスと一緒にいた。十五年も共に旅を続けていたのだ。


リーフィアスは歌うたいとしては非常に(つたな)いが、吟遊詩人(バルド)の才があると師は言う。その言葉を頼りに、リーフィアスは一心に師の歌を聴き、楽器の演奏を学び、懸命に練習を続けた──が、歌うたいとしての拙さはなかなか直らなかった。


シダリアスに独り立ちを促されたとき、リーフィアスは断ろうとした。このまま従者としてでいいから、師との旅を続けたいと願ったのだ。なのに……。


今にして思えば、リーフィアスの師は世間でいう“イイ性格”というやつだったのだろう。弟子の言葉を聞くと、彼はにっこり笑って自分の持っていた竪琴を弟子に持たせた。そして、自分は弟子の持っていたリュートを手に取り、弟子が練習していたよりもずっと豊かな音色で、祭りのときによく頼まれる陽気な曲をひとつ掻き鳴らした。


場違いな曲に、意味がわからず目を白黒させて立ち竦む弟子を尻目に、シダリアスは<その場に留まりてしばし日差しを浴びよ>の歌を、流れるように自然に声に力を乗せて歌った。──そうしてリーフィアスは、笑いながら去って行く師の背中を、森の中、涙目で見送ることしかできなかったのだ。


──お師匠様! 伝説の吟遊詩人バルドの竪琴なんか持たせられても、難有り吟遊詩人(バルド)見習いは困ります!


あの日。そう心の中で叫んだバルドの竪琴が今、リーフィアスの痛みに霞む視線の先に転がっている。師から預かった、大切で大切で、自分の命よりも大切な、この世の宝物とでもいうべき貴重な竪琴が。……儀式のために頑丈な革袋から出して持っていたのも不運だった。落ちた拍子にだろう、弦が一本切れている。


「……!」


自分に八つ当たりをしてもいい、いいから、あの竪琴だけは壊さないでほしい、せめて神殿に返してほしいと、リーフィアスが背後の声に頼もうとしたとき。


「来た……」


軋る声が、ほの昏い歓喜と絶望の響きをまとわせる。──それが聞こえる前に、リーフィアスも身を強張らせていた。首筋に感じる、ねばつくような恐怖と嫌悪。穢魔の土地を襲う、瘴気の風がやってくる。


「禍つ風だ……五日前の良くない風は、これの前触れだったのか……はは、爺さんたち、これを見る前に死んで良かったよ……。エメリ夫婦も……なんだ、自分で死ぬなんてことしなくても……」


もう、こんな土地、こんな人生まっぴらだ。死んだほうがマシだ。俺も死ぬ、しぬ、おまえもしぬ、しね、いきていてもいいことはない、なにもない、しぬ、しぬ、しね、しねしね、おれなんかしんじまえ──


呪文のように繰り返される声が、リーフィアスの耳を侵食してくる。じわじわと毒が沁み込むような、生をあきらめ、生に縋るものを嘲笑う韻律──。


なのに、そんな言葉を吐きながらも、声の主は倒れたままのリーフィアスにとっさに覆いかぶさり、瘴気の嵐から守ろうとしているのだ。腕の間から垣間見えた顔は、まだ幼さを残していた。熱い涙がリーフィアスの頬にかかる──。


その瞬間、慣れない痛みにどこかぼやけていた意識が、沸騰するように覚醒するのをリーフィアスは感じた。


──死んでたまるか! 蔓延ってやる!


そう、心に叫ぶ。瘴気の風、穢魔の風にさらされて、心も身体も今にも枯らされそうになる。それでも、リーフィアスは唇の動きだけで叫び、バルドの竪琴に手を伸ばした。


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