この世界の神話
その世界では、すべての生き物は元は草だったのだという。
何もない始まりのとき、何もないので神々はただぐるぐるとめぐるだけだった。すると、何もないところに何かが凝って世界ができた。それをもって神々は創世の神となった。
創世の神々はさらにぐるぐるとめぐりあって遊んでいた。どれほどの時をめぐりあっていたのか、ふと気づくと、まだ何もなかったはずの神々の世界に、いつの間にかひょろひょろと草が生えていたのだという。
神々の誰もそんなものを創った覚えはなかったが、創世の力のめぐり満ち溢れる世界に、そのような形で勝手に命が萌え出でても不思議なことではないだろうと、神々は特に気にしなかったという。
神々の世界にひとりでに生まれてきた草を、神々は寿ぎ、愛でた。草も神々がめぐりあう動きに添い、神々を慕った。
太陽の神が顔を出せば背伸びをし、月の神が顔をのぞかせれば葉を広げ、風の神が通れば身をそよがせ、水の神が雨を降らせれば、心地よさげに身を震わせて根をはらせた。
そうして、いつしか草は、草たちは、めぐる神々にあわせてうたをうたうようになったという。神々を讃え、世界を讃え、そこに生まれ出ることのできた幸せをうたう。すると、草たちの揺れこすれる音はそれはきれいな言葉と旋律となって響き合い、宙を舞い踊り、神々を愉しませた。その美しいうたを、彼らはいつも全身でうたい全身で奏でたのだという。
言葉は言霊となり、神々の力に触れ、そのかたちとなり顕れた。顕れたものは種となり、また草を生んだ。
うたの幸わう世界で草たちは栄え、そこは“常若の野”あるいは“歓びの野”と呼ばれている。すべての生き物は死ぬとそこに還り、水のように風のように光のように神々の力がゆらゆらと満ち揺蕩う流れの中で、ふるふるゆらゆらとただゆれているのだという。
ゆれるうちに生きていたときの苦しみ悲しみはふるい祓われる。そうして、いつしかうたいだすのだという。世界の始まりのときよりつづく草々のうたにとけ込み混ざりあい、いっしょにふるふるゆらゆらとゆれながら、うたで神々と、自らの生まれた世界を祝福しているのだといわれている──。