7「徘徊するもの」
どうぞ。
トカゲは拍子抜けしていた。
行く先にはミヅノやあの骨のような化け物が待ち構えているとばかり考えていたのに、そこには大して深くもなさそうな洞窟があるのみだ。絶対的覇者のような「禁忌の感覚」を漂わせるものもおらず、感じるものといえば常日頃目にするような雑魚の気配ばかりである。らくに狩れる赤等級あたりの気配が多いため、しばらく住むには悪くない場所、という印象だった。
「……」
かれは、感知できる範囲のギリギリになにか危険なものの存在を感じ取っている。そのギリギリは異常に遠く、空にある雲が見える程度の距離だ。危険ではあるが、避けることができるように思われた。そして、かれが「感じ取る」ということを知らなかったときには知らなかった何かがいくつもある。
トカゲは尻尾を背に置いて構え、いつでも一撃必殺を繰り出せるようにと心構えまでも整えながら進んでいった。
モンスターの等級はかなり大雑把である。というのも、最低の「赤等級」は単なる危険生物にすぎないのに対し、最高の「紫等級」になるとどのような手段でも手に負えないとされているから、という事実が理由として挙げられる。さらには「そもそも出現が少なすぎて判断のしようがない」という言い訳じみた理由も含まれていた。
本格的に「怪物」というべき水準に達するのは黄等級であり、赤から橙にかけてはまだまだ「やや危険な生物」としか言えないレベルのものも多く存在する。
たったいまトカゲに叩き潰された「キロント鉱蟹」も、1ルーケもある巨大な蟹であり、振り回すハサミは危険と言えなくもないが、足は遅く打撃には弱い。地上性の蟹ながら甲殻の分厚さはむらがあり、薄いところを狙えば簡単に倒せる赤等級モンスターだった。金属臭い肉が鉱石で強化された殻に詰まっている、という食べさせる気のない生物なので、食いでがありそうな大きさだが人間には不評である。味覚について、それが毒や必要な栄養の有無、もしくは多寡に関わらなければ吐き出したりしない生物には関係のない話だった。
殻を執拗に叩いて砕いてから、トカゲは肉と殻の細かな欠片をいっしょくたに食う。それがかれの選択であり、蠱毒を生き抜いた原因でもあった。
さまざまな環境に住む弱いモンスターは、環境によって変化しやすくできている。数世代での進化や一代での大きな変化は日常茶飯事、むしろそれが起こらなければ異常だとばかりに、かれらはでたらめな速度で急激成長を続けていく。
剱蜥蜴の気能は、実のところ鋭変ではない。それは身体機能の応用であり、たとえば目を大きく見開くようなものである。かれらの持つ本当の気能は「甲殻変性」だった。
かれらは食性によって蓄積した金属成分を鱗や甲殻に浸透させ、強固な外殻を形作る。生物由来のものであれば通常通り、しかし半生物や器物生命体をむりやり栄養にするとその鱗や甲殻は生物の持つべきものではなくなっていく。トカゲが選んだ道は折衷案、つまりふつうの食事も摂りながら機会があれば金属成分多めの生物を食う、というものである。洞窟にはその手の生物が多く、かれが見たことのない、そのプランにぴったりの生命体も多数いる。ここへ来たことはあまりに恵まれた幸運であった。
食事もじゅうぶんに摂れるうえ、甲殻の強化も順調に進んでいる。少しずつ強くなっていく感覚は、非常に大きな充足感をもたらすものである。洞窟での暮らしは、まだ始まって数日ではあるが、長く続けたいと思わせるほどには快適だ。尻尾をふにゃりと丸めながら、トカゲは食事を浸透させるため、眠りについた。
脱皮はおおよそ月に一回ほど、食事の回数が多ければ多いほど起こりやすい。成長に回す栄養があればこその脱皮であり、栄養失調状態ではまともな成長は望めないことだろう。トカゲの栄養状態は良好であり、甲殻に使っている養分を少々失っても問題ない程度には、「次の」甲殻は完成している。
目を覚ましたトカゲは、ぼろぼろと剥がれ落ちる角質を身震いしてさらに落とした。下から現れたものはさらに硬質、かつ金属を含んで鈍く輝く鉄色だったそれよりも、赤みを帯びた色合いを含んで非常に堅固なものへと変化している。少しばかり重くはなったものの、そのぶん頑丈さを大幅に増し、等級は緑から青緑へ足をかけようとしていた。ほんの少しだけ強くなったトカゲは、先ほどから近くに何かの気配を感じている。しかし、それを相手にしてよいものかどうかは不明だ。
まったく動かない。そのうえ、体がそのまま魔力かとも思えるほど体内魔力が濃い。トカゲの知る「生物」のカテゴリーには収まらないような、未知のものであるらしい。おそるおそる、トカゲはそちらの方向へと尻尾を構えながら近付いていく。
暗闇の洞窟の中にあって、近付くごとに光が増していった。それは光っているのだ。
「……?」
脈動のように、光は流れて巡っている。光を閉じ込めるのは、三つに枝分かれした水晶だった。魔力を吸着して成長し、光を放つことで自ら魔力を放出するという植物じみたモンスター「六角晶」である。数十年から数百年を経て巨大に成長し、ほかの宝玉に浸食されたり置換されたりすることでさらに強力になる性質も備えている。
トカゲは、1ルーケにさえ届かぬほどの小さな六角晶をにらみつける。それは時計を見て針で指が切れやしないかと考えるようなものである。移動手段なし、攻撃手段なし、何をしても六角晶はトカゲに勝てない。しかし、トカゲは敏感に何かを感じ取り、なかなか攻撃を仕掛けようとはしなかった。
通常の六角晶であれば、おこぼれの魔力を吸い取るもの、それらを狙うものといった一種の生態系があり、それを崩さんとする外敵を排除するシステムができあがっている。だが、それらは最低でも4ルーケほどの高さを誇る結晶でなければ成立しないものである。トカゲが感じているのは、それに匹敵する恐ろしい脅威だった。何か吸われている、と感じるほどには魔力吸着の効率が良い。つまり、この六角晶は幼少にして緑青等級へと届こうとする本物の怪物である、ということである。
――そして、それを喰らえばその凄まじい力はいくぶんか劣化して手に入る。トカゲはこれまでの経験からそれを知っていた。
どうやら相手に攻撃手段がまったくないと知った瞬間、トカゲはためらいなく六角晶を両断して殺し、どこかに食える場所がないかとにおいを嗅いだ。食えそうな場所はどこにもないが、どうにかして食わなければという思いがあり――トカゲは、さながら岩を削って食うゾウのように、断ち割られた水晶を削って食った。口でちぎり、歯でどうにか砕いて喉を傷付けながら飲み込む。
「ジュウ、グゥギギ……」
栄養過多な食品を口にしたときのように、トカゲの口や鼻から血が溢れる。種族の持つ気能によって膨大な魔力を帯びた結晶が体に取り込まれ、それはともかく、魔力が体になじむまでの拒否反応である。反応がひどい場合は体が内側から爆裂することさえあるため、トカゲは比較的運のいい方だと言えるだろう。数日以内に死ぬほどの深刻な損傷や意識破壊、肉体の急激な変性による死亡に比べてみれば、粘膜が破れて出血する程度は大成功であった。
トカゲの体内の栄養が急激に消費され、鼓動は速さを増し、あるひとつの可能性が生まれる。栄養を大量に失ったことでトカゲはふらつくが、ちょうどいいタイミングで橙等級の「陸蝦蟹」を発見し、そちらへ歩み寄る。
ビシュッ!! とトカゲの鱗がはじけ飛んだ。
「――!?」
わずかな六角晶の残照は、その巨大で異様な形状をくっきりと照らしていた。
閉じることで空気を圧縮し、小さな竜なら瞬殺するほどの威力を誇る空気弾を発射する、先端が鋭く尖った長大なハサミ。開くことでひゅうひゅうと空気を吸い込み、もう一度閉じられれば同じ威力の弾丸が発射されることは容易に想像できた。
そこにいたのは、ハサミを振るうことしかできない哀れなザリガニではない。生まれたときから強力な攻撃手段を身に付けた、さらなる上位生物である――「射手蝦蟹」であった。
等級についての情報が出てきましたね。かなりおおざっぱですが。
にしても、全長約80センチの地上性カニとかいたら怖すぎる……。




