よもやおぬしに刺されるとは…
「う…」
ずきんずきんと波打つ痛みに朦朧としていた意識がはっきりする。
痛みのせいで急にピントがあったみたいに視界が急にクリアになり、見えた視界には畳の上に敷かれた布団の上に枕が2個。
えっと、ここはどこだ?そして一体何が起きた?
「姫さまぁぁあ!」
混乱していると後ろから突き飛ばされ、敷かれた布団にダイブした。
…いや、突き飛ばされたというより抱き着かれたようだ。
「へぶっ!」
妙な声が出たが倒れた私を布団が受け止めてくれた。
布団グッジョブ!
その布団の上の真っ白なシーツに見る間に広がってゆく赤。
えっ?これ何?
と無意識に抑えた脇腹から抑えた手の指の間よりじわじわと染みだしてくる生暖かい液体。
…血だ。
そっとその脇腹の方を見ると寝着を汚す赤が見えた。
「姫さまぁ!姫さまぁ!」
私付きの乳母が泣きながら私にしがみつき絶叫している。
ちょ、まずは泣くより怪我の手当てでしょ。
貴女が手当できないのなら誰か人を呼んできてよ。
まだ死んでないみたいだし、私。
そこまで考えて私の意識は再び遠くなった。
やばい、このまま意識が堕ちたら死ぬ気がする。
…知らないとも言えない気がする天井だ
意識を失くしたようだが生きていたようだ。
そして気がつけば私の周囲を大勢の人が取り囲んでいた。
「具合はどうだ?」
私を取り囲んでいた人間のうちの一人が、そうつぶやいたのが耳に入った。
「父様。このような事になって申し訳なく…」
私が意識しないでもこの口は勝手に言葉をつむぐ。
どうやら私に声をかけてきたのは私の父親のようだ。
「よい。今日はゆっくり休め」
危うく殺されかけた娘に対する父の態度はそっけないが、この人はそういう人だ。
何人かいる妻との間に生まれた娘のひとりにはそれほど関心がもてないのだろう。
嫡男である兄に対する態度とは当然ちがう。
だが、その言葉が叱責ではなく心配する内容だった事に安堵を覚える。
まさか容態を気にしてもらえるとは思わなかった。
父は私の顔にもう一度チラリと視線を落とすと立ち上がり衝立の向こうへと消えた。
老いが気の迷いでも呼び込んだのか。父もいい歳だし。
鬢や髷に白いものが、めだつようになった。
って髷?
驚いて目を瞠った。
なんで髷?
どうやら、日本の中世、と言って良いのだろうか、日本史をとっていなかった私には、今が西暦でいうと何年かわからない。ただ周囲の人を観察すると、武家風の出で立ちをしているので、江戸時代かそれより前の時代のようである。
…ウンウンと唸っても、ササン朝ペルシアだの、西ゴート族の大移動だの
中途半端に世界史で習った世界史のワードしか思い出せない。
… 召喚!日本の中世で役立つ知識!
苦し紛れに手を宙に突き出して何かを呼び出そうとしてみたが、乳母に、労わるような目で見られただけだった。
辛い。
仕方ない、記憶に残る自分は酷く残念な頭をしていて万年赤点に怯えていたのだから。
そして「冒険者ギルド」だの「魔物」だの中世ヨーロッパ風の世界の「剣と魔法」ファンタジーに夢中だった自分が、なぜ過去の日本にいるのだろう。これは夢だろうか?夢だったらいいな。
今夜は、私の婚礼の日だった。
婿様は、隣の国の人でずっと我が家でその身柄を預かっていた人物である。
って、人質じゃんそれ。
刺されて意識の覚醒する前の私は随分とぼーっとした人物だったようであるようだ。
今更ながら自分の婿様が隣の国からの人質だという事に思い当たったのだから。
婿様は私の腹違いの妹とこっそりと情を交わしており、私は初夜の床で嫉妬に狂った妹に刺されたようだ。
HAHAHAHA!刺され違いってな!
ちなみに婿様は混乱に乗じて我が家から脱出済の模様である。
妹はまんまと利用されたようである。あわれ妹よ。あれ?刺された私もか。
と言う事は戦国時代?それとももっと前の室町時代か?
いやいやあわててはいけない。似たような別世界なのかもしれないし。
と、言う風に落ち着いて考えられたのは、自分の茶髪くるんくるんの髪が、ながーい黒髪に変わっている事に気がついたからである。これ転生とか憑依とか言うんじゃないだろうか。
頬をつねるまでもなかった。刺された脇腹がめちゃ痛かった。
さて私を刺した妹だが、腰がぬけて座り込んでいる所を捉まって座敷牢に連れていかれたようだ。気の毒に。
父は私と人質のなにがしかと、えっと幸永様って言う名前だっけかな…を婚姻させ、合法的に隣の国を乗っ取る気だったらしい。
そら向こうだって乗っ取りされたくないし逃げるわな。
自国だけで満足してたらいいのに、なんでよそ様まで欲しいって思うかな。
え?やらなきゃやられて逆にお隣さんに呑み込まれる?そうですか。そんな世相ですか。
やだねぇ殺伐としてるんじゃん。
かみそり負けですら痛くて涙目になるような現代っ子の意識が日本刀でザシュだの弓矢がドスだの、そんな世界でやっていける気がしない。
というかさ?大丈夫なのこれ?
私は布のまかれた傷のあたりを見る。医療もなにも発達していないこの世界じゃ、これ膿んだだけで人生終了なんじゃないの?
いーーーやーーーーだ。
結果 熱出たけどね。
ちょっとありえないくらい熱でたけどね。私の人生はそこで終了じゃなかったみたい。
意識を取り戻したら5日たってたよ。
それからはぐんぐんと良くなって、普通に歩けるようにもなったし何でも美味しく頂けるようになった。
そうなのだ、また食事が酷かったのだ。
塩や調味料は貴重品なため基本薄味なのはまだいい。
一回の食事は米が茶碗にてんこもりに副菜がちょびーんとなのだ。肉、肉、肉が足りない。
しかも一日二食出ればいい方だと言うではないか。
これじゃぁ体力がもとに戻る訳もない。
泥臭くて嫌だったけど、私は命じてフナや鯉を食卓にあげさせた。
この時代の人々は織田信長が「人生50年」とか言ったらしいが、平均寿命はもっと短そう。
常にどこかで戦をしていて、どこかで飢饉や病気が流行っており、私もこの国の姫としてでなく生まれていたのなら、この歳まで生き残れていたかどうか。
そして短い寿命とは反対に、15になるかならないかのうちに子を産み、親になっていく。
世代交代が、信じられないほど、早い。
わたしが、怪我の養生に努めている間に、40の後半だった父は兄に、実権を譲渡し兄が次代を統率するようになっていった。
そこにソツがあったのか、あるいは旧家臣と若い次代の家臣とのあいだに目に見えない軋轢でもあって足の引っ張り合いや不協和音でもあったのか。
負けるはずのない戦で負けた。
元婿様、いや正確には祝言を挙げただけの関係の相手の国は、国力や兵力から言ったら、我が国の足元にも及ばないはずなのに、我が国の軍はまさかの敗走という憂き目を見た。
いや向うの国のリーダーが幸永様と言う傑出した人物に世代交代した事がおおきかったのだろう。
にげた婿様はあちらで城主補佐となり、いままでの人質生活のお返しとばかりに、ウチ《かくうえ》を相手に連戦連勝の結果をたたきだしたのだから。
「頼姫さまっ!ご城主様と一成様がっ!」
そうしてその知らせはある冬の夜にもたらされた。