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刻印『虚飾の瞳』

 ミツキと喧嘩した翌日、ボクは与えられた部屋に籠って刻印の力を引き出す練習を始めていた。

 外ででも練習は出来るが、ミツキと顔を合わせるのが気まずくて部屋から出るのは本当に最低限だけにしたかった。一度だけ食事時に顔を合わせたが、一言も言葉を交わさなかった。いや、交わせなかったというのが正確だろうか。

 食事の味も全く分からなかった。料理してくれたアディンさんに申し訳ない。


「う、うーんこうかな……?」


 ボクは目の前の物体がカサカサと動くのを眺めながら首を傾けた。刻印によって発動する効果を少し変えてみる。どうすれば効果を発揮させられるのかは感覚で分かるが、どの効果を使えば効率よく動いてくれるのかはいまいち分からない。ぶっつけ本番で酒場に行かなくてよかったと心の底から安堵する。

 そうして過ごしていると部屋の扉がノックされた。ボクの体がビクリっと跳ねる。


「おーい。入っていい?」

「……どうぞー」


 かけられた声を聴いてボクは安堵の息を吐いた。扉をノックしたのがミツキではなくシュリだったからだ。

 ボクは術をかけていた生き物がベッドの下に隠れるように誘導し、ベッドに腰かけて”ソイツ”がシュリの視界に入らないようにしてから彼女を招いた。

 ガチャリと扉を開けて入ってきたシュリはがつがつと距離を詰めて無造作にボクの隣に座った。

 冷や汗がダラダラと背中を伝う。”ソイツ”の隠し場所を間違えたかもしれない。


「……なんの用かな?」

「働くときの服を用意するから採寸してくれってアディンさんに頼まれたの。それに、いつまでも下着もつけずに病衣一枚じゃ困るでしょ? ほら、立って」

「えっ……。服なら店に行かないといけないんじゃ……」

「服を買いに行くための服が無いじゃない。ひとまず、仮の服を用意しないと」

「あぁ……、そうか……」


 ボクはベッドから立ち上がった。シュリはメジャーに似た器具を取り出して採寸を始める。ボクは測りに記されている数字を読もうとしたが、うまく読み取れなかった。

 どういう訳か文字を読むこと自体は出来るが、縮尺が日本とは違うようで意味が理解できないのだ。

 この調子では酒場のメニューの意味も違うかもしれない。後でアディンさんに確認しておかないと。


「ほら、服脱いで」

「……はーい」


 ボクは赤面させながら病衣を肌蹴させた。下半身は死守である。上半身の採寸中くらいは必要あるまい。ボクはシュリから視線を外した。

 恥ずかしくて彼女の顔を見られないのもあるが、隠した”ソイツ”が見つからないか気が気でないからである。チラチラと”ソイツ”が見つからない位置にいることを確認してしまう。


「うーん。ちっさいわねー。信じられない事にミツキと同じ十八歳なのよね? アタシよりも年上なのに……」

「いつか男に戻る訳だし、大きくなくてもいいよ……。元は無いものだし」

「あら、何の話をしてるのかしら? アタシは身長の話をしているんだけど? ユキはえっちいねぇ」

「……」


 けらけらと笑われて顔が熱くなった。それにしても、確信犯だろコイツ。そのニヤニヤ顔をやめろ。

 シュリは手際よく採寸を進めながら、用意してあった紙に寸法を記していく。ときどきセクハラ発言が飛び出したがそのほとんどを黙殺した。顔が真っ赤になっている自覚はあるが、これは隠しモノが見つからないかハラハラしているからである。決して、セクハラ発言を受け流せなかったからではない。ないったらない。


「はい、終わりー。もう服を着ていいよ」

「はぁ……。ありがと……」


 ボクはベッドの上に脱ぎ散らかした病衣を羽織りなおした。

 その間に、シュリは不思議そうに首を傾げた。ボクは彼女の口から出た言葉に体を硬直させてしまう。


「そういえば、採寸している間、心ここにあらずって感じだったよね? 何か隠し事でもしてる? 例えば……、ベッドの下とか」

「そ、そんなことないよ?」


 バレてた。

 自分でも不自然な口調になったのが分かった。シュリは悪い笑みを浮かべると、興味深そうにボクの顔を除いてきた。ボクは彼女の視線を受け止めることが出来ずに目をそらした。冷や汗が止まらない。一方で彼女はとても楽しそうだ。


「ふーん。当たりね。さぁて、何を隠してるのかしら? ミツキの下着とか?」

「何であいつの下着なんか……。別に見てもいいけど、後悔しないでね」


 ボクは面倒になって彼女の好きにさせることにした。隠そうとしたが別に見られてまずいものではないし。

 ボクが止めないので、シュリは嬉々としてベッドの下を覗き込んだ。ベッドの下を覗き込んだ彼女は一瞬体の動きを止めると、勢いよく飛び出してきた。

 ボクは両手で耳を押さえて彼女の悲鳴に備えた。


「――――ッ!? 蜘蛛! 蜘蛛ッ! でっかい蜘蛛がいたぁッ!?」


 彼女の叫び声に反応したのか、ギチギチと音を立てて人の顔ほどもある蜘蛛が一匹、ベッドの下から這い出してくる。

 シュリはベッドの上に土足で上がって蜘蛛から逃れようとし、ボクの体を盾にするようにして身を隠した。何気にひどい。

 しかし、彼女の奮闘はむなしく蜘蛛はボクの体を這って登ってくる。シュリは悲鳴を上げてボクから這うように遠ざかった。


「追い払って! 追い払ってっ! 男の子でしょう!?」

「こんな時だけ男の子扱いされても……」


 ボクは腕を這う蜘蛛の頭を指でなでながら苦笑した。シュリは部屋の間取りが許すだけボクから距離をとっている。よっぽど蜘蛛が苦手なようだ。


「迷宮に潜るために森に入ってるんでしょ? 蜘蛛くらいいっぱいいると思うんだけど」

「いっぱいいるから嫌なの! 森にもっとデカくてヤバい蜘蛛が沢山いて、蜘蛛を見るとそれを思い出す出すの! でも、何で平気そうにしてるのっ!?」


 ボクは腕にしがみつく蜘蛛の頭を指で優しく撫でた。毛が生えた足をカサカサと動かしている。おぅ、おぅ、ういやつめ。

 こんなにも可愛いのにシュリは気持ち悪そうに目を細めていた。


「……ユキは趣味が悪いのね」

「ボクも初めは気持ちが悪かったんだよ? でも、言う事を聞いてくれると思うとなんだか可愛く思えちゃって」

「……言う事を聞く? 生き物を自由に操れるのがユキの刻印の力?」


 シュリの問いかけにボクは首を横に振った。


「そんな便利に命令を出せるものじゃないよ。感覚を操っているんだ。ボクの腕付近が過ごしやすい気温で、それ以外の場所が過ごしにくい気温になってる……ようにこの子は感じてるんだ」

「そう……。あと、おおざっぱな説明じゃなくて正確に話してほしいんだけど」

「え、言わないとダメ……?」


 ボクは顔を顰めた。見知らぬ世界で手の内を明かす事はあまりしたくない。それに、知られたら人に恐れられる類の能力なのだ。

 しかし、ボクの考えを否定するようにシュリは首を横に振った。


「こういうのは信頼関係が大事よ? パーティメンバーに能力を隠してたら連携が取れないしね」

「迷宮に潜るつもりはないんだけど……」

「それでもよ。迷宮以外でもトラブルに巻き込まれたときにどう動けばいいのかが変わるでしょう? 他にも保身って意味もあるわ。例えば、暗殺に便利そうに見える刻印を持ってる人は、効果から欠点まで全部晒して必要以上に危険視されないようにしてる時もあるわ。アディンがこれよ。ユキもその類の能力だったんじゃない?」

「……分かった。話すよ」


 ボクは少し考えてから頷いた。シュリたちはボク達を保護してくれた恩がある。彼女たちには能力を晒しても問題ないだろう。

 むしろ、能力を隠蔽する事が不信感につながってしまうかもしれない。


「ボクの刻印は感覚を弄るんだ。幻覚を見せたり幻聴をきかせたり、傷を与えずに痛みを与えたり、平衡感覚を崩したりも出来る。もちろん、制約はかなり多いんだけど」

「へぇ……。それでもかなり強力ね。やっぱり、アタシも刻印が欲しいなぁ」


 シュリは羨ましそうに口を開くと蜘蛛が張り付いているのにも関わらず、ボクの腕の刻印を撫でた。

 彼女の欲に塗れたドロドロとした目を見ていると怖くなる。彼女に撫でられた肌がゾクゾクとささくれ立った。


「え、えっと……。でも、条件が厳しくて、有効範囲がかなり狭いんだ。それもこの部屋の端から端を少し超えるくらいまでしか届かないし、視界に入っていないと効果が一気に薄くなる。操る対象が増えるとやっぱり効果が落ちるし……。弱点はいっぱいあるよ」

「それでも刻印の効果範囲でならほとんど無敵じゃない」


 しかし、ボクは首を横に振った。

 確かに刻印の力が発動できれば人間を相手にしても化け物を相手にしても、そうそう負ける事はないだろう。一対一で遠距離攻撃の手段を持っていない相手ならまず勝てる。

 ただし、刻印の力が正しく発動できればの話だけれど。


「少しでも魔力を持っている生き物に力を使ってもほとんど効かないんだ。すごい違和感があって操られているってすぐに分かるし、ちょっと魔力を動かされるだけで簡単に術が解けてしまうみたい」


 刻印を得たおかげか、それとも呪いの維持のために周囲から魔力を吸収し続けているおかげか、目を覚ましてから体の中に今まではなかった力の流れを感じるようになった。

 どうやら、その力の流れが魔法を生み出す元になっているようだ。魔法を使ったり刻印の力を引き出したりするには、この力の流れを操作して行うのだ。

 問題はこの操作が呼吸をしたり心臓を動かしたりするように簡単に行えるという事だ。

 つまり、魔法使いや刻印を持っている人間ならば、呼吸するのと同じくらい簡単にボクの刻印を破れるのだ。

 シュリはうーんと言って首を傾げた。


「でも、魔法が使える人はほとんどいないし、刻印を持ってる人も探索者の中でもごく一部だし……。店で起こるいざこざくらいなら対処できるでしょ」

「そうなの? 効かない人はもっと多いと思ってた。アディンさんとシュリに効かないのは初対面で感じてたし、ボクが会った人の半分は魔法使いか刻印持ちじゃない? だから、護身用に動物をそばに置いておこうと思ったんだけど」

「あら、アタシが魔法使いだって気付いてたんだ? それは置いといて、飲食店でそんな事が許されると思ってる? ましてや蜘蛛なんて」

「さ、流石に蜘蛛は持ち込まないって……。犬とかにしようとしてたけど……。やっぱりダメだった?」

「ダメに決まってるでしょう」


 シュリが呆れたようにため息を吐いた。

 でも、ボクの刻印が通用する人間が思っていたよりも多いと知れたのは収穫だった。いざこざを起こす人間は刻印を持っていないと予想されるのは、昨晩アディンさんが言った通りだ。魔法使いも少ないなら、動物を持ち込まなくても大丈夫だろう。


「とにかく、能力の詳細はアディンに伝えといた方がいいよ。粗暴な魔法使いに絡まれたらアイツになんとかしてもらわないといけないから。刻印なしじゃ戦えないでしょ?」

「……そうだね」


 男の時に比べて筋力が落ちて体格も小柄になった。それが無くとも喧嘩なんて数えるほどしかしたことのない。迷宮探索のために日々鍛えている彼らにボクが太刀打ち出来る道理はなかった。

 シュリは採寸結果を記したメモを持って立ち上がろうとし、ふとその動きを止めた。


「そうだ。いいこと思いついた。アタシに刻印を使ってみてよ」

「な、何でさ……」


 彼女のいきなりの提案に驚いて眉をひそめた。

 シュリは悪戯っぽく笑うとボクの刻印を愛おしそうに撫でた。採寸のために体を触れられるのとは違った、欲に満ちた目に射竦められる。

 ぞわぞわとした悪寒が体の底から這いあがってくるのを感じた。

 ボクは腕に乗ったままの蜘蛛を刻印付近に誘導しながら、彼女から離れるためにベッドの上を後ずさった。けれども彼女は躊躇もせずに蜘蛛に手を伸ばし、素手でボクの腕から引きはがした。

 蜘蛛はボクの体から離れたことで苦痛にうめいている。ボクは見ていられなくなって刻印の効果を切った。

 シュリは正気を失ったように高揚し、うっとりとした声で耳元で囁いた。


「ふふ、ふふふ……。対象が多いと効果が薄れるんだったよね? この子は邪魔よね?」

「……ッ!?」


 そして、逃げられないようにするため、かボクの腕を押さえてのしかかってきた。視界のほぼ全てを自分の体で塞ぎ、刻印の能力を最大限発揮できるようにお膳立てしてくれているようだ。

 いつの間にか床に放っていた蜘蛛はすでに意識の外に追い出されてしまったようだ。


「さぁ、刻印の力を引き出してみて? どんな効果でもいいから」

「だ、だから何で……?」


 なぜ彼女は刻印の力を受けたがるのか? なぜ彼女はボクを拘束しているのか? 状況がまったく理解できなかった。

 力を使えばいい。そんな気もするが、彼女の欲に満ちた目を見るだけで躊躇してしまう。使ってしまえば何か良くない事が起こりそうな……。そんな気がしたのだ。

 彼女は心底楽しそうに答えた。


「何でって、そんなの決まってるじゃない。店先に並ぶ宝石を眺めるような感覚って言っては分かる? 宝石がとても手が届かない値段だとしても、本当に欲しい物ならいつまででも眺めていられるの。アタシは刻印が欲しいのよ。ねぇユキ、刻印を使ってよ。ユキが使ってくれるまで離さないわ。それに、人間にどれくらいの効果があるのか検証しておかないと」

「ひっ……。ど、どうなっても知らないからね!」


 舌なめずりを隠そうともしないシュリから刻印を使うまで本当に離してくれないという気配を感じて、ボクはヤケクソ気味に叫んだ。シュリのような耐性のある人間に、どこまで効果が通るのか分からず、心なしか強めに能力が発動させた。


「……ッ!?」

「はっ、ぁっ……、大丈夫……?」

「ふ、ふふふ……。目がほとんど見えない! 気味悪い声が聞こえてくる! 鼻が曲がりそうな臭いもするし、口の中がクソまずい! それに、魔力を弄られてる感覚がすごく気持ち悪い! 面白いね! 本当に面白い! だ、大丈夫だからっ、まだ大丈夫だからっ、もうちょと続けてくれないかな!? ふふ、ふふふ、ふふふふ……、あはははははっ!」


 シュリの哄笑が部屋に響く。ボクは怖気を感じてシュリを引き剥がそうとするが、彼女はボクの体をつかむ手に力を込めようとはしなかった。ボクは恐怖に震えて、いつの間にか刻印の力をより強く引き出していた。それでもシュリは怯みもしない。心の底から楽しそうに笑い声をあげるだけだ。

 ボクはその姿にさらに恐怖を煽られてさらに力を引き出してしまう。


「ぅっ……。あぁ?」


 その結果、力を使いすぎて頭痛がしてきた。虚無感と共に刻印が力を失っていく。シュリはつまらなそうに頬を膨らませながら、自身の魔力を操って弱まった刻印の力を打ち消した。


「ぜぇ、ぜぇ……、はー……」

「もう、つまんなーい。もうちょっと長時間維持できないの?」

「今のっ、ボクの状況を見てっ、よくそんな事が言えるね……っ!?」


 シュリが腕に込めた力を抜いてくれたことで、ボクは息絶え絶えの状態で彼女の下から這い出した。けれども、倦怠感と心拍数の増加が激しく、眠気が急に出てきた。今すぐにでもベッドに転がって眠ってしまいたい。


「んー。効果はユキが言ったとおりだし、魔力を少し操作するだけで破れるのも確認できたわね。力を込めると強力になっていくけど、維持できる時間も加速的に減るようね……。ユキは使い方のコツとか分かった?」

「だ、大体……」


 シュリが刻印について分析しているが正直、早く眠ってしまいたい。

 ボクが眠気に負けそうになっていると、シュリも今のボクがまともに話を出来そうにないと気が付いたのか話を切り上げた。


「それじゃあ、アタシは行くね。寝る前にちゃんと鍵しめるのよ?」

「分かってる……」


 そうして、シュリは部屋の外に出て行った。ボクはふらつく体に鞭打って扉に鍵をかけた。それからベッドまで這おうとした事は覚えているが、それ以降の事は覚えていなかった。


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