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一時の決別

 ボクが再び病衣を羽織った後、部屋の外にいた三人を部屋に招き入れていた。

 そのうちの白衣の青年は手にオレンジ色の液体が入ったコップを持っている。着替えている間に取りに行ったらしい。そして、表情を変えずにコップを差し出した。


「飲むといい。寝起きで喉の調子がおかしいだろう」

「あ、ありがとうございます……」


 確かに喉の調子がおかしい。ついでに、飢えと喉の渇きが急速に湧き上がってくる。コップから漂う甘い臭いも食欲を誘った。

 ボクはありがたくコップを受け取ってゆっくりと口に含んだ。コップに注がれた飲み物は温かく、舌触りも優しい。ほんのりと甘く、気付かないうちに痛めていた喉に染みわたる。

 おそらくは果汁だったのだろうが、この味に思い当たる果実は無かった。もしかしたら、この世界特有の果実なのかもしれない。


「美味しい……」


 ほぅっと息を吐いて、残った分を一気に飲み干した。ゆっくりと味わいたいと思ったが、空腹に耐えられなかったのだ。腕で口元をぬぐい、零れた果汁をふき取った。

 それを確認した青年はおもむろにボクの腕を取って脈を測った。


「うん。脈は正常だ。顔色も運び込まれた当初よりもよくなっているし、熱もないようだ。もう大丈夫だろう」

「あ、ありがとうございます……」


 自然な動作で額に手を当てられた事に戸惑い、うわずった声が出てしまった。ちょっと顔が近すぎるんじゃなかろうか。恥ずかしくて顔が赤くなるのが分かった。


「よかった」


 ミツキは青年の見立てに安堵した様子を見せた。

 安堵するミツキを見て、ボクはようやくあの迷宮から脱出できたのだという実感を覚えて、涙が溢れそうになった。

 診察を行っていた青年は表情を変えずに言う。


「ふむ。これは丁度いい。では、明日からこの酒場で働いてもらうぞ」

「……はい?」


 酒場で働いてもらう。その意味は分かる。別世界に迷い込んだ今、これからの生活に困るだろう事を考えれば、働き先が見つかるのは喜ばしい事だ。

 しかし、唐突過ぎた。唐突過ぎて頭がついて行かない。


「アディンさん、もうちょっと分かりやすく説明してください。雪弥だって困ってますよ」


 ボクが疑問符を浮かべて百面相していると、様子を窺っていたミツキが白衣の青年をたしなめた。

 どうやら、彼の名はアディンというらしい。青年は表情を変えずに口を開いた。


「ふむ、これはすまない。結論を急ぎ過ぎてしまった。オレはこの酒場、《白の家鴨亭》のアディンという。一応、店主だ。よろしく頼む。ところで、ユキ君はどこまで現状を把握している?」

「えっと……、別の世界に迷い込んだ事と、呪われちゃってるみたいって事くらい……? あとは迷宮が危険って事だけ」


 ボクはうんうんと唸りながら先ほどまでの会話を思い出した。

 シュリには迷宮についていろいろと説明されたが、特に衝撃的なのはこの三点だ。

 チラリとミツキに目を向けて迷宮に潜った事を非難するが、彼は気付かないふりをしているのか、全く動じない。今の見た目だと威圧感がないのだろうか?

 シュリはボクの答えが気に入らなかったのか、口を尖らせる。


「えー、刻印が出ているじゃん。それに比べれば、迷子も性転換も些細な事じゃん」

「全然、些細じゃないんだけど」


 思わず口を出すと、彼女はペロリと舌を出した。からかわれただけなのかもしれない。

 アディンさんは無表情のままで腕を組むと一つ頷いた。


「それだけ分かれば十分だ。『迷い人』の君は生活基盤がないだろう? そして、おそらくだが、迷宮に潜って生計を立てようとは思っていない。刻印を持ち、なおかつ迷宮に興味がない人物。オレが雇いたい人物像そのものだよ、君は。それに、君だって生活するのに仕事は必要なはずだ。今なら住み込みで働くことも可能だ。どうだ?」

「それは渡りに船ですけど……」


 確かにありがたい提案だ。だが、いくつか疑問が沸いた。それを解決しない事には頷くことは出来ない。


「えっと、刻印がある事と迷宮に興味がないってのは? それと、勤務時間と賃金はどうなります?」


 ひとまず思いつく限りに疑問に思った点を挙げていく。他にも聞くべき事はあるかもしれないが、すぐに思いついたのはこれぐらいだった。


「労働形式については要相談だ。あとで打ち合わせをしよう。刻印についてはこの町の成り立ちから話す必要があるな。ここは開拓と迷宮探索によって成り立っている。ゆえに、前人未踏の迷宮を発見、攻略する栄誉と名誉、ロマンに魅せられた馬鹿どもが集まる町だ。王都の方に向かえば、攻略法がわかっている迷宮はいくらでもあり、堅実な奴らはそっちに向かう。この町に来る奴らの馬鹿さがわかるってもんだろう?」

「ちょっと返答に困る発言ですけどね」


 ボクはチラリとシュリと金髪の少年を流し見ながら頷いた。しかし、二人はどこか誇らしそうに胸を張っているように見える。特にシュリは表情からも誇っているのが一目瞭然だった。(ここ)の住人にとって『馬鹿』とはほめ言葉に当たるものだろうか?

 アディンさんは二人に気を使うこともなく話を進めた。


「そんな町だからこそ、『悪い意味で馬鹿』な奴らも多く流れ込んでくる。そういう奴らから身を守れるように、刻印を持っている店員を雇いたい」

「……そうですか。刻印を持っていたら凄い力を使えるんですよね? でもボクは喧嘩だってほとんどしたことのない素人ですよ? 粗暴な輩が刻印を持っていたらどうにもなりませんよ」

「それは安心していい。そういう奴はそもそも刻印を持てないからだ」


 彼は力強く頷いた。ボクはその意図が読めずに首を傾げた。

 ……どうでもいいが、伸びた髪が肩に当たって不思議な感じがする。こんな所でも体が変化したことを感じられて複雑だ。

 それにしても、ガラの悪い人間が刻印を持てないとはどういうことなのだろうか。シュリの話では迷宮主を殺せば刻印を入手できると聞いた。そんな荒事こそ彼らの得意とする事だと思ったのだが。

 アディンさんはボクが理解していないのを感じて補足の説明を始めた。


「迷宮の中で起こった犯罪は罪には問われない。迷宮で起きた事件は調査のしようがないからだ。とにかく、そういう輩はパーティに馴染めず、刻印を手に入れる前に『不幸な事故』で死ぬ事が多い。だから、店で暴れるような奴らは刻印が一つあれば十分に対応できる。ごくまれに刻印持ちが酔って暴れても、その仲間が何とかするのが大半だ。最悪、オレが助けてやる」


 ボクはその説明を聞いて顔を引き攣らせた。この町では人との信頼関係を築くことが長生きのコツだとひしひしと感じた。

 迷宮内限定とはいえ、殺人を禁止するルールのないこの町で恨みを買うような事をすれば、それに対する報復が現代日本の比ではない事は容易に想像できた。ペナルティに対する恐怖と、重いペナルティを知って暴挙を起こす人間はいないだろうという信頼が抑止力になって、秩序を形成しているのだ。


「分かりました。これからよろしくお願いします」


 この町の実態を聞き、ボクは迷宮に潜るという選択肢を失った。

 元から選ぶつもりのない選択肢だったが、化け物や罠に加えて法の目が届かないような魔界に進んで入って行こうとは思えなかった。


「そうか。引き受けてくれてよかった。ミツキ君やシュリは引き受けてくれなかったからな」

「あったりまえじゃない。アタシ達は迷宮に潜るためにヴァルバーフ(ここ)に来てんの。探索者が迷宮に入ってる間に仕込みをして、迷宮から帰ってきた探索者を迎えるような職場で働けるわけがないじゃない」

「申し訳ないが……。確かにそうだよな」


 シュリは呆れた声音でもっともな意見を口にした。ミツキまでもがその意見に頷いている。

 言ってる事は分からないでもないが、ボクはムッとしてミツキを睨み付けた。彼には彼の思いや考えがあるのだろうが、ボクはミツキに迷宮になんて潜ってほしくないのだ。できれば一緒に働いてほしいとも思う。


「……ユキ君、君にも思うことはあるだろうが、彼らにも彼らなりの考えはあるんだ。後でゆっくりと話し合ってくれ。それよりも、体調は問題ないか? 数日は休んでいて構わないが、出られそうなら声をかけてほしい。それと、荒事になったときに刻印が使えないのは困る。店に出る前に練習しておいた方がいい。……では、オレは店があるので失礼する」

「……はぁい」


 ボクがミツキに苦言を呈す前にアディンさんにたしなめられた。

 彼は早口で要件を全て話し終えるとそのまま部屋から出て行った。その後にシュリと今まで一言もしゃべらなかった少年も続く。


「それじゃ、アタシ達も下に行ってるね。ほら行くよ、リュシアン」

「あっ……、うん……」


 シュリはリュシアンと呼ばれた少年を引きずるようにして部屋を出て行った。腕をつかまれている少年はボクとミツキの顔を不安そうに見比べるが、何をするでもなく軽く頭を下げて彼女の後に続いた。

 部屋に残されたのはボクとミツキの二人っきり。以前は気安く話し合う仲だったが、今は少し少し気まずいかもしれない。

 ボクが言葉に詰まっていると、ミツキは意識したような明るい声で口を開いた。


「こうして話すのも久しぶりだな。……無事に目が覚めてよかった」

「久しぶり……本当にね。本当に長かった気がする。それにしても、無事……か。”コレ”を無事と言っていいのなら、だけど。こんな姿でもボクが月本雪弥だってよくわかったね」


 ミツキと離れ離れになっていた間の出来事を思い出しそうになって、ボクは軽く笑って話を茶化した。ミツキにも笑って欲しかったが、彼は痛々しそうに顔を歪めてしまった。

 彼はボクの体が変わり果ててしまった事に想像以上にショックを受けているようだ。当人のボクはそこまでショックを受けてはいないというのに。

 ミツキは安心させるように優しくささやいた。


「大丈夫だ。アディンさんが言っていたんだが、元の世界に戻れば呪いが解けるだろうって」

「……? それは嬉しいけど、どうして?」

「ユキに掛けられた呪いは空気中から魔力を取り込んで維持してるらしいんだ。魔力のない元の世界に戻ってしまえば呪いが維持できなくなるそうだ」

「魔力なんてあるんだ……。それは置いといて、元の世界に戻る方法も分からないけどね」


 シュリは呪いの解き方が分からないと言っていたが、思いがけない所から呪いを解く方法が出てきた。

 とはいえ、今度は元の世界に戻る方法を見つけないといけない。解呪のやり方と同じくらい分からない。

 ミツキは頭を抑えて悩むボクの背中を叩いて、いつものように慰めようとしたようだ。しかし、途中で手を止めた。性別が変わってしまった上に病衣を羽織っているだけのボクに触れるのを躊躇(ためら)ったのかもしれない。

 ボク自身は性別が変わってしまったという実感がいまいち沸かないが、周りの人間からは女の子にしか見えていないようだ。

 ミツキは首を振って顔の歪みを隠した。そして、自分に言い聞かせるように頷いた。


「元の世界に戻るためにも、迷宮を攻略して見せる。絶対だ、絶対にだ……」


 彼の表情は険しくなっていた。ここまで追い詰められた表情をするのは彼の妹の紬の体が動かなくなった時以来だ。


「……ミ、ミツキ?」

「安心してくれ。シュリ達は迷宮を五回も踏破するつもりはないようだが……、俺は一人になっても迷宮を踏破して見せるさ。そうすれば全部元通りだ。全部、全部元通りなんだ……。だから、ユキはここで待っていてくれな? 俺が全部元に戻してやる」


 それは看過できない呟きだった。ボクは思わず全力で叫んでしまう。


「それはダメだ!」

「……なぜ? 迷宮に潜る事はお前にとっても必要なことだろう? 元に戻りたくないのか?」

「……ボクが元に戻りたくないと言ったら、ミツキはどうする?」

「なに……?」


 ミツキは怪訝そうに顔を歪めた。ボクは叫んだことを後悔して何度か深呼吸した。

 少し気持ちが落ち着いたと判断してから、迷宮にこだわるミツキの説得を試みる。


「ボクは性別が変わったことをあまり重要だと思ってないもん。……元に戻りたい気持ちが無いと言ったら嘘になるけどさ……。それよりも重要なのはこっちの世界で生活の基盤を整えて生き残ることだと思うんだ。元の体に戻るとか、元の世界に戻るとかはその後でいいと思うんだよ」

「なら、迷宮に潜ればいい。迷宮に潜れば金も手に入るし、元の姿に戻る手がかりも元の世界に戻る手がかりも見つかるかもしれない」

「……ッ! 違う! 迷宮(あそこ)はそんなに安全な場所じゃないッ! あんな所に潜っていたら間違いなく死んでしまう! もっと安全な仕事を探してっ! 迷宮に潜る以外の帰る手段を探してっ! それでもダメな時になって初めてっ! 情報が豊富な王都の迷宮に潜ればいいじゃないか! 何でこんな情報がない迷宮に潜ろうとするんだよ! しかも迷宮を制覇する!? そんな事が出来るわけがない!」

「雪弥……」


 気持ちを落ち着かせたつもりだったが、話し始めるとすぐに感情が高ぶって叫んでしまった。ミツキはそんなボクを落ち着かせるように優しく囁いた。


「大丈夫だ……。俺だって死にたいわけじゃない。ちゃんと準備して、少ないなりに情報を集めて潜ってるんだ。そうそう危険な事にはならないよ」


 けれどもその囁きはボクの望んだものではなかった。ミツキは迷宮に潜ることをやめようとはしない。彼の目はボクに迷宮が安全だと弁明しているようだった。

 それを聞いてボクの心から熱が抜けていくように冷えていった。何を言ってもミツキは迷宮に潜るのをやめないような気がしたのだ。抜けた熱の代わりに、ドロドロとした黒いモノが流れ込んできた気がした。


「……そんなに紬を生き返らせたいんだ?」

「……知っていたのか。なら俺が迷宮探索を諦めないってわかるだろう?」

「……ッ!」


 ボクは自分の心臓を押さえて唇を噛んだ。腹の中から消化できない感情がじくじくと沸き上がり、気を抜けば醜い想いと言葉をすべてぶちまけてしまいそうだった。

 ミツキは激情を抑え込むボクを見下ろして立ち上がった。これ以上の会話は望めそうもないと思ったのかもしれない。


「今日はもう部屋に戻る。……俺はこれからも迷宮に潜るけど、お前はあまり危ないことをするなよ」

「……」


 そんな事を口にしてミツキは扉に手をかけた。

 ――ボクを心配する気持ちがあるのなら、ボクがお前を心配する気持ちも分かるはずだろうが。危ない事をするな? どの口でそれを言う。


「……お前は妹を生き返らせたいだけでしょ? ボクの体を元に戻したいなんて言い訳しないでよ」


 抑えきれずに毒が漏れた。

 ミツキは鋭い目でこちらを一瞥し、力の限りに扉を締め切った。……ミツキの足音が遠ざかっていく。

 ボクは一人になった部屋で毛布を頭からかぶってふて寝した。


「何であんな事を言っちゃったんだ……。でも、ミツキだって悪いんだからな……」


 ボクは布団の中に包まって後悔を繰り返した。

 いつの間にか日は落ちて、人が眠る時間がやってきた。

 シュリが夕食のために呼びに来たが、ミツキと会いたくなかったので時間をズラしてもらった。

 結局、この日はミツキと顔を合わせることはなかった。


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