ルールその1『迷宮が踏破される、あるいは迷宮主が絶命したとき生存者は迷宮外に転移する』
「……は?」
言われた事が理解できず、ボクは呆けた声を上げた。
ツムギを生き返らせる? そんな事が出来るのか?
死者の蘇生。古今東西の物語でよく取り上げられる題材だ。物語によって、死者の蘇生は不可能な物から、意外と簡単に行われる物もある。
しかし、僕たちの世界では絶対に行うことが出来ない行為の一つだろう。
だが、こちらの世界ではどうだろうか? 迷宮を攻略する……。たったそれだけの事で死者を蘇らせることが出来るのならば、ミツキが攻略に乗り出すのもうなずける。
「……迷宮を攻略するだけで死人が生き返るの? そんな簡単に人を生き返らせられるなんて信じられない」
迷宮を攻略するにも危険が伴うのだろう。
けれども、その危険は何の準備もせずに迷い込んだボクでも攻略できる程度の危険度だ。入念な準備をして挑めばそこまで難しい事ではないはずだ。そんな事が可能ならば、あまりにも簡単に死者が生き返ってしまう。
しかし、シュリは呆れたようにため息を吐いた。
「あのねぇ。そんなに簡単に人が生き返る訳ないじゃない。ユキが迷宮から生還できたのはすごく運が良かっただけだし、今まで本当の意味で迷宮を攻略した人はいないわ」
「そんなこと言われても、知らない事の方が多いんだから仕方ないじゃないか……。『本当の意味で』迷宮を攻略した人はいないってどういう事?」
ボクが抗議すると、シュリは髪を掻いて苦笑した。馬鹿にされているような気がしてボクは眉を顰めてしまいそうになった。
「迷宮を”五回”攻略するとなんでも願いが叶うって言われてる。でも、迷宮を攻略する度に迷宮の凶悪さは増していくの。歴史上、四回迷宮を攻略した英雄はいても、五回攻略した化け物は誰一人いないわ。今では五回も攻略するのは無理っていう意見が主流派よ」
「それでもミツキは迷宮に挑んでいるのか……」
馬鹿げている。
それじゃあ、ツムギを生き返らせる前に死んでしまう。それでも、ミツキは迷宮に挑もういうのか。
難しい顔をしているボクを安心させるためか、シュリはおどけた調子で言った。
「まぁ、最深部の迷宮主を殺さなければ攻略にはならないし、攻略しないで資材を持って帰るくらいならそこまで危険でもないわ。今のミツキは攻略よりも資金集めを優先してるから、死ぬことはそうそうないでしょう」
「迷宮主……」
呟いたボクの声は震えていたと思う。
おそらく、最後の部屋で襲い掛かって来たあの化け物の事だろう。あいつらを避けるなら、確かに何とかなるのかもしれない。
しかし、それでも迷宮が危険であることは疑いようがない。なにかの理由で交戦が避けられなかったらどうするのだ。現に、化け物の背後に脱出口があったせいで、ボクは迷宮からまっとうな手段で出ることが出来なかったのだから。
やはり不安が尽きないボクの前でシュリは迷宮主について語る。
ボクが迷宮主に興味を持ったと思ったようだ。迷宮主よりも、迷宮に安全な脱出経路があるのかの方が気になるんだけど。
「迷宮主を殺せば攻略の証として力を授かることが出来るわ。力を使って次の迷宮を攻略しろって事かしら。あと、迷宮主が死ぬか、誰かが出口にたどり着いた時点で中にいた人間は外に放り出されるの。話を聞く限りユキは迷宮主を殺して脱出したみたいだし、力を授かってるはずね。ちょっと確かめてみましょうか」
「……はい?」
そう言ってシュリはボクの着ている病衣に手を掛けた。そして、力ずくで服を脱がそうとする。
当然、ボクは力の限り抵抗した。
「まって! ちょっと待って! 何で力を確かめるって話から服を脱ぐ流れになるのっ!?」
「いいから脱げって。宮を攻略すると体の何処かに刻印が浮かび上がるの。それを確かめないと」
「いやいやいやっ!? だとしても一人で脱げるから! だから外に出てくれない!? 男の裸を見て何が楽しいの!?」
言い争っているうちに力負けしてしまい、病衣がスルスルと肌蹴ていく。彼女も探索者という事だろう。鍛えていないボクよりも力があるようだ。
それにしても、この状態はまずい。何がまずいって、ボクが下着をつけていないって事だ。
身に尽きている病衣一枚。ボクの装甲はたったそれだけだ。
せめて下半身は! 下半身は死守っ! ボクは纏っている病衣の前身頃を抑えて抵抗した。
シュリはボクの叫びを聞いてキョトンとした顔を見せた。
「あれ、もしかしてアンタ、まだ気付いてなかったの? 今のアンタは女の子よ。女の子」
「………………はい?」
シュリの言葉が理解できなかった。
たった一瞬、力が抜けた瞬間にシュリはボクの着ている病衣を抜き取った。服とはこんなにも簡単にはぎ取れるモノなのだなぁと、妙に混乱した思考が頭をよぎる。
「…………」
「お、おおー……。ユキが迷宮を攻略したなんて信じられなかったけど……。実際に見てみると、こう……、クるものがあるな。アタシ達も負けてらんねー」
そう言ってシュリはペタペタとボクの左の二の腕を触った。
彼女が興味深そうに触れるボクの二の腕には黒い刻印が浮かび上がっていた。
目玉のようにも見え、体を侵食する寄生体にも見える。ジッと見つめていると、刻印がゆっくりと蠢いているような錯覚に陥った。
見れば見るほどに不気味さが際立っているが、シュリはこの刻印を羨ましそうに観察していた。執拗に腕に触れては感触を確かめている。
一方、ボクはといえばシュリの行動に意識を裂くことは出来なかった。いつの間にか体に刻印が刻まれていた事や、強引に裸に剥かれた事が些細な事のように感じる。
「それにしても本当に綺麗な肌をしてるわね。アンタ、本当にずっと眠っていたの? 夜な夜な起き出しては肌の手入れをしてない?」
「いつまで触ってんのっ!?」
しばらくして、刻印が記された腕以外にもシュリの手が伸ばされ始める事になって、ようやくボクは我に返った。ひとまずベッドの上の毛布を頭からかぶり、恨みがましい目でシュリを見据えた。
「うー……」
「いいなぁ……、いいなぁ。刻印……。ま、それは置いといて……。これで自分が女の子だってわかったでしょ?」
「……どうしてこんな事になってんだよ。まさか、ミツキも女になってる……なんて事は無いよな?」
ちらりと頭によぎった可能性を口に出してみると、シュリは楽しそうに笑う。
「そんな訳ないじゃない。ミツキは普通に男の子よ。女の子になったのはユキだけ」
「何でボクだけ!?」
そういえば、目を覚ました時に家具が大きく感じたり、声が高くなっているような気がしたりしていた。その謎が解けた。ボクの体が小柄な少女になっていたのが原因だ。
それにしても、同時にこちらの世界に引きずり込まれたのに、ボクの性別だけが変わるなんて理不尽だ。ミツキにもこのショックを味わってほしい。いや、彼が苦労しなくて良かったという思いもあるにはあるんだけど。
「話を聞いてる限り、迷宮主の仕業じゃない? アンタが出合ったのは雄の夢魔よ。多分だけど。アイツらは男の精気は喰えないから、性転換の呪いを掛けられたんじゃないかしら。普通、こういうのは術者が死んだら解除されるモノなんだけどねぇ」
呪いか……。確かにべたべたと触れられていたし、いつの間にか体に痛みが走っていた気がする。恐らく、あれが呪いだったのだろう。
思い出しただけで恐怖と吐き気が襲ってきた。ボクは頭を振って化け物の姿を追い払う。
「元に戻る方法は……?」
「さぁ? アタシは医者じゃないから知らないよ。ここの主人がそういうのに詳しいから、そっちに聞いてよ」
「……そうする。……あれ?」
ここで喚いても仕方がないと、ため息を吐いた。と同時に、部屋の外から話小声が聞こえて来た。どこか聞き覚えのある気が混じっていた気がする。
「――ミツキ?」
「ちょ、ちょっと!?」
ボクは被っていた毛布を脱ぎ捨てると、ベッドの上から飛び降りた。
ボクの腕を取ろうとシュリが手を伸ばすが、目を合わせると彼女の体が一瞬、硬直した。
腕の刻印がじくじくと熱を持っている。シュリから目を外せば熱が収まる気がしてボクは部屋の扉に駆け寄った。
扉の取っ手に手をかける。――その前に、外で談笑していた人物が扉を開いた。
「「……え?」」
外を歩いていたのは三人の男だった。そのうち二人が戸惑いの声を上げた。
一人は気弱そうな少年だった。
眼鏡の向こう側の瞳がふらふらと揺れて、やがて視線を横に逸らした。セミロングの金髪が顔を隠して表情は読みづらいが、顔が赤くなっているのが分かる。
もう一人は白衣を羽織った青年だ。
彼は表情一つ変えずにボクの腕を見つめていた。正確には、腕に刻まれた刻印だろうか。顎に手を当てて何かを思案するように顎に手を当てている。
興味深そうに体を前に倒したことで灰色の髪が肩にかかり、彼の体の輪郭が隠れた。そうなってしまえば、女性と言われても違和感がない容姿をした男性だ。
そして、最後の一人は――
「ミツキ……?」
最後の一人は迷宮で助けを求め続けた親友、その人だった。
いつの間にかボクの目に涙が浮かぶ。少し癖のある黒髪も、少し吊り上がっている目つきも、良く響く低めの声も、全てミツキのものだ。皮鎧を着ている程度で見間違えるわけがない。
ミツキは戸惑いの色を声に乗せて恐る恐ると問いかけた。
「雪弥……なのか?」
「うん、うん! そうだよ! ボクだよ! 雪弥だ!」
随分と長い間、離れ離れになっていた気がする。迷宮に引きずり込まれてから一週間も経っていないというのに。それほどまでに、迷宮での体験はボクの衝撃的で、記憶にこびりつくような経験だった。
ボクはミツキの手を取ろうとして――その直前、ミツキの顔面にボクの背後から飛来した枕が叩きつけられた。
「じろじろとユキを視てんじゃねぇ!」
シュリの怒号が響く。その声に、ようやくボクは自分の姿を思い出した。
完全に裸である。下着も何も身に付けていない全裸である。
だが、別にミツキに裸を見られても問題ない気もする。ボクもミツキも男だし……。
……と思っていたが、隣の金髪の少年の視線がチラチラとこちらに向けられているのに気が付いた。顔も赤いし、意識されているのは明らかだ。
考えてみれば、今のボクの見た目は少女の体のわけで、中身はともかく外面は女性のわけで、何も知らない人から見れば少女のわけで……。雑念を抱かない方が難しいだろうなぁという事くらいは理解できるわけで……。
……意識されていると思うと、急に恥ずかしくなってきた。顔が熱くなるのを感じる。それじゃあボクの取るべき行動は――――
「バカぁッ!」
ボクは腹の底から声を絞り出し、力の限りに扉を締め切った。