表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/31

第一迷宮『慟哭し、拠り所に縋って恐怖と戦った旅路』

 体が重い。意識が朦朧として立ち上がる事すらままならない。長時間にわたって同じ体勢でいたのか、体が固まって動かない


「う……ぐっ……。ごほっごほっ……」


 僕はまだ眠っていたいと悲鳴を上げる体を無視して体を起こす。そして、違和感を覚える喉で咳き込みながら周囲を見渡した。


「ここは……」


 僕がいるのは見覚えのない建物の内部、その通路の突き当りだった。目を凝らして唯一進めそうな道の先を見ようとするが、薄暗くてそこまで遠くまでは見渡せない。せいぜい三メートルほど先を見通すのがやっとだろう。


「……」


 そもそも、どうして僕はこんな見覚えの無い場所にいるのだろうか?

 頭を抑えて目を覚ます前の出来事を思い出そうとする。

 それなりの時間をかけて思い出せたのは、光樹と一緒に祭りを抜け出して登山道を進んだ所までだ。それ以降の記憶は正直どう捉えていいのか分からない。洞窟から伸びた手に引きずり込まれたなんて記憶、現実味が薄すぎる。

 分からない。分からない。分からない。現状をどう捉えればいいかなんて。だが、ただ一つ分かるのは……。


「光樹……。合流しないと……」


 黒い手に引きずり込まれたのは僕だけではなく光樹もだ。ならば、ここが黒い手に引きずり込まれてたどり着いた異界だとしても、僕が夢を見ている間に何者かに誘拐されてここにいるとしても、光樹もこの周辺にいる可能性が高いだろう。

 僕はふらふらと立ち上がると迷宮を歩き出した。幸い道は一本で、進める方向はたった一つだ。迷うことはないだろう。



 ――

 ――――

 そんな浅はかな事を考えたのはいったい何時間前の事だろうか。

 僕は壁に手を当てて体を支えながら薄暗い通路を歩き続けていた。

 だるくて動きにくい腕で携帯電話を取り出して時刻を確認する。けれども画面は暗転しており情報を得ることが出来ない。続けて腕時計を確認するが、時計の針は二十二時を少し過ぎた頃を示して針が止まっている。祭りを抜け出した頃の時間と登山にかけた時間を考えると、あの黒い手に洞窟に引きずり込まれた時刻が二十二時すぎだったと思う。つまり、僕は時間を知るすべを失っているという事だ。


「せめて、星か太陽の位置が分かればな……」


 僕は疲れたため息を吐いてから天井を見上げた。通路の天井は壁と同じ材質で覆われており、空模様を確認することが出来ない。通路の様子は単調で、先に進んでいるのか分からなくなってくる。それほどまでに代わり映えのしない景色だ。あまりにも退屈で時間の流れが遅く感じる。


「数時間は歩いた気がするけど、実際は三十分くらいしか歩いていないのかな……?」


 僕は首を傾げながらもさらに先に進む。そうとでも考えていないとやってられない。

 数時間歩いても出口の見えない通路なんて考えたくもない。




 ――

 ――――


「光樹ー! 光樹ー! いないのー?」


 時計を確認してから体感時間で数時間後、僕は声を張り上げながら通路を進んでいた。

 叫ぶ声は通路の奥へと吸い込まれるように消えていく。声が通路の先に届いている感触はあるが、返事はなかなか帰ってこない。

 歩いては声を張り上げる。歩いては声を張り上げる。その繰り返しで進んでいくが、やはり返事は返ってこない。あまりに手ごたえが無い。その事実が、この周辺には人が誰もいない事を突きつけてくるようで心が乱された。

 それでも黙って歩き続けるよりはよかった。なぜなら、規則的に響く靴音を聞いていると激しい眠気が襲ってくるからだ。僕は少しでも眠気に抗うために声を張り上げた。




 ――

 ――――


「光樹……。みつき……。げほっげほっ!」


 僕は喉の痛みに負けて思わず咳き込んだ。軽く歩くたびに声を張り上げていたせいで喉が枯れてきている。違和感を覚える度に喉を休めていたつもりだったが、それでも足りなかったようだ。僕はしばらく声を張り上げるのを止める事にした。

 僕は黙り込んで先を急ぐ。

 そういえば、感じていた眠気が収まっている事に気が付いた。叫び続けた喉の痛みと、歩き続けた足の痛みで眠気が飛んでしまったようだ。

 洞窟で意識を失ってからこの場所で目覚めるまでどのくらいの時間が経っていたのかは分からない。しかし、歩いた時間を考えると朝になっていてもおかしくない時間だろう。


「……?」


 今、自分の思考に引っ掛かりを覚えた。具体的に何がおかしかったのかを考えようとする。しかし、その思考はすぐに中断される。歩き続けた疲労から、何もない場所でつまずいてしまったからだ。僕は腕で体を支えて床に顔をぶつける事は防いだ。


「ぃっ……」


 出口が見えないからと言って無理をし過ぎたのかもしれない。僕は壁に体を預けて少し休憩する事にした。

 眠気が収まってきているとはいえ、足の痛みを考えると今のうちに休んでおいた方がいいだろう。いつまでたっても出口が見えないのだ。無理に歩いて足に怪我をする方がまずい。


「これじゃぁ、どっちから歩いてきたのか分からなくなるな……」


 僕は歩いてきた通路を見渡してため息を吐いた。

 通路はレンガのような素材で規則正しく組み上げられていた。試しに壁に触れてみるがレンガよりも丈夫で固そうだという事くらいしか分からない。叩いてみても壁の奥が空洞になっているという事はなく、壁を崩して出られる気配もなかった。


「あっ、眠ってしまう前にやっとかないと」


 僕は壁を弄るのを止めてズボンのポケットを漁り、中の物を取り出した。

 出てきたのは携帯電話と財布、そしてハンカチとティッシュだけだ。僕は財布を開くと数枚の硬貨を地面に置いていく。そして、硬貨で矢印の形を作って進んできた方向を示しておいた。

 通路があまりにも殺風景すぎて寝起きにどちらに進めばいいのか分からなくなりかねなかったからだ。


 そして、僕は目を閉じた。

 目を閉じると今日の出来事が想起する。洞窟に引きずり込まれた所から、この見知らぬ通路で目を覚ますまで。目を覚ましてから無言で歩き続けた道。叫びながら歩いた道。

 クルクルクルクル、クルクルと。場面が目まぐるしく変わる。しかし、周囲の景色に変化はなく、どの場面でも同じ通路しか見えない。

 この道はどこまでも果てが無いように思えてくる。こんなところで立ち止まっている暇はないはずだ。

 けれど、今この時だけは眠らせてくれ……。




 ――

 ――――

 僕はまたしても通路を歩いている。

 しかし、歩いているのは現実ではなく夢の中の通路だと分かった。

 明るい通路で壁に寄りかかって寝たため、眠りが浅くなったのだろう。眠りが浅いと見た夢を覚えていると聞く。

 眠っている時でも歩き続けるなんて損したなという気分になりながらも、夢の中の僕は一歩一歩と確実に足を進めていく。

 夢の中にいるとはいえ、昨日の疲れた体よりも思考が進む。今まで気が付かなかった。もしくは、見ないふりをしてきた事実が次々に頭をよぎった。


 なぜ僕はこの通路にあの黒い手がいないと判断した?

 黒い手の存在を肯定するならば、この通路には黒い手、もしくは他の異形がいる可能性がある。そんな場所で無警戒に叫び続けるなんて迂闊すぎる。


 なぜ僕はこの通路に終わりがあると考えている?

 数時間歩き続けて一向に終わりが見えない。僕の体力が尽きるまでにこの通路が終わる保証はどこにもない。こんな所でのんびり休んでいる暇はないはずだ。


 通路の光が落ちる。

 同時に、通路の先から黒い手が伸びてきた。腕が、腕が、腕が……。黒い手が僕に纏わりつき、体を引き裂こうと力を籠める。肉が削げ落ち、腕が千切れ、喉が絞まる。それでも痛みは感じない。これだけされても僕は死なない。

 僕が死なない事に苛立ったかのように、闇の先からさらに手が伸びて――




 ――

 ――――

「ああああぁぁぁッ!?」


 そして僕は恐怖に負けて絶叫し、勢いよく体を起こして走り出した。途中で地面に置かれた何かを蹴り飛ばした気がしたが、そんな事は知るもんか。


「光樹! 光樹! みつきぃ……! 助けて、助けて……ッ!」


 僕はわき目も振らずに通路を走り出した。

 昔から困った時は光樹が助けてくれた。宿題を忘れた時も見せてくれたし、女の子に虐められて泣かされた時も助けてくれたし、その事で男の子にからかわれた時も追い払ってくれたし、高校に入ってからも相談に乗ってくれて……。

 困った時はいつも光樹が助けてくれた。だから、もしかしたら、今だって助けてくれるんじゃないかって。


「はぁ、はぁっ!」


 何処までが夢だったのかはうっすらと理解している。多分、黒い手に体中を引きちぎられた所までは夢だったのだろう。けど、それがいつ現実になるか分かったものではない。

 僕の頭は黒い手以外の可能性も検証し始めた。


 なぜ僕はこの通路に隠し通路が無いと判断した?

 秘密の抜け道が見つかるまで攻略できない迷宮なんて、僕が慣れ親しんだ物語じゃ定番じゃないか。ここまで壁を調べてこなかったなんて迂闊すぎる。


 なぜ僕はこの通路に罠が仕掛けられていないと判断した?

 迷宮に罠だなんて定番じゃないか。ここまで何の警戒もせずに歩き続けただなんて危機感が無さすぎる。


 現実(リアル)空想(フィクション)を混同している?

 知るか。黒い手が存在する以上、何が起こっても不思議はないのだ。


 この通路に放り出されてからの数々の軽率な行いが頭をよぎる。足音を殺さなければならない。壁も調べなければならないし、化け物への警戒を怠ってはならない。

 考えれば考えるほどに恐怖が増していく。足を一歩動かすたびに自分は取り返しのつかないことをしているんじゃないかという気分になる。それでも、足を動かしていないと落ち着かないのだ。


「はぁ、はぁ……。光樹ぃ……!」


 僕は光樹の名前を呼びながら走り続けた。喉は枯れるし、足が痛む。

 この迷宮にたどり着いて彼の名前を呼んだのはいったい何度目だろう。軽く百は超えている気がする。

 それでも未だに光樹の手がかりは得られない。通路の出口も見えない。そもそも、本当に通路に出口が存在するのか?

 もしかしたら、この直線に見える通路は少し曲がっていて、巨大な円形を作っているのかもしれない。いや、目が覚めた場所は通路の突き当りだった気もする……。でも、そんな事はどうでもいい。僕が立ち去った後に通路の形が変わっていてもおかしくないじゃないか。そうでなければ、超常的な力で同じ場所をぐるぐるとまわっているのかもしれない。

 ああ、馬鹿馬鹿しい考えだって分かっているさ。ミステリーの犯人が亡霊でしたと言われたくらいに馬鹿馬鹿しい。

 ミステリーといえば、謎解きは手にした情報から『最も常識的な答え』を導き出さないといけないって光樹は言ってたっけ。

 例えば、犯人が幽霊っていうのはあり得ないわけじゃない。その世界に幽霊が存在しないと証明するのは難しく、幽霊が犯人の可能性を否定しきれないからだ。

 しかし、それは『最も常識的な答え』ではないため、読者が納得しないだろう。

 だから、探偵は読者を納得させる『常識的で妥当な答え』を提供するのだ。

 ……思考が脈絡なく飛んでいた気がする。通路についての考察を続けていけば、耐えられないような恐怖が襲ってくるんだから仕方がないだろう? 大体、黒い手の存在を認めた時点で何でもありになってしまう。『最も常識的な答え』なんて出せる訳がない。

 それでも何とか常識的な答えを出そうとするならば、僕が置かれているこの状態は夢とするのがしっくりくる。

 光樹と祭りを抜け出した所からが夢。祭りの雰囲気に流されて酒を飲み、泥酔して眠ってしまったというのが常識的な回答かな? ここは夢の中だから焦って抜け出す必要もないし、別に死んでもいい。だってここは夢の中だから。


「そんな訳……ッ! そんな訳があるかッ!」


 僕は至った結論に否と叫ぶ。

 感じている恐怖は本物で、歩き続けた足の痛みと筋肉痛も本物で、こんなに鮮明に五感が冴えている夢なんてあるはずがない。ゆえに、ここは現実だという事だ。

 ああ、思考が通路の考察に戻ってしまった。一晩眠って混乱から回復してきた頭が、知らなくてもいい違和感を僕に突きつける。恐怖が増すだけだというのに。


 例えば、この通路の明るさはおかしいという事だ。

 天井を塞がれ、窓も出口もない。ランプもなければ松明だってない。一切の明かりが存在しないはずなのに、この通路はずっと明るいままだ。こんなことが普通のはずがない。

 今にして思えば、眠る前に気が付いた違和感の正体はこれだったのだ。


 例えば、僕はお腹が空いて喉が渇いて来ているという事だ。

 人間が飲まず食わずに生きていられるのはいったいどのくらいだっただろうか。どこかで聞いた事がある気がするが、思い出せない。

 食べ物はともかく、水に関しては深刻な問題であろうとは分かる。数時間の運動でも脱水症状を起こして死に至る事があるというのに、僕はといえば飲まず食わずの状態で歩き続けなければならないのだ。数日ほどで動けなくなるのは目に見えていた。


「嫌だ……っ! 嫌だ嫌だ嫌だッ! 助けて、誰か助けてッ!」


 僕はすぐ近くに迫る死に恐怖し、声を張り上げた。溢れる涙と鼻水を拭いながら、通路の奥に駆けていく。先へ、先へ、先へ……。




 ――

 ――――


「か、ひゅぅ……、ひゅぅ……。みつき……、みつき……」


 この通路で目を覚ましてから一体、何日が経過しただろう。

 睡眠の数で言うなら、長い睡眠を二度とっている今は三日目という所か。けれども、景色が一つも変わらず、太陽も月も見えないうす暗い通路を歩き続けた僕に、正確な時間が分かるはずがない。

 腹の減り具合から時間を判別しようとしても、常に空腹なので大体の時間を推し量ることも出来ない。

 眠っている時と休憩している時以外は歩き続けた結果、足には鋭い痛みが走り、引きずるようにして進んでいる。

 汗や排泄物として体内の水分は徐々に失われていく。眩暈がして眠気や吐き気も襲ってくる。

 どうやら脱水症状を起こしているようだった。今は壁で体を支えて歩いているが、いつ倒れてもおかしくはないだろう。


「みつき……、みつき……っ!」


 僕は虚ろな目で宙を視ながら、無意識のうちに親友の名前を口にしていた。

 こんな事に体力を使うのはもったいないとは思うが、ふとした拍子にいつの間にか口に出してしまうのだ。

 一歩、一歩と歩を進める度に足の裏が痛む。乾いた唇を舐めて先に進む。

 走る体力すら有り余り、恐怖に犯され叫び続けたのはどのくらい前の話だろう? 今は普段の僕なら一歩も動くことが出来ないだろう体調になっている。

 それでも足を進めることが出来るのは、ひとえに死の恐怖の為だ。渇きと飢えに晒され、眩暈と吐き気を感じるが、死ぬよりはましだ。

 ここで足を止めれば死ぬ。次に眠ればもう起き上がれない。動き続けなければ死ぬだけだ。僕はそんな思考に突き動かされていた。

 そういえば、悪夢を見て走りだした時に何かを蹴飛ばしたような気がする。

 おそらく方向を示すために置いた硬貨だったのだろう。硬貨の並びを確認せずに飛び出したため、今歩いている方向が正しいとは限らない。それでも正しい方向を選んだと信じて進む道しか僕には残されていなかった。

 熱と眩暈でまともに考える事が出来ない。そのおかげで次々に湧き上がっていた被害妄想じみた考察が収まったのは皮肉なことだ。僕は本能に突き動かされるだけの人形と化して、ただただ歩き続ける。


「は、ひゅぅ……かひゅっ……、ごほっ、ごほっ!」


 眩暈がする、寒気がする、頭が熱い。僕は壁に手を当てて体を支えた。

 倒れるな、倒れるな、倒れるな。ここまで来て死ぬなんて、そんなのは嫌だ。

 吐き気がする。心臓が脈打つ。どくどく、どくどく、どくどくと。眩暈を覚えた僕は落ち着くまで壁に縋り付いた。


「……?」


 しばらくして、眩暈が収まったのでゆっくりと顔を上げた。すると、この通路に入って初めて見る光景が目に入る。

 重厚な扉が通路を塞ぎ、僕の行く手を阻んでいたのだ。


「……。扉……? 出口……?」


 僕の口から間抜けな声が漏れた。こんな扉はつい先ほどまで無かったはずだ。

 しかし、そんな事はどうでもよかった。これまで全く代わり映えのしなかった通路に変化が訪れたのだ。それがどんな変化であれ、進んでいるという手ごたえを感じられない通路よりもましだった。


「出口……、出口……」


 僕は縋り付くように扉に手を付けて、どうにか開けられないかと取っ手を探した。

 よくよく考えれば、扉の向こうに出口があるとは限らないだろう。けれどもこの時の僕はこの先に出口があると信じて疑わなかった。

 そして、扉の中央が左右に割れる。石造りの扉が人を招くようにゆっくりと開いていった。

 どうやら、誰かが扉に触れると自動で開くようになっていたらしい。

 僕は笑みを浮かべて扉の先に飛び込んだ。


 この先に出口があると決めつけて。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ