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第一迷宮主『悪夢の残滓』

 放たれた銃弾は眼球を破壊し、眼窩(がんか)を通り、何の妨げもなく脳髄を破壊する。

 それは確定事項で、頭骨に当たった銃弾が逸れるという事もない。

 訪れるのは確実な死だ。

 ――そのはずだった。


「シュリッ! 今すぐユキから離れるんだッ!」


 焦った様子のミツキが悲鳴に近い声を上げる。

 ボクの眼窩に銃弾を撃ち込み、確実に仕留めたと油断していたシュリは、何が起こっているのか理解する事も出来ずに、触手に似た肉塊に弾き飛ばされた。

 無防備な姿勢に打ち込まれた攻撃だったが、流石は探索者というべきか、地面を転がりながらも受け身を取り、すぐさま立ち上がって拳銃をこちらに向けて立ち上がる。


「……は?」


 死んだはずのボクの口から、間抜けな声が漏れた。

 ボクは確実に死んだはずだ。あんな至近距離で引き金を引いて外すわけがない。では、なぜまだ生きている?

 その答えを示すように視界の端にドロドロとした粘液を纏うブヨブヨの触手が映った。

 肉塊はシュリが構えた拳銃の射線に割り込み、まるでボクを守るように蠢いている。


「いったい何なのよ……」


 シュリは口から洩れた血を手で拭いながら毒づいた。どうやら先ほどの一撃で内臓に傷を受けたか、口の中を切ったらしい。

 混乱するボクはゆっくりとその肉塊がどこから出てきたのかを確かめるために視線をゆっくりと動かした。

 この肉塊はどこかで見た気がするが……。

 次の瞬間、ボクの左目が自身の意思を無視してぐりんっと回転した。真っ当な人間ではできない眼球の動きだ。

 そして、ようやくボクはこの肉塊の出所に気が付いた。


 この触手はボク自身の体から伸びている。


 ようやく触手の出所を視界に入れた脳は、得られた情報を理解する事を頑なに拒んだ。

 肉塊はボクの両肩や背中から伸びていた。さらに言えば、左目の周囲の血管が浮き上がり、触手の動きに合わせて脈動する。

 どうやら触手を動かしている大本は、ボクの意思を無視してくるくると回っている眼球のようだ。

 何度か瞬きをすると、ぐりぐりと動いた左目から銃弾が零れ落ちた。

 弾を止めたのはこの左目らしい。


「み、見ないで、ミツキ……っ」


 ボクは自身の体を抱きしめながら後ずさった。

 こんな気持ちの悪い姿を見られたくない。体から触手を生やし、眼球が回転する姿は異形としか言いようがないだろう。

 肩から伸びる触手を抑えようとするが、粘液が手のひらを濡らすだけで消える気配がない。

 この触手はボクの意思とは無関係に動いているようで、思い通りに動かすことが出来ない。左目と合わせて好き勝手に動いている。


「ユキ……、お前……」

「いやっ……いやぁっ!」


 聞きたくない聞きたくない!

 原因は分からないが、今のボクは化け物となじられても仕方ない姿だ。それを他でもないミツキの口から告げられるのは耐えられなかった。

 恐れられるのも気持ち悪がられるのも嫌だ。人として死なせてくれ。


「お前、寄生型の魔物に取り憑かれているんだなっ!?」


 けれどもミツキは恐れる事も気味悪がることもせず、むしろ嬉しそうな響きさえ滲ませて言葉を発した。

 寄生型の魔物に取り憑かれてる? それは大変な事ではないのか? では、なぜそんな嬉しそうにしているのか……?


 状況の訳の分からなさに混乱していると、ふと探索中の言葉が蘇る。


『寄生型の魔物もいるが、こちらは自在に人を操れない。せいぜい危機感を奪って死にやすくしたり、理性を外して特定の感情を増幅させたりするくらいだ』


 つまり、ミツキはボクの凶行をこの魔物に取り憑かれていたからだと考えた訳だ。

 そして、それを理由にボクを生かすように二人を説得するつもりなのだろう。

 それはなんて――


「――最悪の展開だ」


 現状を理解したボクは激しい怒りと共に吐き捨てた。

 ボクは屈辱に耐えられずにこの場から逃げ出した。この場所にいてもいい事は何もない。


「シュリ! ユキを拘束してくれ! 生かしたままでッ!」

「分かってるッ!」


 当然のように彼らは逃げるボクを追いかけて追随する。

 ああっ、もうッ! 放っておいてくれよッ!

 シュリは威力の大きい魔法ではなく、拳銃でボクの足を狙って発砲した。

 そのほとんどは勝手に動く触手が防ぎ、防ぎきれずにボクの(もも)を貫通した傷も、足の腱を破壊するようなものではなかった。刻印で痛みをごまかしながら走り切る。


「ちっ! 邪魔をするな!」


 ミツキは後ろに目があるのかと言いたくなるような反応で攻撃に対処しながら切り付ける。

 けれども銃弾を防ぐような強度の触手を切り付けても有効打を与えることは出来ずに、表面を傷つけるだけに留まっていた。

 ミツキの刻印をもってしても、この触手の嵐の中を突っ切ることは出来ないようだ。

 ボクはミツキがこちらに近づけない事にひとまず安心するが、カラリという音を足元から聞き取り、咄嗟に口元を覆った。

 次の瞬間、毒々しい色の霧が足元から吹き出し、ボクの視界を奪う。


 恐らく、この霧を発生させているのはアディンさんだ。なんらかの薬物が詰まった瓶をボクの足元に投擲したのだ。

 呼吸を止め、口と鼻を覆って、霧の中を駆け抜ける。

 しばらくすると、目がチカチカと痛くなってきた。もしかしたらこの薬は視界を奪う効果があるのかもしれない。

 ボクの左目に寄生体の核がある事に気付いて目を直接攻撃に来たか。


 ボクは目を細めて薬品ができるだけ入らないようにして、ポーチの中からポーションが入った小瓶を取り出した。

 霧から出たらすぐに小瓶の蓋を開け、小瓶を自身の眼に当てて薬品をすすぐ。

 ポーションは魔物にも効果があるのだろうか? 効果がある確証はないが、今は治る事を期待する他ない。コイツはボクの左目でもあるのだから。

 目を洗うために足を止めてしまったが、その遅れを取り戻すために足を進めた。

 地図の写しを参考にして迷宮内を逃げるという手段も考えたが、シュリに撃たれた足の傷からの出血がボクの居場所を彼らに教えてしまう。そして、止血している暇はない。

 であれば、ボクが向かうべきは――


「――ここだ」


 逃げ込んだ場所は、安全地帯から出てすぐ。シュリが掛かった落とし穴のある一角だ。

 初めて迷い込んだ迷宮にあったものと同じく底が見えない。落ちれば命がないのは確実だ。

 ボクはここで足を止め、追いかけて来る三人を待ち受ける。


「ユキ! これ以上逃げられないぞ! 大人しくしているんだ! すぐにソイツから解放してやる!」


 追いついてきたミツキが腹の底から呼びかける。

 彼はこの触手を破壊すればボクが『正気』に返ると信じているようだ。また、元の関係に戻れると信じている。

 そう思っているのが表情から伝わってくる。


「嫌だッ! ボクはそっちには戻れないッ!」


 しかし、ボクはその提案は受け入れられないと切り捨てる。

 だってそうだろう? 受け入れられればミツキはボクの凶行をこの魔物に操られて行ったと判断する。そして、ボクの恋心も一時の気の迷いだと断ずるはずだ。

 寄生型の魔物は感情を限定的にだが操れるのだ。元々が男のボクが男のミツキに思いを寄せるなんてあり得ないと考えるはずだ。

 それに、このままじゃリュシくんが浮かばれない。ボクの身勝手で殺したリュシアン。

 ボクが目的を達成するのを放棄したら、彼の死になんの意味もなくなってしまう。犬死だ。

 傲慢だろうが、的外れだろうが、彼が自身を殺したボクの計画の失敗を願っていようが関係ない。ボクは彼の命を糧としなければならない。そう、決めたんだ! 今更止まれるはずがない!


 ……ああ、本当に最悪だ。

 何でこのタイミングで出てきたのだこの魔物は。あそこで殺されていれば、好意とはいかずとも、ミツキに憎まれ続けることは出来たのに。

 おそらく、この魔物は宿主なしでは生きられないタイプだ。だからボクに命の危険が迫った事で出てきたんだろうが、本当にタイミングが悪い。


 ボクは忘れられるのが怖い。

 そんな人もいたね。と何の感情も揺るがさない存在になるのは嫌なのだ。


 もちろん、ボクの死後、大切な人を亡くしたと悲しんでもらえるのが最高だ。

 でもそれは無理だろう? だってボクは彼にとっては『ただの親友』でしかない! 愛してもらえない!

 ならばいっそ憎んでくれ! 恨んでくれ!呪ってくれ! そしてボクは君の心に在を刻み込む!


 ……迷宮で事件を引き起こす事を決めた時から覚悟していた。

 ボクに残された道は『犯行を隠し通して生き残る』か『バレて殺される』かの二択だ。

 どちらに転んでもボクの想いは成就するはずだった。

 それがこの魔物のせいでふいになろうとしている。そんな中途半端な終わり方は許さない。


 ボクは魔物に刻印を行使し、その動き止めた。


「ユキ……?」


 魔物の動きが急に衰えた事に気が付いたミツキはゆっくりとボクの元に近づいてくる。

 触手の攻撃範囲に入り、ボクを連れ戻そうとゆっくりと手を伸ばし――

 ――ボクはそれに笑顔で答えた。


「――愛してる」


 彼の手がボクの手に触れる直前、ボクは一歩、足を後ろに引いた。

 そのたったの一歩がミツキの表情を焦りに歪ませる。なぜなら、足を引いた先には床が無かったのだから。

 バランスを失ったボクの体は重力に引かれて奈落へと引き込まれていく。

 焦ったミツキはボクに手を伸ばすが、その動きが一瞬止まる。

 刻印の対象を魔物からミツキへとシフトする。

 ミツキが刻印を打ち消すまでの刹那の時間。それだけの時間があれば十分だった。

 ミツキの腕が何もつかめず宙を切る。


「ゆ、ユキ――ッ!?」


 ミツキの絶叫が遠ざかり、彼の姿がどんどん小さくなっていく。

 ボクは浮き上がる内臓の不快感も気にならないほどに幸福感に包まれていた。

 にへらっという笑いが自然に漏れてきた。

 落ちる、落ちる、落ちる……。何もない、光すら届かない地の底へ。


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