神隠し
ガヤガヤと騒がしい人の声に交じって、軽快な祭囃子が聞こえた気がした。しかし、それは気のせいだろう。僕たちは随分と人里離れた場所まで来ているのだから。
今日は年に一度のお祭りの夜。なんのお祭りかは知らない。しかし、そんな事は些細な事だ。騒ぐ口実が出来ればそれでいいのだ。眼下に広がる提灯の明かりの下で飲み食いする人々の中に、祭りの意味を理解している人間がどれほどいようか。僕が不勉強な事を責められる人間はごくわずかだろう。
大人たちが飲むための口実を作り、子供たちは夜に外出するという非日常を楽しむ。その光景をしり目に、僕たちは提灯明かりの届かない山の奥に黙々と歩を進めていた。
懐中電灯の光だけを頼りに登って来た階段を振り返ると、祭りが行われている神社の周辺がいつにもまして明るく見える。まるで、そこだけが現世から隔離された異界になってしまったようだ。
実際には僕たちが立っている登山道の方が異界と呼ぶにふさわしいのだろうけど。月の無い夜に、提灯も街灯もない暗闇を、懐中電灯の頼りない明かりだけを頼りに歩いているのだから。
「おい、どうしたんだ?」
「ごめん。何でもないよ」
普段目にする事のない山の様子に気を取られて足を止めた僕に、先行する少年が声を掛ける。
僕は首を振って意識を祭りから切り離して、再び足を進めた。
僕たちは再び無言で階段を上り続ける。隣を歩く幼馴染の少年はいったい何を考えているんだろう。懐中電灯の光は闇に吸われ、十分な視界を確保することが出来ない。
ちらりと彼の顔を流し見るが、暗すぎて彼の表情を窺い知ることは出来なかった。
窺い知ることが出来ないと言えば、僕たちが昇り続けている階段もそうだ。
昼間に訪れれば何のことはない、ただの登山道のはずだ。しかし、今この瞬間、この階段は何処まででも伸びているような気がした。
それでも、歩き続ければ終わりは来る。
僕は階段を登り切った突き当りに懐中電灯の光を向けた。
「ここか……」
親友は光に照らされた洞窟を見てそう呟いた。
そう、洞窟だ。祠の周囲に光を当ててみると、祠のすぐ隣に山の上に向かう階段が作られている。この洞窟はちょうど階段の踊り場にあたる部分に存在していた。
洞窟は木の柵で塞がれ、形が崩れて読む事の出来ない文字がびっしりと書き込まれた紙が貼りつけられている。
テレビゲームにどっぷりとつかった僕の頭は、この洞窟が何か悪いモノを封じている現場だと判断した。
何でこんな不気味な場所に、それも夜に訪れたのかを訝しんでいると、少年――暁光樹はおもむろに手を合わせて何かに祈り始めた。
しばらく無言の時間が続く。僕が居心地の悪い焦燥感に襲われ始めたころに、彼は顔を上げて力ない笑みを浮かべた。
「……ここは、小さい頃に紬と一緒によく『探検ごっこ』をした場所なんだ。無論、あいつが動けた頃の話だが」
「……そう」
僕は言葉に詰まって力のない相槌を打つことしか出来なかった。光樹は「余計な事を言ったかな」と呟やいて頭を掻いた。クセのあった彼の髪にさらにクセがついた気がした。
「わりぃ、気分転換のつもりで俺を連れ出したんだろ? それなのに辛気臭い話をした。……でも、どうしてもここに来たかったんだ。あいつ、最期は動けなかったから。魂だけになった今なら、元気に動き回っていた頃の場所に来るんじゃないかって気がしてさ。何となくだけど」
「……さっき妹さんに何を祈ってたの?」
僕はどうしてこんな事を聞いたのだろう。後から思い返してもさっぱりわからない。でもただ一つ分かるのは、彼の本心と言葉は全く違っていたのだろうって事だけだ。
「――安らかに眠ってくれって。それだけだよ。さ、もう行こうぜ。せっかく祭りに誘ってくれたんだ。たこ焼きくらいは奢ってくれるんだろうな?」
冗談めかして彼は言う。多分、もう紬の事は話題に出さない。そんな予感があった。
彼も、彼なりに家族の死を乗り越えようとしているのだろう。だから、僕も彼に調子を合わせる事にした。
「うん。いいよ。いくらでも奢ってあげる。その変わり、射撃で取った景品は僕にくれるんだよね?」
「おおう!? そりゃキツイな……。俺、射的はあんまり得意じゃないんだ」
「頼りないね。そんなんじゃ、彼女が出来た時にカッコいい所見せられないよ?」
「そんなベタなデートイベントが起こるもんか」
光樹が肩を竦めるのでさらにからかう事にする。失言してしまったと言いたげに自分の口元を覆ってみた。
「あ、ごめん! そもそも彼女が出来ないからイベントが起こる事がありえなかった!」
「彼女がいないのはお前も同じだろうっ!?」
「うるさいなっ!? そんな事より早くお祭りに戻るよ!」
僕は跳ね返って来た口撃で傷を受けながらも、笑みを浮かべて彼の手を取った。
洞窟での祈りが彼にとっての一つの区切りになってくれればいいと思う。
後は、一緒にお祭りを巡って、明日からはいつも通りに高校に通って、大学は……同じになるのかは分からないけど、とにかく大学に通って、働き始めてからもたまには愚痴に付き合ってもらって。
普通に、普通に、普通に。時間と共に妹さんの死を乗り越えて、これからも普通に過ごしていくんだって思ってた。――この時までは。
「……なぁ、雪弥。なんか、変な音がしないか?」
「?」
囁かれた僕の名前に反応して足を止めた。ふと後ろを振り返る。僕にも何かが震えるような音が聞こえたからだ。
僕が後ろを振り向くと、手に持った懐中電灯が暗闇を追い払う。
そして、異音を頼りに辺りを見渡すと、洞窟を封じている柵がカタカタと震えているのに気が付いた。
僕が気付くと同時に光樹も異常に気付いたようで、二人で顔を見合わせた。
「なぁ、なんだか嫌な予感がするんだけど」
「奇遇だね。僕もだよ」
僕たちは一つ頷くと、すぐにその場を離れようとした。
――そして、何者かに足を掴まれて体が動かない事に気が付く。
「え……?」
咄嗟に視線を落とすと、正体不明の黒い腕が僕の足を掴んでいた。
影を纏ったように輪郭がはっきりとしない。そんな腕の根元をたどると、腕はあの閉じられた洞窟の奥から伸びてきているのが分かった。
木の柵は強引に開かれてしまっており、黒い腕を封じていたらしいお札であろう紙は、火に包まれてその役割を終えていた。
伸びている腕は一本だけではない。数えきれないほどの腕が洞窟の奥から僕たちを捕えようと伸びて来た。
「うぐっ!?」
伸びた指が僕の首に絡まった。ガタリと音を立てて懐中電灯が地に落ちる。一瞬、隣の光樹が灯りに晒された。
彼もまた首を掴まれ声を出す事が出来ないようだった。光が逸れて彼の姿が闇に飲まれる。
僕は首にかかる黒い手を外そうとするが、それを外そうとする腕さえも掴まれて一向に拘束が緩む気配がない。
そして、僕たちは洞窟の中に引きずり込まれた。
地面を引きずられる途中にも抵抗を試みるが、多勢に無勢。二本の腕では抵抗することもままならない。
「――ひゅ」
喉から空気が漏れた。ついに限界を迎え、意識が遠のいていく。真黒に染まった視界に霧がかかり目の前が白くなった。そして、意識を失う。
意識を失う最後の瞬間に、洞窟の扉が閉じられた。そんな気がした。




