噂話
2016/9/11
「ルールその2『迷宮に存在する安全地帯の中には、いかなる手段を用いても外界からは干渉できない』」
にミツキ達のパーティが迷宮主の討伐に向かったという情報を追加しました。
「再会と不可解な気持ち」にて迷宮主を倒している事になっているのは少し急な気がしたので。
「お待たせー。ロースト二つにシチューだよ」
ガヤガヤと騒がしい平常運転な店内を、ボクは喧騒を躱しながら目的のテーブルまで料理を運んだ。何気に彼らがこの場所で食事をとっている時に給仕をするのは初めての事だった。アルバイト先に友人が訪れたみたいで少し恥ずかしい。
「おー、ありがとー」
「ユキに給仕されるのはなんか不思議な感じだな……」
「向こうではバイトなんてしてなかったからねー」
待ち遠しそうに皿を受け取るシュリとミツキ。リュシアンは一つ黙礼して皿を受け取った。
その控えめなしぐさを見て、リュシアンとしゃべった事はほとんどないな……と気付いて彼に視線を向けた。
彼はふわふわした金髪と眼鏡が特徴的な少年だった。
ボクとミツキの一つ下らしいが、童顔で線が細いせいで必要以上に幼く見える。言動はともかく、外見は大人っぽく見えるシュリとは対照的だ。
彼とは一言二言そっけないやり取りをしただけで世間話もほとんどしなかった。
女性の体になって変えざるを得なかった生活スタイルの指導はシュリがしてくれたし、アディンさんみたいに仕事で関わる訳でもない。
そもそも、彼らはほとんど迷宮に行ってて話す機会が少なかったしなぁ……。
ボクはこの機会に話しかけてみる事にした。
「こんにちは。今までバタバタしてて自己紹介もしてなかったよね。ボクはユキって言います。ミツキと同じところから来ました」
「えっと……。こ、こちらこそ……。僕はリュシアンです……。ミツキさんとシュリのパーティで斥候をしてます……。よろしく……」
リュシアンは突然話しかけられたのに驚いたのか、視線を中に彷徨わせてボソボソと言った。俯き気味で聞き取りにくい声だった。声変りをしていないのではないかというほどに透き通る声だったため、何とか聞き取れただけだ。
すると、彼の自己紹介を聞いていたシュリがフォークを勢いよく彼に突き付けた。もぐもぐと頬張っていた肉を彼女が飲みこむまで、卓に静寂が訪れる。
「ん、んぐ……。リュシアン! そんなんじゃダメよ! もっと大きな声でハキハキと! ユキに失礼でしょっ!?」
「フォークを人に向けている君には言われたくないと思うけど」
呆れ顔で突っ込むミツキに反して、リュシアンは「そんな事いわれても……」ともじもじと指を動かしながら俯いた。
線が細くて、服装を変えれば女の子に見えなくもない彼がそんな事をするものだから、庇護欲がくすぐられた。
同時に、どうしてここまで気弱な彼が迷宮なんかに潜ろうとするのか気になった。
ボクは彼の手を取って顔を近づけてみる。彼は少し顔を赤くしてそっぽを向いた。
……ちょっと距離感を間違ったかな? 反応が初心な男の子っぽい。
「リュシアンくん――言いにくいからリュシくんって呼んでいい?」
「は、はい……ユキさん」
リュシアン……リュシくんは条件反射のように頷いた。どうにも押しに弱そうだ。酷い呼び名を付けても普通にうなずいていたんじゃないかという疑念が沸いてくる。やはり、どうして彼が迷宮なんかに潜っているのか分からない。
「リュシくんはどうして迷宮に潜るの? その……あんまり探索者って雰囲気には見えなくて……。言いたくないならいいんだけど」
「ぼ、僕ですか? 僕は……」
リュシくんはチラリとシュリの様子を覗った。シュリはため息をついて呟いた。
「はぁ、仕方ないわね……」
「ご、ごめん……」
リュシくんは申し訳なさそうに俯いた。どうやら彼の代わりに彼女が話すらしい。
「リュシアンの家は細工屋なんだけど、この子は次男だから家を継げなくてね。自立しようにも資金が足りなかったのよ。で、実入りの大きい探索者になってその資金を稼ごうとしたんだけど……。この子は人見知りが過ぎてうまく話せないし、パーティに入れてもらえなくてね。ちょうど、迷宮に挑もうとしてたアタシと組むことになったワケ。アタシの家と彼の家は昔から交流があってそれなりに話せたし」
「……ふぅん、そうなんだ。でも何でこの町に? 王都で稼げばいいんじゃ?」
お金が欲しいなら攻略法が知られている王都の迷宮を攻略すればいいはずだ。わざわざこんな辺境の地に訪れる必要はないだろう。
しかし、シュリはそれではダメだと首を横に振った。
「……ここに来たのはアタシの都合。王都で結果を出しても、家族はアタシのこと認めてくれないから。未踏破の迷宮を発見、攻略すれば認めてくれるかと思ってね。ひとまず、前回の探索で一つ攻略できたわ。でも、これくらいじゃアタシは……」
「シュリ……」
リュシくんはいたたまれなさそうな表情でシュリを見つめた。そこには長年の付き合いだからわかる何かがあるようで、部外者であるボク達が口を出すのは憚られた。
しかし、シュリすぐに笑みを取り戻して挑発的に笑う。
「でも、ふふっ! 前の探索でようやく刻印を手に入れたし、確実に前進しているわ! この調子でやっていれば目的もすぐに達成できるはずよ!」
シュリは自分の右手の甲に現れた刻印をうっとりと眺めた。
とても人には見せられそうにない、それほどまでにだらしない笑顔だった。
彼女は先ほどまでとは打って変わって楽しそうに手元の肉にかぶりつく。
「んぐっ……。ほら、リュシアン! ミツキ! さっさと食べないと料理が冷めちゃうよ! 久しぶりの休暇なんだから良いもの食べて元気付けないと! 次の探索についてこれないよ!」
「……いつもあんな調子なんだ。明るさは彼女の取り柄だな」
ミツキはボクの耳元で楽しそうに言った。
確かに明るい。どこかで見た笑顔と瓜二つだ。だから彼は彼女にこだわるんだろうなぁと少し寂しく思った。
それが、彼が王都に行かずにこの町で探索者をしている理由だろうから。
「……確かに。そういえばミツキ――」
「違うッ! 嘘な訳がねぇッ! 儂は迷宮については嘘はつかないッ!」
突然、響いた怒声にボク達は振り向いた。
酒場にいた客の声が止み、声のした方向に振り向いている。
叫んだ老人は肩で息をして興奮を露わにしている。そして周りを見渡すとバツが悪そうに俯いて席に着いた。そして、怒りに震える彼を一人の少女が宥め始めた。
そんな二人の対面には見知った探索者の男が座っている。彼は難しい顔で腕を組んでいた。
「あれは、ピティさんとアドミラさん……?」
リュシくんが不可解そうに眉を顰めた。
声を荒げたのはこの酒場でよく冒険譚を語っているピティだった。
彼の冒険譚のファンであり孫娘でもあるアドミラは、普段とはまるで違う祖父の雰囲気に戸惑っているようだった。
「……ちょっと行ってくる」
店員として事情を聴かなければいけない。ボクは言い争いがあったらしいピティの元に向かおうとすると、肩を掴まれた。
振り向くとミツキが顔を顰めて首を横に振った。
「……荒事になったら不味いだろう。アディンさんに任せておこう」
「そんな訳にはいかないよ。それに、大丈夫。あの三人なら――戦わないでも制圧できるから」
ボクはピティとアドミラ、対面に座る男に目を向けた。三人は注目される事を避けるためか、今は声を落として話している。
魔法使いであるアドミラ以外には刻印が効く。そしてそのアドミラの魔法が成立するまでには時間がかかる事を他の探索者から聞いていた。それが分かっているから、ボクは荒事になる事を恐れずに彼らに事情を聴く事ができるのだ。
ミツキはため息をつくと椅子から立ち上がってボクの隣に並んだ。
「念のために俺も行く」
「……分かったよ」
ボク達はピティたちの元に向かった。宣言通りミツキはボクの後についてくる。
小声で言い合う二人の元に向かったボク達が近づくと、居心地が悪そうにしていたアドミラが助けを求めるようにこちらを見つめた。
続いて言い争っていた二人もこちらに目を向ける。
「おぬしは……。ここのウェイトレスか……」
「はい。さっきから言い争っているみたいですが……。何があったんです?」
ボクが尋ねると、対面に座っていた探索者の男が顔を上げた。名前は分からないが、何度かこの店に来ていたのを覚えている。彼は困ったように頭を掻いて口を開いた。
「いやなぁ……。ピティが新しい迷宮を見つけたらしいんだがよぅ……。そこに潜った話を聞いていたんだが……。あんまりにも現実離れしててなぁ……。なんつぅか……、信じられないんだ」
「ふんっ! 儂は事実しか話さんと言っておろうっ! こと迷宮についてそんな欺瞞を話す訳がないっ!」
声を荒げたピティのこめかみに血管が浮き出ている。
アドミラは彼の背中をさすって彼の興奮を宥めている。そして、おずおずと彼女も疑念を口にした。
「でもでも、アドミラは、アドミラも……。ごめんなさいですけど……、ちょっと信じられないというか……。信じられない……です……」
アドミラは気まずそうにピティから視線を外して呟いた。ピティはそんなアドミラを鬼の形相でねめつけていた。
「アドミラ……。お前まで、儂を信じないのか……?」
「ご、ごめんなさいです……」
ピティは拳をやるせなさで震わせている。
アドミラと探索者の男はピティと視線を合わせそうとしない。彼は誰も自分の言葉を信じていない事に気が付いて肩を震わせ、怒りが一周まわったのか脱力して項垂れてしまった。
「はーい! ねぇねぇ、いったい迷宮で何があったの? アタシはそれが気になるんですけどー」
そんな時、ボクの後ろから能天気な声が聞こえた。振り向くとシュリが楽しそうに手を上げていた。どうやら、野次馬根性を発揮してついてきたようだ。
彼女の疑問にピティは答えず、名も知らぬ冒険者の男が答えた。
「それがなぁ……。こいつが潜った迷宮でなぁ、変な魔物に破られたんだとさ。安全地帯の結界が」
男が投げやりな態度でそう言った。それを聞いたシュリもつまらなさそうに頭を掻いていた。
「はぁ……。それは……、確かに信じられないわね」
聞いておいてその態度は酷いと思う。
二人がピティの言葉を信じていないのは明らかだった。ピティは二人を睨み付けるが、すぐに項垂れた。彼自身も信じてもらえないだろう事を知っているからだろう。迷宮の安全地帯が侵される事など、『絶対』にありえないのだから。
だが、ピティの話を信じる者が一人だけいた。
「その話……。詳しく聞かせてもらうぞ」
「……アディンさん」
振り向くと、いつの間にか白衣の男が立っていた。彼はいつもの無表情だが、纏う雰囲気がいつもと違う。彼の瞳から憎悪に似た感情が渦巻いているような気がしてボクは後ずさった。
そんなアディンの変質に気付いてか気付いていないのか、シュリはいつものように気さくに問いかけている。
「アディンは信じるっていうの? こんな与太話を」
「ああ、信じる。オレはその魔物に用があるんだ」
探索者の男とアドミラは信じられないモノを見るように彼を見つめた。ピティまでもが信じられないというように目を見開いている。目撃者たるピティまでもが驚くとは……。迷宮の結界とやらを破る魔物の存在はよっぽど信じがたいもののようだ。
アディンさんの常識はずれな発言で卓を沈黙が支配する。しかし、すぐに能天気な声に沈黙は破られた。先ほどまでピティの話を信じていなかったシュリだった。手のひらに拳を打ち付けて楽しそうに笑う。
「ふふーん。なら、探索の準備をしないとねっ! ついて行ってもいいよねっ、アディン? アタシ達はもうアンタに守られるだけの存在じゃないんだからさっ!」
「そうだな。シュリが行くなら俺も行くぞ」
そして、ミツキまでもが名乗りを上げた。ボクは難しい顔を作ってダメ元で彼に抗議する。
「ちょっとミツキ! 今回の探索はいつもより危険な事になるかもしれないんだよ? やめときなって」
「ユキ。実は俺を止める気が無いだろ? 俺の刻印でなんとなく分かるぞ」
「言っても聞かないって分かってるからです! 諦めてるだけです!」
「そんな形だけの警告なら、する必要がないだろ……」
ミツキは盛大にため息を吐いた。
ミツキ達が刻印を得て帰還した日、ボクはこれまで抱いていた思いを打ち明けて話し合ったが、結局、迷宮に潜るのを止めるように説得する事ができなかった。ボクに出来るのは彼が今以上の無茶をしないように警告するくらいだ。ボクは彼が迷宮に向かうのを力ずくで止める手段は持ち合わせていないのだ。
ボクが頬を膨らませてそっぽを向いたり、ミツキに呆れられたりしている間に、アディンさんはピティから魔物の特徴を聞き出していた。どうやら、手記に出てきた魔物と特徴が一致したようだ。彼はもう止まらないだろう。
ピティが潜ったという迷宮に行く事が決まりつつあるミツキ達を見て、探索者の男とアドミラが驚愕に口を開いた。
「お、おいっ! マジで信じてるのかよっ! 正気じゃないぜっ!?」
「アドミラは、アドミラは疑問に思うのです……。何で信じられるんですか……。アドミラでさえ信じられないのに……」
探索者は底なしの阿呆を見る目でシュリたちを見つめ、アドミラはバツが悪そうにしている。アディンさんはそんな二人の視線を気にも留めずに頷いた。シュリやミツキがそれに続く。
「オレはピティの話に信じるに足る部分を見つけた。それだけだ」
「アタシはアディンを信じてるだけよ。ぶっちゃけ、そんな魔物がいるなんて信じてないけどね」
「俺はカンだ。ピティが嘘を言っていない事はなんとなく分かるからな」
三者三様の答えだ。しかし、意図するところは三人とも一致していた。
シュリに「お前それ結局信じていないんじゃ……」という突っ込みを入れたくなったが我慢した。
ボクが遠い目になっている間に、アディンさんは迷宮探索のために必要な情報の取引をピティに持ちかけた。
「……それでは、次に向かう迷宮は決定だな。迷宮の場所を教えてくれないか? もちろん、金は出すし、自分で攻略したいなら教えなくてもいいが」
「……いや、儂はもうあの迷宮に行く気はせん。……それに、もうあの迷宮に行けんのだ」
ピティはアディンさんの問いに首を横に振って答えた。
それを聞いたアディンさん達は疑問符を浮かべるが……。しかし、続いた言葉に納得せざるを得なかった。なぜなら――
「……あの迷宮は王鳥の巣のすぐそばにあるからだ」
なぜならその迷宮は、ここら一帯を支配する主の領域にあったのだから。




