迷宮に取りつかれた者たち
「いらっしゃいませ!」
太陽が西に沈みかけ、空が赤くなってくる頃、酒場の賑わいは指数関数的に増していた。
夜の明かりを確保するのが難しいらしいこの町では、夕暮れ時には仕事を止めてその日の疲れを癒したり、家族との時間を楽しんだりするのだ。
シュリによる採寸が終わった翌日、持ってきてもらった仮の服を着てボク達は仕立て屋に向かった。酒場には決まった制服もなかったので、あまり派手ではない私服を用意してもらった。
白いドレスの上に黒いボディスを重ね、黒いロングスカートを身に着けていた。ただし、左腕の刻印部分の布は取り去って服の片側だけがショルダーレスとなっている。
ボクはこの姿で食事という娯楽を提供する酒場という職場で勤務を始める事になった。
「おぉい! 蜂蜜酒を一杯追加だぁ! あと、塩漬け肉のスライスが二つ!」
「こっちも注文をお願い!ローストとシチューを一つずつ!」
「はーい! 今行きます!」
人の去ったテーブルの上に散らばっている木の食器をかき集めるのを中断して、店内の喧騒に負けないように大声を張り上げる。食器をお盆に乗せて厨房に戻ると、焼き串で刺した肉の塊を直火で炙りながら、塩の効いた干し肉にナイフを通しているアディンさんと目が合った。調理する彼はすぐに元の作業に戻り、表情を変えずに指示を出した。
「蜂蜜酒は葡萄酒の樽の横だ。塩漬け肉のスライスはすぐ出来るから一緒に持っていけ」
「分かりました!」
ボクは手に持った食器を水場に入れた後に、棚からジョッキを取り出し、樽に詰められている蜂蜜種を注いだ。
ジョッキと一緒に取り出していたお盆にお酒を置いた所で、アディンさんがお盆の上にスライスされた肉と野菜が盛り付けられた皿が差し出された。ボクはそれをもって再び喧騒満ちる店内に戻っていく。
「お待たせしました! 塩漬け肉のスライスと蜂蜜酒です。肉は一皿に二皿分のってます」
「おう! ありがとな、お嬢ちゃん。いやぁ、今まで男店主だけだったから花があっていいねぇ」
「あはは……」
皮鎧と剣を携えた顔に傷がある中年の男が茶化すように言った。ボクは自身がまっとうな女性ではないと分かっているので、反応に困って愛想笑いを浮かべるしかなかった。
彼と一緒のテーブルに座っている人物も、鎧をまとっているほか、弓と矢筒を携えていた。
彼らだけではない。酒場に訪れる客には老若男女の違いはあれど、そのほとんどが武器や防具を身に着けている。店内は探索者たちのたまり場と言った風情を醸し出していた。
「ではボクはこれで……」
「おう、しっかりやれよ!」
空になったお盆を持って軽く礼をすると、彼は笑みを浮かべて手をふった。弓を持ったもう一人はこちらには目もくれずに黙々と肉を口の中に掻き込んでいる。
厨房に戻ると、アディンさんは焼き串が刺さったままの焼けた肉の塊を皿に乗せながら言う。
「次はローストも頼む」
「分かりました!」
ボクは大きい肉の塊が乗った皿と切り分け用のナイフをお盆に乗せ、注文を受けたテーブルに向かった。
肉を注文したのは二人組の少女であった。彼女たちも他の客の例にもれず、長剣と長杖を装備している。剣を持った少女は快活に笑い、長杖を持った少女はフードで顔が隠れていた。彼女たちも探索者であるようだ。
「ご注文のローストです。シチューはもう少しお待ちください」
「おー、ありがとー」
二人組の片割れは焼き串が刺さった肉に豪快にかぶりついた。取り分け用のナイフは眼中にないようだ。ボクは一礼して立ち去ろうとしたが、シチューを頼んだらしい長杖をもった少女に呼び止められる。
「……あなた、未成年? 何でここで働いているの? それに、その腕は……」
フードの中から除く目は寒々しく、批判に満ちていた。ぞくりと背筋に寒気が走るが、隣で口の周りを油で汚しながら肉にかぶりつき、葡萄酒を煽っていた少女の能天気な声が話に入ってきたことで緊張感が薄れていく。
「ええ……、そんなのどうでもいいじゃん。お酒がおいしい。お肉がおいしい。それ以外に酒場に求めるものはないよ。欲を言えばウエイトレスのおっぱいはもっと大きい方がいいと思うけどー」
酒を飲んでいた少女は粘つく視線を胸元に向けてきた。おい、おっさん臭いぞコイツ。それもただのスケベおやじの視線だ。いい意味で年を重ねたおっさんじゃない。
よく見ると彼女の顔は赤くなっており、既に出来上がっているのが分かった。
「よくない。未成年が酒場で働くのは間違ってる。店主に抗議する」
「んもー、カッちんは真面目だなー。別にいいじゃん。可愛いしー。店主も人手が足りなかったんでしょー?」
「……カッちん言うな」
酔っぱらいに対して真面目に律儀に受け答えをしていた長杖の少女は立ち上がってボクの手を取った。この子、本気で店主に抗議しに行く気なのか? 確かにボクは未成年だけど……。
「……店主に文句言ってやる。いこ?」
「は、はぁ……」
「……んー? お酒がなくなっちゃった。蜂蜜酒と葡萄酒とエール一杯ずつ追加でー」
「ま、毎度ありー……?」
酔っぱらった少女がぐでーっと机に突っ伏しながら追加の注文を行った。フードで顔の大半が隠れているが、長杖の少女の頬がぴくぴくと引き攣るのが分かった。
「……飲みすぎ。この後誰が苦労すると思ってる」
「明日の私かなー? あったまガンガンガンガンして面白そー」
「違う。これから酔っぱらいの相手をしないといけない私」
「あはは! それもそっかー!」
長剣の少女はケラケラと笑い出すと、その笑いが止まらなくなった。いつまでも笑い続けている。笑い上戸なのかもしれない。長杖の少女はため息を吐くと踵を返してボクの手を引いた。笑い続ける相方は放置することにしたらしい。
「あの、なんか苦労してそうですね……」
「もう慣れた。あんなのでも相棒だから」
少女は抑揚のない声で言った。邪険にしながらも、彼女とは長い付き合いである事が伺える。ボクとミツキみたいな関係だろうか? 今は喧嘩して口を利いてないけど……。
少女は考えごとに没頭し始めたまボクの手を引いてずかずかと厨房に入って行った。アディンさんはこちらを一瞥もせずにシチューを火にかけながら口を開いた。
「厨房は関係者以外の立ち入り禁止だ。出ていけ、カッちん」
「カッちん言うな。それよりも店主、なぜ未成年を雇っている。雇うなら成人している人物にしたほうがいい」
アディンさんはチラリとこちらを一瞥すると、キャベツのような野菜を取り出して包丁を通し始めた。そして、面倒くさそうに言った。
「そいつはお前たちの一つ上だ。そんな見た目だが、立派に成人している」
「……嘘」
少女は驚きに目を開いてボクを見下ろした。……そこまで驚くことか? それよりも、この子は十七歳なんだね。そして、十七で酒を飲んでいるって事は成人とみなされる年齢は元の世界よりも随分と低そうだ。
店主の言葉に、厨房の前のカウンターで酒を飲んでいた青年が酒を噴き出した。器官に酒が入ったのかゲホゲホとせき込んでいる。彼は長杖の少女とは比べ物にならないほど目を見開いてボクを凝視していた。
「ま、マジでっ!? その子が成人っ!? 俺ぁ、てっきり八か九歳ぐらいだと……」
男が大げさに叫んだことで酒場がざわざわと騒がしくなった。そこまで幼く見るのか……。元の世界では少し幼く見えるくらいだと思うのだけれど。
「あの子が成人……?」
「えっ、店主の知り合いが手伝いに来てるんだと思ってた。店員だったのか……」
「迷宮の存在よりも不思議じゃね?」
「やだ、あの子成人してるの? 持ち帰っても怒られないって素敵っ!」
「その年であの体形か……。哀れな」
……おい、そこまで驚くことか? そこまでボクは幼く見えるのか? 確かに長杖の子は大人びて見えるけども。長剣の子に至ってはおっさんに見えるし。あと、三番目のお姉さん、同意が無ければ犯罪です。四番目のお兄さんは表出ろ。顔は覚えた。
「……アディンさん。この子のテーブルに蜂蜜酒と葡萄酒とエールを一つずつ追加です」
「分かった。おい、カッちん。注文のシチューが出来たぞ。自分で持ってけ」
「だからカッちん言うな」
アディンさんは出来上がったシチューを差し出すと、長杖の少女は、自分で給仕をする事に関してはなんの文句も言わずに皿を受け取った。ボクはお客さんに給仕をさせることに居心地の悪さを感じながら注文の酒をジョッキに注ぐ。
アディンさんは鼻を鳴らすと長杖の少女に声をかけた。
「という訳だ。ユキを雇うのに何の問題もない」
「……分かった。それに、私より強い」
そう言って彼女はボクの刻印を一瞥した。ボクは居心地が悪くなって体を縮ませる。
それから、ボクが酒を三杯用意したころには長杖の少女はテーブルに戻っていた。長剣の少女に絡まれてうっとおしそうに彼女を引き剥がそうとしている。ボクは彼女たちの元につくと頭を下げた。
「ごめんなさい。お客様に給仕させるなんて……」
「いい。ここは昨日まで食器を運ぶのも料理を持ってくるのも客の役目だった」
「あっははー。悪いと思うなら無料で一杯よっこせー」
「酔っぱらいは黙ってて」
「はは……。じゃあ、ボクはこれで」
長剣の少女の頭をはたく長杖の少女にボクは苦笑いを浮かべた。長剣の少女は口をとがらせて抗議をするが本気で怒っているようではないようだ。二人の距離感は随分と近く、仲の良さがよくわかった。
ボクはぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける二人を置いて厨房に戻った。
「……」
「どうかしたかユキ。初日だけあって疲れたか?」
「あ、いえ……。すいません。すぐに食器を洗います……」
注文の波が収まったことで一息ついたボクはぼんやりと酒場の喧騒を眺めていた。自分が放心していたことに気が付いて、すぐに目の前の食器に手を付ける。
バシャバシャという音を背景に、皿にこびりついた油を洗う。どうにもこっちの洗剤は元の世界のものに比べて性能は数段落ちるようだ。心持ち念入りに擦って汚れを落としていく。
それにしても……。とボクは酒場を再び見渡した。相変わらず老若男女を問わずに集まった探索者たちが、仲間同士で景気がよさそうに酒を飲んでいる。中には先ほどの少女たちほどの年齢の人間も当たり前のように混じっていた。
何が彼ら彼女らを迷宮に駆り立てるのだろうか? あの化け物と終わりのない通路を思い出すだけで足がすくむ。ボクには迷宮に潜ろうとする理由が理解できない。
自分はここの住民たちとは決して分かり合えない。そう思うと、意識が遠のいていくような、寒気を含んだ孤独を覚えるのだ。そして、その感覚はミツキにまで感じてしまっていた。
ボクが物思いに耽りながら皿を洗っていると、突然ある一角から歓声が上がる。何事かと思って見ていると、一人の老人がテーブルの上に立ち上がり、両手を広げて酒場中に語り掛けていた。
「さぁさぁさぁ! 御立ち合い、御立ち合い! 今日も始まる迷宮奇譚! 聞くも後悔、聞かぬも後悔! 居合わせた事が運の尽き! ホラ吹きピティとは儂のことさぁ!」
「おう、ピティ! 今日も楽しみにしてるぜ!」
「相変わらず可愛い名前してるな! 名前だけじゃなくて話もほのぼのとしたものにしねーのかよ!」
「ちっちっちぃ! そんな生ぬるい話を望んでいる奴がここにいるってぇのかい? 居る訳ねぇなぁ! なんせここは愚者たちの町なのだから!」
「そうです、そうです! アドミラは、アドミラはピティの話を楽しみにしているのです!」
「は、ちげぇねぇ!」
少年少女、いい年をした大人までもが子供のように、テーブルに立った白髪の老人に注目して囃し立てていた。
ボクは全く動じていないアディンさんに声をかけた。あれだけの騒ぎになっているのに何の反応も示さないのは流石である。老人が土足でテーブルに上がっているのは見なかったことにしよう。誰が掃除すると思ってるんだチクショウ。
「アディンさん、アディンさん! あれをほっといていいんですか? すごい騒ぎになってますけど……」
「ほっとけ、いつものことだ。それに、いい客寄せにもなる。……ピティの話が始まると注文が少なくなるからな。今のうちに休んどけ。気になるなら向こうで話を聞いていてもかまわん」
「は、はぁ……。一応、ここにいますよ。皿洗いも終わってませんし……」
老人が話を進めるたびに周りからの合いの手が飛んでいる。ピティの語りを気にせずに飲んでいるグループもいくらかあるが、店にいる大多数の人間は彼の語りに耳を傾け、騒ぎに加わっていた。
厨房にいても耳に入ってくる彼の話は、どうやら冒険譚のようだ。襲い掛かる怪物と罠を、知恵と勇気を駆使して打ち破る物語だ。聞いている分には心躍り、自分が体験するのは御免こうむりたい物語だ。
これは彼の実体験なんだろうかと首をかしげていると、横から声をかけられた。先ほどの長杖の少女だ。
「ピティの話を聞くのは初めて?」
「そうだね。酒場に出てきたのは今日が初めてで――って、えっと……カッちんさん?」
「その名前で呼ばないでって言ってる。カーティって呼んで。あっちで酔いつぶれてるのはエクエス」
「す、すいません……」
とっさに呼び名が出てこなかったので、アディンさん達と同じ呼び方になってしまった。悪気はないんだけど。
長杖の少女――カーティは手に持った空のジョッキを厨房の水場に置いた。
「あっ……、すいません。ほんとはボクが持ってこないといけないのに、気付かなくて……」
「気にしなくていい。いつもの癖。飲み終わってすぐに持ってきたから気が付くわけがない」
「そうなんだ……」
「それよりも、ピティの話が気になってる?」
「うん。聞いてる分には面白いね。探索者ってみんなあんな化け物なの?」
話は迷宮内での三つ首の飛龍との決戦に突入している。龍の体を駆け上がりながら剣を振るい、顎を砕いて口から吐き出そうとした灼熱の吐息を阻止するシーンだ。ピティはテーブルの上からバク宙をしながら床に飛び降りると、戦いの様子を体全体で表現している。
ピティ自身が体を動かして話を盛り上げる事もあれば、デフォルメされた人形を使って語りを進める事もある。
あの人形を動かしているのは魔法なのだろうか? ピティを熱心に応援していた少女が人形を動かしているように見える。
流石に酒場を舞台としていたのではあまり激しい動きはできないようだが、それでも素人が語っているとは思えない迫力だった。
順調にボルテージが上がってきている酒場の一角を見ながら疑問を口にすると、彼女は不可解そうに目を細めた。
「何を言っている。ピティが話すような化け物は歴史に名を残すような英雄だけ。ホラ吹きピティだの、奇譚だの言ってたでしょう? ほとんど作り話」
「ああ、そうなんだ……」
少しがっかりすると同時に安堵の息を吐いた。ミツキにはピティの話すような人外に片足を突っ込んでいるような動きは出来ない。話に出ている英雄でなくても迷宮から生きて帰る事が出来るようで安心した。
「……不可解。刻印持ちなら熟練の探索者のはず。なのにピティの創作を真に受けている」
「ボクは一度迷宮に迷い込んでしまっただけで探索者じゃないよ。一度は運よく生きて出られたけど、もうあんな所には潜りたくない」
「……不活性迷宮でも引いた?」
「不活性迷宮?」
聞きなれない単語が出てきた。長杖の少女は目を細めてボクを睨み付けてきた。なんだよいきなり、びっくりするじゃないか。
彼女はボクの疑問には答えてくれなかった。彼女がいきなり黙ったことで何を話していいのか戸惑っていると、アディンさんが代わりに答えてくれた。
「迷宮は極稀に休眠期に入ることがある。特に休眠期に入った迷宮を不活性迷宮という。休眠期の長さはまちまちで、数週間から数か月に渡るものまである。普段の迷宮は入るたびに姿を変えて地図が役に立たない他、罠や魔物がひしめいている危険地帯だが……休眠期の迷宮は違う。何度出入りしても構造が変わらないし、迷宮主以外の魔物が出てこない。一部の罠はそのまま残ったままになるがな」
「そうなんですか……。それじゃあ、ボクが迷い込んだのは不活性迷宮かな。迷宮主以外の魔物はいなかったし」
ボクは思っていた以上に運が良かったようだ。不活性迷宮を引き当てたおかげで今こうして生きている。もしも、休眠期じゃない迷宮に迷い込んでいたと思うと背筋が凍る。迷宮内で何も考えずに声を張り上げながら歩いていたのでなおさらだ。
ボクが今さらになって安堵に震えていると、カーティが静かに口を開いた。その声は、刺々しく凍てつくようで、振り向かざるを得ない圧力を持っていた。
「……不活性迷宮を攻略したなんて、言いふらさない方がいい」
「えっ……?」
彼女は憎悪にも似た目をボクの刻印に向けながら声を落として続けた。長杖を握る手がプルプルと震えていることから、心底イラついているのだと理解できた。しかし、ボクには怒る理由が理解できなかった。彼女は理解しないボクに対してさらに怒りを募らせているようだ。
彼女は吐き捨てるように口を開いた。
「理解してないようだから言っておく。不活性迷宮で刻印を手に入れたなんて口にしない方がいい。どんなに刻印が欲しくても、刻印を一度も手にせずに死ぬか引退する人は大勢いる。だから、運よく不活性迷宮で刻印を手に入れた人が羨ましい。私も、呪い殺してしまいたいほどに羨ましい」
「……ッ!」
そんな馬鹿なと思うが、彼女の殺意に満ちた瞳から本気である事が伺い知れた。彼女の肩が震えている。湧き上がる殺意を押さえているように……。ボクは何が彼女をそこまで駆り立てるのか理解できず、自らを抱きしめてこれまで感じていた事をそのまま口走った。
「訳が分からない……。どうしてそこまでして刻印を欲しがる? どうして迷宮に挑むんだよ。あんな危険に飛び込んでいくなんて理解できない……。正気じゃない。まるで、迷宮に取りつかれているみたいだ」
「……そう。取りつかれている。この町に来る人はみんな、迷宮を攻略しないといけない事情を持っている。私たちもそうだし、例えばピティもそう。舞台にでも立っていた方が似合うのに、いつまでも迷宮に潜ってる。ここは、そんな人が集まる愚者の町。ピティも言ってたでしょう? これは奇譚だって。この町の住人の生活は、部外者がみれば理解できない奇譚に見える」
「……」
彼女は黙りこくったボクを無視してアディンさんに追加の蜂蜜酒を頼むと、自分で樽からジョッキに注いで、相方が酔いつぶれて寝ているテーブルに戻っていった。
彼女は去り際に頭を押さえて唸るボクに声をかけた。
「迷宮に潜る人間を認められないなら、町を出た方がいい。それが君のため」
「……無理だよ。ボクにはやらなきゃいけない事がある」
この町の住民の人間性を見て思った。ミツキをこのまま町に置いていく訳には行けない。
ストッパー役が居ないまま、次々と迷宮を攻略して野垂れ死ぬのが手に取るように分かる。
……現在、ミツキはシュリたちと共に迷宮に潜っており、しばらく帰ってこない。喧嘩して気まずいなど言ってはいられない。帰って来たらすぐにでも話し合わなければならない。
ボクはそう決心して拳を握った。
少女は唇を噛みしめるボクを一瞥して、今度こそテーブルに戻っていった。去り際の一言がやけに耳の奥に残った。
「私から見れば、君も迷宮に取りつかれている」
「……」
望みを持って迷宮に関わるものを探索者というのなら、ボクも探索者と言っていいのかもしれない。
先輩探索者による新人探索者への心構えの指導はたった今終わった。
そうして、ボクと彼女の関係はただの客と店員に戻っていく。
ボクに警告を与えた長杖の少女と相方の長剣の少女は、数日ごとに酒場に訪れては酒を飲んでいった。
しかし、見慣れた客が二度と店に訪れなくなり、代わりに見慣れない顔が店の常連になっている。そんな事が何度か続いた。
彼女たちや他の常連が店を訪れるのはあと何回だろうか?
ここは、人が消えても誰も疑問に思わない。それが当たり前の、狂った町だった。
時が立つにつれてボクのミツキに対する不安はどんどん大きくなっていく。
少しでも気を抜けば夢半ばで迷宮に喰われ、死体も残らない。それでも、町の人口は減っているようには見えない。
人が死ぬたびにどこからか補充されてくる。本当に奇妙な町だ。
胸に希望を抱き、野心を磨き、迷宮に挑む。その様は英雄のようで、勇者のようで、そして同時に――。怪物の前に首を差し出す哀れな餌のようにボクには思えた。
この町では、迷宮に取りつかれた者たちが、今日も死地に飛び込んでいくのだ。




