すげかえデュラハン!
お父さんとお母さんはよく私に対して『世界は広い』とか『空はきれいで、どこまでも広がっている』とか、とかくこの世の広さを滔々と話してくれるけれども、私はそれが嘘だということを知っている。
いや、確かに世界地図の上を飛行機で飛び回っているお父さんとお母さんからしてみれば、この世界は自分たちが一生かけても回り切れないほど大きくて広大で素敵な場所なのだろう。
けれども、小学生の私からしてみれば、飛行機に乗って世界中を飛び回ったこともなければ、遠く遠くに見える山の向こうすら見たことのない私からしてみれば、世界というのはあまりにも小さくてみみっちくて、薄汚い場所なのである。
昔の人は行ったことのない世界の端っこを滝だと表現した。奈落の底に落ちる滝だと。
あれは結局、『行ったことのない、見たこのない世界はその人にとっては存在しないと同義である』ということなのではないだろうか。
だからお父さんとお母さんが帰ってきたらまず私に話してくれる行った先の思い出話も、私からしてみればノンフィクションのドキュメンタリーなんかではなくて、フィクションのファンタジーなのである。
つまり、なにが言いたいのかといえば、人は結局、自分が存在する小さな小さな世界の中で、うまく立ち回って生きていかなくてはいけないわけで――そんな小さな世界の中で自由に生きることができる人に、私は憧れる。
「ねえねえ、そう思うでしょ?」
「え?」
思考に浸っていた頭が、呼びかけられた声に反応して現実に戻った。
しまった。ついうっかり、話を聞くのを忘れていた。どうしよう。なにか反応をしないと彼女が不機嫌になってしまう。この場から追いだされて、クラスでの居場所がなくなってしまう。
「そ、そうだよねー」
とりあえず私は、不審がれないように適当に相槌をうった。内容もなにもないすっかすかな返事だけれども、彼女はそれで満足してくれた。よかった、間違えていなかった。
小学生なのに既に髪の毛を巻いている彼女は――ゆるふわカールというんだっけ?――私が引きつった笑顔で返すと、髪の毛先を弄りながら何度も頷いた。
「でしょう、かわいいでしょう、これ」
彼女は自分の筆箱を指先でつつきながら笑った。いや、筆箱というよりは、そこについているキーホルダー。という方が正しいかもしれない。
そのキーホルダーのキャラクターに、私は見覚えがあった。最近巷で人気が高まっているゆるキャラである。名前はなんだったけな。忘れちゃった。
ここでようやく私は、彼女が自分のキーホルダーを自慢したいのだ。ということに気がついた。
「いいなー、私もほしいなあ」
だから私は羨ましそうな声色で、彼女に言った。彼女はそれだけで嬉しそうに口元を緩めるのであった。
小学生にとっての世界というのはつまるところ『クラス』である。ほかのクラスはもう別世界だ。中々入ることすら叶わない。入りづらい。
そんなクラスの中で、彼女は言うなれば頂点にいる。キングだ。いや、女の子だからクイーン? クイーンって女の王様って意味だったっけ?
まあいいや。とにかく、頂点に彼女はいる。
それならば、彼女に引っ付いて、頂点にいる彼女の地位のおこぼれを頂くというのもいい考えではないだろうか。
そんな私のことをクラスメイトは『一軍のイエスマン』だの『人身御供』だの言ってるらしいけれども、私はここにいたくてこうしているのだ。彼らにどうこう言われる筋合いはない。
ここにいるだけで、私の世界での地位は不動のものになるのだ。ああ、でもいつか彼女になってみたい。と思うことはある。彼女みたいに、好き勝手に自分勝手に生きて話して、それが問題なく受け入れられるような、そんな存在に。
「ねえ、そう言えばさ、こんな話知ってる?」
彼女はそんな風に話を切りだした。さっきまでゆるキャラの話をしていたというのに、急すぎる話題転換だ。
まあ、彼女のそういうところはいつものことだから、特に突っ込んだりはしない。
自由気ままに自分気まま。そういう風に生きることができる。
そういう所が、羨ましい。
彼女が話題に出したのは、どこの学校でもありそうな、けど意外と話には聞かない『学校の七不思議』についてだった。
私自身、彼女にその話題をふられなかったら、多分知ることなく卒業することになっただろう。
昇る時と降りる時で数が違う階段。
願いを叶えてくれる呪の鏡。
図書館にいない人。
動く人体模型。
観察池の幽霊。
急に鳴る公衆電話。
そして。七つ目。
「貯水タンクの死体」
その噂については、誰かに聞いたことはなかったけれど不思議なことに知っていた。
誰かに聞いたわけではないけれど、なぜか知っていた。
学校の噂話というのは、意外とそういうものだ。
この学校の屋上には貯水タンクがある。屋上に入ることは禁止されているけれど、それは結構大きくて、運動場からでもそれを確認することができる。
断水したときとかのためにある貯水タンクではあるけれど、その中の水が変えられているところを見たことがないからか、その中の水は腐っていて、虫とかが飛んでいるイメージがある。
だからだろう。
その腐った水の中に、死体が浮かんでいるのではないか。という噂が流れるのは。
確かに、一度閉じてしまえばその中が見えることはないし、臭いも外に漏れることはない。多分。
隠し場所としては絶好の場所のような気もする。
そこまで考えてから、彼女が次にどう反応してほしいかについて考える。考えて、口にする。
「こわいよねー本当なのかなー」
「どうなんだろうねー」
彼女は私が言い終えたのと殆ど同時に、腕を組むようにしながらそんなことを言った。けれども、その口は緩んでいて、次に言うことを決めているようだった。
実際、そのあと。
「ねえ」
と組んでいた手を机の上に置いてから、反対側に座っている私に顔を近づけた。近い、近い。
「これさ、本当かどうか、確かめてこない?」
私はこの後すぐ「はい?」と素っ頓狂な声をあげた。
確かめに? 死体が本当にあるかどうか、わざわざ立ち入り禁止の屋上に行って?
いや、いやいや。
それよりも。
『こない?』なの? 『いかない?』じゃなくて。
一緒に行くんじゃあなくて。確認してきてってこと?
どうして私が?
「ねえ、いいでしょう……?」
彼女はお願いをするかのように言ってきた。けれどもその言葉の裏には『こちらの頼みごとを聞いてくれなかったら、このグループの中にいれないよ?』という言葉が隠れているようだった。私の立場はごのグループの中で一番低い。言うことを聞かなかったらここにいることもできなくなる。そんなことがあれば、残されるのは孤立だけだ。小さな世界の中で孤立。それは、ダメだ。ダメだ。ダメだ。
だから私は。
「わ、分かった。確かめてくる」
と頷きざるを得なかった。彼女の満足げな表情に、私は自分と彼女の差に歯噛みしながら少しだけ目をそらすのだった。
黒髪で、前髪ぱっつんの女子がぼーっと天井を見ながら「ふむ」と呟いていた。この子、名前なんて言ったっけ?
***
夜になった。私は布団からでると、外へと出て行った。両親がいないことなんてよくある家庭に生まれててよかった、と私はこの日は適当に考えたりした。
どうして夜なのかと言えば、学校がある最中やみんなが遊んでいる放課後だと屋上にいたら誰かにバレてしまうかもしれない。と思ったからだ。
夜ならば、誰も学校にはいない。だから、人目を気にする必要もないだろう。まあ、光もないから懐中電灯とかを持っていかないといけないんだけど。
学校に向かう。もちろんのことだけれど、校門は閉じていた。私はそれをよじ登って運動場に着地した。必ずと言ってもいいほど誰かがいる印象がある運動場がしん、としているのは中々どうして新体験というか、不思議な感覚だ。
地面に書かれている――多分踵とかで書いたのではないだろうか――ドッチボールをした後だと思われる線を見ながら、さて、どうやって校舎の中に侵入しようかと色々考えている時だった。私は、一つの足跡を発見した。
いや、皆が大休憩、昼休憩と縦横無尽に遊びまわっているのだから、幾つでも幾重にでも足跡はあるものなのだけれども、けれども、その足跡はその中でもかなり浮いていた。ほかの足跡に潰された跡が一つもない。そして、迷いなく淀みなく校舎の方へと向かっているのだ。
もしかして、私以外にも学校に忍び込んでいる子がいるのではないだろうか。
そう考えた直後だった。校舎の方からガチャン、と音がした。ガラスが割れた音だった。
なんだろうか。不審者だろうか。いや、この状態から言うと、私も不審者なのだけれども。
興味がでた私は、音のした方へと向かってみた。
音のした場所には一人の女子がいた。その手には大きめの石が握られている。
その後ろ姿に私は見覚えがあった。そうだ、同じクラスの……名前なんだったっけ。
思いだせない。とにかく、暗い子だってことは覚えているんだけれども。
黒髪の女子は手に持っていた石を放り捨てると、割れている窓ガラスに腕を突っ込んで、鍵を開いていた。どうやらさっきの音は、黒髪の女子が石で窓ガラスを割った音だったようだった。バレたら怒られそうなことをする。
けれども、これは好都合だ。
どうやって校舎の中に入ろうか考えていたんだけど、これをそのまま利用させてもらうことにしよう。
私は彼女が入ってどこかに行くのを待ってから、開いた窓から校内に侵入した。
しん、とした校舎の中は独特の冷たさがあった。寒いというよりは冷たい。そんな感じだ。
屋上へと続く階段を登る。ついでだから階段の段数を数えてみたりもしたけれども、段数が変わったりすることはなかった。
この様子なら、きっと貯水タンクの噂も嘘に違いない。そうは思ったものの、きちんと確認しないと私はあのグループにいることができなくなる。
私は屋上の扉の前に立った。立入禁止だからきっと鍵がかかっているだろうと予想していたのだけれども、おかしなことに鍵はかかっていなかった。立入禁止だと教えたらわざわざ確かめるような子はいないだろう。という考えがあるのかもしれない。
実際、確かめたりしたことはなかったけど。
屋上へと続くドアを開いて屋上にでた。
屋上は風が強かった。なびく髪をおさえるように、私は額を手のひらでおさえた。
風がやんで、屋上を一瞥する。そして、するんじゃあなかったとすぐに後悔した。
なぜなら貯水タンクのすぐ近くに、花束が置いてあったからだ。まるで、誰かの死を悔やむみたいに。誰かが死んだみたいに。
ぞくりとした。ぞわりとした。
誰かがここで死んだという事実がそこにあったのだから。
私の視線は自然と貯水タンクの方へと移っていた。死んでいる? 死んでいる? 死体は、どこにあるの?
息を吐いて、吐いて、吐いて、自身の心を落ち着かせる。そうだ。花束が置いてあるということは死体は発見されているっていうことだ。だから、貯水タンクの中にはなにもない。あるのはきっと、腐った水だけだ。
開かないと。貯水タンクを開いて中身を確認しないと。そうしないと、私はあそこにいることができない。
貯水タンクへと近づく。夜の風は冷たく、寝間着のままの私の体をこれでもかと冷やしていく。寝間着と言っても、パジャマではないよ。
貯水タンクは屋上の端っこ――入口から最も遠い端にある。私はその元へとたどり着くと、貯水タンクの周りを観察するように歩く。
どうやら貯水タンクの入口は、側面にはないらしい。
考えてみればそれは普通のことで、側面に開くドアがあったら、開けた途端水がどばーっと流れだしてしまうじゃあないか。
「ということは……」
私は貯水タンクを見上げる。つるつるとした側面は登りづらそうではあったけれども、おあつらえ向きというかなんというか、上へとあがるためのハシゴがかかっていた。
ハシゴに足をかける。ぐん、ぐんと登っていく。貯水タンクは結構大きくて落下防止用の金網よりも高くに私の体はあった。高所恐怖症というわけではないのだけれど、やっぱり高いところにのぼると心臓がバクバクしてしまう。
ハシゴの一番上から、体を乗りだしてみる。フタのようなものが表面から盛り上がっているのが見えた。あれか。ハシゴの一番上に足をひっかけて、私はそこへと手を伸ばす。ギリギリというわけでもなく、開けばそこから中を覗けそうだった。
フタの取っ手に、手をかける。心臓がバクバク動いているのがよく分かった。
大丈夫、あれは嘘だ。根も葉もない噂だ。だって、誰もこの中を見れないじゃあないか。
開けて、中身を確認して、腐った臭いに鼻をつまんで、それで終わりだ。
私は意を決して、貯水タンクのフタを開いた。むわっと、腐った臭いが私に向かって飛び込んでくる。鼻が自然と曲がってしまいそうだった。
貯水タンクの中はもちろんのことながら真っ暗でなにも見えない。私は用意しておいた懐中電灯をお尻のポケットから取りだして、貯水タンクの中を照らす。
貯水タンクの内側の側面は藻だったりカビだったりに覆われていた。中に入っている水はやはり腐っていて、どこからきたのかはてんで想像つかない水藻がぷかぷかと浮かんでいる。こんな状況をどこかで見たことがある。そうだ、使われていない時の学校のプールだ。
学校にある使われない水溜めはこうなってしまう結末でも決まっているのだろうか。
こうしてみると──あまり食べ物で例えたくはないのだけれども、腐って茶色になっている水と相成ってそれはまるで味噌汁みたいだ。
水藻はワカメで、となるとそこに浮いているぶよぶよとしたものは油揚げだろうか。
ぶよぶよとしたものが味噌汁の上に浮いている。風呂に入った後の手の指みたいにふやけているのだろうか。と考えていたそれは、思った以上にふやけていて、飛びだしていて、中身という中身をぶちまけていた。
少なくとも、あれを元人間なのだと一目見て判断できる人は、きっといないと思う。
自然と鼻がひん曲がってしまいそうな臭いは悪臭にして腐臭にして──死臭だった。
「…………ぁ」
声がでなかった。言葉が浮かばなかった。開いてしまった口は喉の奥を痛めつけたような音がでて、自然と貯水タンクの穴から頭をさげて、重心を後ろにさげる。当たり前のように、一歩後ずさる。ハシゴに足をかけている状態だということを忘れて、足を動かす。
気づいた時には、思いだした時には遅かった。ずるり、とハシゴから滑った私の足は、体を引っ張るみたいに落ちていく。落下防止用の柵よりも高い位置にあった体は、そんなものを意にも介さず、階段を使わずに階下へと向かう。
こっちは確か、校庭じゃあなかったような気がする。
校舎裏の、先生たちの車が置いてある方。鯉が泳いでいる観察池がある方。
地面は土じゃなかったはず。
痛いかなあ。痛いだろうなあ。
視界の中で校舎が空へと飛んでいく。もちろんそんな非現実的なことは起こるはずもない。私の体が落ちているのだ。
誰かと視線があったような気がした。見えなかったけれど。でも、誰と目があったのかは分かる。今学校にいるのは私とあと──黒髪のあの子だけだ。
そうだ。思いだした。あの子の名前。確か、否堀小瑠璃っていう――。
***
……。
…………。
………………。
視界が真っ暗だ。
体中が痛い。すごく痛い。じんじんする。
正座した時みたいに痺れている。けれど、頭だけは妙にすっきりしている。軽くて、痛みもなくて、すっきりしている。
どういう訳だろうか。落ちた時、頭だけは地面にぶつからないような特殊な落ち方でもしたのだろうか。
私は屋上の方を見上げた。けど、視界は真っ暗でなにも見えなかった。
更に言えばなにも聞こえなかった。なにも喋れなかった。もしかして、落ちた時のショックで耳が聞こえなくなってしまったんだろうか。
耳の調子を確かめるように耳を触ろうとして、手のひらはすかった。手のひらに真ん中に芯があるぐちょぐちょとした感触と水に触れたような感触が同時に広がった。位置的には、首がある辺りだ。
あれ、もしかして。
私の頭、どっかに行っちゃった?
だから見えないし聞こえないし喋れないのだろうか。どこに行ってしまったのだろう。探さないと。頭がないのは色々不便だ。
起き上がった私は数歩歩いてからすぐに、壁にぶつかった。まだじんじんする体が、さらに痺れた。やっぱり周りが見えない状態で歩くのは危ないだろうか。両手を前に突きだして、そこになにがあるのかを確認しながら恐る恐る移動する。足はすり足でもするみたいに動いて、こけないように注意する。
どこに行けばあるのだろう。そもそも私は今どこにいるのだろう。それすらもなんだかよく分からない。見えないっていうのはそれだけでもう、不便極まりないことなのかもしれない。
しばらく歩いていると、足元が揺れていることに気がついた。どうやら誰かが近くを走っているらしい。否堀さんだろうか。あの子、走ったりするのかな。
私はその振動の方へと歩いていくことにした。目的もなく歩いていた時と比べて、その足の進みようは迷いなくてよどみなかった。
体がなにかにぶつかった。
壁かと思ったけれど、壁は勝手に動いたりしないから違うのだろう。それは私の体を思いっきり押してきた。体がよろめいて、私は慌てて左足を後ろに置いて倒れそうな体を支える。
いきなりなにをするんだ。私は両腕を前に突きだした。両手の平がなにかを掴んだ。丸い。そして大きい。まるでスイカみたいだ。
ああ、こんなところにあったんだ。こんなよく分からないところにまで転がってたんだ。私はそれを挟むようにして掴むと持ち上げて、首の上に置いた。
首の上に冷たいものがひっついたような感覚があって、なにか大きなものが倒れる音が聞こえた。聞こえた、ということはやっぱりこれは頭だったらしい。けど、なんだか視界がボヤけている。まるでメガネを外している時みたいだ。メガネをつけるほど視力が悪いわけではないからよく分からないけど。
「あぁー」
声もなんだか違う。しゃがれているというか、枯れ枝の笛を吹いているみたいだ。
なにより、なんだか頭が重い。私の頭、こんなに重かったっけ。
とにかく、鏡を見て確認してみることにしよう。ボヤけていて、遠くが判断できない視界を動かして私は鏡を探す。そう言えば、階段の踊り場に鏡があったような。私は近くの階段――多分、西階段かな――の方へと歩を進める。途中、図書室の横をすぎる。図書室。そう言えば、ここにも噂があったよね。彼女はどうしてこっちの噂は気にならなかったのだろう。図書室にいない人。まあ、彼女は図書館を利用するタイプではないし、さほど気にはならなかったのだろう。
廊下側の窓から図書室の中を覗いてから、私は歩を進める。図書室には誰もいなかった。
階段を降りて、踊り場の姿見の前に立つ。子供の背丈にあわせて設置された姿見は、私の顔をしっかりとうつしてくれた。
私の顔はしわくちゃだった。髪の毛は短くて薄くて、そして白い。目には覇気がなくて全体的にだるん、とした印象がある。そしてなによりも――男だった。
「これは――私じゃあない」
***
私の頭はどこに行ったんだろう。
見えなくて聞こえなくて喋れないというのは不便極まりないから、私のではない頭を首の上に置いたまま、私は私の頭を探して漂泊をはじめた。白い方ではない。泊まるの方だ。
しばらくすると私のではない頭は使い物にならなくなって、仕方ないからそこらへんで捨てた。真っ暗闇の中を徘徊していると、たまに頭と巡り合うことがある。けど、それはいつもいつも私のものではなかった。どこに行ったんだろう。どこに行ったのだろう。私の頭。誰かが持っているのだろうか。誰かが隠しているのだろうか。だとしたらひどい話だ。人の持ち物を盗んでいいだなんて、一体誰が言ったというのだ。
ふらふらとさまよう。徘徊する。頭を何度もすげ替えて、私の頭を探す。
そうしているうちに、もしかしたら彼女なら持っているのではないだろうか。と考えるようになってきた。これだけ探してもないのなら、きっと誰かが盗んで隠しているんだ。そんなことをするのは、彼女ぐらいだ。
そんなことをして許されるのは、彼女ぐらいだ。
まったく、ひどいことをする。私はもー、とか言いながら許さないといけないじゃあないか。ああ、羨ましい。
しかし困ったことに、私は彼女の家を知らないのだ。
仕方ないから家を知っている子のところへ行って、彼女の住んでいる家の住所を教えてもらうことにしよう。その子はいきなり来た私に驚いたようだったけれど、彼女の住所を教えてくれた。なんだか少し焦っているようにもみえた。焦らなくてもいいのに。
教えてもらった住所を頼りに、私は彼女の家へとついた。自由に生きることを許されている彼女は、どんな家に住んでいるのだろうと思っていたけれども、どうやらマンションの高い階に住んでいるらしかった。高い。恐い。近づきたくない。
困った。これじゃあ、頭を返してもらうこともできないじゃあないか。だから私は彼女が降りてくるのを待つことにした。マンションの入り口でずっと待っていると、どうやらどこかに行っていたらしい彼女が近づいてくるのが見えた。少し大人びたようにも見える。それは彼女がスーツを着ているからかもしれない。
男子三日会わざれば刮目して見よ。と言うけれど、それは女子でも変わらないらしい。三日? そう言えば屋上から落ちてから何日過ぎたのだろう。数えてなかったや。今度、数えておこう。
私は帰ってきた彼女に声をかけた。彼女ははじめ、私だと気づかなかったのかまるで不審者でも見るように大声をあげていたけれども、私が頭を返して。と言うと、途端におとなしくなった。やっぱり、彼女が持っていたらしい。私は彼女から頭を返してもらった。近くに鏡があったから、それで確認する。
前に見た時よりも大人びていた。化粧もほどこされてる。ゆるく巻かれた毛先は前と変わらない。快活で自信にあふれた目からは涙があふれていたから手の指でぬぐった。血がついてしまった。
「うん」
私は頷く。
その声は誰よりも自信にあふれていて、憧れそのものだった。
「私の顔だ」