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三日目:遠乗り


 翌日、部屋に突撃してきた焔子えんしと朝食を終えた呼舷こげんは、早速焔子と連れ立って厩へ向かった。その道中、朝食を取っていた時のことを思い出す。焔子は余程楽しみにしていたらしく、朝食の間中そわそわしていた。呼舷は左隣のその気配に苦笑するも決して悪い気はしなかった。


 厩の前にはすでに鞍をつけた遠邇えんじと、供をする伴鴻ばんこうが自分の乗る馬の手綱を引いて待っていた。焔子はパタパタと伴鴻に駆け寄って挨拶をし、遠邇と伴鴻の馬を撫でて頬に口づけしたかと思うと、そのままするりと厩の中へ入ろうとする。

 それを見た伴鴻と呼舷は、焔子に気付かれぬように目配せをして、やんわりと焔子を止めた。


「焔子殿。今日の遠乗りは阿古あこには酷です。私の馬にお乗りください」

「…え?」


 驚き振り返った焔子。呼舷は伴鴻から遠邇の手綱を受け取りながら、焔子に顔を向けた。


「私の馬、遠邇は私と伴鴻以外に懐かぬと思っていましたが、焔子殿にはそうでないと聞きました。焔子殿であれば、遠邇も背に乗せるでしょう。今日の遠乗りは抄都しょうとを抜けて南へ軍馬を一刻半ほど走らせるところへ向かうつもりをしています」

「では、私にも一頭お借りできませんか」


 焔子がそう言うだろうことは想定内だ。だが、呼舷はそれを許すつもりはなかった。

 遠邇の他に馬はまだいる。それでもあえて焔子を呼舷の馬に乗せようと決めたのは、呼舷の身を守る為だ。一騎与えてしまえば同じ馬に乗せるよりも攻撃しやすくなる。考え過ぎだと笑う者も居るだろうが、武人であり、ましてや国軍最高位に准ずる四極将(きょくしょう)の一角を担う呼舷にしてみれば当然の警戒である。呼舷は何食わぬ顔で焔子に他の馬は今日は休ませる日だと告げた。


「さ、お手を」


 困惑気味の焔子だったが、呼舷が差し出した手を見るなりその目が驚きに見開かれた。そして呼舷の顔と手を交互に見つめるうち、焔子の頬は蛸を茹でたようにじわじわと赤く染まっていく。


「焔子殿?」

「…あの…その、もしや私は…呼舷様の〝前〟に乗せて頂く…わけでは、ないです、よね…?」

「まさか後ろに乗せるなど失礼なことは致しません。それに、万一の際に焔子殿をお守り出来ません」


 これも嘘だ。焔子を呼舷の後ろに乗せれば、その分背後を突かれる危険が増す。だから焔子は前に乗せる。危険因子は極力目の届く範囲で最大限その力を殺ぐ。

 だが、噓も方便。守るためとうそぶいた呼舷の言葉を焔子は当然そうは取らない。赤く染まった頬はさらにその範囲を広げ、呼舷と呼舷の手と遠邇を順繰りに見遣りながら、耳はおろか首まで真っ赤にさせた頃、焔子はふらりと遠邇に助けを求めるようにすり寄り、ぶつぶつと何かを呟いた。


「……呼舷様の腕の中で一刻半…?往復で三刻…?…無理無理無理無理…」

「焔子殿?どうなされた。顔が赤いようだが?」

「………………………無理ですぅぅう…」


 聞き取れない声で何かを呟き続ける焔子に呼舷はわずかばかり苛立った。さらには首に縋る焔子を慰めていた遠邇が、ふいに顔を上げて呼舷を責めるように歯を剥き出して小さく嘶く。まるでおまえは焔子のことを解っていないと言いたげな遠邇に、今まで遠邇に歯向かわれたことがない呼舷は驚き以上に非常に釈然としないざわざわとした感情をはっきりと感じた。


「…焔子殿」

「はい?」

「失礼仕る」

「え?…ひょわッ!?」


 このままでは埒が明かないと思った呼舷は焔子の腰を掴むや、ひょいと持ち上げて遠邇に乗せ、自分も遠邇に跨がった。


 「動きます」


 焔子の裏返った高い声がそれでも諾と返事をしたのを聞いて、伴鴻に出発するぞと目配せをすると、伴鴻はそれに頷くもなにやら含みのある笑みをその顔に貼付けていた。遠邇もいつもと違ってどこか不満げだ。焔子を乗せたせいかと思ったが、焔子が首を撫でてやると大人しくなったあたり遠邇の不満は呼舷にあるのだろう。


――どいつもこいつも一体なんなんだ。


 ふいに優しげな、柔らかく甘い香りが呼舷の鼻腔をくすぐった。


――!


 この香りは呼舷の屋敷で使われている香油だ。焔子の頭がちょうど呼舷の胸元にあるから、焔子の髪が揺れる際に香るのだろう。焔子は今呼舷の私邸で寝泊まりしているのだからなんら不思議はない。香油をつけた直後はもちろん、着替えの時などに自分でも感じる香りだ。嗅ぎ慣れたそれ。なのに。


 心臓が跳ねた。


 焔子の髪から漂う香油の香りがいつもより甘やかに感じるのは何故なのか。なぜこうも心臓をざわつかせるのだろうか。


 その答えも、伴鴻の笑みの意味も、遠邇の反抗の所以も、なにもかも判然としないまま、呼舷は遠邇を走らせ目的地へと向かった。


:::


 遠邇を走らせ一刻半。呼舷達は首都・抄都の南の端にある架嶮山かけんざんへとたどり着いた。国内随一の広さを誇る湖の中に聳えるその山は、南方には珍しく岩山であるため動植物があまり生息しない。あっても裾野に腰ほどの高さの常葉樹があるくらいだ。そのため周囲に住む者達は神が棲むから生き物が遠慮をするのだと考え、架嶮山を霊山として崇めていた。

 とはいえ、入山が禁止されているわけではないし、動植物が生息しないとはいえ、全く何もないわけではない。実は春先の気温が安定しないこの時期にだけ見ることが出来る光景がある。呼舷が遠乗りにこの山を選んだのはその景色が目的だった。


「馬が入れるのはここまでです。伴鴻と馬はここで待機させます」

「…わ、わかりました…あの、まだ先に行くのですか?」

「ええ。お見せしたい物は山頂にあります故。お疲れでしたら先に昼食にいたしますが」

「あ、その…体を、動かしたいので…ま、参ります…」


 先に馬を下りた呼舷が手を差し出せば、焔子はよろよろとひどく疲れた様子で呼舷の手を取った。馬には乗り馴れていると思っていたのだが、道中焔子はずっと肩から力が抜けず、かといって呼舷も他愛もない話を振れるほど社交的ではないため緊張し通しだったようだ。もっとも、それなりの速度で走らせている馬の上で会話などしようものなら舌を噛んで口周りが血みどろになっていただろうけれど。


 そっと添えられる焔子の手はほっそりとしていて呼舷と比べてあまりに華奢だ。それでも筆や楽器だけを触って生きて来た女の手には到底見えない。様々な道具を使い、生活の為に酷使している従仕じゅうしのそれと同じように見えた。

 解らない、と呼舷は思う。焔子は一体何者なのか。疑問は募り、疑いは深まる。それでも不思議と焔子の手の温度は呼舷に馴染んだ。


 伴鴻と馬を置き、ゆったりとした足取りでふたりは山道を行く。山道と言っても岩山であるから周囲に草木はなく視界が広い。春先の陽気に空は青く、足下の黒灰色と重なりいっそう空の鮮やかさが際立っていた。時折呼舷が焔子に歩調を尋ね、焔子がそれに幾分緊張のほぐれた様子で大丈夫だと応えた。


「焔子殿、もしよろしければここから目をつぶっていて下さいませんか?」


 間もなく山頂というあたりにたどり着いたとき、呼舷は焔子にそう投げかけた。焔子はどういう意味だろうかと呼舷を見上げる。そのあまりにきょとんとした様子に呼舷は思わず目元を緩めた。


「よいものをご覧にいれましょう。しばし私に身を委ねていただけますか」


 言葉を重ねると、戸惑った様子ながら焔子はそっと目を閉じる。素直に言葉に従った焔子を呼舷はなんの前触れもなく横抱きにした。


「ひょわあッ!?」

「っと」


 予想だにしない呼舷の行動に、焔子は思わず手足をばたつかせて目を開けてしまった。呼舷もまさかここまで盛大に動かれるとは思っていなかったため、焔子を落とすまいと腕に力を込めた。そうなれば当然、ふたりの顔は自然と近づき――


 ぼっと音を立てて焔子の顔が真っ赤に染まった。


「……」

「……」

「……」

「……焔子殿…そのように見つめられては、その、穴が開きます…」

「……ッ!…ッ!?」


 見つめ合うことしばし。先に音を上げ、目をそらしたのは呼舷の方だった。焔子がこんな反応をするなど思ってもいなかった呼舷は、焔子にてられて自身の頬もじわじわと熱くなっていることに動揺していた。焔子に声もかけず抱き上げたのはほんの冗談のつもりだったのだ。焔子がこれほどまでに驚き、見つめられるとは思ってもいなかった。


「……申し訳ない焔子殿…一声おかけするべきでした…どうか、目を…」

「ははははははははいッ!閉じます!今すぐ閉じます!!」


 我に返った焔子が目を閉じるだけではなく、手で顔を覆って限界まで俯く。呼舷はそれにほっとするも、どこかしら残念に思っていることに気付かぬまま、ゆっくりと山頂を目指し歩き始めた。


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