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二日目:募る疑念、気付かぬ心

 翌日、呼舷こげんは禁城に赴いていた。婚儀を遅らせた以上、軍務を疎かにはできない。かといって、婚礼前の花嫁をひとりで放置するのも如何なものか。考えた結果、呼舷は禁軍総大将に訓練監督の免除を申請しに彼の執務室を訪れていた。事情を話せば総大将である万瀑ばんばくはたっぷりとひげを蓄えた顔を綻ばせ、簡潔に諾と答えた。


「有り難う存じます」

「なに、周辺国にきな臭い話もなく平穏そのもの。気になる事といえば斤欄宗きんらんしゅうの教徒が各地で僧侶と揉めとるようだが…まぁ軍が動くような事態にはなるまい。貴様の常の仕事ぶりなら問題もなかろう。むしろ、ちゃんと嫁御の相手をしようとしてることに安心したくらいだ」

「言ってくださる」

「嫁に逃げられてもうんともすんともなかった貴様が、大した成長だと褒めてやっておるのだ。仕事バカの今までの貴様なら、放っておいただろう?」

「まさか」

「はん!どうだかな。それとも何か?仕事を投げ出しても相手をしたいほど良い女なのか?」


 ニタリと笑う万瀑に、呼舷はいかにも面倒だといった様子で「…さて、どうでしょう」とだけ答えたが、そんな答えで万瀑が満足するはずもなく、いっそう顔をニヤつかせた。


「もったいぶらずに言ったらどうだ?んん?そんなに好みだったか?」

「…好みは特にありませんので、如何とも言い難いものですが」

「どんな女か簡潔に言え」

「…素朴で野の花のような女性です」

「ほう?具体的には?」

「…………言葉を選ばないなら、凡庸で垢抜けない女です」


 憮然と言い放った呼舷に、さすがの万瀑もその答えは予想外だったのか、ぽかんと口を開いた後、憐れみが滲む渋面を作った。


「…お主一体どこの田舎娘を貰ったんだ」

朔州さくしゅうです」

「…朔州?」

「朔州刺史(しし)のご息女です。豪族とは言え名家です。無下に扱うわけには参りますまい」


 なにやら深刻そうに黙り込んだ万瀑に、呼舷は苦笑し、言葉を足す。


「無礼を申し上げましたが、肝要なのは外より内。さすがは名家のご息女、豪商の強欲な娘や成金貴族の気取った娘など比べるのも憚られるほど慎み深く聡明です。よい縁談を頂きました。…まあ、いつまでもつかは知れませんが…」


 言いながら、呼舷はいつか焔子もいなくなるのだと改めて思った。昨日の一件では、今までの女とは違うように思われたが、呼舷の崩れた顔に怯えたのは確かだ。いつか堪えられなくなるに違いない。


「…貴様のそんな顔は初めて見たな…」


 知らず物思いに耽ってしまったらしい。万瀑が呟いた言葉を呼舷は珍しく聞き逃した。


「申し訳ありません、今なんと?」

「いや、なんでもない。貴様の肚の底は知らんが良い縁談だと思うなら大事にすることだ。下がって良いぞ」

「は。失礼致します」


:::


 万瀑ばんばくの執務室を辞して長い回廊を歩いていると、行く先からひとりの男がこちらへと歩いて来ていた。近づいてそれが禁軍南極将きんぐんなんきょくしょう禍斬かざん 應侫おうねいであることに気付く。禍斬も呼舷に気付いたらしく、ぱっと笑みを浮かべた。


「よう呼舷。元気か」

「ああ、禍斬も相変わらずのようだな」


 禍斬は真っ黒の髪を短く切り整え、油を使って逆立てている。非常に整った顔には左の蟀谷こめかみにやや大きめの刀傷があるが、それは禍斬の容貌を損ねるどころか、野性味ある色気を助長していた。同年代ということもあって呼舷とは気が置けない間柄である。王家に連なる由緒正しい将軍家の出自であるが、本人の気性なのか非常に気安く、市井の流行にも敏感だ。まるで歩兵や傭兵から成り上がったような自由な男で、呼舷の方が歩兵からの叩き上げなのだが、ふたりが並ぶとまるで出自は逆のようだと総大将によくからかわれた。


「そういや嫁ちゃん貰ったらしいじゃねぇか。しかも婚儀先延ばしにしたって?品定めか?」

「まあ、そんなところだ」

「……マジかよ」


 いくら結婚に数度失敗しているとしても、親からもたらされた縁談であれば一も二もなく従うのが禍斬の知る呼舷という男だった。良くも悪くも、いや、悪くも悪くも結婚相手を値踏みするどころか興味も持たない男が品定めをしているという。禍斬は信じられない思いで呼舷をみつめた。

 禍斬の考えが手に取るように理解出来た呼舷はふっと苦笑した後、真剣な面持ちで声を潜めた。


「…この縁談、裏があるやも知れん」

「どいういうことだ?」

「女の素性がどうにも怪しい。今隠密に調べさせている」

「…ふぅん。相手は確か朔州刺史の娘だったな。…歴史ある名家が堕ちたか?」


 命知らずな、と禍斬は悪い笑みを浮かべる。この縁談を決めた呼舷の父・舷角げんかくは文官として実に凡庸だ。呼舷という息子がいるのが不思議なほど、格別優秀なわけでもなく、強い芯があるわけでも、人望があるわけでもない。周囲からの影響を受けやすい男、と言うのが禍斬の見解だ。呼舷には申し訳ないが、舷角なら唆されれば悪事に手を染めてしまうこともあるだろうと禍斬は考える。同じく、舷角自身が企て朔州に持ちかけたとしても、優秀過ぎる息子に嫉妬するような男ならさして不思議には思わない。


 だが、呼舷も禍斬かざんも歴戦の将だ。何度も窮地を脱して来た。それは戦場だけではない。この禁城の海千山千をも相手に伸し上がり、異例の若さで極将きょくしょうに着いたのだ。裏があろうと悪事であるならば、斬って捨てることなど雑作もない。禍斬はさっさと心配の矛先を変えたらしく、すでに顔には喰えない笑みを浮かべていた。


「ま、裏があったところでおまえにとって大したことにはならねぇだろ。それより、おまえ自身は女をどう思ってんだ?」

「女を…?」

「裏がなかったら嫁ちゃんになるんだ。どんな女だ?うまくやっていけそうなのか?」

「……」


 総大将と同じようなことを訊く友人に少しばかり呆れたものの、呼舷は手を顎に当てて考え、ややしてからゆっくりと引っ張りだすようにして選んだ言葉を禍斬に差し出した。


「うまくやっていけるかどうかはわからんが…、面白い女…だとは思うな」

「へぇ?」

戯将駒ぎしょうくを打たせてみたが、まっすぐで素直に思えた。普段はどこかしらおどおどしたような気弱な印象があるが、食事を共にと言って譲らなかったりと頑固で強気な面もある。面白い女だよ」

「…食事を共に、って…え?……飯?…まさか、飯、一緒に食ったのか?」

「ああ」

「おまえが!?」

「そうだ。この私がだ」

「…………すげぇなそいつ…」


 禍斬は言いながらも信じられない様子で口を開けたままだった。無理もない。この気心知れた戦友でさえ、呼舷と酒を酌み交わしたことはあっても、顔布を垂らしながら飲める酒とは違い、顔を晒さず摂ることが面倒な食事を共にしたことはないのだ。

 それを、焔子えんしは呼舷を言いくるめてやってのけた。あれだけの啖呵を切ったくせに、いざ食事が始まるとガチガチに緊張し、口に合うかと聞いた呼舷に対して返って来た返事は「緊張しすぎて味がしない」というものだった。呼舷がまた噴き出したのは言うまでもない。それでも、必死に呼舷と話をしようとする焔子は微笑ましかった。


「そぉいう顔をするわけね…」

「ん?何か言ったか?」

「いんや、別に?つーか、そうか、結構気に入ってるってんだな」

「さて、どうだろうな。好ましい部類には入るだろうが…いずれいなくなる者に入れ込んでも仕方あるまい?」

「ったく、その女への諦め癖は困りモンだな。なんにせよ婚儀までまだ数日あるんだろ?なら、遠乗りやら観劇やら親交を深めるのも悪かねぇんじゃねぇか?黒なら切り捨てりゃ終わりなんだ。どうせならうまくやれよ」


 ぼすっと呼舷の胸板を叩き、禍斬は「好いた相手との結婚はいいもんだぞ」とひらひらと手を振りながら去って行く。軽い印象の派手な男だが実は妻帯者であり、意外なことに愛妻家で有名だ。呼舷もそれに手を挙げて見送り、そしてふむと顎に手を当てた。


「…遠乗りか」



2015.09.13 ルビ追加・一部修正

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