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一日目:花嫁の到着(3)


 半ば睨むようにして言った呼舷こげんの言葉に、焔子えんしはびくりと肩を跳ねさせた。だが、それでも焔子は言葉を紡いだ。


「…食事は……食事は、誰かと共に摂るのが良いと思います。その方が美味しいです。ひとりの食事は味気ないと思うのです…」

「……」

「呼舷様のご配慮は有難く存じます。ですが、わたくしには無用の気遣いでございます」


 話すうちに気が高揚したのか、最後ははっきりと言い放った焔子。それはどもりながら子供のように話す彼女からは想像出来ない姿だった。それ故だろうか。今の焔子は舌先三寸で誤摩化されてはくれないだろうと呼舷は悟る。


 呼舷は――黙って口元を覆う布を外した。露わになる、呼舷のその醜悪な顔。


 一瞬、焔子の顔が強張った。


「……この崩れた顔を晒しての食事では、楽しい食事などままなりますまい。せっかくの料理も不味くなりましょう。屋敷の主人として焔子殿を持て成せないのは心苦しく存じますが、ご理解いただきたい」


 呼舷は感情の籠らない声で淡々と告げ、焔子を一瞥することなく背を向けた。



:::



 夕食の膳を整えて、一礼した華小かしょうが辞去しようと戸を開けたところで小さく悲鳴を上げた。己の私邸で何事かと、呼舷が瞬時に警戒して視線をやったそこには思いもよらぬ人物が大きな盆を抱えて立っていた。


「焔子殿…?」


 戸口にいたのは焔子だった。盆の上には呼舷の前にある卓上の膳と同じ物が並んでいる。深く考えずとも自分の膳を持って来たのだと解った。だが、その理由までは理解出来ず、呼舷は片眉を上げる。


 焔子は、呼びかけられたにもかかわらず、自分が持って来た膳に視線を落としたまま何も言わない。華小もどうしたものかと動きあぐね、視線を焔子と呼舷の間で行ったり来たりさせていた。これは自分が動かねばならないらしいと、呼舷はゆったりとした足取りで焔子に近づいた。


「どうなされた焔子殿?食事がお口に合いませなんだか?」

「…いいえ。ま、まだ、頂いておりいませんので…そんなことは…いえ、それ以前に、せっ、せっかくご用意いただいたものに、そ、そんなことは…申しません…」

「では、一体どうなされたのです?」


 呼舷は極力優しく問いかけた。無意識にさきほど脅かした引け目があったのかもしれない。本当は、あの場で己の崩れた顔をさらすつもりはなかった。同じ見せるにしても、もっと焔子に心の準備をさせた状態で見せるつもりでいたのだ。だが、焔子の頑な様子に口先では納得しないだろうからと思ったにしても、それだけではない感情が呼舷を突き動かしていた。普段の呼舷なら、言葉を重ねていたはずだ。


 しかし、呼舷にその自覚はない。だからだろう。呼舷は訪ねて来た焔子に対して柔らかな声音を出していたのは無意識だ。そんな自分の主を華小は驚いたように見つめていたが、呼舷は当然気付いていない。ましてや、俯いていた焔子はなおさら。


 長い沈黙の後、唐突に焔子は顔を上げた。


「私っ!や、やっぱり呼舷様と一緒に夕餉ゆうげをいたた、だきたいッですッ!」


 呼舷も、そして華小も目を見開いた。


「焔子殿、それはいたしかねると――」

「解っています!」


 再び断りを告げようとした呼舷の言葉に被せるようにして焔子は叫んだ。きっと、ありったけの勇気を振り絞って来たのだろうと呼舷も、そして華小も察した。上げた顔を再び伏せた焔子の、盆を持つ手が微かに震えていたのを目に留めてしまったから。


「呼舷様の仰ることは、ちゃんと…ちゃんと理解しました。お気遣い頂いたのだということも、ちゃんと解っております。でも…それでも、わたくしは呼舷様とお食事がしたいです」

「……」

「呼舷様のお心のことも考えました。わたくしが呼舷様であれば、食事の間、顔をずっと人前に晒し続けるのは辛いのではないかと…」

「そこまで察してくださって、尚、共に食事をと仰るのですか?」


 穏やかだが、呼舷の言葉は明らかに焔子を責めた。焔子は一瞬泣きそうに歪められた顔を上げ、また、伏せた。


「呼舷様。わたくしは、貴方様の妻になります…それは家族になるということです…」

「……」

「家族とは、心から信頼し合い、安らげる関係であることだと思います。私は、貴方様とそういう関係を築きたいと思ってここに来ました。だから、そういう関係を築くために、寝食をともにしたいと思っています…」

「…私の苦悩を無視しても?」


 焔子の盆を持つ手がびくりと震えた。華小が思わず「殿」と小さく口を挟んだが、口をついて言葉は出てしまった後だ。呼舷自身、ここまで焔子に噛み付くつもりはなかった、はずだった。これまで、失言をしたことはなかった。失言だと思う言葉選びはしたことがなかった。相手を傷つける言葉を選んだとしても後悔をしたことはなかった。


 だが、呼舷は今確かに、焔子を責め、傷つけるかもしれない言葉を選び、発したことを後悔していた。


――私は、一体何をやっているのだ…


 正体が解らない女。しかし、朔州刺史さくしゅうししの娘かも知れない女、自分の妻になるかもしれない女だ。今の段階で遺恨を作るのは得策ではない。きちんと当たり障りなく歓待して、当たり障りのない関係と距離を維持するべき段階だ。


 なのに、焔子と相対すると調子が狂う。


 呼舷は少なからず動揺していた。失言を訂正し、適当な柔らかい言葉で誤摩化して焔子を部屋から遠ざけるのが得策。食事は徐々にお互いを知ってからでもよろしかろうとでも言えばよかったのだ。今からでも言えば良いのだ。

 しかし、それを躊躇わせる何かが胸の奥に巣食っていた。


 沈黙した焔子。きっと何かを必死で考えている。変に意固地になってしまった呼舷は開き直った。この頑な男をどう口説き落とすつもりなのか、見てやろうではないか、と。


――さあ、焔子。どう出る?


 重苦しい沈黙が落ちた、一拍後、焔子はがばりと顔を上げた。


「でしたらこうしましょう!呼舷様はお顔をわたくしに見られるのがいやだ。でもわたくしはご一緒したい。だから、わたくしは呼舷様のすぐ左隣で夕餉を頂戴致します!そうしたらわたくしには呼舷様のお顔の右側は見えません!万事解決です!」


 呆気にとられた。


 呼舷はもちろんのこと、なりゆきを見守っていた華小もあんぐりと口を開けていた。言い放たれた内容ももちろんそうだ。だが、それ以上に、呆気にとられた理由は、焔子の顔だった。


 彼女は、満面の笑みを浮かべて、言い放ったのだ。

 いわゆる、ドヤ顔というやつである。


「…ッ…」

「…呼舷様?」

「殿?」

「ック…クッ、クッ…ふっ、ハッハッハッハ!」


 焔子と華小が目を丸くして呼舷を見つめていることに気付いたが、呼舷は笑うことを止められなかった。脇腹がひきつりそうで、思わず戸口に手をつく。そんな自分すら可笑しくて喉は勝手に震え続けた。

 ひとしきり笑い終わる頃には、目にじんわりと涙が浮かんでいた。


「あの…?」

「呆れた女だ」

「ちょっ!?殿ッ!!」


 取り繕うことすらせず、思ったままを口に乗せた呼舷を華小が思わず嗜めたが、呼舷はそれすら気にならなかった。涙が浮かんだ目元を拭い、焔子に視線を落とせば、さっきまでの威勢はどこへいったのか、不安気な様子で視線をあちらこちらへと泳がせ、肩を小さくしている。


 呼舷はそんな焔子にふっと目元を和らげた。次いで、ずっと焔子が持っていた盆をやんわりと取り上げ、華小に押し付ける。


「…あ、あの、呼舷様?」

「夕餉が冷めてしまいました。温め直させます」

「あ、ご…ごめんなさ…も、申し訳…」


 途端に慌てだした焔子を手で制し、華小に視線で促せば、華小は心得たとばかりに一礼してすぐにその場を去った。後にはどうしたらいいのか途方に暮れ、行き場をなくした両手を上げたり下げたりしている焔子が残された。


 呼舷は、その落ち着かない焔子の手を取った。驚いた焔子は弾かれたように呼舷を見上げる。そして、目を見開いた。


 そこには穏やかな目で焔子を見つめる呼舷がいたからだ。


「私の負けです。焔子殿」

「…え?」

「共に、食事にしましょう」

「――ッ、はいッ!」


 正体の知れない女。男と見紛うような凡庸な女。

焔子よりも美しい女、可愛らしい女なら、今まで禁城で何十人も何百人も見て来た。


 それなのに、全身で喜びを表し、返事をした焔子は今まで見て来たどの女よりも――大輪の花さえ霞むほど愛らしかった。


 呼舷は気付いていない。その笑顔を向けた焔子に、自分がどんな顔を向けていたのかを。


2015.09.11 誤字修正

2015.09.13 ルビ追加・一部修正

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