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一日目:花嫁の到着(2)


 托苑たくえん昼餉ひるげの準備と共に婚儀を遅らせる旨を焔子えんしに伝えるよう命じ、呼舷こげんは私室で昼を取った。もそもそと用意された膳に箸を付けながら、焔子の正体を探るのにはどう切り出すかと思案に暮れる。

 単刀直入に尋ねられれば良いが、焔子が本当に刺史ししの娘であった場合、遺恨が生じるのは頂けない。それとなく探り、確証を得られる方法が必要だった。


 そのために、呼舷は隠密を朔州さくしゅうに向かわせることにした。呼舷には優秀な隠密がいる。戦が無くなって以来、普段は従仕じゅうしとして仕えている者の半分が実は呼舷の隠密である。

 次の吉日まで呼舷自身が焔子から何も聞き出さずのらりくらりと過ごすつもりは毛頭なかったが、現地へ赴いて朔州の情勢や洲家しゅうけについて調べる方が余程確実だ。本音を言えば、こんな私事に彼ら隠密を使いたくはない。だが、曖昧なまま放置することは下手をすれば国政に関わりかねない。


 食事を終えた呼舷は、不穏な芽は確実に取り除きたいと隠密頭に相談した。すると、鍛えたい若造がひとりいるので是非にとの返事が返って来たため、呼舷は遠慮なく甘えることにした。

 朔州の天白てんぱくまで普通の旅であれば丸4日はかかる。だが隠密には飛箭ひせんを与えた。飛箭とは飛んでくる矢の意味を持つ、狩猟豹チーターと兎の間の子のような獣だ。小柄な男がひとり乗るのがやっとの大きさだが、見た目に反して体力はあり、軍馬ですら敵わぬほど足が速い。しかも長距離を平然と走る。ただ、捕獲は勿論、調教も極めて難しいことと非常に臆病なので戦場では使い物にならず、力のある標局ひょうきょく――護衛と運送業を生業にしている者、またはその組織――が数騎持っているかいないかという貴重な騎獣である。その飛箭を与えているので朔州まで1日もあればつくだろう。情報を探るのに数日費やしたとしても、次の吉日には十二分である。


 さて、それでは自分はどう探りをいれようかと考え、思い浮かんだのは教養の有無を探ることだった。唄を謳わせる、胡琴を奏でさせるなど家格の高い娘達がおよそ習うだろうことを一通りやらせてみれば、少なくとも村娘でないことははっきりする。とはいえ、すべてを習うことは稀であるからあくまで目安にしかならない。貴族の娘であってもまったくなにも出来ないという例がないではない。何も探らないよりまし、という程度でしかないが、それでも隠密が探って来るまでの時間稼ぎにはなるだろう。


 なんとも回りくどい方法しか思いつかないことに呼舷はげんなりとため息をついた。戦場でなら次々に妙案が浮かぶし、調略のための根回しだってやってのけるのだが、自分のこと――ましてや縁談だ――となると一向に気が乗らない。悶々と考えたが、やはり、ひとつひとつ可能性を潰して行くのが無難だろう。


 まずは焔子の教養の有無を探るべく、呼舷は重い腰を上げた。焔子を疑ってかかっているが、もしも本物ならば妻となる女である。いずれ逃げるにせよ、帰ってから悪い噂を撒き散らされても困るのでそれなりの歓待もすべきだろう。


――焔子の教養を探り、かつ交流できそうなもの。


 呼舷はふとあるものを思いつき、托苑を呼んだ。



:::



戯将駒ぎしょうく…で、ございますか?」


 幾分風が収まった夕暮れ時、呼舷は焔子を母屋の応接間に案内した。そこには托苑に言って用意させた戯将駒がどっしりと据えられていた。


「左様。一局いかがかと思い用意させました。焔子殿は戯将駒は?」

歩万白運圭ぶまんはくうんけいは出来ますが…呼舷様のお相手になりますかどうか…」


 殊勝な物言いをした焔子だが、不安気な様子はなくまじまじと戯盤ぎばん――戯将駒をするための盤のこと――を見つめる様子から、呼舷は焔子が戯将駒をそこそこ嗜んでいると踏んだ。


――と、なると村娘がなりすましている、という線は消えるか?


 戯将駒とは乾抄けんしょうに広く普及している盤上遊戯だ。しかし戯将駒に興じるのは主に上流階級と一部の兵士のみ。戯将駒が打てるというだけで、いや、例え打てなくとも、これが戯将駒であると言えるだけでも、ある種の身分証明になる。

 二尺(約60cm)四方に縦横30の方眼を引いたものを盤とし、そこに様々な種類の駒を配し、2~4人で相手の王の駒を取ったり、陣地取りをして勝負をする。非常に多くの駒と十分な方眼があるため、様々な縛りを設けて遊ぶことが出来る代物だ。そのため、幼子に読み書き算盤の延長で遊ばせる一方で、軍学校では戦術の図上演習としての役割を担うほどの広がりを持つ。焔子が言った「歩万白運圭」とはその様々な遊び方の内、最も有名な5種を指す。焔子の口からそれが出て来たということは、少なくとも上流階級の出であることを伺わせた。


「それにしても、立派な戯盤ですね」


 ため息をもらすように言った焔子に、呼舷も戯盤に視線を落とした。

 一般的に戯盤は白木で作られるが、呼舷の用意したものは側面に蜻蛉とんぼを模した螺鈿らでんが施された漆塗り。盤面は磨かれた白い大理石を敷いた一級品であった。駒に至っては最も硬質の白檀びゃくだんを削って作られている。おかげで応接間には仄かに優美な香りが漂っていた。

 高価な仕立てだが決して華美ではなく品が良い。決して後退しない様が良いと武人が好む蜻蛉が施されているのも趣味が良いと呼舷も気に入っていた。きらきらと輝く戯盤が余程気に入ったのか、焔子も瞳をきらきらさせて戯盤を見つめている。その様子は審美眼を持つ高貴な者のようでもあり、今までこういったものを見たことがない田舎者のようでもあった。呼舷は微苦笑する。


「有難う存じます。数年前、富丞相ふうじょうしょうより賜ったものです」

「富丞相から…ですか?」

「私が丞相に一勝したことをいたく喜んで頂きまして」

「富丞相に勝たれたのですか!?」


 何故丞相から贈られるのかと不思議そうな焔子に理由を話せば、焔子は目を丸くして呼舷を振り仰いだ。それを受けて呼舷は今度ははっきりと苦笑した。富丞相は切れ者で名を馳せる名丞相。三度の飯より戯将駒が好きで、富丞相に勝てる者なしというのはまつりごとに少しでも関わっている者の間では有名な話だ。


「十戦付き合わされ、やっとのことで一勝したに過ぎません」

「それでもすごいです!」


 ずいっと身を乗り出して賞賛を送る焔子。その目には純粋な尊敬だけが満ちているように思われた。陽の光を浴びてきらきらと輝く戯盤よりもずっときらきらした目を向けられ、呼舷は面食らう。途端に面映いものが潰れた鼻先をくすぐり、呼舷はそれを誤摩化すように焔子に席を勧めた。


:::


 ぱちり、ぱちり、と応接間に戯将駒の駒を運ぶ音が響く。


 呼舷と焔子は戯将駒の中でも初心者向けの「歩戦ぶせん」を選んだ。歩戦は30の歩兵と4の近衛兵、そして王をひとつ配し、制限時間内に自陣を広げるか、相手の王を取ることで勝敗を決める。夕食前ということもあり、延々続けられるものよりも良いだろうとの呼舷の言葉に焔子も素直に頷いた。


 駒を動かしながら、呼舷は焔子を伺う。

 打ち始めはひどく緊張した様子で戯将駒に打ち込んでいた焔子だったが、局面が進むにつれ、戯将駒そのものが面白くなってきたようだった。中盤に差し掛かり、口元を覆ってうんうんと考える時間が増えた。呼舷と相対してるはずなのに、あまりの熱中具合にまるでひとりで打っているようにすら伺えた。他愛もない話でもしながらと思っていたが、今の焔子に話しかけたところで空返事しか返ってこないだろう。


 だが、呼舷は焔子のそれを好ましいと感じていた。


――まっすぐな打ち筋だ。嘘がなく、清々しい。


 戯将駒はその性質故に駒の動かし方にしばしば人となりが現れる。古い伝承には、謀略を見抜いたとある将軍が、敵陣にひとり乗り込んで戯将駒を一局持ちかけ、そのあまりに潔い打ち筋で敵将の心を打ち、無血で下らせたというものがあるほどだ。


 焔子のそれは、いささか正直すぎて攻め筋が読める。だが、それは呼舷ほど戯将駒をやり込んでいないが故だろう。戯将駒の中でも歩戦は地味なので女性には不人気だ。これだけ打てるだけでも大したものである。

 駒の動き、自陣の広げ方、王の守り。焔子の駒の動かし方は、まるで穢れを知らぬ子供のようだった。


――悪知恵を働かせるような女ではなさそうだ。


 呼舷は確かな感触を持って、駒を動かした。


「――王手」

「あ…」


 密かに動かしていた近衛の駒で呼舷が焔子の喉笛に迫った。いつ気付くか、いつ気付くかと楽しみにしていたのだが、前線で自陣を広げることに躍起になっていた焔子はついぞ気付くことなく呼舷の侵入を許してしまった。王手と言われて初めて気付いた焔子はさすがは呼舷と感嘆するものの、相当悔しかったのだろう、口元をもごもごと動かしながら、呻くように「負けました」と頭を下げた。


 呼舷は知らぬうちに目元を緩めていた。


「殿、焔子様、失礼致します。夕餉ゆうげが整いましてございます」


 扉の向こうから華小かしょうが見計らったように伝えた内容に、呼舷は短く返事をし、焔子を促した。立ち上がりながら慌てて片付けようとする焔子に、呼舷は従仕に片付けさせるからそのままでよいと声をかける。すると焔子は驚いたように呼舷を見上げた。


――解らぬ女だ…


 焔子のこの反応を、従仕じゅうしに身の回りの世話をさせたことがない者の反応と取るべきか、それとも洲家しゅうけの躾によるものと理解するべきか。さきほどまでやっていた戯将駒で見た焔子と今の焔子は繋がっているようでいて、違うようにも感じられる。なんとも判断しづらい。それとも、神経質に疑い過ぎなのだろうか。思考に埋没しそうになったが、探る時間はまだあると割り切り、腹を空かせているだろう焔子を華小に引き渡した。


「夕餉の後は、従仕に申し付けておりますので屋敷内を自由にお使い下さい。それでは、また明日」

「え…?あ、あの、呼舷様は召し上がらないのですか?」

「私は自室でいただきます」


 別れの挨拶をした呼舷に驚いた焔子が言った言葉。それに呼舷はごく当たり前のこととして返事をした。その、つもりだった。

 だが、焔子はざぁっと青褪めた。


「わ、わたくしが…何かご無礼をいたしましたでしょうか…?」


 まるでこの世の終わりといった顔で尋ねる焔子に、呼舷は目を剥いた。呼舷はらしくもなく慌てて言葉を足す。


「誤解だ、焔子殿。私は食事はいつもひとりで摂るのです」


 そう、呼舷の食事は常にひとりだ。何度か自軍の軍師や、他の禁軍将に共に食事をと誘われたこともあったが、ひどく潰れている顔を食事時に見せるのは忍びないと断り続け、拷問から帰還して以来、誰かと食事を共にしたことはない。


 簡潔にその理由を添え、焔子の非ではないと言えば、焔子はほっと緊張を解いた。それに呼舷もふうと安堵の息を吐く。


「では…もし、よろしければご一緒に…」


 それでは今度こそ辞去しようとした呼舷の耳に届いた申し出。呼舷は眉間に火傷のせいで寄らない皺を寄せた。


「――…食事を共に出来ぬ理由は申し上げたつもりでしたが?」


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