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六日目:騒動(4)

本日3回目の更新です。

これにて六日目終了。

 歓声鳴り止まぬ一角を抜け、遠邇えんじに揺られて屋敷へ着くまでの僅かの間、呼舷は自分の前で同じく遠邇に揺られる焔子に声をかけた。


「ご高説、感銘を受けました」


 心からそう言えば、焔子は驚いたように呼舷を振り返り、恥ずかしそうに染めた頬を隠すためにまた前に向き直る。髪の間から見える外耳もほんのり赤いのが愛らしくて、呼舷はそっと微笑んだ。


「そんな…僧侶の受け売りです。呼舷様もご存知では…?」

「恥ずかしながら存じ上げません」

「え!?」

「言い訳になるやも知れませんが、抄都しょうとは王帝のおわす土地。ほとんどの寺院で神よりも歴代の賢君が祀られ、僧侶の説法は神々の教えではなく祀っている王帝の武勇伝を基にしたものです。克教かきょうの根幹に触れる説法を聞く機会はありませんでした」


 克教の教えだと言う祈りの本質は呼舷にとって衝撃ではあったが、非常に深く理解出来るものだった。武人として強くなりたいと祈ったところで、鍛錬を積まなければそれは得られない。神に祈ることで誓いとし、さらに上を目指す。他者への祈りもしかり。祈りとはかく有るべきだと、深く心に響いた。


 そうしてふと湧いた焔子への問い。呼舷は人の影がまばらになった通りをみつめながら問いかけた。


「焔子殿」

「はい」

「もし…、私が戦に赴くことになれば、貴女は私の為に祈って下さいますか?」


 わずかな期待を込めて尋ねたそれに、焔子はややしてから静かに「いいえ」と答えた。


「わたくしは、祈りません」

「それはまた…つれないではありませんか」


 笑って、冗談めかして返事をしたが、はっきりと落胆する呼舷の心。それを知ってか知らずか、焔子はゆるゆると首を振った。


「考えたんです。今は平和ですが、いつまた戦になるやも知れません。その時、わたくしは呼舷様の無事をあのお屋敷でただ祈って待っていられるだろうかと。それに耐えられるのだろうかと」

「……」

「無理です。わたくしはきっと耐えられません。呼舷様のお体の傷を見ただけで胸が張り裂けそうでした。わたくしが知らない間に大きな怪我を負っていらっしゃるのではないかと考えるだけで涙が出ます」


 呼舷の心は揺らぐ。焔子を手放したくはない。だが、こんなことを言う焔子では極将きょくしょうの妻は務まらないだろう。焔子の、将軍の妻としての成長を信じ共に生きて行きたい。だが、武人である呼舷の側で果たして焔子は幸せになれるのだろうか。


「呼舷様。わたくしは戦時下、呼舷様の無事を祈ってお屋敷待つことは出来ません」


 焔子は振り仰ぎ、まっすぐに呼舷を見て言い放った。


「ですからわたくしは呼舷様のお側で呼舷様をお守りします!」

「………………うん?」


 呼舷は、思わず焔子を見下ろした。ぐっと拳をにぎり、目を爛々と輝かせ、ふんぬと鼻息荒く、笑顔を向ける焔子。それは、初めて食事を共にと言いに来た時に見せたものと全く同じ。


 ドヤ顔である。


「鍛錬を怠ったことはありませんが、今よりもっと増やします。絶対に、呼舷様のお側で剣となり楯となりお役に立ってみせます!だから、わたくしは祈りません!」


 唖然とした。


 乾抄けんしょうにおいて、いや、この大陸において、戦場に立つのは男だ。乾抄建国より200年。それよりずっと以前から続く長い歴史の中、軍規で女の従軍が禁じられてきたことも手伝って、未だかつて女が従軍はおろか、兵に志願した前例すらない。女が戦場に立つなどという、そんな発想を抱くこと自体がありえなかった。


 でも。焔子は言った。自信たっぷりに。冗談ではない。どこまでも本気なのだ。


「…ふくッ、」

「呼舷様…?」

「ふ、ふふふ…はーっはっはっはっは!!」


 辛抱堪らず、手綱を引いて声を上げて笑った。手綱を引かれた遠邇は苛立たしげに止まり、路巌ろがんらが何事かと目を見開いて思わず馬を止めた。遠邇も、焔子も、呼舷を見、ちらほらといた通りすがりの者達でさえ驚いて立ち止まり、呼舷を見る。それでも、呼舷は笑わずにいられなかった。腹がひきつり、体を支えるのが苦しくなって、わずかに焔子に覆い被さる。焔子が慌てたように呼舷の名を呼んだが、我慢出来たのは大きな笑い声だけで、喉も腹もくつくつと震え続けた。


「…ああ。本当に、敵わない」


 焔子は、春風だ。


 憂いという砂や、迷いという霞を吹き飛ばし、遠く遠く遥か彼方まで見通せるように吹き抜ける、強い、強い春風。


 呼舷は、焔子の手に自分の手をそっと重ねた。


「縁談を持って来た父に感謝せねば…」


 跳ねるように振り返った焔子の驚いた視線が呼舷のそれと重なる。吹いていた強い風はいつのまにか止んでいた。砂埃が飛ばされた通りはすっきりと澄み、遠くまで柔らかな夕日が赤く染め上げる。


 呼舷はしっかりと焔子を見つめたまま、夕日のように笑んだ。


:::


 焔子を屋敷に入れ、呼舷は厩へ向かう。すると、いつものように伴鴻ばんこうが出迎えたが、その表情は厳しいものだった。


「さすが、耳が早いな」


 伴鴻の表情から、呼舷は全てを察した。斤欄宗きんらんしゅうの一件、ことの仔細をすべて把握しているのだろう。伴鴻の表情が硬いのは騒動そのもののせいではない。大勢の町衆がいるなかで、焔子は自分の妻になる女だと言い放ったことにあると呼舷は理解していた。


 孫健そんけんが到着し、策謀ではと疑った事柄が着実に晴れていっている。それでも、それは完全ではない。朔州さくしゅうに放った隠密は明日帰ってくる。それを待たず、後に引けない状況を作るのはあまりに呼舷らしからぬ行動だった。


「…よろしいので?」


 短く、それだけを訊いた伴鴻に、呼舷は遠邇の首を撫でながら笑ってみせた。


「ああ。肚は決まった」


 例え裏があろうとも、問題が起きようとも、信じよう。心から信頼し合い、安らげる家族になりたいと言った焔子を。呼舷を慕っていると言った焔子を。祈るのではなく、側で呼舷を守ると言った焔子を。そして、そんな焔子に惚れた自分自身を。


 そう、肚は決まったのだ。


「焔子を我が妻とする」


2015.09.14 ルビ追加・一部修正

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