一日目:花嫁の到着
――朔州の洲家より花嫁殿がご到着された。
そう、従仕頭の托苑に告げると、托苑はただでさえ少なくなった髪の毛が全部抜けるのではないかというほど愕然とし、その脇で同じく目も口もかぱんと開けていた華小――彼女は最古参の女従仕だ――が正気に戻り、転がるようにして花嫁の到着を屋敷中に知らせば、ただでさえ慌ただしかった屋敷は、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
「ご、ご到着は明後日の予定では!?」
「私もそう聞いていた。だが、すでにお見えになっている。すまないが急ぎ部屋を用意してくれ」
「もちろんでございます!しかし…なんということだ…殿御自ら新婦様をお迎えされたなどと…」
「よせ、托苑」
「婚儀の前2日は新郎新婦が顔を合わせないのが慣例だというのに…」
「ごめんなさい…」
「!?」
頭を抱えた托苑に、呼舷の後ろからしょんぼりとした声が届き、托苑は今度こそ飛び上がり、顔を青くした。
「!?、ッ!!?」
「…非礼をお詫びせよ托苑。申し訳ない、焔子殿。これが従仕頭の托苑です。托苑、こちらが焔子殿だ」
「…朔州を預かる洲家の長女、焔子でございます…私の勝手な往訪により、呼舷様はもとより従仕頭殿を始めとする皆様に多大なご迷惑をおかけ致しまして…誠に…」
「とんでもございません!わたくしこそご無礼をどうかお許しくださいませ!!」
延々続きそうな焔子の謝罪に、托苑は青を通り越していっそ白くなった顔で叫ぶように詫びた。だが、托苑のその様子に焔子はますます視線と肩をしょんぼりと落とし、申し訳なさそうに体を小さくした。
こんなことで大丈夫なのだろうか。
頭痛がしてきた呼舷は気付かれぬよう顔を隠す布の下でこっそりとため息をついた。
「…焔子殿」
「は!?はいッ!?」
「従仕頭が失礼を。皆、万端整えて貴女を迎えたいと張り切っていたのです。何卒ご寛恕願いたい」
わずかに頭を下げた呼舷に、焔子は恐縮しすぎて首を横に縦にと慌ただしく振ることしかしなかったが、反感を買っていなければそれでよいと呼舷はさして気にも留めず、今度は托苑に向き直る。
「托苑」
「は」
「焔子殿の紹介が遅れたこと、許せよ」
「いえ!いいえ、殿。わたくしこそ至らず申し訳ございませぬ」
「うむ。――さて、焔子殿は長旅でお疲れのご様子。部屋や食事もだが、まずは湯殿を案内して差し上げよ。私は一度部屋に戻る」
「かしこまりまして」
ようやくいつもの調子を取り戻した托苑に安堵しつつ、呼舷は焔子に彼に着いて行くようにと視線を流す。焔子はそれにわずかに不安そうな視線を返したものの、はっきりと礼を告げ、托苑に従った。
部屋に戻る途中で、慌ただしく駆け回る初老の従仕を捕まえ、茶の用意を頼む。忙しいところすまないなと告げれば、何を遠慮することがあるのかと快活な笑みが返って来た。呼舷はそれに有難いと笑み返し、ことのついでに托苑に後ほど私室に顔を出すようにと言伝を頼んでその場を去った。
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先ほどの従仕が茶を運んで来て間もなく、托苑が呼舷の私室の扉を叩いた。
「殿。托苑でございます」
「苦労。入れ」
托苑は入って一礼し、その場で現在華小が焔子の湯浴みを手伝っていること、部屋の準備が滞りなく済んだことを伝えた。それに呼舷は短く労いの言葉をかけ、托苑に椅子をすすめた。
「して、お話、とは?」
本題は焔子の今の様子ではないと察していた托苑が単刀直入に問う。それに、呼舷はわずかに言葉を詰まらせたものの、すぐに口を開いた。
「…洲焔子とは、何者だ?」
問いながら、恥ずかしい話だと呼舷は奥歯を噛み締めた。呼舷は今日まで妻となる女のことを何一つ知ろうとしなかったのだ。どうせ、どこぞの令嬢が慣例通りにやってきて、数ヶ月も経たぬ内に去って行くと思い込んでいた。その為、相手について知るなら当日に少し話を聞く程度でよいだろうと高を括っていたのだ。これが戦場であったなら、相手の情報を収集せず、無策のままいるところを奇襲された状態だ。簡単に隊を瓦解させていただろう。目も当てられぬ失態である。
だが、失態を犯したからこそ聞かなければならない。
通常、将軍職を賜るほどの者に輿入れするのであれば、最低でも従仕が20人は付き添い、大型の荷車2台ほどの嫁入り道具を乗せ、土産の品をどれほど少なくても荷車1台分は持参する。そして御簾を垂らした輿付きの牛車で着飾った花嫁を運ぶのだ。
それが焔子はどうだ。
その身と荷馬車1台だけでやってきた。供はおらず、格好もそこらの旅客と変わらない。とても輿入れに来たとは思えぬ体裁である。あの焔子の様を見てようやく、呼舷はとんでもない縁組をされたのではないかと疑うに至ったのだ。
托苑は、心得たとひとつ頷く。呼舷の疑心はもっとも。加えて托苑は呼舷の幼少から仕えた従仕。呼舷の、焔子が到着するまでの縁談への想いも、今の自責の念もよくよく心得ていたため、ただ事実を告げるに努めた。
「殿は朔州についてはいかほどご存知で?」
「北海に面した、鉱山資源と豊かな水質による酒造りで成り立っている地方だということは知っているが…あまり詳しくはないな」
簡潔に述べた呼舷に、托苑はその通りとひとつ頷き、言葉を足した。曰く、鉱山資源と酒造りの二本柱はあるものの、それらは財政を潤すほどの交易資源ではない。朔州の環境は寒冷の厳しい土地で、州民は放牧とわずかな高山耕作で生計を立てている。そんな土地なので、人口は少ないどころか州を名乗るのにぎりぎりの州民しかいない片田舎であるらしい。
洲家は建国以来200年、朔州刺史――州を治める長を指す。州は一万戸からなる自治体のことだ――を務めており、目立つ功績は残していないが、民に慕われ厳しい土地をよく治めている豪族だ。建国以来となれば、それだけですでに貴族に昇格しても不思議ではない。だがいかんせん土地が土地なだけに力を蓄えることも出来ず、現在も乾抄の18ある州を資産で格付けすれば、朔州は最下位であるという。
「だからと言って、焔子殿の輿入れに供もつけられぬほど貧しいわけではあるまい?」
「それにつきましては、わたくしも疑問に思っておりました。朔州は確かに貧しゅうございますが、あのような輿入れにせざるを得ないほど洲家が落ちているとは聞き及びませぬ…」
「となれば…焔子殿が朔州刺史の娘でない可能性がないではない、か…」
「そんなまさか!」
托苑が叫ぶのも当然だ。もしも偽りの輿入れを目論んだとあれば焔子の命はない。むしろ焔子の命ひとつで収まるなら良い方だ。なにせ父・舷角を通してもたらされた縁談である。誰が何を偽っているかと疑いだせば政治に関わりかねない大問題である。それほど極将である呼舷の地位は高いのだ。
「…そうだな…私の悪い癖だ。忘れてくれ」
「いえ…」
「いずれにせよ…一度焔子殿と直接話すのがよさそうだ」
「左様で。しかしながら慣例が――」
言いづらそうに語尾を萎めた托苑に、呼舷はそういえば明後日婚儀を予定通り執り行うなら、すでに焔子に会ってはいけないことを思い出す。だが、疑わしい女を相駁家にいれる方が余程問題だ。
「それなら『強風により砂埃が目に入り見通しが悪くなった。縁起が悪いので日取りを変える』ことにするか」
「なるほど」
平然と言ってのけた呼舷に托苑は苦笑した。乾抄では何故か古来より見通しが良いことを大事にしている。古く内乱があった時代は霧や砂塵の日であれば見通しが悪いからと戦をしなかったと伝えられるほど。現在ではさすがにそんなことはないが、田舎者相手に婚礼のこととあれば利くだろう。今日は風が強く砂埃が舞っている。こじつけるには申し分ない。
「確か次の吉日は10日後だったかと。真偽のほどを確かめるにはいささか短い時間ではございますが…ひとまずはそこを目指して急ぎ調えまする」
「苦労をかける」
「何を仰います。殿は聞き分けが良すぎますからな、皆退屈しておったところです。これくらいの方がお仕えし甲斐があるというもの」
ほっほっと屈託なく笑った托苑に呼舷は苦笑する。では頼むと短く告げれば、托苑は一礼して辞去した。
――さて、真偽やいかに…
窓の外を見やれば、一際強い風が一陣、砂を巻き上げて去って行った。
2015.09.13 ルビ追加・一部修正
2016.10.23「顎を外す」誤用のため修正