六日目:騒動
本日二回目の更新となります。
呼舷は上機嫌だった。
昨夜、焔子を連れて行った芝居は乾抄で一番人気の一座とあってなかなかによい内容だった。対立した貴族同士の娘と息子が恋に落ち、苦難を乗り越えて両家を和解させて結ばれる喜劇で、大いに笑い感動した。焔子は戯将駒を打たせた時以上に芝居に夢中で、くるくると表情を変えていた。焔子の表情が変わる度に呼舷はくすりと笑ったものだ。
「だらしねぇ顔してやがんな東極将」
「これはこれは南極将。連日のご訪問……暇か」
「言ってくれるじゃねぇかこの新婚が」
「まだ結婚しておらん」
「カッ!もう飽きたよそのネタは!」
いーっと歯を見せて噛み付く禍斬に「ネタを振ったのはおまえだ」と呼舷はカラカラと笑う。だが、すぐにその表情を真面目なものへと変えた。禍斬の後ろに禍斬の副師が控えていたのだ。
「今日はちゃんと仕事らしいな。しかも歓迎しない話か?」
「おうよ。ものっすごい残念ながらな」
「なんだ」
「斤欄宗がらみでひと騒ぎありそうだ」
斤欄宗と言われ、呼舷は焔子が来た翌日に万瀑総大将が口にしていたことを思い出す。乾抄に古くからある多神教でほぼ全ての国民が信仰している克教。国政や文化にも大きな影響を与えている克教は多くの宗派が存在する。斤欄宗はここ数年で興った新しい宗派だ。急速に成長し、全国各地に豪奢な寺院を建てているという。そこが教徒と揉めていると言っていたか。
「禁軍が動くほどにはなっていないのではなかったか?」
言った呼舷に答えようと禍斬の副師が半歩前に出た。禍斬とは真逆の非常に真面目で優秀な男だ。自由過ぎる禍斬に振り回され胃を壊したことがあるとかないとか。副師は一枚の書面を呼舷に差し出した。
「現在、警士(警察機関)が精力的に捜査をしています。ですが、それが逆に問題となっており、教徒が暴徒化しているのが現状です」
「斤欄宗は随分と派手に布施を巻き上げ、納税できんほどの教徒がいると知れて警士が動くに至ったのが今回の件だろう。斤欄宗は巻き上げた金の殆どを新しい寺院の建立や僧侶の私的利用ですでに使い込んでいるのだったな?」
呼舷は読み終えた書面を側に控えていた路巌に差し出し、禍斬の副師に斤欄宗の現状を確認する。禍斬の副師は左様です、と折り目正しく答えた。
「書面にもある通り、警士が動いている報が徐々に伝わり出したようで、各地で僧侶の元に教徒が押し掛けるようになっている模様です」
「寺院だけ素直に潰して終わるならいいんだがなぁ」
「禍斬将軍!」
批難の声を上げた自分の副師に冗談通じねぇなと禍斬はにやにやと笑う。禍斬の冗談にいちいち付き合っているらしい様子に、なるほどこれでは胃も壊しそうだと呼舷はこっそりと笑った。
「百歩譲って寺院を襲うのは解らんでもないんだが、それ以上に僧侶の屋敷や家族に手を出しかねん勢いらしんだよ。そうなると警士の警邏隊ではちと…な。もしかすると、もしかする」
「だから構えておけということか。抄都は斤欄宗の教徒が他に比べて多いからな…もし、が無いことを願うばかりだな」
全くだと投げやりに言った禍斬に、呼舷はふむと考えを巡らせた。宗教が絡む事案は何かと面倒だ。今回の件にしても言葉巧みに巨額の布施を納めさせてはいるものの、それで教徒が得る物は具体的に価値の計れる物品ではないから詐欺として捕らえるには通常の何倍もの時間を要するのだ。その間に騙されたと気付いた教徒が金を返せと暴れる。ありそうな話だ。
克教の本来の教えは、欲を捨て無心に生きる意味を求めよ、という非常に漠然としたものだ。そのため、様々な宗派が派生し根幹の教えを咀嚼して伝えている。新しい解釈毎に新しい宗派が出来るし、克教自体も宗派が増えることを認めている。その性質故か、新しい宗派が盲目的に教徒を信じ込ませるような教えを説いても、それもまた是なりと静観する宗派が多く、そも宗派同士の関わりがないに等しいが故に、稀にこういった事件が起こるのだ。そして大概が力技での解決を求められる。
「まあ、俺ら極将が出るような事態になろうもんなら最早内乱だ。それに警士だって矜持がある。要請が来たところで二両(約50人)程度だろうよ」
「そうでなくては困る」
言って呼舷は立ち上がった。それを受けて禍斬も伝えることは伝えたと呼舷の執務室を後にした。
「…路巌、今日しなければならん仕事は特になかったな?」
「は」
「なら、久々に今集まれる千将以上を集めて手合わせでもするか」
「おお!誠にございますか!?」
子供のように喜色を浮かべた路巌に呼舷は苦笑する。なんだかんだと皆軍人だ。戦がないに越したことはないが、戦うことそのものは彼らにとって、いや、呼舷も含め軍人の生きる意味なのだ。
軍人は生きる意味を知っている。国を守ること。そのために戦い、そしてその中で死ぬこと。それが彼らの生きる意味。だが、軍人で無い者の中にはそれを持たぬ者もいる。持たぬ者の中には宗教にその意味を求める者がいるのだ。
「宗教とはなんだろうな…」
「は?」
「宗教とは生きる意味を与えるものである、教育であると説く者もいれば、政治の道具でしかないと説く者もいる。かと思えば、本当に神がおり、その言葉を伝えたのだと説く者もいる」
「……」
「何を信条とするかで見えるものがガラリと変わると思うてな」
「仰る通りです」
「…信じる、か」
いつの間にか信じていると思わぬうちに信じていることもたくさんある。そういった類いの信じ方は簡単なことだと言えよう。子供が親を信頼することもそういったことだ。だが、大人になればなるほど、信じるべきところが解らなくなったり、信じることを躊躇ったりするようになる。呼舷の焔子に対する想いがそれだ。
焔子が極将の妻として成長することを信じ、どんな思惑があろうと妻に迎えようと心に決めた。だが、その決断は本当に正しいのだろうかと、未だどこか揺らぎがある。
「いと難きことよ…」
ふと目をやった先の窓の向こうには、久しぶりの強風が砂を巻き上げて都を通り抜けて行った。
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帰りが遅くなってしまったと、呼舷は少々焦っていた。
呼舷が言い出した手合わせをどこから聞きつけたのか禍斬が闘場に現れ、一試合することになったのだ。実力が拮抗しているふたりの試合ともなれば、両軍の将らも沸き立つというもの。女は軍属を許されていないから男ばかりでむさ苦しいことこの上ないが、軍に活気があるのは良いことだ。ちょっとしたお祭り騒ぎになる、それだけならまだ良い。呼舷とて禍斬との試合は望むところだ。
しかし、面倒なことに万瀑総大将が王帝を伴って現れたとなれば、簡単な手合わせで済むはずもなく。御前試合とほぼ変わらなくなってしまった手合わせは、王帝を喜ばせる為に双方絶妙に力を抜いて打ち合う必要がある。全力でやってしまうと素人では目が追いつかず、かつ一撃必殺を要する戦場で戦う彼らの勝負は大抵が一、二撃でついてしまうので、武人以外が観ても正直面白みに欠けるのだ。そのため無駄に時間を食うは、三本試合を強要されるは、気付けば焔子が来て以来帰っていた時刻を半刻以上過ぎていた。
――心配していないといいが…
市街地を通る為、馬を走らせることは出来ない。急く気持ちを宥めながら遠邇にゆられていると道を横切る者の中に見覚えのある影があった。
「焔子殿?」




