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四日目:悪童の戯れ(2)

「絶対さぁこん緑だぁにゃ!」

「いんにゃ紺すかねぇ!」


 片手には布を持ち、片手で相手の胸ぐらを掴んで言い合う焔子と孫健を見た途端、呼舷の体はどっと重くなった。呼舷の従仕達はオロオロと見守るばかり、焔子の従仕らはケラケラと笑いながら広がった布を畳んだり纏めたり、ふたりを止める様子はない。

 

「兄者は解っていね(ない)!呼舷様は派手コのものよか上品なものさがあうにゃ(ものの方が似合う)!」

「背が高ぐて物すずかの人さは紺があうかきや(似合うのだから)、こっちのほうがええがね!」

だや(だから)、紺が悪りはんではのぐて(悪いのではなくて)、その布の柄は派手コだど言っていらぁの!」

なぁ(おまえ)のは上品どいうしり(と言うより)地味だべが!」


 何事かと托苑に尋ねるまでもなく、訛りの強い言い合いを注意深く聞いていればどうやら呼舷の着る服の布について意見が割れているらしいことが解る。それも緑だの紺だのと言っているということは婚礼衣装ではない。乾抄では婚礼には男は漆黒と深紅、女は純白に朱と決まっている。婚礼に関係ない上にお互いの着るものでもなく、新郎の普段着――おそらく普段着だろう――についてどうして取っ組み合いにまで発展するのか。呼舷が感じる体の重さはとうとう頭痛を引き起こした。


「…随分仲がよろしいのですね」


 口をついて出た嫌味に焔子と孫健は猫のように驚いて飛び退すさった。喧嘩に夢中で呼舷の帰宅に気付いていなかった従仕らも慌てて礼をとる。それをみても呼舷には笑みすら浮かばない。言葉の裏にはいい加減にしろと大きな文字で書かれているような物言いをしたのだ当然だろう。むしろ裏の意味にきちんと気付いて大人しくなってくれれば上々。そんなことはないとムキになって否定してきたならさらに面倒だと言ってから思ったほど。しかし、彼らはきちんと呼舷の嫌味を正しく理解したらしい。


「も…申し訳ございません…おみ、お見苦しいところを…あ、あの…おかえりさいませ」

「…只今戻りました」

「大変失礼をいたしました。兄妹ゆえ、遠慮がなく…」


 へらっと笑った孫健に珍しく苛立ちを感じる。常ならば特に感情を揺らすほどのことではない。また少し体が重くなったような気がして呼舷はじっとりと目を細めた。孫健はそれに気付かない。


「愚妹が呼舷様のお召し物を仕立てたいと言い出しまして、持って来た反物をひっくり返していたら意見が割れてこのざまです。こいつときたら私では呼舷様の魅力を引き出すのは無理だと食って掛かって…」

「兄者!」


 つらつらと喋り続ける孫健の腕に、焔子が顔を真っ赤にして縋り付く。ぴくりと呼舷の潰れた右眉が動いた。


「兄者!余計なことを言わないでください!」

「なんだぁ?顔真っ赤にして?本当のごとだろう?」

「兄者!」


 にやにやとからかい続ける孫健に焔子はさらに顔を真っ赤にして兄の腕をぽかぽかと叩く。その様子に焔子の従仕は勿論、呼舷の従仕達も可愛らしいとくすくすと笑った。余程恥ずかしいのか焔子は呼舷を見ようともせず、うーと唸り声を上げて孫健の背に隠れてしまった。


 ざらりと呼舷の胸に何かが重く渦巻いた。同時にずしりと呼舷の体がさらに重くなる。


「…呼舷様?」


 黙りこくっている呼舷を不思議に思って声をかけた焔子の顔が、ふと真面目なものに変わった。


「呼舷様。どこかお加減が?」

「?…いいえ、どこも…?」

「ですが、お顔色が…」


 焔子の言葉に従仕達の方が顔色を変えた。己の主が不調とあれば一大事である。余計なことを、と呼舷は舌打ちしたい気持ちを隠し、自分の従仕に大事ないと目配せをする。だからだろうか、するりと孫健の元を離れた焔子が呼舷の頬に手を伸ばしたことに気付くのにわずかに遅れた。呼舷は思わず顔を仰け反らせる。


「…あ…。も、申し訳…」

「失礼。驚いただけです」


 あからさまな拒絶に呼舷はしまったと内心慌てるが、毛ほどもそれを感じさせずやんわりとした口調で焔子に詫びた。


「お気遣い、かたじけない。確かに少し疲れているようです。夕食は失礼して私は自室で休みます。お相手出来ず心苦しのですが…」

「いいえ!わたくしの方こそ、お疲れのところ騒がしくして、その…も、申し訳ありませんでした…」


 心底申し訳なさそうに深々と頭を下げる焔子に、また少し体が重くなる。そして今度は心も。そんな顔をさせたいわけではないと思うのに、福呂と禍斬に言われたことが尾を引いているのか、今の呼舷には取り繕う言葉すら思い浮かばなかった。


「あの、呼舷様…」

「何か?」


 従仕らがバラバラとそれぞれの持ち場に戻り始め、呼舷もさっさと自室に引き蘢ってしまおうと客間を出た。そこを引き止めたのは焔子だ。丸い弧を描く垂れ気味の太い眉をわずかに下げ、そうっと覗き込むように呼舷を見上げている。


「…本当に、大丈夫ですか?」


 心配そうに焔子が告げた言葉でわずかに心が晴れた。知らず呼舷の口角は柔らかく弧を描くも、布に隠れたそれに焔子が気付くことは出来ない。


 気付けないそれをあえて伝えようと思ったのだろうか。無意識の行動だった。呼舷は小鳥を撫でるようにそっと、焔子の頬に指の背で触れた。


「ご心配には及びません。これでも鍛えておりますから、寝て起きれば疲れも取れましょう」


 口角だけではなく今度は目元も和らげ、呼舷は笑んだ。そして失礼、と焔子に背を向けた呼舷は知る由もない。焔子が首まで真っ赤にしてその場にしばらく立ち尽くしたことに。


 気付いたならばどうしたのかと問うただろう焔子の様子よりも、呼舷は焔子に心配されるほどの自身の不調が気がかりだった。福呂に言われたこと、禍斬に言われたこと、それらに悩んで気が滅入っているだけだと思っていた。だが、焔子と孫健の兄妹喧嘩を見た当たりから体が重くなっていくような気がしていたのは、決して気のせいではなかったのだと今頃になって自覚する。


――焔子は、よく気がついたな…


 自室に入り、ぱたんと戸を閉めた途端、呼舷の片膝が床に着いた。


 じわじわと痺れ始めた体に、呼舷ははっきりと舌打ちをした。明らかに異常を来している自身の体。上手く動かない手で呼舷は手甲を外して手首から手の甲までを確認し、次いで長沓ながぐつくつしたを脱いで足の甲を確認する。いずれにも目を凝らせばわかるほどの薄紫の小さな斑点がわずかに散らばっているのを見て、呼舷は自分が毒を盛られたのだと確信した。


――…源龍胆げんりゅうたんか。


 源龍胆の根は薬として広く乾抄に普及している。源龍胆の根を加熱し乾燥させて挽くと食あたりや水あたりによく効くのだ。だが、掘りたての根の絞り汁は神経毒として作用する。わずか一、二滴で全身に痺れを起こす即効性の毒薬で、後遺症を残さず自然回復するのが特徴だ。また水などで稀釈すれば効果はそのままに遅効性に出来る。味は多少の苦みを感じる程度なので、味の濃い茶や辛口の酒に数滴混ぜてあれば利き分けるのはほぼ不可能だ。

 使い方次第で優秀な働きをする毒薬。ただ、源龍胆を毒として使用出来ることはあまり知られていない。源龍胆の絞り汁を作るのはかなり高度な技術を要する。その技術というのも騎獣の生け捕りと調教・販売を生業なりわいとする縛猟師ばくりょうしが独占し、口伝くでんで受け継ぐ門外不出の業である。それは人への悪用を避けるためでもあるが、なにより彼ら自身の利益を守る為に徹底されているので、源龍胆の絞り汁を入手するのは極めて困難である。


 だが、その極めて入手困難な源龍胆の絞り汁を持っている人物を呼舷は知っている。應侫おうねい夫妻。つまり、禍斬かざん福呂ふくろだ。彼らなら訓練を重ね警戒を怠らない呼舷を出し抜いて毒を盛ることも出来るだろう。逆に言えば彼らくらいでないと呼舷に毒を盛ることは困難だ。間違いなくあの茶室で出された茶に混ぜたのだろう。彼らなら――特に禍斬は――やりかねない。それは決して敵対し裏切りが起こりうる人物だと思っているからではない。むしろその逆で絶対的な信頼関係があるが故に〝悪戯〟と称して彼らはこういうことをする人柄であると呼舷は承知している。承知した上で彼らと付き合っているのだから。


 そこまで考えて、呼舷はふと禍斬から渡された紙切れのことを思い出し、動きの鈍い右手を叱咤して懐を探る。かさりと開いたそこには舌を出して見る者を小馬鹿にする禍斬のふざけた似顔絵と乱暴な字で書かれた一文。


〝俺と嫁ちゃんの仲を悪く言った罰だバーカ〟


「あんの、悪童…ッ!」


 思わず漏れる悪態。悪態をついたところで禍斬という人柄が変わるわけでも、手足の痺れが治まるわけでもないのだが、言わずにはおれない。呼舷は禍斬から渡された紙切れをくしゃくしゃに握りしめ、力任せに投げ捨てるが思ったように遠くに飛ばせずに余計に苛立ちが増した。


 とはいえ、盛られた毒は源龍胆だ。実は簡単に解毒出来る。だが、人を呼ぶのはあまりに億劫だった。放っておいても数時間で自然と治まるし、今日は先に休むと従仕にも焔子にも告げているので、誰の相手をする必要もない。さっさと寝台に横になってしまおうと、呼舷は痺れる足に力を込めた。


「ッぐ…!」


 ぐらりと体が傾く。手や足の先だけだった痺れは、いまや各関節にまで広がっている。特に足の裏が二倍の大きさに腫れたように感じられてうまく踏ん張ることが出来ないのだ。


 寝台は壁に埋め込まれるようにして設けられている。さして気にもとめていなかった自室の広さが今ばかりは憎らしい。出来ることなら這ってそこへ行きたかったが、誰も見ていないとしても極将たる矜持が呼舷に歩行を強要する。壁伝いにずるりずるりと深い川を流れに逆らって歩くようにしてたどり着いた寝台。その手前に吊るされた透けた絹の垂れ布を掻き分けようとして、呼舷はとうとう崩れ落ちた。


――くそったれッ…四、五滴は飲まされているな…。禍斬の奴め、貴重な毒薬を下らん悪戯に大量に使いおって!


 痺れが増し、脚は完全に動かせず、腕も肩すらも動かすのが苦痛になって来ている。腰にも痺れは出始めており、背や首が痺れ出すのも時間の問題だろう。寝台に乗るまで保って欲しかったが仕方ない。痺れによる、痛覚とは違う不快感に顔を歪め、呼舷は諦めて寝台に凭れ、床に座った状態で目を閉じた。


:::


 気を失うようにしてすぐに眠りに落ちたらしい。呼舷は、切羽詰まった焔子の悲鳴のような声で目が覚めた。


「――呼舷様ッ!!?」

「…焔子、殿…?」

「一体どうされたのですか!?こんな…真っ青じゃありませんか…!」


 それは貴女の方だと呼舷は心の中で笑った。焔子の顔色はあまりの狼狽ぶりに真っ青だ。そもどうして焔子が呼舷の自室にいるのだろうかと疑問を持ったが、それを問うのはかなり面倒だった。大方、呼舷が一度断った食事をやはり共に取ろうと誘いに来たのだろう。もしくは別れ際呼舷の不調に気付いた焔子だ、心配をして様子を見に来たのかもしれない。


「今、人を呼びます!」


 さっと立ち上がろうとした焔子を、呼舷の手は奇跡的に掴むことが出来た。


「…大事ありません。ただの毒です」

「毒って…!」

「悪友が、ふざけて…たまにこういうことを、するのです。…死に、至ることはありませんし、後遺症も、残りません。訓練を、受けております故…明日にはいつも通り、動けます…」

「それでも!今お辛いことに変わりないではありませんか!」


 叫ぶように言った焔子に、呼舷は笑った。嘲笑だ。捨て置けばよいものを、と確かに呼舷は焔子を嘲った。それに焔子が気付いたか気付いていないかは解らない。だが、何も言わない呼舷に、焔子はわずかに苛立を募らせて呼舷の側に跪いた。


「毒の種類は?」

「…聞いて、どうします」

「解毒します」

「必要、ありません」

「いいから、知っているなら教えて下さい!」

「不要です…」

「でもッ!」

「…捨て置けと、言っているのです」

「呼舷様ッ」

「くどい!」


 思わず怒鳴れば、焔子がびくりと首をすくめた。だが、それも一瞬。焔子の怒りが爆発した。


「――ッ、いい加減にせにゃッ!!!!」


2015.09.01 加筆報告

焔子と孫健のお国言葉にルビをふりました。

津軽弁を参考にしてますが、あくまで参考程度でいろいろ適当に変えています。

ですので、朔州弁とご理解ください。

方言万歳!!

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