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縁談

「縁談?」


 禁軍きんぐん東極将とうきょくしょう呼舷こげん相駁しょうはくは怪訝な顔をしてみせたが、火傷でひどく崩れた相貌は肉が盛り上がっているせいで眉間に皺を刻むことはなかった。


 呼舷は醜い。眉間から右目を潰した火傷は鼻尖を押しつぶし、そのまま口の端に達して常に歯が見えるほどに唇を焼いた。その様子はまさに化物と呼ぶに相応しい。普段は鼻と口を布で覆い隠しているが、視力を落とさないようにと隠さずにいる右目の傷痕を見た子供はもちろん、宮中の女に怯えられ泣かれたことは一度や二度ではない。そんな自分に縁談とは。将軍ともなれば縁談が来ることは不思議ではないが、家柄だけではなく当人同士の相性を重視するようになって久しい昨今、呼舷に縁談などもうここ7年、とんとなかった。


 それが何故今頃、と呼舷が訝るのも無理はなかった。


「おまえももう三十二。ましてや禁軍の将軍。いつまでも独り身でいるわけにもいかんだろう」

「…ですが、こんな醜男しこおに嫁ぐ酔狂な女がどこにおります」

「いるからこうして話を持って来ている」


 呼舷の父・舷角げんかくは眉間に皺を寄せ、忙しなく煙管を噴かしながら、ろくに呼舷を見ることもなく言い捨てた。軍事や国政にまつわる文章の起草を行う記室きしつに籍を置く文官の舷角は、軍籍にて雲の上の存在となった息子にどこかしら嫉妬を抱いている。こうして会って縁談を持ちかけても、笑顔ひとつみせることはない。


「地方豪族だが歴史ある一族の娘だ。申し分ない」

「…しかし…角暈かくうんがいるではありませんか」

「貴様は極将きょくしょうという誉れ高い位にありながら弟に家督を譲る気か。恥を知れ。そも、もう受けた話だ。花嫁は10日後におまえの屋敷に来る」

「父上!」


 思わず声を荒げた呼舷こげんだが、宮中で格下とはいえ当主である父に睨まれ、下がれと言われて返す言葉はない。禁軍の将軍を指す極将きょくしょうを賜る者がいつまでも独り身である外聞の悪さを払拭することは、相駁家しょうはくけの為でもあると仄めかされてなお反論できる材料を呼舷は持ち合わせていなかった。

 釈然としない胸の内を押し殺し、呼舷はなんとか「失礼します」と言葉を紡いで父・舷角げんかくの屋敷を後にした。


 愛馬の背に揺られながら己の屋敷へと向かう途中、呼舷は深々とため息をつき、布の上から隠している己の崩れた顔に触れた。ぼこぼこと複雑に隆起した肌の感触が布越しに指に伝わる。


 呼舷の顔は生まれながらにこうであったわけではない。元はなかなかに整った顔をしていたので、十代の頃は女遊びもそれなりにやっていた。呼舷の顔が崩れた原因は戦である。祖国・乾抄けんしょうの卒長にもならぬ無名の頃、隣国・殷真いんしんに攻め入られ、捕虜となった際の拷問によるものだった。


 爪を剥がれ、鞭打たれ、焼いた石で顔を崩され、仲間が次々と息絶えて逝った。いっそ殺してくれと願うほどの拷問を、敵国に情報を漏らすことなく耐え抜いただけでも天晴あっぱれであったが、呼舷は殷真の隙をついて逃げ出した。そして驚くべきことに、その満身創痍の状態で敵将を打ち取り、その首を携えて自陣に帰還した。齢十九の時の話である。


 呼舷こげんのその働きは乾抄を勝利に導く重要なものであった。敵将を打ち取ったのだから当然だ。仲間は大いにそれを喜び、呼舷を賞賛した。


 だが、乾抄けんしょうの位の高い女達はそうではなかった。

 敵国に捕われ生きて戻ること自体、信じられない話。一体どんな手を使ったのかと下卑た憶測が飛び交った。それを加速させたのが呼舷の崩れた顔だ。戦場を知らぬ貴族の女達は、怪我を負った兵士の姿を知らない。多くはそのまま命を落とすからだ。だからこそ、大きく崩れた呼舷の顔はまさに異形、化物ばけもの物怪もののけと等しく映ったのだろう。

 以来、どれほど武功を重ね、位を上げ、浴びるほどの賞賛を臣民から得ようとも、結婚生活だけは得られなかった。いや、正確には縁談はあった。だが、呼舷の地位のみを頼みにもたらされた縁談では、女の方が呼舷個人に耐えられなかった。


「…どうせまた逃るに決まっている」


 ぽつりと呟いた言葉は、馬が蹴った小石のようにころりと音をたててすぐに消えた。これ以上不名誉な婚姻を重ねるくらいなら最初から縁談など取り結ばないで欲しい。その方が相駁家しょうはくけの為だと何故父は理解出来ないのか。


 陰鬱な雲が垂れ込めた空はまるで10日後の自分をわらっているようだ。呼舷はもう一度ため息をついた。


:::


 呼舷こげん婚約の噂は一体どこから流れたのか。父によりもたらされた縁談は、翌日東軍にとどまらず禁軍全軍にまことしやかに広まっていた。恐らく舷角によって、呼舷が縁談を破談にせぬよう先手が打たれたのだろう。禁城内に設けられた将軍の執務室までの廊下にて、入城を許されている師団長以上の者に会うたびに祝辞をのべられた。この様子ならば昼過ぎの訓練では直接言葉を交わすことを許されていない卒長以下の兵士にすら祝いの礼を取られそうだ。


 呼舷は憂鬱なため息を落とす。戦場において呼舷はまさに英雄。その姿を見るだけで兵士の士気が上がると言われるほどだ。純粋な武功を基準に人を評価する乾抄けんしょうの兵士は、呼舷をとても慕っていた。それだけではない。略奪を善しとせず、民を思う軍略を徹底し、知略を巡らせて勝利を収める将軍として庶民の間でも人気は高い。東西南北の四軍と近衛軍からなる禁軍の他の将軍でさえ呼舷に一目置いている。だからこそ、今までの縁談で妻が逃げたとあれば、見る目がないと散々女の方を兵士らはこき下ろし、呼舷の久々の浮いた話に心底祝辞を述べるのである。禁軍の兵士には呼舷の崩れた顔など瑣末なことなのだ。


 しかし、呼舷にはそれこそが辛かった。この顔では女が逃げても仕方あるまいとわらわれた方が、余程救いがある。これほどまでに慕われ、有能な猛将、比類なき人格者、天下無双の将軍との賛辞をうけてなお、たかが崩れた顔ひとつで妻となる女をつなぎ止めておけないことを呼舷は責めた。

 女っ気のないまま、なまじ男所帯の軍属生活が長い弊害である。重傷を見慣れぬ女が、化物じみた相貌の男に抱かれる恐怖を、呼舷という〝男〟は理解出来ないのだ。少しでもそこに思い至れば妻に逃げられることを卑下したりはしないだろう。


 そんな調子で日はあっという間に過ぎた。


 ついに明後日、妻となる女がくる。


 呼舷こげん極将きょくしょう就任の際、私邸を王帝より下賜かしされている。古来の習わしにより新郎が自立している場合の婚儀は、両家の親も仲人なこうども交えず当人同士らのみで行う。そのため、呼舷の屋敷には普段から彼に仕えている使用人――乾抄けんしょうでは従仕じゅうしという――達だけが必死の形相で屋敷に花嫁を迎える準備を進めていた。明後日には新婦が到着し、その翌日はついに婚儀である。


 庭師や料理人などを含む20人ほどの呼舷の従仕は、男女問わず呼舷の顔を恐れることも無くみな優秀でなんの心配もない。だが、準備の為に呼舷の暇つぶしに付き合えるほど手に余裕があるわけではなかった。婚礼のため数日の休みを禁軍総大将から命じられたものの、花嫁が到着するまでやることのない呼舷は完全に手持ち無沙汰だった。


「……」


 簡素な自室。お気に入りの揺り椅子にかけ、久々の読書をしようにも気持ちはどうにも落ち着かない。視線は何度も同じ行をたどるばかり。呼舷は諦めて私邸の散策に出かけようとのっそりと腰をあげた。


 中庭に出るには客人を迎える応接間を繋ぐ廊下を行かねばならず、恐らくそこは今、従仕じゅうし達が慌ただしく行き来しているだろう。よく働いてくれている彼らの邪魔をするのは本意ではない。呼舷は私室を出て、玄関へ繋がる屋敷と外壁の間の、道ですらない場所を通って正門へと歩を進めた。


 正門には誰もいない。門番を来訪者の取り次ぎ用に置いている屋敷も多いが、呼舷は基本的に私邸に客を呼ばないため、詰め所はあるが常に空だ。来訪者があるときだけ人を置くので、花嫁が来る明後日は久しぶりに誰かしらがここに立つだろう。

 門の脇には樹齢100年を超す立派な桜がゆったりとその枝を広げている。今日は風が強いものの散る花はない。それらが咲くのはもうしばらく先のことで、春を待つ蕾はぷっくりと肥えてちょんと枝に留まっていた。呼舷はそれを柔らかな視線で愛でる。戦がなくなってしばらく。花を愛でる余裕があるというのは実に素晴らしい。


「…呼舷こげん、様…で、ございますか?」


 呼舷は跳ねるように振り返った。

 強い風音が足音を消していたのだろう。人の気配に気付くのが遅れたことで、思わず腰に手が伸びた。軍人のさがだ。しかし、帯刀していないため手はわずかに空を彷徨うに留まる。

 懐刀の存在を確認しながら警戒心を隠し見やった先には、大判の白い布をぐるぐると首に巻いて口元を覆った簡素な旅装束の人物が、大きな荷車とそれを曳くずんぐりとした一頭の馬を伴って立っていた。


 随分と小柄なその者は背中に剣筒けんづつを背負っているが、布ですっぽりと覆っているため、すぐに剣を抜いて襲いかかって来ることはないと判断する。それでも呼舷は警戒を解くことなく、厳しい視線を送った。ただ佇んでいるだけに見えるが、注意して観察すれば、この者は攻撃されれば即座に反応出来る姿勢を取っている――しかも恐らく無意識に――ことに気付く。相当な訓練を積んでいる事は明らかだ。


「いかにも私は呼舷相駁だが…貴君は?」

「あ!あ、その!わたくしは、洲家のッ、じゃなくて!すみません!お初にお目もじつかッ、まつります!わたッわたくしはしゅう焔子えんしと申します!」


 わたわたと落ち着きのない身振り手振りで言葉を紡いだかと思うと、焔子と名乗った人物はがばりと深く腰を折った。そしてまた音が鳴るほど勢い良く体を起こすと、その拍子に口元を覆っていた布がぱさりと首元に落ちた。


 現れたのは素朴ながらすっきりとした顔。年の頃は十六から十八といったところだろうか。乾抄けんしょうの女には珍しく短髪だったので一瞬男かとも思ったが、長旅だったのか薄汚れているだけで、どうやら女のようだ。


 さて、顔は見た。名も聞いた。どこかで見聞きしたようにも思うが、呼舷には目の前の人物に心当たりはない。一体何者なのかと訝っていると、焔子はひどく紅潮し緊張した面持ちで直立し、まるで一兵卒が伝令を伝えるかのように声を張り上げた。


「この!この度は大変光栄な縁談を賜り!恐悦ッしッ至極に存じまする!呼舷様との婚礼の儀を執り行うため!朔州さくしゅう天白てんはくより参上つかまつりました!」

「…………なんだと?」


 唖然とする呼舷に、焔子は気付かず言葉を続ける。


「ふつッ!ふつつっつか者ではございますが!よろッ、よろしくお願いいたします!!」


2015.09.13 ルビ追加・一部修正

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