01 ゲームはすでに始まってる?
俺は学園指定の学ランに袖を通し、通常通り寮から校舎へと向かった。
さすがに、男女の学生服が逆転しているなんていうフザケたことはなかった。
あの先輩も紛らわしい。なにが目的であんなうそを吐いたんだ、まったく。
俺は生あくびを殺しながら、同じように男子寮から出て来たほかの生徒たちと学園の教育棟へとトボトボ歩いている。
学園に点在するいくつもの施設の中でも、最も大きなこの教育棟は、パリの凱旋門のごとく、学園の中央に備えられている。
すべての道はローマに続く、とやらではないが一般の生徒なら一日一度はこの前を通ることになる。
そろそろ、その教育棟へと伸びるまっすぐな一本道と差し掛かる。
男子寮とは――教育棟を挟み――真逆の位置に備えられた女子寮の生徒たちと、交差するのはここからだ。
目をこらすと、華やかな学生服を着込んだ女子生徒が、同じ道を目指してやってくるのが分かる。
俺たち男子生徒は、本当に何の変哲もない詰め襟の学ランだ。
むしろ時代錯誤で新しいとすら感じられるほど、窮屈な装いをしている。
それに対し、女生徒の服はとても可愛らしい。
淡いクリーム色を基調にした制服は、胸元のリボンでその学年を識別する。ちょっと短めとも思えるプリーツスカートの裾からは白いフリルが見え隠れし、伸びる太ももは黒いニーハイソックスのおかげで、その天然色を際立たせている。
俺たち男子生徒にとって眼福に預かれる瞬間であるはずなのだが、いったい、この雰囲気はどうだ。
入学から約二週間で、一年のクラスは戦場のような空気に包まれている。
特に男女の間でどのような距離を取るかに、全神経を費やしている状態だ。
目線はまるでを獲物を狙う野獣のように鋭いくせに、ふと目が合わさると互いに顔を背ける。
あえてこちらが見続けると睨み付けてきたり、赤面したり、逃げ出す生徒もいた。
正直、追い込み時期の中三のクラスより、現状の方が息苦しくて敵わん。
とりあえず、隣の席になった女子には敵意がないことを示すため愛想笑い。
廊下ですれ違うだけでも、下卑た笑いにならないよう慎重に顔を作って、さわやかに挨拶。
うちのクラスでは、縦一列ごとに男女の席が交互に配置されている。
男子は一日おきにベルトコンベアのように後ろの席に移動し、隣の席になった女子と挨拶しなくてはいけないルールになっていた。
約一ヶ月後には、一巡してクラスすべての女子生徒と一度は言葉を交わすことになる。
幸い並び順は変わらないため前後の人間は常に同じだ。
気が付けば前の席に座る樋口潤と後ろの席の不動峰重とは、言葉を交わすようになっていた。
「おはよう、カズキ。どうだい、恋人候補は決まったかい?」
「そういうお前はどうなんだよ、ジュン」
先に到着していたジュンは、俺が席に着くなり言い辛いことを平然と聞いてきた。
細いシルエットと整った顔立ちは柔和な雰囲気と知性を感じさせた。短い髪を自然に流し、小動物のような瞳でどんな人物に対しても正面から見詰め返す度胸のある男。
雰囲気だけなら女子にモテそうだが、異様な発言が多いだけに誰もが近寄りがたく、遠くから珍獣を眺めるように倦厭されている。
自称・情報通のこの男は、俺の名前を聞いただけで唯一の奇策試験合格者であることを言い当てた。
俺のことを知ってるなんて前の中学の奴か、入学前に会ったあの先輩ぐらいだと思っていた。
他のクラスメイトが俺のことなど眼中にない中、恐らくこいつだけが俺のことを知っていた。
情報通というのもあながち嘘ではないらしい。
「残念ながら、ボクの方はまだまだなんだ。理想の相手に出会えなくてね」
「なかなかの問題発言だぞ、それ。お前はこの二週間にあった女子全員を切り捨てたってことになるんじゃないのか」
「そんなことはないよ。今の彼女たちでは、僕が満足できるほど情報が揃っていない。だから、判断できていないってこと。もしかしたら彼女たちの中から、ボクが望む人が出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。だから、まだまだなんだ」
恐ろしい男だ。
その切り捨てられた女子が、すぐ斜め後ろに座っているというのにこいつは、かまわず平然とした口調で語りやがる。よほどの馬鹿か、肝が据わっているか、そのどっちかだ。
個人的には前者であって欲しいが、恐らく後者なんだろう。
「カサネには聞かないのか?」
俺はすぐ後ろの大男を指さした。
寡黙なこの男は俺の後ろで黙々と本を読んでいる。
たしか合気道かなにかの武術の心得があるらしい。黒い髪が左右にはね、油断ならない眼光で、他を圧倒する。引き締まった面立ちでタフな男というイメージが具現化されたようなヤツだ。
暇な時間はいつも本を読んでおり、俺が中を覗こうとすると無駄な動きひとつなく視線を外してくる。
俺が必死になって覗こうとすると突然本を閉じ「お前には必要ないものだ」と言って、立ち去ってしまったことがある。
この状況で敵を作りたくないので、それ以来カサネの本を覗こうとはしていない。
だが、チラッと見た限り、あれはおそらく少女漫画だ。
なるほど、あいつも必死に勉強しているようだ。
「カサネには聞かなくてもいいんだよ」
「どうして?」
「彼みたいなタイプはフィーリングで決定してしまう事が多い。だから、いま誰が候補か? って聞いたところで意味がない。出会った瞬間に決まるか、はたまた気づけば成っていた、なんてパターンが多いんじゃないかな」
俺達の話を聞いてか聞かずか、相変わらずこの男は表情変えずに本を読み続けていた。
肩幅も広く、この学年でトップクラスの体格を持つカサネ。
こいつが後ろに鎮座しているとなにげに要らんプレッシャーを感じてしまう。
カサネの後ろでは黒板もロクに見えないだろう。
誰だか知らないが可哀想に。
「ねぇ、ちょっといいかしら?」
俺達のバカ話に突然知らない女子が声をかけてきた。
いや、知らないこともないか。
黒髪のストレートをそよ風に流し、綺麗な顔立ちにはたえず微笑を携え、常に優雅な雰囲気を漂わせている巨乳の美少女。
このクラスの美少女枠を一瞬にして占領した存在――一ノ瀬由紀恵だ。
言葉を交わしたことはなかったが、初日の自己紹介でその存在感にクラスがどよめいたのを覚えている。
人の名前を覚えるのが苦手な俺でさえ、一発で覚えることができたほど異様な存在だ。
彼女の後ろには女子が二人、それも双子の女の子が控えている。
見たことのない女子だ。
恐らく、別のクラスの子だろう。
美少女の友達は、その引き立て役として不細工である事が多いと聞いていたが、どうやらこの意見は、間違っているらしい。
後ろに控える二人も一ノ瀬には負けるが、十分魅力的な顔立ちをしている。
「なんでしょうか、一ノ瀬さん」
ジュンのやつがいつもの調子で返事をした。
これほどまでの美少女たちに囲まれているのも関わらず、その雰囲気に飲まれないとは。こいつが、とんだ心臓の持ち主であることがよくわかる。
「あなた達が適任だと思って――協力して貰いたいことがあるの」
「協力? 一体何の協力ですか?」
「もちろん決まっているじゃないの――【恋愛ゲーム】に完全勝利するための協力よ」
女は確信を持って微笑んでいた……。