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月曜日6

 防犯カメラの映像を確認に行った捜査官から連絡が入った。強奪されたトラックは『サウス・ウェスト・ビヴァレッッジ』という清涼飲料水メーカーの配送車両だと分かった。ビルは溜息をついて首を振る。

「街の外れに大きな配送センターがある。この時間、会社に戻るトラックが街中何台も走ってるはずだ。ヴィクターのアジトはほとんどが飲食店だからな。張り込んでる奴らも別段怪しいとは思わんだろう……。一応全員に知らせておけ!」

取引場所が特定出来ないまま、女達を乗せたトラックを見失ってしまった。ルークは机に肘をつき、頭を抱える。

「どうすればいい……」

 売られた女達は全米各都市にあるアジトへ移される。それはアパートの一室だったりする。監視されながら数人で共同生活をし、そこから商売に出されるのだ。アシがつきそうになると移動を繰り返すため、見つけ出すのは困難になる。運よく見つけ出せても、その頃には身も心もボロボロになっているだろう。何としてでも今日中にカタをつけなければいけない。

 ルークはトラックの位置を示して点滅するパソコン画面を見つめた。そのちらつく光をみているうちに、ふと何かを思い出したように頭を上げた。

「あ、そうだ。ヨーコに発信機を付けてたんだ」

ルークは携帯電話を出し、パソコンに繋げた。ビルは脱力し、呆れたような声を上げた。

「お前、何でそんな大事なこと忘れるんだ……で、何でヨーコに発信機なんか付けたんだ?」

ルークはビルを睨んだ。

「監視しろって言ったのはそっちだろ」

「でも、あんな所に一緒にいて発信機なんか付ける必要あったのか?」

ルークはキーボードを打つ手を止めずに説明を始めた。

「……正直に言うと、監視なんて面倒くさいから一応用意しただけだ。でもヨーコが来た日の夜、あいつ一人で湖畔にいたんだ。これは偶然だろうけど、アキラが殺された現場に立ってて……ちょっとびっくりしたんだ。それで念のために付けた。俺もかなりしつこく注意したし、その後は夜に一人で出歩くことも無かったから忘れてた。……それに、今さら返せとは言えないだろう」

「おい、まさかヨーコは……」

ビルは表情を曇らせた。その声音も沈んでいる。

「違うよ」

ビルの考えていることが分かり、ルークは否定した。

「えっ?」

「違う」

もう一度ビルが口を開きかけた時、画面に洋子の位置が現れた。

「来た! もうすぐ街に入る」

「よし、二人が戻ったら出るぞ!」


 以前ルークが動画撮影した雑居ビルの地下にある店『バッファロー・ピット』。その向かいにあるビルで張り込んでいた捜査官は、店の前に着いた車を見てビルに報告を入れる。

「来た! ジョーンズだ! 金髪の白人女性と、東洋人と見られる女性も一緒だ」

「ヨーコだ」

洋子の位置を示すモニター画面に目を凝らしながらルークが応答した。バンは既に町へ向かって走り出している。ビルはバンの奥にいる捜査官に声を張り上げた。

「各アジトに張り込んでる奴らに連絡しろ! バッファロー・ピットに向かえ! 気付かれないように包囲しろ!」


 銃を持ったリンジーに小突かれながら、洋子はティムに続いてバッファロー・ピットに入った。重厚な扉の向こうにはきらびやかな内装の空間が広がっている。右側には大理石風のカウンターがあり、その奥のガラス張りの壁にはグラスや酒のボトルがずらりと並んでいる。そこから一団低くなったフロアの壁には、等間隔に女性の身体をイメージした抽象的なオブジェが飾られている。照明は消されているが奥にポールが立ったステージがある。洋子にはすぐにここがどういった店なのか想像がついた。

 テーブルとソファが脇に寄せられたフロアの中央に、十人以上の女達が並んでいる。豪華な内装のこの店には似つかわしくなく、女達の服は皆薄汚れており、メキシコから荷物のようにトラックで運ばれてきたことが窺える。不安そうな女達を取り囲むようにスーツ姿の男達が立っており、その中にソファに脚を組んで座ったヴィクターが頬杖をついている。

「遅かったなティム」

「この女がてこずらせて……」

「こいつか、お前が言ってた日本人は。手錠は外してやれ」

ヴィクターが頬杖をついたまま、洋子を眺めて薄笑いを浮かべた。

 長い金髪を後ろでまとめたその男の冷たく光る緑色の目を見た時、洋子はティムとは比べ物にならないほどの恐怖を感じた。全身の血液が下がっていくような感覚に襲われる。レイクサイド・インの洋子の部屋でルークが言っていた事、自分がとんでもない状況に陥っている事を初めて理解した。リンジーの手が触れ、洋子の肩は弾かれたように跳ね上がる。薄笑いを浮かべるリンジーに手錠を外された洋子は、その手を乱暴に振り払い睨みつけた。ヴィクターが頬杖をついたまま、乾いた笑い声を上げる。

「フフ……元気がいいな。並ばせろ」

ティムが洋子を一番奥へ連れて行った。洋子は反抗的な態度を取り、肩を小突くティムの手を払う。女達の端に立たされ一刻も早くここを逃げ出したいと俯いた時、隣にいるミランダに気付いた。まだほんの五歳か六歳にしか見えない。ミランダは恐怖に体を震わせ俯いている。

 小児性愛者。そういう人間がいるのは洋子も知っている。日本でも幼い子供を狙った事件がいくつも起きている。今まさに、その餌食になろうとしている子供を目の当たりにして、激しい怒りを抑えることが出来なかった。自分の背後で肩を摑んでいるティムの手を振り払い、後ろを振り向くと食いしばった歯の間から言葉を絞り出した。

「こんな小さい子を……あなたは人間のクズよ!」

ティムが洋子の左頬を打った。火がついたように頬が痛んだが、叩かれることは覚悟していた。洋子は足を踏ん張り耐えたまま、ティムを睨みつけている。

「このアマ!」

もう一度ティムが洋子の左頬を打つと、今度は堪らず床に倒れこんだ。ティムは洋子の髪を摑んで顔を上げさせると、ミランダを指差し低い声で嘲るように言った。

「いいか、よく聞けよ。こういうのが一番金になるんだ。お前なんか目じゃないくらいな! 憶えとけ!」

ティムを睨み続ける洋子の頬は赤く腫れ、歯をくいしばった口元からは血が滲み出した。

「おいティム、それくらいにしとけ。大事な商品だ。跡が残る傷は付けるな」

ヴィクターに言われ、ティムは洋子の髪から手を離した。倒れたまま肩で息をしている洋子にヴィクターが冷たく言い放つ。

「お前もナメた口きくな。立て」

ゆっくりと立ち上がる洋子を見て、ヴィクターは薄笑いを浮かべた。

「お前には教育が必要だな……」

隣にいる取り巻きの一人に顔を向ける。

「後で俺の所に連れて来い」

取り巻きは口元に卑下た笑いを浮かべながら頷いた。

 恐怖と怒りに震えて立つ洋子の腰に何かが触れた。見ると隣のミランダが、洋子の腰に手を当て心配そうに見上げている。ミランダの美しさと健気さに胸を打たれた洋子は、その小さな手を握ると弱々しく微笑み、安心させるように頷いた。


 ルークが乗ったバンはバッファロー・ピットがある路地から大通りを挟み、一ブロック先を曲がった所に停められた。先に店を包囲した捜査官からビルに随時報告が入る。見張りは店の入り口に一人、裏口に一人、路地の手前の大通りに一人。ビルは外にいる捜査官に裏口を確保するよう指示を出した。

「いいか、くれぐれも中にいる連中に気付かれるなよ」

 ルークはバンの窓から大通りを見た。路地に入る角の手前、ブティックのショーウィンドウの前に見覚えのある男が立っている。動画撮影した時にいた、ヴィクターの取り巻きの一人だ。

「あいつは俺が行く」

ルークはポンチョを被るとバンを降りた。車の中に残った二人の捜査官が顔を寄せ、大通りへ向かうルークの後姿を見送りながら声をひそめて話し出した。

「ビルのニューヨーク時代の秘蔵っ子なんだろ?」

「お手並み拝見だな」

 ルークは横断歩道を渡り、見張りの男目掛けてスタスタと歩いて行く。ダークスーツを着た見張りの男はトランシーバーで話をしており、近づいてくるルークには背を向けていた。ルークは男の背後に立つと、話が終わるのを待った。

「……ああ。異状なしだ」

報告が終わると、ルークは左手で男のトランシーバーを取り上げた。驚いて振り向こうとした男のジャケットの内側に素早く右手を入れ銃を奪い取ると、その腕を男の顎の下に入れ一気に締め上げる。ほんの数秒で男は気を失った。ルークが腕を離すと、崩れ落ちるように男は地面に倒れた。すぐ近くの通行人が驚いた顔で通り過ぎる。ルークは駆け寄ってきたビルに、男から奪い取ったトランシーバーと銃を渡した。

「あと、もう一人だな」

ルークはさっさと角を曲がり、バッファロー・ピットのある路地へ入って行った。ビルは後ろから来た二人の捜査官にトランシーバーと銃を渡すと、倒れている男を指差した。

「こいつを確保しろ」

倒れた男の傍らにしゃがみこんだ捜査官が呟いた。

「ずいぶん荒っぽいな……」

 路地に入ると店の手前にリンジーの車が停まっているのが見えた。その向こうにいる見張り役は黒人の大男で、いかにも用心棒という感じだ。

頑丈そうな額の下にあるぎょろ目が油断なく周囲を見回している。ルークは店の前をぶらぶらと歩き、入り口がある階段の下を覗き込んだ。用心棒がルークを睨み、訝しげに低い声を投げ掛けた。

「何だ? お前」

ルークは用心棒に無防備な笑みを向けると店の扉を指差した。

「飲みに来たんだ。開いてないのか?」

その時店の扉が開き、一人の男が顔を出して用心棒に尋ねた。

「どうした? 何だアイツは?」

階段の上のルークを顎で示した。用心棒は面倒くさそうな声で答える。

「ただの間抜けなインディアンだ」

「追い払え」

それだけ言うと男は扉を閉めた。

「今日は貸切なんだよ。とっとと失せな、兄ちゃん」

用心棒はルークを追い払うように手を振った。

「何だ……そうかあ……」

 その頭の悪そうな若いインディアンの男はブツブツ呟きながら、まだ店の前をうろついている。用心棒は呆れたように溜息をついた。

「まったく……ボブは何やってんだ……」

部外者をこの路地に入れないように見張っていたはずのボブは、何故こんなとろい男を見逃したのか。用心棒は不機嫌そうに呟き、大通りの方を睨んだ。するとインディアンがへらへらと笑いながら近寄ってくる。

「そういえば、あそこの通りで居眠りしてる奴がいたぜ。あんたの友達か?」

「何だと?」

 用心棒はルークに背を向け、大通りの方を首を伸ばして見た。ルークはポンチョの中から銃を抜くと両手で握り、首を回して大きく息をついた。銃を持った腕を大きく振り上げ、用心棒の首の付け根に銃底を叩きつけた。

「うっ!」

短い呻き声を上げたが、用心棒は倒れない。

「クソッ!」

ルークはもう一度腕を振り上げ、用心棒が振り向く前に同じ所に銃を振り下ろした。呻きながら体をくの字に曲げた用心棒の膝の裏を蹴る。用心棒は両手と両膝を地面に着けた。その背中にのしかかったルークは、用心棒の顎の下に腕を通し思い切り締め上げた。用心棒は喉の奥から獣のような唸り声を上げ、身体に力を入れて必死に耐えている。ルークはさらに締め上げた。用心棒は右手を地面から上げ、震えながら銃を取ろうと懐へ伸ばす。ルークはその動作に気付いたが、少しでも力を抜けばこの鎧のような筋肉を纏った用心棒に弾き飛ばされるのは分かっていた。体格では完全に負けているのだ。ルークは食いしばった歯の間から声を絞り出す。

「へし折るぞ。この野郎……」

渾身の力を込めると、用心棒の体からやっと力が抜けた。

 額に汗を浮かべ、肩で息をして立ち上がったルークの周りに捜査官が集まってきた。すぐにバッファロー・ピットの入口を包囲する。ビルがルークにヘルメットを渡し、茶化すような声を出した。

「手こずったな」

「当たり前だろ! あんな長閑なところに二ヶ月もいたんだぞ!」

脱いだポンチョを店に続く階段の手摺に掛け、閉ざされている扉を見つめた。あの向こうに洋子がいるはずだ。ルークは乱れた息を整えるとヘルメットを被った。

「さっさと終わらせるぞ!」


 入り口と裏口から同時にFBIが店の中に踏み込んだ。店内は一時騒然となったが、それもやがて静まった。ヴィクターの子分達は武器を取り上げられ、フロアにいる全員が取り押さえられた。一人の捜査官が女達にスペイン語で指示を出している。洋子には言葉が理解出来なかったが、他の女達がしているように手を頭の後ろで組み、床に跪いた。その傍らにはミランダがピッタリと寄り添っている。

 別の捜査官が令状を読み上げている間、ルークはヴィクターに銃を突きつけフロアを見渡した。どこにもティムの姿は無い。

「あいつ……逃げたのか……?」


 ティムはトイレの個室の中で苛立っていた。FBIが来るかも知れない。その前に金を貰って引き上げたいのに、なかなかヴィクターが金を渡してくれないのだ。ティムは天井を見て大きく息をついた。今しがた体に入れたクラックが全身を駆け巡っている。苛立ちや焦りが混じった息を全て肺から追い出すと、急に自信が湧いてきた。

 その時店内のざわめきが聞こえ、FBIがやって来たのが分かった。ティムは銃を抜き、ポケットから出したサイレンサーを付けた。何だって出来る気がした。

「逃げてやる……」

不敵な笑いを浮かべて呟くと、個室を出てトイレのドアの横に立った。ヒタヒタとこちらに近付いて来る犬の足音が聞こえる。息を殺して待っているとトイレのドアが開き、まず黒い銃身が見えた。犬の行動が手に取るように分かる。まるでスローモーションだ。ヘルメットを被った犬の顔がゆっくりと出てくる。ティムはヘルメットから出た犬の喉元に銃口を当て引き金を引いた。この青い目の犬はルークではない。傾いていく犬の襟元を摑み、音をたてないようにゆっくりとタイルの床に横たえた。自分の内側に無敵とも言える力が漲っているのを感じる。誰にも負ける気がしない。

 ティムは不気味に声を殺して笑った。


 ヴィクターに銃を突きつけているルークの目に、その女の姿が入った。フロアで多くの女達と同じように、手を頭の後ろで組み跪いているブロンドの女。白いTシャツに黒のズボンを穿き下を向いていて顔は見えないが、すぐにリンジーだと分かった。制服の上着を脱ぎ、メキシコ人女性の中に紛れている。そのすぐ横で、一人の捜査官がスペイン語で指示を繰り返していた。

「おい! その女は奴らの仲間だ! 気を付けろ!」

ルークが注意を促すと捜査官が振り向いた。その時リンジーが足元に隠していた銃を取り、捜査官の防弾チョッキの下に銃口を差し入れ発砲した。悲鳴と怒号が飛び交い、リンジーはすぐ隣にいた女の腕を摑んで自分の前に立たせた。

「クソッ!」

突然のリンジーの凶行にルークが悪態をつき、ヴィクターの後頭部に突きつけていた銃口を上げてしまった。ヴィクターはその一瞬の隙を突き、ルークの右手を払った。ルークはバランスを崩したものの、銃を離しはしない。しかし舞台の袖から、それまで隠れていたヴィクターの子分が銃口をルークに向けて出てきた。ルークが銃を構え直した時には、ヴィクターは子分から受け取ったもう一丁の銃を構えていた。その銃口はルークではなく、ヴィクターの横二メートルほどの所で寄り添って跪いている洋子とミランダに向けられている。

 自分達に銃が向けられている事に洋子が気付いた。目を見開き、冷たく光る銃口を見つめながら、そっと震える腕を伸ばしてミランダをしっかりと胸に抱き寄せた。そしてゆっくりと銃に背中を向け、きつく目を閉じた。

「やめろ……」

自分でも驚くほど動揺した声がルークの口から漏れた。それでもヴィクターは冷酷無情の光を宿す緑の目でルークを見据え、震えながらミランダを庇う洋子の背中に銃口を向けたままだ。

「ボス、こっちです」

子分がルークに銃口を向けたまま、ヴィクターに裏口を示した。ヴィクターは洋子とミランダに銃を向けた状態で後ろに下がり始める。

「残念だったな、小僧」

ヴィクターが薄笑いを浮かべ、裏口へ続く通路へ姿を消した。歯を軋らせ引きつったルークのこめかみから、ひと筋の汗が伝い落ちた。

 リンジーは人質にした女の首筋に銃をつきつけ、壁の前に移動するとじりじりと出口へ近づいていく。


「ティムの野郎が尾けられてたんだ! 後で殺してやる!」

裏口から外へ出たヴィクターが怒鳴った。そしてドアの脇でふんじばられている見張り役の子分を見つけ、怒りを爆発させた。のた打ち回る子分の脇腹を激しく蹴りながら怒鳴り散らす。

「しくじりやがって! この野郎!」

荒く息をついて前を見ると銃口に気が付いた。

「もう終わりだ。お前こそ残念だったな、ヴィクター」

目の前にはビルが立っていた。ヴィクターと子分が周りを見ると、自分達が取り囲まれていることに気付き、持っていた銃を足元に落とした。


「道を開けな! この女殺すよ!」

リンジーの怒鳴り声と、銃を突きつけられた女の叫び声が響く。少しずつ出口に近づこうとするリンジーに銃口を向ける捜査官達は、一定の間合いを取りながら説得を続ける。

「銃を捨てろ! もう逃げられないぞ!」

「女を放せ!」

リンジーに呼びかける捜査官の一人が突然倒れ、脚を押さえて呻きだした。

「誰かがサイレンサー付きの銃で発砲してる! 伏せろ!」

別の捜査官が叫び、フロアの女達が床に身を伏せる。洋子もミランダを抱えたまま急いで身を低くした。

 突然、天井の中央にある大きなシャンデリアの一部が音を立てて砕けた。ガラスの破片が床に伏せた女達の上に降り注ぎ、数人がパニックを起こした。叫びながら立ち上がり、逃げ惑う。一人が出口と間違え、トイレの通路へ逃げ込んだ。トイレのドアの影から出てきたティムがその女を捕まえた。女を盾にしながらフロアの方へ進み、銃に取り付けたサイレンサーを外すと投げ捨てた。女の肩越しからフロアへ向かって発砲する。


「私はもうここで死ぬのかもしれない……」

悲鳴と銃声が響く中、洋子は床に伏せながらそう思い始めた。その時、ミランダが身をよじり洋子の腕から抜け出すと立ち上がった。もう耐えられないというように、母親を求めて泣き叫ぶ。

「ダメよ!」

洋子は上体を起こし、必死でミランダを引き戻そうと手を伸ばしたが、ミランダは泣きながら抵抗を続ける。

 その様子を目にしたルークが身を低くして二人の前に滑り込んできた。ルークはミランダの肩に手を置くと、優しくなだめるように話しかける。

両手の拳で目を擦り、泣きながら首を振っていたミランダもようやく落ち着き始めた。しゃくりあげながらしゃがみ込んだミランダの肩を、洋子が両腕で包み込む。

 店の外にいるビルとの無線に頷きながらルークが洋子に顔を向けた。

店内に響き渡る銃声に負けまいと声を張り上げる。

「ヨーコ、裏口は確保した。その子を連れて外に出るんだ。俺が裏口へ続く通路まで誘導する」

洋子は頷くとミランダが再び逃げないように体を寄せ、脇の下から腕を入れてしっかりと抱いた。その時ルークの体が大きく傾ぎ、洋子の右の肩から胸に掛けて何かが降り注いだ。見ると白いコットンのカーディガンと、その下の半袖のカットソーにも赤い点が無数に付いている。

「クソッ!」

ルークの悪態をつく声が聞こえて目を向けると、ルークのTシャツが左肩から胸に掛けて真っ赤に染まっていた。ルークの顔は苦痛に歪んでいる。洋子の胸の中で何かがザワザワと音を立てた。

「そんな……」

洋子が呟くと銃声が響き、またルークの体が揺れて今度は左の脇腹が血で染まった。呻き声を上げながらもたれかかるルークの体を洋子が支える。視界からルークの肩が消えると、ティムの姿が見えた。盾にしていた女はもう放し、壁を背にしてこちらに銃口を向けている。

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