月曜日5
ルークは息をつき、重そうに口を開いた。
「……アキラが殺された日、今日みたいに人身売買の取引があった。女達がトラックに乗せられてメキシコから連れてこられた。ほとんどは、君みたいに騙されて連れてこられるんだ……いい仕事があるとか、モデルになれるなんて言われて。その日、一人トラックから逃げ出したんだ。彼女は湖畔を走って逃げた。遺体の写真ではサンダルを履いた足が、かなり汚れていて小枝や砂利で作った傷がたくさんあった。走って逃げているところを背中から撃ち殺されたんだ。アンダーソンの銃だ。アンダーソンが撃ったのか、アンダーソンの銃を使ってティムが撃ったのかは、まだはっきりしない」
「朗が……殺したって言われてる売春婦の……?」
ルークは洋子の目を真っ直ぐに見た。
「そうだ。彼女はアキラと一緒にいたんじゃない。それに売春婦でもないんだ。彼女は……彼女はまだ十五歳だったんだ」
「十五歳……」
洋子は愕然として呟いた。たった十五歳で無理矢理外国に連れて来られ、売春婦として働かされる。自分が同じ歳の時に、そんなひどい世界があることを知っていただろうか。
「アキラは……」
ルークが続けた。
「アキラはその場にいただけなんだ……」
「えっ?」
洋子の唇が震えた。朗が実は殺されていたと聞いた時から、てっきり何らかの事情で彼らと関わってしまったのだろうと思っていた。心臓が早鐘を打つ。ルークが言おうとしている事を聞くのが怖くなった。
「湖の写真を撮りに行ったらしい……本当にその場に居合わせただけなんだ。彼女が射殺されるのを見てしまったんだろう。確かにアキラの体からは薬物が出た。それは、アキラに罪を被せるためにティムが打ったんだ。奴は常習者だ。逮捕歴もある」
「そんな……」
洋子は震える手を握り締めた。
「目撃者がいるんだ。レイクサイド・インのオーナーだよ。あの夜アキラが一人で湖へ行ったのを知ってる。カメラと三脚を持って。銃声が聞こえて、アキラを心配して様子を見に行ったんだ。そこで偽装工作のために署長がアンダーソンの脚を撃ったのを見てるんだ。警察が怖くて、FBIが来るまで誰にも言えなかった。自分の奥さんにも。親戚の看病っていうのは嘘だ。今ちょっと休暇に出てもらってる」
ルークは首を振って続けた。
「まだはっきり分かってないこともあるけど、大体のところはこんな感じだ」
「そんな……」
洋子の声は震えていた。
「それだけの理由で人が殺せるの? それを……人のせいにするなんて……」
ルークは俯いて溜息をついた。
「ただ、あいつら結局使われてるだけなんだ。もっと上の組織があってね。そこを潰さないと……。あいつらを逮捕したところで、代わりの奴は幾らでもいる。また同じ事が繰り返されるんだ」
洋子は何も言えず、ただ黙って俯いていた。
しばらくの沈黙の後、ルークは洋子の肩に手を置いた。
「ヨーコ聞いてくれ。昨日の朝、廊下で君に言ったことは本心じゃない」
洋子が顔を上げた。その目からは涙が流れている。そこには深い悲しみと絶望、そして結婚すると決めた恋人を信じる事が出来なった自分への失望がはっきりとルークには見て取れた。それまで淡々と事件を説明していたルークだったが、急に口調を強めた。
「いいかヨーコ。間違えるな。あいつらは自分の罪を隠すために、何の落ち度も無いアキラや、たった十五歳の子供を殺したんだ。そんな風に奪われた命を、それが運命だとか、仕方が無いなんて思うな!」
洋子は唇を噛んだ。涙はどんどん溢れ出してくる。理不尽な事がまかり通る世界、自分にはそれを正す術など無い。捻じ曲げられた真実に、ただ泣いたり腹を立てる事しか出来ない。洋子は膝の上の手をきつく握り締めた。けれど、その拳で朗を取り戻すことなど出来はしないのだ。
ルークはもう一度時計を見た。
「もう行かないと……」
ルークの言葉に洋子はすがるような目を向けた。不安でたまらない。こんな気持ちで置いていかないでほしい。できれば側にいてほしい。しかしそんな言葉でルークを引き止められない事は分かっている。ルークは公人なのだ。レイクサイド・インの管理人などではなく。
「怖い……」
洋子の口からポツリと言葉がこぼれた。
ルークはローテーブルから下りると床に膝をつき、洋子の顔を覗き込んだ。
「ここにいれば大丈夫だ。すぐ終わらせて戻ってくる」
洋子の頬を流れる涙をルークが親指で拭った。
「ちゃんと迎えに来るから、俺が君を迎えに来る。約束する。待っててくれ」
洋子は黙ったまま頷いた。まだ涙が残る頬に触れたまま、ルークは立ち上がった。身を屈めて洋子の顔を見つめ、一瞬ためらった後に額にキスをした。それからルークは洋子の頭を自分の胸に掻き抱いた。洋子の耳にルークの心臓の音が響く。洋子は目を閉じた。
ルークがふと目を移すと、リビングの入り口にアンソニーが立っていた。ルークはアンソニーに頷くと、洋子の髪をそっと撫でて手を離した。ダイニングテーブルの上の銃をホルスターに収め、ポンチョを被る。出かける仕度を始めたルークにアンソニーが尋ねた。
「行くのか?」
「うん。父さん、車借りるよ」
ルークはバッグを持って出口へ向かう。アンソニーも一緒に出口まで見送りに行った。
「父さん、ヨーコの事よろしく頼む」
「分かった」
廊下の途中でルークは振り向き、俯いたままソファに座っている洋子を首を伸ばして見た。
「ヨーコ」
ルークに声を掛けられ、洋子が顔を上げた。涙は止まったようだが、今にも崩れ落ちてしまいそうに瞳が不安で揺れている。真実を話すべきだったのか、そうでなかったのかは分からない。ただ、洋子は知っておくべきだと思っただけだ。
「後で……」
ルークはそれだけ言い、洋子が小さく頷くのを見ると出て行った。
ルークが乗った車は敷地のゲートを出ると速度を上げ、あっという間に見えなくなった。ポーチで見送ったアンソニーは家の中に入り、廊下を抜けてすぐ横にあるドアを半分だけ開けた。洋子はソファに座ったまま、膝の上で握り締めたコーヒーカップを見つめている。アンソニーは部屋の電気を点けた。白い布が掛けられたベッド、奥の角に置かれた机、本棚の上に置かれたバスケットボール。十八歳の時に出て行ったままの息子の部屋だ。壁に貼られた映画のポスターを見て、アンソニーはフッと笑った。
「ルークか……あいつは昔から変わらないな……」
部屋の電気を消しドアを閉めたアンソニーは、ソファに座っている洋子に近付き声を掛けた。
「何か食べるかね?」
洋子はアンソニーに顔を向け、黙って首を振った。そしてさっきから気になっていることを尋ねた。
「あの……ルークのお母さんは?」
アンソニーは洋子が座っているソファの傍らにある、一人掛けの椅子に座りながら穏やかな声で答えた。
「死んだ。あいつが十一歳の時だ」
「……そうだったの……」
昨夜「俺の母親は料理をしない」といったルークの言葉に悲しみが募った。
「ルーク……そんな風に言わないで……」
作らないのではなくて、作れなかったのだ。育ち盛りの息子に食事を作ってあげられないなんて、どんなに無念だったかと思うとまた涙が溢れて来た。アンソニーが自分を見つめているのを感じ、洋子は慌てて涙を拭った。
「手を出してみなさい」
アンソニーが静かに呼びかける。洋子は言われたとおり、ゆっくりと両手を差し出した。アンソニーが洋子の手を両手で包み込むと、恐怖も不安も悲しみも、少しずつ軽くなっていくのを感じる。その手は大きくて温かい、ルークと同じ手だった。
ハイウェイに乗ったルークは、ビルに連絡を入れた。
「今ハイウェイに入った。あと一時間でそっちに行く」
「あんまりすっ飛ばすなよ!」
ビルが釘を刺した。
「……どこにいるのか知らないけど……」
月曜日の日没後、街へ向かう道路に車の姿はほとんど無い。下りの車線を流れていく幾つものヘッドライト。ほんの数メートル左側にあるだけにも関わらず、家族が待っている家に帰るであろう人々の生活が別世界の事に感じられる。ルークは視線を前方に向け無線を切った。
「親父、自分の車の整備ぐらい、ちゃんとしてあるだろうな……」
ルークは床いっぱいまでアクセルを踏み込んだ。
女達を乗せたトラックの運転手は、やはりあの男の事が頭から離れないでいた。額の汗を拭いながら、助手席のポールに顔を向ける。
「念には念を入れておいたほうが、いいと思うんだ……」
トラックは街の手前で脇道へ入って行った。
アンソニーのおかげで少し元気を取り戻した洋子は食事の支度を手伝っていた。
「ルークも帰ってきたら食べるでしょう」
洋子の言葉にアンソニーはにこやかに頷いたが、敷地のゲートに面した窓の方を見ると厳しい顔になった。ジャガイモの皮を剝いていた洋子の腕を摑み、キッチンの横のパントリーの扉を開けた。何事かと戸惑う洋子を促し、窓を気にしながら口を開いた。
「ここにいなさい。何があっても出て来ちゃいけない」
「えっ?」
訊き返したその時、近付いて来る車の音が洋子にも聞こえた。
「もしここにいるなら、近くにハイウェイも通ってるから、急げば一時間半ってとこね。好都合よ」
運転席のリンジーが助手席のティムに言った。ティムは前方にある家の灯りが漏れる窓を黙って睨みつけている。開いたままのゲートから車を入れると、リンジーは敷地を見渡した。
「車が見当たらないわね……」
入り口のドアをノックすると、初老の男性が応対に出た。制服のままのリンジーは、そのネイティブアメリカンの男を上から下まで眺めると小首を傾げた。
「あなたがルークのお父さん?」
あまり似ているとは思わなかった。どちらかというと細面のルークに比べ、この男はがっしりとした輪郭だ。しかし、その鋭い目に面影を見つけた。あのいかにも生意気そうな、リンジーが大嫌いなルークの目だ。確信したリンジーは、ぶしつけに眺め回されても顔色ひとつ変えないその男に尋ねた。
「息子さんは今どこに?」
アンソニーは落ち着いた声で答えた。
「何かの間違いじゃないか? うちにはルークなんて名前の息子はいないよ」
リンジーは短く笑うと事務的な口調になった。
「お宅の息子さん、今、日本人女性と行動を共にされていると思いますが、実はその女、警察が追っている人物なんです。息子さんは騙されているのかも知れません。危険な女なんです。もう何人も殺してる……」
リンジーの声はパントリーに隠れている洋子に届いていた。
「なんて嘘を……お願いアンソニー、そんな話信じないで……」
祈る洋子の耳に、冷静なアンソニーの声が聞こえた。
「分からんな。うちの息子は十八歳の時に家を出て以来行方知れずだ。どこに住んでいるのかも知らないよ」
「おいじじい! とぼけてんじゃねえぞ!」
リンジーの後ろにいたティムが痺れを切らして怒鳴った。アンソニーはそのティムを一瞥した。
「あんたは警察じゃないな」
「……本当に面倒くさいわね」
リンジーはうんざりした声で呻くと銃を抜き、廊下の窓に向かって発砲した。銃声と窓ガラスの割れる大きな音が響き、パントリーの中の洋子は叫び声を上げそうになった。震える手を口にあて何とか声を殺したが、膝ががくがくと震え始めている。
リンジーは銃口をアンソニーに向けた。
「言わないと、どうなるか分かってるわよね?」
「脅しは通用しない。帰ってくれ」
アンソニーの声が聞こえ、洋子は激しく動揺した。あの二人なら平気でアンソニーを殺すだろう、そう思った。十五歳の少女でさえ、何のためらいもなく殺せるのだから。自分のせいでアンソニーが殺されるなど、洋子には耐えられそうもなかった。アンソニーが死んだら、ルークは独りぼっちになってしまう。自分が出て行ったとしても、殺される事はないだろう。洋子はグッと息を飲み、パントリーから飛び出した。
「お願い! やめて、その人を撃たないで……」
アンソニーは溜息をついて首を振ると、自分と銃を構えている女性警官の間に割って入ってきた洋子を咎めるように口を開いた。
「出て来るなと言っただろう……」
「ごめんなさい……でも、あなたが死んだら……」
泣きながら訴える洋子を楽しむように、リンジーが短く笑い声を上げた。
「本当にここにいたのね」
「行くから……だからこの人を撃たないで。この人は関係ないわ!」
「こいつに手錠を掛けろ!」
ティムに命令されたリンジーは手錠を出して洋子に近付いた。
「彼女にそんな物を付けるんじゃない!」
二人の間に割って入ろうとしたアンソニーに向け、リンジーが発砲した。洋子の悲鳴が響く中、アンソニーは床に倒れた。洋子がリンジーの手を振り払ってアンソニーの隣に跪いた。アンソニーは動かないが、銃弾は左腕を掠めただけだと分かった。倒れた拍子に頭を打って、気を失ってしまったのだ。洋子はリンジーを憎しみのこもった目で睨みつけた。
「何てことするのよ! この人でなし!」
リンジーは弾が外れたことに不機嫌そうな顔をして、乱暴に洋子を立たせると手錠を掛けた。
トラックは大きなショッピングモールの立体駐車場の中を走っている。剝き出しのコンクリートに囲まれたその空間には、それほど車は停まっていない。今日が月曜日ということもあるのだろう。大きな柱を回りこんだ時、運転手はちょうどいい物を見つけた。空きスペースの隣に、手頃な大きさのトラックが停まっている。運転手は周囲を見渡し人通りが無い事を確認すると、その空きスペースにトラックを停めた。
清涼飲料水を運ぶ仕事を始めて五年になるその男は、今日最後の配達先であるアイスクリーム・パーラーを出た。空の台車を押しながらショッピングモールの駐車場へ向かう。後は会社へ戻るだけだ。自分のトラックの後部に立つとコンテナの扉を開け、台車を畳んで持ち上げた。その時、異変に気付いて目を見開いた。あり得ない物が自分のトラックに乗っている。十人以上の女達が不安げにこちらを見ているのだ。トラックを間違えたのかと思い、確認しようと振り返った時、背後に立つ人影に気が付いた。
ハイウェイを猛スピードで車を走らせるルークにビルから連絡が入った。
「街から二十マイルほど手前にある大きなショッピングモールを知ってるか?」
ビルの質問にルークは、物凄い勢いで頭上に迫る緑の案内板に目を遣り、自分の位置を確認して答えた。
「ああ。そこならあと十分ってとこだな」
「例のトラックが道を外れて、そのショッピングモールの駐車場で三十分以上も停車中だ。トイレ休憩にしちゃ、ちょっと長過ぎるだろ」
「嫌な予感がするな……」
独り言のように呟いたルークにビルの指示が飛ぶ。
「我々もそこへ向かってる。そこで合流だ」
ショッピングモールの駐車場に到着したルークがFBIのバンに乗り込むと、中でビルが待っていた。
「トラックは?」
ルークが訊くと、ビルはフロントガラスの向こうにそびえ立つコンクリートで出来た仕切りの壁を指差した。
「この壁の向こうだ。今二人確認に行かせてる」
トラックに取り付けられた発信機からの信号が、バンの中に設置されたパソコンの画面で点滅しながら位置を示している。
確認に行った捜査官二人は慎重にトラックに近付いた。隣には青いオープンカー、反対側の駐車スペースは空いていた。周りに人影は無い。コンテナの扉の取っ手をひねると、鍵は掛かっていなかった。銃とライトを持ったそれぞれの手首を交差させ、コンテナに銃口を向けながら中を照らす。コンテナの中にはダンボールが散乱している。誰もいないように見えた。しかし、床の上に男が一人倒れている。ロバートから送信された写真とは違う男だ。
「乗り換えたんだ……」
二人からの報告を受け、パソコン画面の点滅をにらみながらルークが呟いた。無線からはトラックのコンテナにいる捜査官の切羽詰った声が続いている。
「まだ息がある! 救急車を!」
ビルがバンの中のもう一人の捜査官に命じた。
「よし、救急車を至急手配しろ! ……クソッ、またあいつら関係の無い人間を……」
「中には十三人乗ってたと言ってたな。乗り換えたのもトラックだろうな」
ルークは無線のボタンを押し、外の捜査官に尋ねた。
「何か手掛かりになるような物を身に付けてないか? 会社名の入った制服とか……」
「上着は脱がされてるようだ。Tシャツだけだ。作業ズボンを穿いているが、手掛かりは何も……」
「ここに来る途中、すれ違ったトラックは?」
ルークが顔を向けたビルは眉間に皺を寄せて頷いた。
「ああ、何台もな」
「後は防犯カメラか……クソッ時間が掛かるな」
コンテナを確認しに行った二人の捜査官のうちの一人がショッピングモールの管理事務所に出向いた。駐車場の監視カメラの確認と報告をルークとビルはバンの中で待っている。ルークが口を開いた。
「ヴィクターは本当に来るのか?」
「何でも自分で把握してないと気の済まない男だ。もう取引場所にいるんだろう」
バンの座席に沈み込んだビルが腕を組んで目を閉じた時、ルークの携帯電話が鳴った。相手はアンソニーだ。
「父さん?」
「ヨーコが連れて行かれた……白人の男と、女の警官が来た……」
「ヨーコが?」
ビルは腕を組んだまま片目を開けて電話をしているルークを見た。
「女の警官、リンジーだ……」
呟いたルークはアンソニーの息が荒いことに気が付いた。
「……父さん怪我してるのか?」
「大丈夫だ。掠り傷だ。ただ倒れた拍子に気を失ってた。ジョンが訪ねて来てくれて助かったよ。それよりヨーコを……」
「分かった。連れて行かれてから、どれ位経ってる?」
「四、五十分てとこだろう、すまない……」
アンソニーの悲痛な声が聞こえ、ルークは携帯電話を強く握り締めた。元はといえば、自分が父親を巻き込んだのだ。後悔に唇を噛んだ。
電話を切ったルークは溜息をつくと、頭のヘッドセットマイクを外しパソコン画面に叩きつけた。
「クソッ!」
「落ち着け!」
ビルがたしなめたが、ルークはさらにパソコンが載った机を拳で叩いた。
「何で、あそこが分かったんだ……」
頭を抱えたルークにビルが尋ねた。
「お前……ヨーコを親父さんの所に連れて行ったのか?」
「…………」
ルークは黙ってビルから目を逸らした。ビルは呆れたように天井を仰ぎ見て呟いた。
「てっきり、どこかのモーテルにでも置いてきたのかと思った」
「あの状態で一人に出来るか!」そう反論したいのを堪えた。何故かは分からないが、洋子の孤独や心の脆さといったものを、他の誰にも知られたくなかったのだ。ルークは言い訳のように理由を並べ立てた。
「……位置的に都合が良かった。近くにハイウェイも通ってるし……」
もちろん、それらも考えて実家に連れて行ったのは事実だ。しかし、アンソニーならば洋子を適切に庇護してくれる。その理由の方が大きかった。
洋子はティムが運転する車の後部座席で、隣のリンジーから銃口を向けられながら座っていた。
「あなた警官なんでしょ? こんな事して恥ずかしくないの?」
洋子はリンジーを睨みつけた。洋子の怒りを嘲笑で返したリンジーは銃を握った手の、伸ばした爪を気にしながら口を開いた。
「あら、これでも職務は果たしてるつもりよ。私の仕事はアメリカ市民を守ること。誰にも迷惑掛けてないわ」
「じゃあ、メキシコ人や日本人はどうなってもいいって言うの?」
リンジーは洋子を見ると、含み笑いをして言った。
「ルークだって同じじゃない? いい事教えてあげるわ。あの坊や、一人でどこかに行くつもりだったみたいよ。あなたを置いて」
洋子は俯き、レイクサイド・インの部屋でルークが言っていた事を思い出した。「サムの所じゃダメだ」と。ルークが最初は自分をサムの元へ連れて行くつもりだった事が分かった。でもそれではサムにとってもアニーにとっても迷惑だろう。ルークはそれを承知で二人に頼み込むつもりだったのだろうか。それは何故なのか、洋子は真っ暗な車窓を見つめて考えた。辿り着いた答えは、自分があの町を好きだと言ったから。それだけだった。そうでなければ昨日の朝、水曜日までレイクサイド・インにいてもいいか、と訊いた時に首を横に振る事も出来たはずだ。
自分の言った言葉を今にして考えてみれば、何が何でもあの町にいたかったわけではなく、そこにルークがいなければ何の意味もないのだ。洋子は溜息をついて日本語で呟いた。
「分かってない……バカ……」
リンジーが核心に迫るような鋭い眼差しで洋子を見据えた。
「あなた、ルークの正体知ってるんでしょ?」
洋子もリンジーを睨みながら答えた。
「正体? レイクサイド・インの管理人でしょ?」
「騙されないわよ。あの坊や、もしかしてFBIじゃないの?」
リンジーは視線を離さず、真っ赤な口紅に縁取られた唇を歪ませた。洋子は視線を逸らし、精一杯憎らしく見えるように小首を傾げた。
「FBI? 何それ? 動物愛護団体か何か?」
リンジーが洋子の頬を平手で打った。
「とぼけるんじゃないわよ」
頬を押さえ自分を睨みつける洋子にリンジーは冷笑した。
「あの坊や、どうかしてるんじゃないの? あなたを自分の実家に隠すなんて、そこまでして守りたいの……」
洋子は何も言わず、窓の方へ顔を向けた。
それまで黙ったまま運転していたティムが興奮した声を上げた。
「FBIだろうが関係ねえ! あいつだけはぶっ殺してやる! 人をコケにしやがって!」
「急ぐこと無いわ。今日はお金を貰ったらさっさと引き上げましょう。どうせ家も分かってるんだし」
まるでレジャーの計画でも提案するかのように弾んだ声でリンジーは言った。怒りに歯を軋らせている洋子を一瞥し、ティムは満足そうに笑った。
「そうだ、あのじじいも一緒に殺してやる」
この二人がアンソニーにしたことを思い出し、洋子は頭に血が上り罵声を浴びせた。
「Fuck you! Mather fucker!」
ティムはメーターパネルの前に置いた銃を取り、斜め後ろの洋子に銃口を向けた。
「もう一度言ったら殺すからな!」
リンジーは口元に手をあて、クスクスと笑った。
「いかにもあの坊やが言いそうなことね。お似合いだわ……あなた達」
ティムは銃を戻すと薄笑いを浮かべた。
「決めた。もしFBIが現れたら、あのインディアンはお前の目の前で殺してやる。婚約者の死に目には遭えなかったんだろ?」
洋子はティムを睨みつけた。
「あのバカ、俺が殺したメキシコ女のことを『かわいそうだ』と言いやがった」
ティムは興奮して叫んだ。
「かわいそうなのは俺だ! あれで儲けが減ったんだぞ! あの恩知らずの日本人め! 俺のクスリを分けてやったのに最後まで抵抗しやがった。お前が責任を取るんだ! 安心しろ。あのインディアンの死に目にはちゃんと遭わせてやるよ」
ティムは気がふれたような乾いた笑い声を上げた。洋子は怒りで震え、手首に付けられた手錠が小刻みに小さな金属音を立てた。