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雨の降る街

 午後の天気は、朝の天気予報通り、雨になった。

 広がっていた初夏の青空は灰色の雲に覆われて陰り、無数の小さな雨粒が風に流されながら降り注ぐ様を、黒板を叩くチョークの音が響く授業中の教室の一番後ろの窓際の席に座って眺めていた。


「で、ここを置き換えて⋯⋯」


 復旧直後の電車を一本乗り逃して遅刻したことを先生に注意されたことも。午前中の授業が殆ど耳に入らなかったのも。ゴールデンウィーク明けからひとりで食べるようになったお昼が気にならなかったのも。

 きっと、人気の少ない朝の公園のベンチで見かけたあの人の、綺麗でどこか切なく儚げな横顔が忘れられないから。


「――さん。水樹(みずき)さん」

「え?」


 かけられた声に気づいて、外へ向けていた視線を前に戻す。前の席の男子――千羽(せんば)くんが、こちらを向いていた。彼の手には、今配られたプリント。


「ありがと」


 お礼を言って、受け取ったプリントに目を通す。新年度が始まってひと月、保護者へ向けた定期的なお知らせ。俯いた時に目にかかった前髪を直しながら、二つ折りにしたプリントをクリアファイルに挟んで、スクールバッグに入れる。ふと、視線に気づいた。


「ん?」

「いや、えっと⋯⋯」


 何か言いよどむ千羽(せんば)くんを横目に一部の女子グループから「ほら見て。また男子に色目使ってるよ」「男子ってああいうのにすぐ騙されるから」などの品のない陰口が耳に入った。今日はあまり気にならなかったけれど、彼の方はとてもバツが悪そう。


「千羽(せんば)。そのプリント拾ってもらえるか?」

「あ、秋葉(あきは)くん。ちょっと待って⋯⋯はい」

「サンキュー」


 進級初日から休学している私の隣の男子の席の前に、男子のクラス委員の秋葉(あきは)くんがやって来た。千羽(せんば)くんに拾ってもらったプリントを、空き机の中から取り出した数枚のプリントが挟まれているクリアファイルに挟んで、机の中にしまった。


「ありがとう。秋葉(あきは)くん」

「いえ。戻ります」

「はい。じゃあ、今日はここまで。クラス委員」

「起立。礼――」


 女子のクラス委員の号令で、担任教師に挨拶。

 ホームルームが終わると同時にスクールバッグを持って、席を立つ。


「嫌な気分にさせてごめんね」

「そんなこと――」

「プリント、ありがと。それじゃあ」


 早足で教室を出て、階段前の廊下で早足を緩める。

 人の噂も七十五日。あと二ヶ月あまりで本当に治まるのかな? そんなことを思いながら校庭を歩いていたところ、去年一緒のクラスで今も仲の良い女子――橘(たちばな)弥生(やよい)に声をかけられて、学校の最寄り駅近くのファミレスで寄り道。お互いドリンクバーから持ってきた飲み物を置いて、テーブルで向かい合う。


「それで、まだ嫌がらせ続いてるの?」

「別に嫌がらせって程のことじゃないけど⋯⋯」


 私の言葉を聞いた弥生(やよい)は片肘をついて、やや呆れ顔を覗かせる。


「はぁ、本人と周りに聞こえる声で陰口とか普通に嫌がらせじゃん。面と向かって断ったんでしょ? てゆーか、彼女居るクセに二股かけようとした男子(そいつ)が悪いだけでしょ」

「それはそうなんだけどね」


 ちゃんと断って、突っぱねてお終い。何かあっても矛先は不誠実な相手に向かう。それ以上は何の問題も起こらない⋯⋯と思っていたのに。


「相手が同じクラスのリーダー格なのはツイてないとは思うけど。しかも、泣き落としだったけ? しょーもな⋯⋯」


 告白してきた男子も、その彼女も学年では目立つ方。その交友関係の広さから、私の弁明はまともに相手にしてもらえなかった。それどころか根も葉もない噂を流されて。彼女と親しい女子には敵意を向けられて、交友関係のないクラスの女子には距離を置かれて、一部の男子からはそういう目を向けられることも⋯⋯。

 それでも彼女は――弥生(やよい)は、変わらずに接してくれる心強い親友。だからまだ、心が折れずにいられる。


「男子取っ替え引っ替えなんてしてないの知ってるし。だって彩音(あやね)もまだ――」

「その先言ったら叩くよ?」

「期間限定スイーツのメニューで?」

「参考書の角で」

「ごめんなさい、許してください」


 テーブルに額を付きそうなくらい大袈裟に頭を下げた。呆れて小さなため息をついて、バッグから覗かせたそこそこ厚めの参考書をしまって、チャックを閉じる。


「それこそ、守ってくれる彼氏作ればいいんじゃない?」

「簡単に言うよね。そんな都合のいい人いないよ」

「それ、嫌味だから。あたしじゃなかったら親友辞めてるね」


 腕を組んで「うんうん」とひとり大きくわざとらしく頷いていた彼女は、注文したフライドポテトを口に運んだ。

 事実を言っただけで嫌味を言ったつもりはないんだけれど。私は、顔を窓へと向ける。


「雨、止まないね」


 午後から降り出したしとしとと絶え間なく降り続ける雨の中を、様々な色の傘をさした人たちが駅前の通りを忙しなく行き交っていた。


「どしたの?」

「ん? なに?」

「ジーッと見てるから。外に知り合いでも見つけたのかなーって」

「ううん、そうじゃなくて。改めてみると、いろんな色の傘があってキレイって思って――」


 返した言葉は、本心。

 だけど本当は――探していたんだと思う。無意識のうちに。雨が降る街の通りを歩く人混みの中、ここにはいないと分かっていながら。

 今朝この街とは別の街の公園で見かけた、あの人のことを⋯⋯。

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