第九章 世界が元に戻ると、人はなぜこんなに疲れを思い出すのだろう
アコウ・リングは、静かに息を吹き返しつつあった。
騒ぎの後の静寂は、戦場のそれとは違う。人工太陽の光が柔らかく照り、住民たちが“自分の声”を少しずつ取り戻していく。
子どもの泣き声やら、商店の客引きの声やら、生活を示す雑音が戻ってくるたびに、このリングは確かに息をしているのだと感じた。
僕は、かつて掃除ロボと格闘したあの廊下の隅に立っていた。
ひしゃげた清掃ユニットがひっくり返り、脚をバタつかせている。
「おいおい、またそこ噛むなって……」
しゃがみ込んで点検しながら、自分でも驚くほど落ち着いていることに気づいた。
ほんの数日前まで宇宙戦をしていたとは思えない。
日常というのは、案外強い。
掃除ロボの吸引口を閉じてやると、“ピッ”と短い音を鳴らして去っていった。
(……ただいま、って感じだな)
自分でそんなふうに思うとは、少し笑ってしまった。
リング中央の議場にて、総督ナガノリの復職が正式に発表された。
場内には拍手が湧き起こったが、
その音はどこか“安堵”に近かった。
総督は演壇に立ち、穏やかに言った。
「私は誇り高い兵士たちと、強く優しい住民たちと、少し不思議で、しかしとても頼りになる青年に救われました」
その視線が僕へ向いた。
胸がややこそばゆい。
「ユウマくん。ありがとう」
「いえ……僕はただ、できることをやっただけで……」
「その“できること”を迷わず行える人が、どれほど貴重か。私は知っているよ」
総督の言葉は軽く、しかし芯のある温かさだった。
式が終わると同時に、四十七人が思い思いに散っていった。
カゲロウは、公共の水飲み場で延々と水を飲んでいた。
後ろに並んだ子どもが呆れた顔で見ている。
ヴァルゴは、リングの広場で、子どもたち相手に即興で詩の朗読会をしていた。
「宇宙の焔は──」
その時点で子どもたちはポカンとしていたが、熱量がすごいので誰も止められない。
リューネは、公共端末の裏側に潜り込んで配線を勝手に直していた。
職員が悲鳴を上げたが、修理速度が異常なので黙って見守っていた。
サレは、ベンチに座ったまま眠り続け、気づけばハトに囲まれていた。
ハトすら彼が怖くないらしい。
トウマは、老人を背負って避難ルートの点検をしていた。
「段差がありますのでお気をつけて……!」
いや、それはあなたが背負ってるから老人は段差を気にしなくていいのでは。
この四十七人は、もう“戦力”というより“風景”に近い。
僕は格納庫で、修理中の〈ヤマガ・リュウ〉を眺めていた。
ジャンク素材でできたその船は、なぜか前より頼もしく見えた。
「気に入ったか?」
振り返ると、オーボシが立っていた。
いつもの無表情だが、どこか柔らかい。
「はい。ボロいけど……強い船ですよ、これは」
「だな。お前が舵を握れば、さらに強い」
「褒めてます?」
「褒めている」
照れくさいけれど、悪くない。
オーボシは少し黙り、そしてぽつりと言った。
「……すまなかった」
「えっ、何を?」
「お前を危険な目にばかり遭わせた。だが……お前でなければ、成し得なかった」
オーボシは自分を責める癖がある。
その忠義の深さが、時に彼を苦しめる。
僕は笑って言った。
「いや、僕だってなんだかんだ、誰かに頼られたほうが動きやすいんですよ」
「そうか」
軽く目を伏せたあと、彼は小さく頷いた。
「なら、これからも頼らせてもらう」
「はいはい、ほどほどにしてください」
「ほどほどは苦手だ」
この人が“ほどほど”を覚える日はたぶん来ない。
格納庫を出ると、人工太陽がやわらかな色でリングを照らしていた。
日差しの角度が、どこか“新しい朝”を思わせる。
ふと、ポケットの中に違和感を覚えて取り出すと、あのミズナギの少女にもらった水の小袋があった。
少しだけ重い。
(……ああ、そうだ)
戦いも旅も、全部“人との出会い”の積み重ねだった。
目立つ力はないけれど、僕を頼ってくれた人は確かにいた。
その事実が、静かに胸に沁みた。
誰かに必要とされる場所がある。
そこに、僕自身も還っていける。
それだけで、生きる理由としては十分だった。
広場の向こうで、四十七人がわちゃわちゃ騒いでいる。
オーボシがそれを静かに見守っている。
総督が住民と話し込み、笑いを誘っている。
その光景を見ていると、心がほどけるようだった。
僕はゆっくり歩き出した。
(……これが“帰ってきた”ってことか)
宇宙は広いし、騒がしいし、面倒だけど、この場所には“僕の居場所”があった。
そして、きっとまたトラブルは来る。
その時はその時で、僕はきっと舵を握るんだろう。
その未来が、少しだけ楽しみだった。




