第四章 マフィアに会いに行くのは、だいたい人生の岐路か無謀のどちらかだ
AIステーションを離れた後、船内の空気が妙に静かだった。
静かすぎると、逆に嫌な予感が頭をもたげてくる。
ミナモの優しさも、レクター009の不器用な励ましも、なんだか遠い世界の出来事に思えた。
今回の行き先は──反重力マフィア〈フワリ一家〉の本拠地。
名前だけ聞くと可愛いのに、実態が可愛くないのは世の常だ。
“フワリ”という響きに騙される初心者は、入港した瞬間に財布を落とす。
僕も例外ではなく、そのタイプに分類される気がする。
ステーションは黒い立方体で、表面に「FUWARI」と落書きみたいな文字が浮かんでいた。
そのフォントがまた妙にポップで、犯罪組織の看板としてどうなんだと突っ込みたくなる。
(いや、突っ込んだら消されるタイプだな……)
着艦した瞬間、足元がふわっと軽くなった。
反重力装置のせいで、床が"真面目に床の仕事をしていない"。
踏むたびに浮き、沈み、揺れる。
「酔う……これ絶対酔うやつ……」
ひとりごとが勝手に漏れた。
通路には反重力バイク、半分浮いたソファ、誰が置いたか分からない飾りの風船、そしてなぜか天井に貼りついた酒瓶まである。
“混沌”という語を、単語帳で調べたいレベルの光景だ。
「おーい、来たか回収屋さん」
響いた声に振り返ると、
副長のマオがゆったり浮かびながら近づいてきた。
体がでかいのに、ふわふわしてるせいで威圧感と親しみやすさが同時に押し寄せてくる。
「フワリ一家へようこそ。ま、気楽にいけよ」
気楽に行けと言われる場所ほど、気楽にできないものだ。
案内された部屋の中で、ひときわ小柄な男が輪ゴムみたいに跳ね回っていた。
白いスーツ、派手なネックレス、無駄に光る笑顔。
真面目にやればカリスマになれそうなのに、本気でふざけているようにしか見えない。
「よっ! 来たなァ、アコウの回収屋さん!」
僕は思わず立ち止まった。
(落ち着きのない……いや、動きがおかしい……いや……この人、重力に勝ててないだけでは?)
フワリは宙で体勢を整えようとして失敗し、斜め方向へ滑空していき、そのまま僕の胸に飛び込んだ。
「うおっ!」
「悪ぃ悪ぃ! いま重力に裏切られちまってよ!」
「裏切られるんですね……?」
「生きてりゃ誰でも裏切られるだろ?」
マオが肩をすくめる。
「フワリさんは毎日重力に裏切られてるからな」
(人生の苦労が技術的な方向へ寄りすぎている)
フワリはすぐにけろっとして言った。
フワリはすぐに表情を切り替え、
僕の手をしっかり握ってきた。
「ユウマだろ? お前、顔が正直そうだな! いいな、その顔。嘘つかなそうで」
「えっと……ありがとうございます?」
「褒めてるんだよ! 悪党の世界では、嘘つく奴より嘘下手な奴の方が信用できるんだ!」
(なんだその理屈……いや、分かる気がする……ような……)
フワリは続けた。
「預かってたポッドな。傷一つねえようにしてある。うちはのもんは丁寧なんだよ」
「それは……本当にありがとうございます」
「礼なんかいいんだよ。で、ユウマ。話は簡単だ」
フワリは片手で指を鳴らした。
マフィアの手下たちが書類を抱えて走ってくる。
いや、走ってくるというより、重力のせいで滑りながら転がってくる。
「こいつにサインしてくれれば、ポッドを返す」
差し出された書類には、《反重力装置の合法輸送に関する証明書》という不吉な文字。
「これ……偽装書類ですよね?」
「お前が言うなよ。言い切っちゃダメよ?」
「じゃあ僕は何て言えば?」
「“ああ、そういうものなんですね”って笑えばいい」
(倫理観がピンボールの玉みたいに跳ねている)
そのとき、背後に影が落ちた。
巨大で、毛がふわふわで、視界の半分を占める影。
振り返る。
──宇宙熊だ。
四メートルはある。目はつぶら、明らかに人を潰せるサイズなのに可愛い。
……けど全然可愛くない(矛盾)。
フワリが肩越しに言う。
「うちの“安心担当”のベア蔵だ」
「安心……?」
宇宙熊が「グルル……」と喉を鳴らした。
低音が腹に響く。
「それ安心じゃなくて威圧ですよね?」
フワリがにこにこしている。
「こいつが見守ってると、お客さんはみんな素直にサインしてくれるんだよな〜」
「そりゃそうでしょうね!」
僕は即サインした──安心を得るために。
サインを終えると、宇宙熊が僕の肩にそっと手を置いた。
──レクター009よりずっと優しく。
「グルゥ……」
低い声だが、不思議と安心する響きだった。
「この子、お前のこと気に入ったみたいだな」
フワリが笑った。
「ベア蔵は、"義理人情に厚い奴"にだけ優しいんだ。儲けにもならないのに、こんなとこまで来るくらいだからな」
「……流されてるだけですよ」
「カッコつけんな。バレバレだよ」
マオも肩を叩く。
「ベア蔵に気に入られた奴は色々安心だ。逆に嫌われた奴は、帰り道ちょっと危険な目に遭ったりしたがな」
どんな“ちょっと”だよ。
書類を渡すと、フワリは満足そうに頷いた。
「よし! これで貸し借りなしだ!」
「……助かりました。本当に」
「いやいや。お前、危ない顔してるからな」
「危ない顔……ですか?」
「そう。“巻き込まれ体質”の顔って言うんだよ。そういう奴は放っておけねえんだ」
その言葉に、胸が少しだけズキッとした。
何かを見透かされたような感覚だった。
マオも笑って言う。
「困ってる奴がいると放っとけないタイプだろ?」
「そんなこと……」
否定しかけて、言葉がつっかえた。
(実際、その通りだ……)
フワリは肩を組んでくる。
「まあな、そういう奴はな、悪党よりタチ悪ぃんだよ。人助けが癖になってんだから」
褒められているのか貶されているのか判断不能。
倉庫へ行くと、ポッドが丁寧に並んでいた。
埃一つなく、装甲の隙間には保護パッドが挟まれている。
《リューネ・チューネ:通信技術士》ネームプレートも綺麗に磨き上げられていた。
「……ほんとに綺麗に扱ってるんですね」
「うちは物を壊すのは嫌いなんだよ。人は遠慮しねぇけどな!」
「いや人は壊しちゃダメですよね!?」
手下の一人が囁く。
「安心してください、最近は壊してません」
“最近は”が怖い。
フワリが僕に向き直る。
「困ったらまた来い」
「え?」
「お前みたいな奴は、きっと困る。これは経験則だ」
「……否定できないのが悔しい」
ベア蔵が後ろで手を振った。
僕も反射的に振り返す。
船にポッドを積み込み、出発準備をしていると、フワリがふわふわ浮きながら寄ってきた。
「ユウマ!」
「はい?」
「お前、悪い奴じゃねえ。でも、いい奴すぎるのも危ねえからな。気をつけて生きろよ」
意外と真っ直ぐな言葉だった。
胸が少しだけ熱くなる。
僕は答えた。
「フワリさんも……その、重力には気をつけてください」
「おうよ! 今日こそ仲良くする!」
その直後、彼はまた重力に裏切られて天井へぶつかった。
「頭ぁぁ!!」
僕は苦笑しながら船へ戻った。
(……変な場所だったけど、嫌いじゃないな)
そんな感想が胸に残った。
発進準備をしながら、ふと思った。
僕はなぜ、宗教に行き、AIに行き、マフィアにまで踏み込めるんだろう。
怖い。
危ない。
分かってる。
それでも──
(……たぶん、期待されるのを断れないんだ)
総督の言葉が背中にある。
オーボシの無言の視線がある。
ミナモの祈りがある。
レクター009の不器用な励ましがある。
そして、マフィアまで。
全部が、僕を押してくる。
弱さなのか強さなのか分からないけれど、それでも僕は動けてしまう。
その時、オーボシから通信が入った。
「ユウマ。中央庁の動きが速い。急いで帰還しろ」
「了解。すぐ帰る」
戦艦の建造の時間も迫っている。
アコウ・リングが、僕らの帰りを待っている。
(……宇宙熊、可愛かったな)
この感想は多分、誰に言っても理解されない。




