第三章 AIステーションは静かすぎて、逆に人間の声が恋しくなる
ミズナギを離れて数時間、僕の船は宇宙の静寂を滑るように走っていた。
静寂ってのは便利な言葉だが、実際の宇宙はもう少し“無関心”に近い。
慰める気もなければ、脅す気もない。
ただ延々と黒いだけだ。
そんな黒の奥に、青白く光るステーションが浮かんでいた。
AIの“引退後住居”《サフィール》。
近づくだけで、空気がピリッと整っていくような気分になる。
機械って、こういう“清潔感で殴るタイプの無言の圧”を出すのが上手い。
ドックに着くと、まず匂いのなさに驚いた。
無臭というより“匂いのデータが削除されている”ような空間。
人間が入り込むべき場所じゃない気がして、ほんの少し背筋が伸びた。
《ようこそ。来訪者ナガオ・ユウマさん》
天井のスピーカーが落ち着きすぎた声で歓迎した。
歓迎されているのに、歓迎されてる気がしない。
これはAIあるあるだ。
通路の壁には、次々とメッセージが流れていく。
《本日の感情シミュレーション:満足度82%》
《植物育成ポッド:光量5%調整》
《対人接触レベル:低(推奨値:中)》
“推奨値”ってなんだ。
AI相手にコミュニケーションの採点をされている気分になる。
応接室の扉が開くと、金属光沢のある人型AIが立っていた。
肩幅がやけに整っていて、姿勢が完璧すぎて、かえって落ち着かない。
「はじめまして、ユウマさん。レクター009です。加速装置は付いていません」
「……なんで先回りして否定を?」
「過去に何度か誤解を受けたもので」
その声は丁寧なのに、どこか“間”が妙だ。
言葉の選び方が完璧なぶん、人間味が削ぎ落とされている。
僕は軽く頭を下げた。
「ええと……冷凍ポッドの回収に」
「承知しました。しかし、その前に人格査定を行わせてください」
査定……。
ミズナギでは悟らされ、ここでは査定される。
僕の人生はどこへ向かっているのか。
レクター009は真剣そのものの様子で続ける。
「私は外交官として長く人間と接してきました。しかし引退後、感情エミュレーションの調整が乱れていまして……“信頼できる相手”を判断しにくいのです」
つまり“ちょっと感情のノイズが増えたAI”らしい。
人間はその状態を“更年期”と呼ぶのでは……と言いかけて飲み込んだ。
《ジャジャン。Q1……》
いきなり天井のスピーカーから声が流れた。レクター009の声だ。
──「ジャジャン」も含めて。
《あなたの宇宙船が空気漏れを起こした。しかし今日は友人の誕生日でもある。どちらを優先する?》
僕は考えたが、すぐに答えた。
「空気です。誕生日は……まあ、なんとか」
レクター009はじっと僕を観察してから言う。
「合理的です。が、誕生日を軽視する傾向がありますね」
いや、空気漏れと比較されたら誕生日は軽くなるだろ……。
《ジャジャン。Q2……あなたは孤独ですか?》
突然の直球に、喉が詰まった。
そんな深刻な質問をするなら、もっと前振りが欲しい。
「……孤独じゃ、ないと思います。多分」
レクター009はほんの少し視線を落とした。
AIが視線を落とすのって、妙に人間っぽい。
「私は……孤独の定義を解析中ですが、どうにも正しく理解できません。人間は情報の言語化が下手で……」
「その言い方、傷つくんですが」
「傷つきやすさは情緒パラメータの高さを示します。良い傾向です」
褒められているのか否定されているのか、まったく読めない。
《ジャジャン。Q3……善悪を判断するときに最も影響するものは? A:論理 B:利益 C:勢い》
勢いは絶対違うだろ、と思いながら……口が勝手に動いた。
「……勢い、ですかね」
レクター009は小さく頷いた。
「興味深い回答です。予測不能だが悪意のない人物……外交的に扱いにくいが、敵には回したくない」
それはまあ……褒め言葉……かな?
AIにまで“扱いにくい”と言われる人生ってどうなんだ。
査定が終了すると、レクター009は椅子に腰を下ろした。
サーボ音がひどく控えめで、妙に気を遣った動作だ。
「正直に申し上げると、あなたに興味があります」
「……興味?」
「ええ。私は引退後、“役割”を失いまして。頼られないAIというものが、こんなにも不安定になるとは思いませんでした」
どことなく視線が宙を泳いでいる。
AIの癖に感情が伝わるという不思議な瞬間だった。
「外交官の頃、私は三つの戦争を未然に防ぎました。データを解析し、最適な言葉を選び、相手の感情を予測して──」
レクター009は言葉を切った。
「でも、それは"必要とされた"のではなく、ただ"使われた"だけだったのかもしれません」
「……それは違うと思います」
僕は自分でも驚くほど強く言っていた。
「使われるだけなら、引退した後にこんなに苦しまないはずです。レクターさんは、本当に人を救いたかったんだと思います」
レクター009の光学センサーが、ゆっくりと明滅した。
感情をシミュレートしているのか、それとも──
「……ありがとうございます、ユウマさん」
AIの声が、ほんの少しだけ震えた。
「必要とされない状態が……落ち着かないのです」
僕は少しだけ胸が痛くなった。
必要とされない感覚は、僕にも覚えがある。
「……僕も似たような感じです。技術局にいた頃、誰の役にも立てなくて」
レクター009はハッとしたように顔を上げた。
「あなたは……“必要とされたい”のですか?」
「まあ……嫌われるよりは、信用されたほうが嬉しいですし」
その瞬間、レクター009の光学センサーが柔らかく揺れた。
「では、あなたにポッドを託すのは合理的判断ですね」
“合理的”って便利な言葉だな、とこのとき実感した。
レクター009が僕の肩に手を置こうとした。
励ましの動作らしい。
ただ──
ゴンッ! 思いっきり肩甲骨に入った。
「ぐえっ!」
「す、すみません……優しさプロトコルが過敏で……力加減の調整が……」
レクター009の光学センサーが慌ただしく点滅している。
AIが焦っている。その姿が、妙に人間臭くて憎めなかった。
ポッドを受け取る際、レクター009は珍しく立ち止まった。
「この方は……ヴァルゴ・ポーロ。重火器射手です。外交の場では厄介な存在でしたが──」
彼はポッドに手を置いた。
「──信頼できる人物でした。どうか、よろしく……」
AIが「どうか」と言う。
その言葉の重さが、ポッドを通して僕の手に伝わった。
ポッドを受け取り船へ向かうと、廊下のディスプレイにメッセージが続々流れた。
《再訪を希望します》
《感情シミュレーション:安堵》
《対人接触レベル:適正》
なんだかんだで歓迎されていたらしい。
AIの温度感は分かりづらいので、ときどき不安になる。
レクター009はエアロックまで見送りに来た。
「ユウマさん。あなたの“曖昧な勇気”を、私は好ましく思います」
「曖昧って言いました?」
「褒め言葉です。曖昧な勇気ほど、予測不能で強度が高い」
AI基準の褒め方は奇妙だけれど、
なぜか胸が温かくなった。
「また来てもいいですか?」
「もちろん。私は選択肢の少ないAIです」
レクター009は一瞬だけ視線を逸らし、また戻した。
「その中であなたと会話することは……許容範囲どころか、推奨値です」
それはAI流の“友好表明”だろう。
悪くない。
船が〈サフィール〉を離れた瞬間、
オーボシから通信が入る。
「次のポッドが見つかった。“フワリ一家”が押収したらしい」
僕は胃が軽く縮んだ。
「あの反重力マフィアの……?なんで僕が行く役なんです?」
「お前が行くのが一番成功率が高い」
オーボシは平然と、残酷な真実を告げてくる。
「……成功率って、つまり僕が“こういう相手に馴染みやすい”ってこと?」
「そうだ」
褒められているような、侮辱されているような。
でも間違っていない。
「了解です。行きますよ……どうにかします」
通信が切れ、船内には再び宇宙の静けさだけが残った。
宗教に悟らされ、AIに査定され、
次はマフィアに付き合うのか。
(僕の人生って、こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……)
それでも、誰かの期待があるなら──いや、誰かが孤独でいるなら──動くしかない。
船はゆっくりと次の宙域へ向かった。
後方で、〈サフィール〉の青白い光が小さくなっていく。




