【追加しました!】田舎の男爵、父絶句!妊娠、婚姻?都会の学院に行った娘が、王太子と一緒に追放ざまあされて、戻ってきた! え?王都で王命で婚姻済なの?
ワッフル王国北部――雪混じりの風が吹きつける田舎町。
そのさらに外れにある《パウダー男爵家》の屋敷は、今日もいつも通り静かだった。
……はずだった。
「は?」
赤髪をかき上げながら、ナッツ=パウダー男爵は間抜けな声を漏らした。
目の前には、王都からやってきた国王の使者。そして、その隣には――。
「初めまして、お義父様!」
キラッ。
金髪男の笑みが光った。
いや、実際に光ったわけではない。だが、夕日を反射したその金髪は、まるで舞台役者のように輝いて見えた。
しかも爽やかな笑顔つきである。
ナッツは思わず顔をしかめた。
(なんだこいつ……)
その横には、娘のココアが立っている。十八歳になったばかりの赤髪娘は、どこか誇らしげな顔をしていた。
「お父様、紹介するわ! こちらガナッシュ様!」
「いや知っとるわ!!」
ナッツは思わず叫んだ。
知らないわけがない。
王都で有名だった元王太子ガナッシュ王子だ。
顔が良い。頭も良い。剣も魔法もできる。女性人気も凄まじい。
そして――。
盛大にやらかした男である。
「国王陛下より正式な王命です」
使者が淡々と羊皮紙を読み上げる。
「ココア=パウダー嬢と、ガナッシュ殿下を婚姻とする」
ナッツは頭を抱えた。
「さらに」
まだあるのか。
「ココア嬢は現在、ご懐妊されております」
「…………」
ナッツは遠い目をした。
妻フェイスが「まあ!」と嬉しそうに声を上げる。
おい。
まだ喜ぶ段階じゃない。
「さらに、ガナッシュ殿下は廃嫡となり、今後はパウダー男爵家の婿養子となる」
嫌な予感しかしない。
「次期パウダー男爵には、ガナッシュ殿下を任命する」
「…………は?」
ナッツは固まった。
思考が止まる。
いや待て。
うちの跡取り、こいつになるのか?
このキラキラ王子が?
「以上、王命である」
使者は綺麗に一礼した。
王命。
その言葉だけで、全てが終わる。
逆らえない。
男爵家ごときでは、どうしようもない。
使者が帰った後、食堂では重苦しい空気の中、家族会議が始まった。
ナッツは無言で椅子に座る。
向かいにはココア。
その隣にガナッシュ。
そして妻フェイス。
フェイスだけが、なぜか機嫌が良かった。
「まあでも、すごいじゃない。元王太子様が婿なんて」
「よくない」
ナッツは即答した。
「えー?」
「えー、ではない」
ナッツは娘を睨む。
「ココア」
「はい、お父様」
「お前、何をやった」
「イケメン王子を手に入れました!」
「やってやりましたみたいに、胸を張るな!!」
バン、と机を叩く。
ココアはむぅ、と頬を膨らませた。
「だって真実の愛だもの」
「その言葉を使うな! 腹立つから!」
王都中を騒がせた騒動である。
婚約者だった公爵令嬢を差し置いて、ガナッシュ王子が「真実の愛に目覚めた」と宣言。
そしてココアと関係を持った。
結果、婚約解消。
王家と公爵家は大混乱。
結局、弟のトリュフ王子が公爵令嬢と再婚約し、新たな王太子になった。
そして。
この男。
「申し訳ありません、お義父様」
ガナッシュが頭を下げる。
無駄に絵になる。
腹が立つ。
「私はココアを愛しています」
「聞いてない」
「必ず幸せに」
「聞いてない」
「この命に代えても」
「重い!」
ナッツは頭痛を覚えた。
なんなんだこの王子。
キラキラしている。
空気が違う。
田舎男爵家に存在していい生き物ではない。
「お父様」
ココアがむっとする。
「ガナッシュ様を怒らないで」
「怒るだろうが!!」
「でも好きになっちゃったんだもん」
「だもん、じゃない!」
ナッツは娘を睨む。
だが、ココアは怯まない。
昔からそうだ。
この娘は変なところで頑固だった。
小さい頃から木登りをして落ちるし、川に飛び込むし、猪を追いかけるし。
活発すぎて何度胃を痛めたかわからない。
だが今は。
そんな娘の腹に子供がいる。
しかも相手は元王太子。
(どうしてこうなった……)
ナッツは心底思った。
いや、娘が幸せならそれでいい。
本来ならそう思うべきなのだろう。
だが。
感情が追いつかない。
「……お前なぁ」
ナッツは低い声で言う。
「せめて普通の男を連れてこい」
「普通にカッコいいところが素敵なの!」
「そういう問題じゃない!」
フェイスがクスクス笑った。
「あなた、いいじゃない。ガナッシュ様、すごく素敵よ?」
「顔だけだろ」
「顔が良いのは大事よ?」
「お前は黙ってろ」
しかしフェイスは楽しそうだった。
「だって金髪よ? しかも王子様よ? 少女小説みたいじゃない」
「現実に来るなそんなもの!」
ナッツは叫ぶ。
胃が痛い。
すごく痛い。
ガナッシュが申し訳なさそうに言った。
「本当に、ご迷惑をおかけしました」
「……」
ナッツは黙る。
怒鳴りたい。
殴りたい。
だが。
この男もまた、全部を失ってここへ来たのだ。
王太子の地位。
王都での栄光。
全部捨てて。
いや、捨てたというより吹き飛ばしたのだが。
それでも。
ココアの腹の子から逃げず、ここへ来た。
その点だけは認めるしかない。
「……ココア」
「はい?」
「泣かされたら父さんに言えよ」
娘が目を丸くした。
「お父様……」
「その代わり、その時はこいつを埋める」
「怖っ!?」
ガナッシュが引いた。
ナッツは真顔だった。
「北の山なら穴掘る場所はいくらでもある」
「お義父様!?」
「安心しろ。冬なら保存も効く」
「安心できません!」
ココアが吹き出した。
フェイスまで笑っている。
食堂に、ようやく少しだけ空気が戻る。
ナッツは深くため息を吐いた。
窓の外では、北風が吹いている。
静かな田舎暮らしは、もう戻ってこないだろう。
王子が婿に来て。
娘は妊娠して。
未来の男爵まで決まった。
頭が痛い。
本当に痛い。
だが。
笑っている娘を見ると。
どうしても、最後まで怒りきれなかった。
「……ったく」
ナッツは椅子にもたれた。
「せめて孫はまともに育ってくれよ」
「はい!」
ココアが元気よく返事をする。
ガナッシュも真剣な顔で頷いた。
「必ず」
「まずはお前、そのキラキラを少し抑えろ」
「キラキラ?」
「存在感だ!」
その夜。
北の田舎男爵家には、ナッツの怒鳴り声と、家族の笑い声がいつまでも響いていた。
第二話 元王太子、雪かきをする
翌朝。
パウダー男爵家の屋敷では、朝から騒ぎになっていた。
「なんで王子が雪かきしてるんだ!?」
ナッツ=パウダー男爵の怒鳴り声が、中庭に響き渡る。
そこには、白い息を吐きながら雪かきをしている金髪の青年――ガナッシュの姿があった。
「おはようございます、お義父様!」
爽やかな笑顔である。
朝日を反射してキラキラしている。
雪景色との相性が抜群だった。
腹が立つほどに。
「お前、何やってる」
「雪かきです」
「見ればわかる!」
ナッツは頭を抱えた。
なぜ元王太子が木製スコップを握っているのか。
王都の貴族令嬢が見たら卒倒する光景である。
「使用人にやらせればいいだろ!」
「いえ。これからはパウダー男爵家の一員ですので」
ガナッシュは真面目な顔で答えた。
「自分でできることはやるべきかと」
「その理屈は正しいのが腹立つな……」
ナッツは呻いた。
すると。
ガッ。
「……ん?」
ガナッシュのスコップが地面に引っかかった。
次の瞬間。
ズルッ!!
「うおっ!?」
元王太子、盛大に転倒。
雪の上を滑って尻もちをついた。
ココアが吹き出す。
「あはははは! ガナッシュ様、なにやってるの!」
「ゆ、油断しました……」
格好良く起き上がろうとして、また滑る。
ドサッ。
「ぶふっ!」
今度はフェイスまで笑い始めた。
ナッツは額を押さえる。
(駄目だこいつ……)
王都で完璧超人と呼ばれていた男。
だが、雪国適性はゼロだった。
◇
「ほら、こうやるんだよ!」
ココアが軽やかにスコップを動かす。
雪をまとめ、一気に脇へ避ける。
慣れた動きだった。
「なるほど……!」
ガナッシュは真剣な顔で頷く。
なぜか勉強熱心である。
「腰を入れて! あと滑る前提で足を動かすの!」
「滑る前提……深いですね……!」
「深くないわよ」
ココアは笑った。
ガナッシュは再びスコップを握る。
そして。
ザッ。
今度は綺麗に雪を掬えた。
「おお……!」
本人が一番感動していた。
「できました!」
「雪かきでそんな感動するやつ初めて見たわ」
ココアが呆れる。
だが、ガナッシュは本気だった。
王城では雪かきなどしたことがない。
というより、やる必要がなかった。
全部、使用人がやっていたからだ。
だからこそ。
こうして自分の手で生活を支える作業が、妙に新鮮だった。
◇
その日の昼。
ガナッシュはココアと共に村へ出ていた。
目的は買い出しである。
すると。
「あれ、ココアちゃんじゃないか」
野菜を並べていたおばちゃんが目を丸くした。
「帰ってきてたのかい!」
「うん! ただいま!」
ココアが笑顔で手を振る。
そして。
「こっちは旦那様!」
「初めまして」
ガナッシュが綺麗に礼をした。
その瞬間。
周囲の村人がざわつく。
「うわ、顔がいい」
「本当に王子様なんだな……」
「眩しい……」
ガナッシュは困ったように微笑んだ。
「よく言われます」
「自覚あるんかい!」
ココアが即ツッコミを入れる。
村人たちがどっと笑った。
少しだけ空気が和らぐ。
だが。
「……でも、本当にいいのかい?」
年配の男が言った。
「王都の暮らしを捨てて、こんな田舎に来ちまって」
空気が少し静かになる。
ガナッシュは一瞬だけ目を伏せた。
王都。
豪華な城。
煌びやかな日々。
それを思い出さないわけではない。
だが。
隣にはココアがいる。
彼女は不安そうにこちらを見ていた。
だから。
ガナッシュは笑った。
「はい」
真っ直ぐに。
「私は、ココアと一緒にいたかったので」
村人たちは顔を見合わせる。
そして。
「……ぷっ」
誰かが吹き出した。
「うわ、真顔で言いやがった」
「王子様って本当にこういうこと言うんだな……」
「なんか逆にすげぇわ」
笑いが広がる。
ガナッシュは首を傾げた。
「何か変なことを?」
「いや、まあ……うん」
ココアが顔を赤くする。
「そういうの、さらっと言うのズルい……」
「本心ですが?」
「だから照れるの!」
また周囲が笑った。
最初は警戒していた村人たちも、少しずつ肩の力を抜き始める。
◇
その帰り道だった。
「――おい!」
怒鳴り声が響く。
見ると、荷車が雪道にハマっていた。
若い村人が必死に押しているが、車輪が動かない。
「くそっ、またか……!」
雪国ではよくあることだった。
ガナッシュはすぐ動いた。
「手伝います」
「え?」
コートを脱ぎ、荷車の後ろへ回る。
「せーの!」
グッ、と力を込めた。
次の瞬間。
ミシィッ!!
「え?」
荷車が浮いた。
村人が固まる。
ココアも固まった。
「……ガナッシュ様?」
「はい?」
「なんで持ち上がってるの?」
「押したら上がりました」
「加減しなさいよ!?」
元王太子。
剣術も超一流だった。
つまり、普通にフィジカルが強い。
村人たちはぽかんとした後。
「うおおおっ!?!?」
一斉に騒ぎ出した。
「すげぇ!?」
「なんだこの王子!?」
「顔だけじゃねぇ!?」
ガナッシュは困惑した。
「いや、その……訓練していたので」
「王族の訓練って怖ぇな!?」
村人たちは爆笑した。
◇
その夜。
男爵家の食堂。
「今日な、ガナッシュ様が荷車持ち上げたんだよ!」
近所の村人が興奮しながら語っていた。
「は?」
ナッツは嫌な顔をした。
「しかも雪かきもしてた!」
「……は?」
「あと子供たちに剣術教えてくれた!」
「……は??」
ナッツは頭を抱えた。
なんなんだこいつ。
行動力がおかしい。
すると、ガナッシュが真面目な顔で言う。
「皆さん、とても親切でした」
「お前の距離の詰め方おかしいんだよ……」
普通、元王太子は半日で村に馴染まない。
だが、ガナッシュは馴染んでいた。
無駄に愛想が良く。
妙に素直で。
そして全力だった。
ココアが嬉しそうに笑う。
「えへへ。でしょ?」
「なんでお前が誇らしげなんだ」
「だって旦那様だもの!」
ナッツは遠い目をした。
だが。
確かに。
村人たちはもう、ガナッシュを笑って受け入れ始めている。
面倒な王族ではなく。
ちょっと変な婿として。
ナッツは深くため息を吐いた。
「……まあ、村に馴染むならいい」
「ありがとうございます!」
「ただし」
ナッツは真顔になる。
「調子に乗ってまた問題起こすなよ」
「肝に銘じます」
「特に女関係」
「はい」
「本当に頼むぞ」
「はい……」
そこだけは、ガナッシュも少ししょんぼりした。
ココアが隣で笑う。
外では北風が吹いている。
けれど。
昨日より少しだけ、屋敷の空気は温かかった。
第三話 元王太子、漬物に感動する
その日、北の村には吹雪が近づいていた。
灰色の空。
冷たい風。
雪がちらちらと舞い始めている。
パウダー男爵家の納屋では、ナッツが冬支度の確認をしていた。
「干し肉よし。薪よし。保存食も……まあなんとか足りるか」
冬の北は厳しい。
一度吹雪けば、数日村が閉ざされることもある。
だから備えは重要だった。
すると。
ダダダダッ!!
村の方から誰かが走ってくる。
「た、大変だぁ!!」
若い村人だった。
顔面蒼白である。
「魔物が出た!!」
ナッツの顔色が変わった。
「どこだ!?」
「西の森! スノーウルフが三匹!!」
「三匹ぃ!?」
ナッツは舌打ちした。
厄介だった。
スノーウルフは雪原に住む魔物である。
普通の狼より大きく、牙も鋭い。
しかも群れで動く。
下手をすれば死人が出る。
「クソッ、男を集めろ!」
ナッツが叫ぶ。
すると。
「私も行きます」
静かな声が響いた。
振り返る。
そこには、金髪の青年――ガナッシュが立っていた。
「お前は駄目だ!」
ナッツは即答した。
「怪我されたら困る!」
元とはいえ王族。
村で死なれでもしたら大問題だ。
だが。
ガナッシュは真っ直ぐナッツを見た。
「私はこの家の人間です」
「……」
「なら、戦います」
その声には迷いがなかった。
◇
十分後。
村の男たちは槍や斧を持ち、西の森へ向かっていた。
先頭にはナッツ。
その隣にはガナッシュ。
「いいか」
ナッツが低い声で言う。
「無理はするな。お前は村の戦いなんて知らんだろ」
「はい」
「魔物は騎士団の訓練と違う。泥臭いし、怖いぞ」
「はい」
返事だけは素直だった。
だが。
ガナッシュの腰には剣がある。
王都でも名高かった名剣。
元王太子専用の魔剣だった。
雪を踏みしめながら進む。
やがて。
グルルルル……。
低い唸り声。
森の奥から現れたのは、白銀の毛並みを持つ巨大な狼だった。
一匹。
二匹。
三匹。
赤い瞳がぎらつく。
村人たちが息を呑んだ。
「来るぞ……!」
次の瞬間。
ドンッ!!
一匹が飛びかかってきた。
「うおっ!?」
村人が悲鳴を上げる。
だが。
ヒュン。
金色の光が走った。
ズバンッ!!
スノーウルフの首が宙を舞う。
「……は?」
村人たちが固まった。
ガナッシュだった。
剣を振っただけ。
本当に、それだけだった。
「次!」
ガナッシュが地面を蹴る。
速い。
雪の上とは思えない速度だった。
二匹目が牙を剥く。
だが。
「遅い」
斬撃一閃。
スノーウルフが吹き飛ぶ。
三匹目が逃げようとした。
しかし。
ガナッシュは容赦なく追いついた。
「逃がしません」
ズドンッ!!
最後の一匹も倒れる。
静寂。
村人たちはぽかんとしていた。
「……終わりました」
ガナッシュが振り返る。
雪が舞う中。
金髪が揺れる。
顔がいい。
しかも強い。
ナッツは頭を抱えた。
(そうだった……こいつ元王太子だった……)
雪かきで忘れそうになるが、この男は本来、王国最高クラスの騎士である。
◇
その夜。
村は大騒ぎだった。
「ガナッシュ様すげぇ!」
「一瞬だったぞ!?」
「本当に英雄じゃねぇか!」
酒場では村人たちが盛り上がっている。
一方。
ガナッシュ本人は、なぜか村外れの小屋にいた。
「ほれ、手伝いな」
「はい!」
相手は村のお婆さんだった。
樽の前に並ぶ野菜。
大根。
白菜。
カブ。
「これは?」
「漬物だよ」
ガナッシュは目を丸くした。
「つけもの……」
「冬を越すための保存食さ」
お婆さんは慣れた手つきで塩を振る。
「北じゃ大事なんだよ」
「なるほど……!」
なぜか感動していた。
「すごい知恵ですね……!」
「大げさな王子だねぇ」
お婆さんが笑う。
ガナッシュは真剣だった。
王城では見たことがない。
豪華料理はいくらでもあった。
だが。
こういう“生活の知恵”は知らなかった。
「やってみても?」
「おう」
ガナッシュは白菜を持つ。
そして。
ザバァ!!
「塩多い多い多い!!」
「えっ」
「殺す気かい!」
お婆さんが爆笑した。
◇
その日の夕食。
「……なんだこれ」
ナッツが箸を止めた。
食卓には、浅漬けが並んでいた。
ガナッシュが胸を張る。
「作りました」
「お前が?」
「はい!」
ココアがぱくっと食べる。
「あ、美味しい!」
「本当か!?」
ガナッシュが目を輝かせた。
キラキラしている。
フェイスも頷く。
「さっぱりしていいわねぇ」
「……マジか」
ナッツも食べる。
シャクッ。
「……うまいな」
「ありがとうございます!」
ガナッシュが嬉しそうに笑った。
その笑顔は、王都にいた頃より少し自然に見えた。
ナッツはふと気づく。
この男。
意外と。
本当にこの村で生きていこうとしているのかもしれない。
王族のままではなく。
パウダー男爵家の人間として。
窓の外では雪が降っている。
けれど食卓は温かかった。
ココアが楽しそうに笑う。
フェイスも笑っている。
ガナッシュは漬物を見ながら、なぜか真剣に呟いた。
「発酵……奥が深い……」
「そこにハマるのかお前」
ナッツは呆れながらも、少しだけ笑った。
第四話 氷の伯爵令息、北の村へ来る
北風が吹く朝だった。
パウダー男爵家の庭では、ガナッシュが真剣な顔で樽を見つめている。
「……なるほど」
腕を組み、深く頷く。
「塩加減だけではなく、重石の位置も重要……発酵とは実に奥深い……」
「ガナッシュ様、最近ずっと漬物のこと考えてない?」
ココアが呆れた顔で言った。
ガナッシュは真顔で振り返る。
「白菜は偉大です」
「そこまで!?」
元王太子。
現在、漬物に夢中である。
ナッツは遠い目をした。
「どうしてこうなった……」
すると、その時だった。
パカラッ、パカラッ――!
遠くから馬の足音が響いてくる。
かなり速い。
雪道とは思えない速度だった。
ナッツが眉をひそめる。
「……誰だ?」
やがて、一頭の黒馬が屋敷の前で止まった。
馬上にいたのは、銀髪の青年だった。
年齢は十八歳ほど。
切れ長の蒼い瞳に、整いすぎた顔立ち。
黒い外套を纏い、その姿はまるで雪原に立つ氷像のようだった。
そして。
彼は馬から降りるなり、一直線にガナッシュへ向かった。
「――殿下」
低く、よく通る声。
次の瞬間。
ドゲェン!!
銀髪の青年が雪の上へ土下座した。
「お迎えに上がりましたァァァァ!!」
静寂。
ココアが瞬きをする。
フェイスがぽかんと口を開ける。
ナッツは頭を抱えた。
「また変なの来た……」
ガナッシュが困った顔になる。
「スペキュロス、顔を上げてください」
「嫌です」
「即答!?」
ココアがツッコむ。
銀髪の青年――スペキュロス=ゲルンは、勢いよく顔を上げた。
「殿下! なぜですか!」
「何がです?」
「なぜ私を置いて北の田舎へ行ってしまわれたのですか!!」
「いや、王命なので……」
「私も来たかったです!!」
ガナッシュが困惑する。
ナッツはこっそりココアに聞いた。
「誰だこいつ」
「学院の同級生だった人」
「友達?」
「部下です」
「部下!?」
スペキュロスは立ち上がる。
雪を払う仕草すら無駄に優雅だった。
「改めまして。私はスペキュロス=ゲルン」
胸に手を当て、一礼する。
「ゲルン伯爵家の嫡男です」
「伯爵令息ぅ!?」
ナッツの声が裏返った。
なんでそんなのが田舎に来る。
しかも。
「“氷の伯爵令息”って呼ばれてた人だよ」
ココアが小声で補足する。
「王立学院でも超有名人」
「なんでそんなのが来るんだよ!?」
「殿下をお迎えするためです」
「聞いてねぇ!」
スペキュロスは真顔だった。
その目は本気である。
◇
食堂へ移動した後も、スペキュロスはずっと背筋を伸ばしていた。
紅茶を飲む姿すら絵になる。
田舎男爵家の空気にまったく馴染んでいない。
だが本人は真剣だった。
「殿下」
「はい」
「どうか王都へお戻りください」
食堂が静まる。
ココアが不安そうにガナッシュを見る。
だが。
ガナッシュは穏やかに笑った。
「戻りません」
即答だった。
「私はもう廃嫡されています」
「ですが!」
「それに」
ガナッシュは隣を見る。
ココアがいる。
その腹には、新しい命が宿っている。
「私は今の生活を気に入っています」
「…………」
スペキュロスは黙った。
氷のように冷静だと言われた男。
その彼が、わずかに目を伏せる。
「……殿下は、変わられましたね」
「そうでしょうか?」
「以前なら、“王族としての責務”を優先していました」
ガナッシュは少しだけ苦笑した。
「失ってから分かったこともあります」
静かな声だった。
「私は、案外……普通の暮らしが好きだったようです」
ナッツが思わず顔を上げる。
ガナッシュは笑っていた。
「雪かきも、漬物も、悪くありません」
「そこまで漬物好きになったの!?」
ココアがツッコむ。
少し空気が緩んだ。
だが。
スペキュロスだけは真剣な顔のままだった。
「でしたら」
彼は静かに立ち上がる。
「私もここに残ります」
「は?」
ナッツが固まった。
「は?」
ココアも固まった。
「は?」
ガナッシュまで固まった。
スペキュロスは真顔だった。
「殿下が北で暮らされるなら、私もお支えします」
「いや待ってください」
「お断りです」
「話聞いて!?」
ガナッシュが珍しく慌てた。
だが、スペキュロスは一歩も引かない。
「私は学院時代、何度も殿下に助けられました」
静かな声だった。
「魔法実技で暴走した時も」
「……ありましたね」
「国境演習で死にかけた時も」
「懐かしいですね」
「雪山訓練で遭難した時も」
「ありましたねぇ」
ココアが引いていた。
「王族って命懸けなの?」
ナッツも頷く。
「怖ぇよ」
スペキュロスはガナッシュを見る。
「殿下は、誰よりも努力していました」
その瞳に迷いはない。
「剣も。魔法も。政治も」
「……」
「だから私は、今でも貴方を尊敬しています」
ガナッシュは少し困ったように笑った。
「買いかぶりですよ」
「いいえ」
スペキュロスは即答する。
「少なくとも、私は貴方以上の王族を知りません」
食堂が静かになった。
ナッツは、初めて知る。
この男が。
ただの“やらかした王子”ではなかったことを。
◇
その夜。
ナッツは廊下でガナッシュを呼び止めた。
「おい」
「はい?」
「……お前、本当に慕われてたんだな」
ガナッシュは少し驚いた顔をした。
それから、困ったように笑う。
「どうでしょう」
「誤魔化すな」
ナッツは鼻を鳴らした。
「少なくとも、あの坊主は本気だったぞ」
「スペキュロスは真面目ですから」
「重いくらいにな」
二人は少しだけ笑う。
窓の外では雪が降っていた。
静かな夜だった。
だが。
その静けさの向こうで。
「殿下ァァァァ!! 白菜を漬けるなら温度管理が重要です!!」
「なんでお前まで漬物にハマってるんですか!?」
騒がしい声が聞こえてくる。
ナッツは頭を抱えた。
「……増えた」
問題児が。
一人。
確実に増えていた。
第五話 新王太子、田舎で絶句する
北の村に雪が降っていた。
朝からガナッシュは樽の前で腕を組んでいる。
「なるほど……発酵とは生き物ですね」
真剣な顔だった。
「ガナッシュ様」
ココアが呆れた顔をする。
「また漬物?」
「白菜は偉大です」
「最近それしか言ってないわよね?」
そこへ。
パカラッ!
パカラッ!
馬の足音が響いた。
ナッツが窓を見る。
「また誰か来たぞ」
嫌な予感しかしなかった。
屋敷の前には豪華な馬車が止まっている。
王家の紋章。
そして。
公爵家の紋章。
ナッツは頭を抱えた。
「今度はなんだ……」
◇
食堂に通された来客を見て、ガナッシュは目を見開いた。
「トリュフ?」
「兄上」
そこにいたのは、現在の王太子トリュフだった。
柔らかな金髪。
青い瞳。
兄によく似ているが、どこか穏やかな雰囲気を持つ青年である。
そして。
その隣には銀髪の美しい令嬢。
かつてガナッシュの婚約者だった公爵令嬢。
ミルフィーユ=ショコラ公爵令嬢だった。
ココアが少し緊張する。
だが。
「お久しぶりですわ、ガナッシュ殿下」
ミルフィーユは優雅に一礼した。
怒っている様子はない。
むしろ穏やかだった。
「久しぶりですね」
ガナッシュも礼を返す。
妙な空気になりそうだったが。
その前に。
「兄上」
トリュフが真顔になった。
「何です?」
「……その格好は何ですか」
全員の視線が集まる。
ガナッシュはエプロン姿だった。
しかも。
白菜柄である。
ココアが作ったものだった。
食堂が静まり返った。
「漬物作りの途中だったので」
ガナッシュが真顔で答えた。
トリュフは頭を抱えた。
「兄上……」
「はい」
「私は夢を見ているのでしょうか」
◇
昼食後。
トリュフは村を案内されていた。
そして絶句した。
「こんにちはー!」
ガナッシュが手を振る。
「おうガナッシュ!」
「雪かき終わったか?」
「午後から手伝います!」
村人たちが普通に話しかけている。
元王太子に。
普通に。
「兄上……」
「何です?」
「なぜ村人と友達になっているのですか」
「仲良くしていただいてます」
ガナッシュは笑った。
さらに。
「先生ー!」
子供たちが駆け寄る。
「今日も剣術やるー?」
「もちろんです」
子供たちは大歓声。
トリュフは遠い目をした。
「王都では英雄扱いだった兄上が……」
「今は村の人気者ですね」
スペキュロスが誇らしげに言う。
「お前もいるのか」
「おります」
なぜか当然のように馴染んでいた。
◇
一方。
ココアとミルフィーユは屋敷でお茶をしていた。
ココアは内心かなり緊張している。
だが。
「お腹、大きくなってきましたわね」
ミルフィーユは柔らかく微笑んだ。
「え、ええ……」
「元気なお子様が生まれますわ」
優しい声だった。
ココアは思わず聞いてしまう。
「……あの」
「はい?」
「私のこと、恨んでませんか?」
沈黙。
だが。
ミルフィーユはきょとんとした。
「なぜ?」
「だって……私、ガナッシュ様を……」
「奪った?」
「はい……」
ミルフィーユは数秒考えた。
そして。
吹き出した。
「ふふっ」
「え?」
「そんなことありませんわ」
「え?」
今度はココアが固まる。
「むしろ助かりましたもの」
「はい?」
「わたくし」
ミルフィーユは少しだけ頬を赤くした。
「本当は別の方が好きでしたの」
「えええええ!?」
ココアが立ち上がった。
◇
その頃。
庭では。
「兄上」
「何です?」
「一つだけ聞きたいことがあります」
トリュフが真面目な顔をしていた。
「兄上は幸せですか?」
ガナッシュは少し驚く。
だが。
すぐに笑った。
「はい」
迷いのない返事だった。
「王太子ではなくなりました」
「……」
「王城もありません」
「……」
「でも」
ガナッシュは屋敷を見る。
ココアがいる。
家族がいる。
生まれてくる子供もいる。
「今は毎日が楽しいです」
トリュフは目を閉じた。
そして。
小さく笑った。
「そうですか」
その表情から、肩の荷が下りたようだった。
◇
夕食。
ナッツは上機嫌だった。
「今日は豪華だな」
「来客ですもの」
フェイスが笑う。
食卓には漬物も並んでいる。
もちろんガナッシュ作だ。
ミルフィーユが一口食べる。
そして。
「……美味しいですわ」
静かに言った。
ガナッシュの目が輝く。
「本当ですか!?」
「ええ」
「やった!」
元王太子とは思えない喜び方だった。
トリュフは頭を抱える。
「兄上……」
「何です?」
「兄上は変わりましたね」
ガナッシュは少し考えた。
「そうでしょうか」
「ええ」
トリュフは笑う。
「昔よりずっと幸せそうです」
その言葉に。
ガナッシュも笑った。
「かもしれませんね」
窓の外では雪が降っている。
暖かな食堂には笑い声が響いていた。
そして誰も気づいていなかった。
翌日。
ミルフィーユの父であるショコラ公爵が、この村へ向かっていることを。
しかも。
かなり怒った顔で。
「ガナッシュ殿下に聞きたいことがある」
そう呟きながら――
第六話 ショコラ公爵、漬物を食べて黙る
翌朝。
パウダー男爵家の食堂は重苦しい空気に包まれていた。
「……来た」
ナッツ=パウダー男爵が青い顔で呟く。
窓の外。
豪華な馬車が三台。
護衛騎士が十数名。
王都でも滅多に見ない規模だった。
ココアがごくりと唾を飲む。
「ミルフィーユ様のお父様……」
ショコラ公爵。
王国でも五本の指に入る大貴族。
そして。
ガナッシュが婚約破棄した相手の父親である。
「兄上」
トリュフも緊張していた。
「はい」
「逃げますか?」
「逃げません」
「そうですか」
トリュフは残念そうだった。
すると。
ドンッ!
屋敷の扉が開いた。
現れたのは五十代ほどの壮年男性。
銀髪。
鋭い蒼眼。
黒い軍服のような外套。
歩くだけで威圧感がある。
ナッツは思った。
(怖ぇ……)
その一言に尽きた。
ショコラ公爵は食堂へ入る。
そして。
真っ直ぐガナッシュを見る。
「久しぶりですな」
「お久しぶりです」
空気が凍る。
誰も喋れない。
フェイスですら黙っていた。
ショコラ公爵は静かに言った。
「聞きたいことがあります」
「はい」
「なぜ私の娘ではなく、そちらを選んだのですかな」
ココアがびくっと肩を震わせる。
ガナッシュは少し考えた。
そして。
「好きになったからです」
即答だった。
ナッツは頭を抱えた。
(馬鹿ァァァ!!)
もっと言い方があるだろう。
だが。
ガナッシュは真面目だった。
「ミルフィーユ嬢は素晴らしい女性です」
「……」
「ですが、弟トリュフの両想いでした」
ココアを見る。
ココアは顔を真っ赤にした。
「私はココアを愛しています。だから、恋する気持ちがよくわかります」
静寂。
ナッツは胃を押さえた。
胃薬が欲しい。
今すぐ欲しい。
しかし。
ショコラ公爵は怒鳴らなかった。
むしろ。
「ふむ」
と頷いた。
「そうですか」
「はい」
「それなら仕方ありませんな」
全員が固まった。
「……え?」
ココアが声を漏らす。
ショコラ公爵はため息を吐いた。
「恋愛感情だけは理屈ではありません」
「公爵様……」
「私は親として怒りました」
静かな声だった。
「だが娘の人生を決めるのは娘です」
その言葉に。
ミルフィーユが少しだけ笑う。
「お父様」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
そう言いながらも少し照れていた。
娘に弱いらしい。
◇
昼食後。
ナッツは公爵を村へ案内していた。
本来ならあり得ない状況だった。
男爵が公爵を案内している。
緊張で胃が痛い。
「こちらが畑でして」
「ふむ」
「冬場は雪に埋まりまして」
「ほう」
意外なことに公爵は真面目に聞いていた。
すると。
「あっ、公爵様だ!」
子供たちが走ってくる。
「ガナッシュ先生ー!」
「先生?」
公爵が眉をひそめた。
振り返る。
そこには。
木剣を持ったガナッシュがいた。
「今日はここまでです」
「ありがとうございました!」
子供たちが元気よく頭を下げる。
公爵は固まった。
「……何をしているのですかな」
「剣術を教えていました」
「なぜ」
「頼まれたので」
「なぜ」
大事なことらしい。
ガナッシュは首を傾げた。
公爵は遠い目をした。
「元王太子が村の子供に剣術を……」
トリュフも頷く。
「私も最初は驚きました」
「お前は慣れるな」
◇
その夜。
歓迎の夕食会が開かれた。
とはいえ田舎料理である。
豪華な王都料理などない。
干し肉。
シチュー。
黒パン。
そして。
漬物。
公爵は少しだけ困惑した。
「これが夕食ですかな」
「はい」
ナッツは申し訳なさそうだった。
だが。
ガナッシュだけが妙に自信満々だった。
「本日の漬物は自信作です」
「兄上」
「何です?」
「誇る場所がおかしいです」
トリュフが真顔で言った。
その時だった。
フェイスが皿を差し出す。
「どうぞ」
公爵はフォークを取った。
正直。
期待はしていない。
王都なら珍しくもない保存食。
そう思っていた。
だが。
シャクッ。
白菜を一口。
「…………」
公爵が止まった。
ナッツが不安になる。
「あの」
「もう一つ」
公爵が言った。
シャクッ。
もう一口。
シャクッ。
さらに一口。
全員が見守る。
やがて。
公爵は静かに呟いた。
「……美味い」
ガナッシュが立ち上がった。
「本当ですか!?」
「座りなさい」
「はい」
即座に座った。
公爵はもう一口食べる。
「塩加減が絶妙ですな」
「三回失敗しました」
「なるほど」
「四回目で成功しました」
「なるほど」
なぜか会話が弾む。
ミルフィーユが吹き出した。
「お父様」
「なんだ」
「気に入りましたの?」
「違う」
「ではなぜ三皿目を食べてますの?」
公爵は固まった。
本当に三皿目だった。
ナッツは思った。
(落ちたな)
と。
◇
夕食後。
公爵は一人で外へ出た。
雪が降っている。
静かな村だった。
ふと窓を見る。
食堂では。
ココアが笑っている。
ガナッシュも笑っている。
家族が笑っている。
暖かな灯り。
暖かな空気。
公爵は静かに目を細めた。
「……なるほど」
王城にはないものがある。
そう思った。
そして。
翌朝。
「公爵様!?」
ナッツが叫ぶ。
庭では。
ショコラ公爵が真顔で樽を覗いていた。
「ガナッシュ殿」
「はい?」
「発酵について詳しく聞きたい」
ガナッシュの目が輝く。
「おお!」
トリュフは頭を抱えた。
スペキュロスは天を仰いだ。
ココアは笑い転げた。
こうして。
北の村に。
また一人。
漬物仲間が増えたのだった。
第七話 公爵、雪かきをする
翌朝。
北の村は吹雪だった。
窓の外では雪が絶え間なく降り続いている。
ナッツ=パウダー男爵は朝食を食べながら顔をしかめた。
「こりゃ積もったな」
北国育ちの勘だった。
外を見るだけでわかる。
今日は雪かき地獄である。
すると。
「おはようございます!」
元気な声と共に食堂へ現れたのはガナッシュだった。
最近では完全に村人の顔である。
そしてその後ろから。
「おはようございます」
ショコラ公爵まで現れた。
ナッツは思わず二度見した。
なぜなら。
二人とも防寒着を着ていたからだ。
「……何する気だ?」
「雪かきです」
二人同時だった。
ナッツは頭を抱えた。
◇
十分後。
屋敷前。
ガナッシュと公爵は木製スコップを持っていた。
王国屈指の大貴族と元王太子。
本来なら絶対に見られない光景である。
「公爵様」
「なんだ」
「腰を入れるのが大事らしいです」
「なるほど」
二人とも妙に真面目だった。
そして。
ザッ。
ガナッシュが雪を運ぶ。
ザッ。
公爵も雪を運ぶ。
しかし。
十分後。
「ふう……」
公爵が息を吐いた。
ナッツは驚く。
公爵は文官ではない。
若い頃は騎士として名を馳せた男だ。
体力はある。
だが。
雪かきは別だった。
「重いですな……」
「でしょう?」
ナッツが笑う。
「北の冬は甘くありません」
「実感しております」
公爵が真顔で頷いた。
そこへ。
ガナッシュが軽快に雪を運んでいく。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
妙に上手い。
「兄上」
トリュフが呆れた顔で言う。
「なぜそんなに慣れているのです」
「毎日やってますので」
「慣れるものなのですか」
「楽しいですよ」
「楽しくはないです」
トリュフは即答した。
◇
その時だった。
「おーい!」
村のおじさんが歩いてくる。
「ガナッシュ!」
「はい!」
「そっち終わったらうちも頼む!」
「わかりました!」
即答だった。
トリュフは固まる。
「兄上」
「何です?」
「なぜ村人から普通に頼まれているのです」
「困った時は助け合いです」
「兄上が助ける側なんですか」
「そうですね」
ガナッシュは笑った。
すると。
「公爵様!」
今度は別の村人がやってきた。
ショコラ公爵が振り向く。
「なんでしょう」
「腰が高い!」
公爵が固まった。
「もっとこう!」
村人が実演する。
「こうだ!」
「こう……ですかな?」
「そう!」
王国屈指の大貴族。
雪かきを指導される。
ナッツは吹き出した。
トリュフは天を仰ぐ。
スペキュロスは震えていた。
「誰か日記を燃やしてください……」
「なぜだ」
「後世に残してはいけません」
◇
昼頃。
事件は起きた。
「うおおおおっ!?」
悲鳴が響く。
見ると。
屋根の雪が崩れた。
巨大な雪の塊が落ちてくる。
直撃コース。
だが。
ヒュン!
ガナッシュが飛んだ。
次の瞬間。
ドォン!!
雪の塊を剣で吹き飛ばした。
村人たちが固まる。
「……」
「……」
「……」
静寂。
ガナッシュは首を傾げた。
「どうしました?」
「いや待て」
ナッツが言う。
「今の何だ」
「雪下ろしです」
「違う」
全然違う。
公爵も頭を抱えた。
「そうでしたな……」
「何がです?」
「ガナッシュ殿は普通に化け物でした」
「公爵様まで!?」
ココアが笑い転げる。
◇
夕方。
雪かきが終わった。
全員くたくたである。
食堂には暖かなシチューが並んでいた。
フェイスの手料理だ。
「美味しい……」
トリュフが感動する。
「王城より美味いかもしれません」
「おい」
ガナッシュが笑う。
すると。
ショコラ公爵が静かに口を開いた。
「ナッツ殿」
「はい?」
「北の冬は大変ですな」
「そうですね」
「毎年これですか」
「毎年です」
公爵はしばらく黙った。
そして。
「……領民は偉大ですな」
ぽつりと呟く。
食堂が静かになる。
「王都にいると忘れてしまう」
公爵は窓の外を見る。
「国を支えているのは貴族だけではない」
「……」
「こうして暮らしを守る者たちがいるから国がある」
ナッツは少し驚いた。
だが。
それは本音だったのだろう。
ガナッシュも静かに頷いた。
「私もここへ来て初めて実感しました」
「そうですな」
二人は少し笑う。
トリュフはその姿を見ていた。
昔なら。
兄と公爵がこんな話をすることはなかった。
王都では皆が肩書きで話す。
だがここでは違う。
一緒に雪を運び。
一緒に汗を流し。
一緒に飯を食う。
それだけだった。
◇
その夜。
公爵は帰りの馬車の準備を始めていた。
すると。
「公爵様!」
ガナッシュが走ってくる。
「これを」
差し出されたのは樽だった。
「これは?」
「漬物です」
公爵が固まる。
「発酵は奥が深いので」
「うむ」
「帰ってからも研究できます」
「うむ」
公爵は真顔で受け取った。
その様子を見て。
トリュフが呟く。
「父上に続き」
「はい」
「公爵まで漬物仲間になりましたね」
「素晴らしいことです」
「兄上」
「何です?」
「兄上は何を目指しているのですか」
ガナッシュは少し考えた。
そして。
満面の笑みで答えた。
「美味しい漬物です!」
トリュフは頭を抱えた。
スペキュロスは膝をついた。
ココアは大笑いした。
ナッツは思った。
元王太子は。
もう二度と王都には戻れないかもしれない。
いろんな意味で。
そう確信した冬の夜だった。
次回予告、ココア出産編




