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いつもの街②

 私たちは、クラスではあまり話さないようにしたので、放課後の掃除の時間の二十分間だけが、二人でいろいろ話せる時間になった。

「この部屋、なんだか本がたくさんあるね」

「図書室だからね。前いた学校には、あんまりなかったの?」

 天野君は黙ったまま微笑んだ。前の学校のことは、あまり訊かれたくないのかもしれない。気分を害されても困るので、追求したいのをぐっとこらえた。

「でも、ここって中学生のための施設なんでしょう? 僕たちと同じか、それよりも年下の子たちが対象なんだよね。クラスのみんなを見ると、とてもここにある本に需要がありそうには見えないような」

「全員が全員こういうのを読むわけではないけど、中にはこういうのを必要としてる人だっているんだよ、多分。それに、中学生だって、常に大人が守ってくれるわけじゃないんだし、授業で先生が言うこと以外にも、世の中のこと、いろいろ知っといて損はないよ」

「ふうん、そうなの?」

 天野君は首をかしげた。

「有泉さんは、大人から守ってもらえてないの?」

「……、まあ、全然守られてないわけではないと思うけど、なんでもかんでもやってもらうわけにもいかないじゃない。天野君は、そう思わない?」

「思う。同感だよ。僕、これから毎日図書館で勉強することにするよ」

 もう少し話が続くかなと思っていたのに、あっけなく終わってしまった。天野君って、案外単純な人なのかもしれない。

 

 部活をしている人たちは、夏休みに大会があって、そこで引退するらしい。どうせ勝てないからと気を抜いてる人たちもいるし、勝てなくてもここは最後までしっかりやりぬきたいと、日々練習に熱が入っている人たちもいる。どちらがいいとは一概には言えないけど、後者の方が楽しそうだなとは思う。

 私の家は学校から歩いて一時間近くかかるので、家に帰るのはいつも四時過ぎになる。

 家に帰ってからまずすることは、植物に水やりすることだ。

 植物が好きなのかと言われれば、そうだと答えるのだろうけど、好きだからやっているというよりも、これが生活の一部だからしているといったほうが正しいかもしれない。たとえば空気を吸うことを好きでやってるのかと訊かれたら、そうだと答える人はあまりいないだろう。それに近い。

 この時期は、水を撒くとあっという間に地面に水が染み込んでいく。とたんに辺りが湿気でムッとして、気持ちひんやりしてくる。植物は瞬間的にぴんとするわけではないけど、やがて回復する。ついさっきまでくたっとしていたのが、他のエリアに水をあげて戻って来ると、いつの間にかしゃきんとしている。

 期末テストが終わったので、今日はもう勉強する気にならない。

 一応受験生ということになっているけど、もっと将来のことを見据えて高校を選んだり、その先どうするかとか考えたりした方がいいのだろうけど、私はなにごとも、まずはやってみないと感覚がつかめない性分だ。なにか物事を始める前に、口コミを聞いて、想像してとりあえず準備してって、そうやっていざその集団に入ってから、「しまった、ここじゃない」って思ったら、そのときはどうしたらいいんだろうと思ってしまう。行きたい高校にとりあえず一月くらい通ってみてからそこに決める、そういうのではだめなのだろうか。ある程度大まかに区切らないと、世の中が効率よく回っていかないので、仕方ないと割り切るしかないのだろうか。

 本当は、人から「とりあえずこれを勉強しといて」と言われたことをするよりも、自分のしたいことを優先的に勉強したい。授業を受ける代わりに図書室に行って、好きな本だけを思う存分読みたい。おそらく、毎日授業を受ける代わりに図書室で本を読んだとしても、三年間であの部屋にある本を全部読み切ることはできない。それくらいやりたいことか目の前にあるのに、その前に、壁のように「やるべきこと」みたいなことが立ちはだかっていて、それを超えてからでないと好きな本も読めないなんて、なんだか腑に落ちない。かといって、先生と話し合って、もしくは無理やり押し切ってまで自分が正しいと思うことに進むのは、なんだか気まずい。そこまでする気にはなれない。とはいっても、不満が消えるわけではない。

 今までは小説が好きだったけど、最近は物語だけではなくて、外国の同じ年頃の子供たちはどんな暮らしをしているのかとか、学校はどんな様子なのかとか、そういう本に興味をひかれる。ノートにまとめてみたり、自分が考える理想の学校の様子をレポートにして先生に見せて、なにかしらの提案をして……、なんて、そこまでする気はないけれど。

 窓の外を眺めて、溜息をついているようなものなのかもしれない。授業を聞きながら、窓の外を見て、校庭を走っている人たちがなんだかうらやましく思えたり(体育の授業中は教室で座っている人がうらやましかったりするのに)、学校に行かないで仕事したり家のことをしていたりする大人たちがうらやましいと思ってみたり、自分が通う中学が、ここではなくて、あの山の向こうにある中学だったら今よりも楽しかったのではないかと思ってみたり。

 あの山の向こうにはなにがあるんだろう、なにか、ここにはない面白いことがあるのではないかと思う。でも具体的になにがあってほしいのかとか、なにをしたいかとか、まだそこまではわからない、ただ窓の外を眺めて、外の世界はうらやましいと思う、私が本を読んで考えることなんて、しょせんそんなものなのかもしれない。

 せっかくよそから天野君のような人が来てくれたのだから、よその県の話も聞いてみたいと思った。

 

 授業中の天野君は、いつも静かに先生の話を聞いている。

 みんなも静かなのだけど、なんだか彼の周りだけ空気がひんやりしているような気がする。時間が止まったようだ、とでも言ったらいいのか、集中の度合いが違う気がする。

 彼は特に、数学が得意なようだ。

 先生がざっと説明して、「じゃあ、この例題、誰に解いてもらおうかな……」などと言うと、彼は勢いよく「はい」と手を挙げる。そしてなんの迷いもなく、例題を解いてしまう。

「字がもう少し読みやすければ言うことないんだけどな」

 先生も感心していた。確かに、ほとんどが数字なのにも関わらず、数字の見分けも怪しくなってしまうくらい彼の字は読みにくい。

「はい、練習しておきます」

 天野君は怒るでもなく、ごく冷静に答える。

小学校に入ったばかりの子供でもないんだし、今更数字の練習もないだろうと思っていたら、数日後に彼の書く数字はすっきりきれいになっていた。やっぱり不思議な人だと思った。

 図書室は人がいないせいか、教室よりもひんやりしている。同じ学校の中にあるのに、なんだか違う世界に来たような気になれて、得した気分になる。

「夏休みはどこかへ行くの?」

「夏休み……、ああ、夏休みね。山に行ってみたいな」

「山が、好きなの?」

「山の上で星を見たいなと思って」

「山形では、山の上で星が見えたの?」

 天野君は少し困ったような顔をして、じっと私を見た。

「前いた場所のこと、あまり話したくないの?」

「うーん、どうしようかな。有泉さんにだったら話してもいいのかな……」

「いいよ、私、口軽くないし、話すような相手もいないし」

「そんな、寂しいこと言わないでよ」

 天野君は窓の外に目をやった。そうして再び私に視線を戻すと、「僕が以前いたのは、山形ではないんだ」と言った。うすうす感づいていたので、黙ってうなずいた。

「じゃあ、どこにいたかって話だよね」

「うん」

「僕はね、誰も知らない国から来たんだ」

「……はあ」

「そこは、名前のない地図にも載っていない、誰も知らないような、いくつも山を越えてたどり着くような、そんなところにあったんだ。

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