7 思惑
私たちは彼らののっていた馬車に乗せてもらってベルガー辺境伯邸へと向かうことになった。
私が体を冷やさないように、何より優先して移動させてくれるという事だったが、では馬車を降りたヴィンセントたちはどのようにして移動するのかと疑問に思った。
けれども到着すると簡素な馬車が後ろからついてきて、どこかから適当に買い取ったらしいということがわかる。
まさかそんな荒業を使うなんて思っていなかったので、なんだかものすごい行動力を見せているヴィンセントに対して私はどうしても警戒せざるを得なかった。
しかし、侍女たちの生活については保証してくれた。契約の魔法は私に万が一があった時でも問題なく機能する。国と魔法協会とのやり取りを担保するためにも利用される魔法なので信用性は高い。
私は侍女たちに対して最低限の私の責任を果たしたと言えるだろう。
ベルガー辺境伯家のタウンハウスの中へ招き入れられると、そこはロットフォード公爵家と違ってとても静かで洗練された場所だった。
「女辺境伯は、フォクロワ大陸魔法協会支部の方に泊り込んだり王城を行き来していて忙しいから気兼ねなく過ごして」
エントランスホールを先に進みながら軽く案内する彼は、自分の母についてそう告げる。
フォクロワ大陸とはこの国が位置している大陸の名前で、その西側の一角がこのレイベーク王国だ。
世界をまたにかける大きな権力である魔法協会は、そうして大陸ごとや国ごとに支部を持っている。
ベルガー女辺境伯は、フォクロワ大陸魔法協会支部の役職付きらしい。派閥がまったく違うので詳しくは知らないが、要は一国に収まらない権力の持ち主だ。
そしてその一人息子が彼である。私を振り返り、あれこれ説明している彼は、少し妙なぐらい嬉しそうだった。
「ここが君の部屋。気に入らないものは言ってくれれば取り替えるから。それじゃあ疲れているだろうから、今日はここで。おやすみ、ウィンディ」
そう短く説明して彼はお付きの従者たちと去っていく。
しかしこの屋敷の女性使用人たちが残り、部屋を整えたりお茶を淹れたり、トランクを運び込んだりしている。
その部屋の中を見つめて私は、激しい動悸がして嫌な汗が背中を伝っている。
ヴィンセントは何というか一言でいうと好青年だ。
人が良さそうとまではいかないが、少し下がった目じりに、鼻立ちがくっきりとしていてとてもとっつきやすそうな顔をしている。
私よりも年上だが、威圧的なカンジもないし、目線を合わせて話をしてくれる。
とにかく私にとってはとてもいいひと。
だけれどもどう考えてもこれはおかしい。一階にある来客用の部屋を使わせてもらうつもりでいたし、二階以上は、屋敷の所有者家族の過ごす部屋があるだけでそういう場所に他人を連れ込むのは普通じゃない。
だからこそ、自分の部屋に連れ込むぐらいならまだしも、そのあたりに部屋を用意して突然あてがったりできるはずもない。
それも、女性向けの家具が置かれている空き部屋だった様子のない綺麗な部屋だ。
私がここに来ることが決まったのはついさっき。
それなのにベッドには清潔なシーツが敷かれ、テーブルはほこり一つない清潔さを保ち、ところどころには今朝活けられたばかりに見える花瓶が置かれている。
……だまされた……なんて言ったら人聞きが悪いけれど、あらかじめ、連れてくるつもりがなければこうはならないですよね。
そう考えると、二階というのもとても怪しい。
もしかすると何かあった時に私が一人で逃げ出さないようにするために、わざわざ二階に上げたのだろうか。
「ウィンディ様、よかったですね。優しい人に目をかけていただけて、見てくださいこの暖炉。魔力式ですよ、すごいです」
「……ふんっ、どうせただの道楽ですよ? 思いあがらない事ですね」
しかし彼女たちは、私の疑念に気が付いていない様子で、それぞれの反応を示している。
カミラはこうして突然うまくいったことは、お金持ちの道楽か何かだと主張したいらしいが、この場にはこの屋敷の使用人もいる。
それ以上の言葉は控えて、さっさと侍女たちに部屋の説明を受けるために話しかけに行った。
ローナの方は、はしゃいだ様子であちこちを観察していて、私も魔力式の暖炉はとても素晴らしいと思う。
炎の魔法を使って部屋全体をすぐに温めることができるし、何より煙もすすも出ない。体に良い代物だ。
「やっぱり、魔法協会とつながりがある貴族の屋敷は魔法道具が多いですね。きちんと使えるか心配です」
そう言いながらも戻ってくるローナは、私に手を貸して、立ち上がらせてくれる。
「大丈夫だと思いますよ。使用人が使うものは基本的に魔力を蓄積しているタイプの魔法道具ですから」
魔法道具には二つのタイプがあり、魔力を込めて使うものと、込められている魔力を使う物の二種類だ。
多くの人が使う為の物は後者になっていることが多く、個人で所有して貴族のみが使う場合には前者である。
だとしても、前者の物は販売目的で魔法使いが作るので、とても値が張る。それがそこら中に設置されている部屋などやはり、ベルガー辺境伯家がいくら魔法協会とつながりがある家だとしてもおかしい。
…………そうか、魔法協会ですよ。
眩暈がする頭で、私は思考を巡らせる。
今日はとても体力を使ったので、すぐにでもベッドに身を滑り込ませてすっかり眠ってしまいたかったが、そう言うわけにもいかないだろう。
侍女たちの準備もある。
「ありがとう、ローナ。あなたも自分の部屋の説明を受けてきてください」
「はい……少し顔色が悪いように見えます、急ぎますね」
「ありがとう」
ソファに腰かける私の顔色を見てローナはすぐにそういい、眼鏡をかけなおして急いで向かっていった。
会話を終えて私は、震える手を押さえ込んで、じっと考えた。
魔法協会が噛んでいるのではないか、そう思ったのはきっと正しい。
だって私は、一応特殊な体質をしている。
お医者様にもわからない未知の病にかかって、魔力が体外に常に流出してしまう症状に苦しめられているのだ。
しかしそれでいて死なない、魔力は人間の生命力そのものだ、それが常に流れ出てしまうとなるといつ死んでもおかしくない。
だからこそいつだって死にかけているというわけなのだが、なぜだか生きている。
ということはつまり絶妙な塩梅で生きるだけの魔力はぎりぎり残っているということになる。それはとても不自然だろう。こんな症例は見たことがないとお医者様も言っていた。
だからこそ、そこに目を付けたのかもしれない。魔法協会は、魔力や魔法に関することの巨大な研究機関でもある。
ヴィンセントを経由して症状を知り、それについて何かしらの研究をしたいと考えているのかもしれない。
よく彼の言動を思い出してみればしきりに私の体調の心配をしていた。
つまりは、彼がこうまでして連れてきて、私に価値を感じている部分というのはこの病気の体ではないだろうか。
「お嬢さま、ヴィンセント様より要望を受け、こちらをお持ちいたしました。どうぞ召し上がってくださいませ」
トレーに乗せたティーポットを私の目の前のテーブルに移動しながら、お淑やかに侍女が言う。
「魔力の回復を助ける効果のあるハーブティーです」
琥珀色のお茶がティーカップに注がれて、私は、ごくりと息をのんだ。
……解剖? ……解剖するんですか? それとも人体実験?
どう考えても、よすぎるタイミングに、この待遇。ヴィンセントはよっぽど私を逃がしたくなかったと見える。
魔力の回復を助ける魔草は高価なものだと聞くし、見ず知らずの女に出すようなものではない。嬉しいけれど、非常に複雑な気持ちで、もしかするとこのお茶に眠り薬でも入っているのではないかと勘繰る。
そうしてぐっすりと眠らせた後に、屋敷から運び出し、フォクロワ大陸魔法協会支部に連れて行き後は、煮るなり焼くなりという事だろうか。
そう考えれば、あのタイミングで現れるのが一番効率が良かったともいえる。見捨てられてゆく当てが無い所を拾えば、誰かに庇護されている状態から買い取りたいと言うよりも圧倒的に安価だ。
「……た、助かります……」
気が付くとそれがとても腑に落ちてしまって、これ以上ない一番の可能性だと思う。
そうなればもう私は生きていないだろう。
しかしまぁ、最期に、あんなふうに接してもらって、裏があってもひとかけらの人の優しさをもらって、ヴィンセントはとてもいい人だと思えた。
目の前に出されたそれを深く考えることもなく、手に取って喉に流し込むように飲む。
これはただのお茶だ。少し甘いニュアンスがあって飲みやすい、彼の気遣いの結晶。冷えた体に温かい飲み物はとてもありがたい。
たとえこれを飲んだ後に急激に眠たくなったりしても何らおかしくない、きっと疲れた体が、休息を求めているだけだ。
それからもう二度と目が覚めない、もしくは覚めたとしても体の自由が利かない状況だったとしても、それは仕方がない事で、私はただやるせなく思うだけでいい。
そう思ってすっかり飲み干して、私はとても柔らかいベッドで就寝したのだった。