20 お別れ
私がすっかり回復するまでには二週間ほどの時間を要した。その間にヴィンセントからあてがわれた部屋には、普通の暖炉がついていて、いつでも温かく保たれている。
大きな毛皮の毛布が掛けられていて、いつも誰か侍女がいる。魔法道具の湯たんぽを抱きしめながら眠った。
ついでに窓は最低限しかなく、車椅子は置かれていなかった。
そして仕事の合間を縫ってヴィンセントがしょっちゅうやってきて、ずっとそわそわしていたので少しでも早く体を治すように努めた。
体調がいつも通りに戻るとやっと、彼女のことに対応するだけの余力が生まれ、聞けばカミラは私が回復するまでの間、地下牢にずっと閉じ込められていたらしい。
ずっとそうしておくわけにはいかないので、地下牢に向かって何らかのアクションを起こさなければならないだろうとヴィンセントに言う。
するとそんな寒い場所には私を向かわせることはできないので適当な部屋に連れてくるという話になった。
そうしてカミラは私の前に姿を現した。
けれどもふくよかで優しげだった面影はもはやなく年相応に老け込んで肌の張りもなくなっている初老の女性がそこにいるだけだった。
乱れた髪を適当にくくっただけのその姿はみすぼらしく腰に紐を回されて後ろ手に拘束されカーペットにひざまずいている様子はまるで罪人だ。
……いいえ、ああそうでした。一応罪人でしたね。
私をあんな目に遭わせて、殺すつもりはなくても死んでいたとしてもおかしくなかった。自分の仕えている主を手にかけるなど許されることではない。
「……」
「……」
しかし、私はそのことについてひどく責め立てて彼女に復讐をしたいとは思わなかった。
「……恩知らず」
呟くようにカミラはそう言って鋭い目線でこちらを見る。
その瞳も彼女が私にたいして何をしてもいいような状況でなければ別に恐ろしくはない。
彼女は一線を超えてやらかして、私には偶然手を差し伸べてくれる人が現れた。
今までの私は彼女に何かをされてもそれに対応できるだけの力がなく、受け入れることしかできなかった。
それに対して、多くの人が私に言った。
「何を言っているんですか。あなたが悪いんですよ。あなたが、こうされても仕方ないようなことをして、あなたの責任でこうなっているんですよ。カミラ」
「と、突然舞い降りた、幸運に、えらくなったつもりですか? 馬鹿じゃありません?」
ひび割れた唇で彼女は私に向かって言った。隣にいたヴィンセントが短く息を吐いて、とてもイラついているのだということがわかる。
「はぁ、そうですね。たしかに、私はヴィンセントの後ろ盾というすぎた幸運を手にしています。
これは偶然、手に入ったものだと私たちの側から見れば思いますし、だからこそ私の努力で手に入れたものではないからこそ、そんなものを手に入れて調子に乗るのは滑稽だとそう言うふうに言いたいことはわかります」
「よく、わかってるじゃないですか! あなたなんて所詮は一人で何もできない、無能のクズなんですから!」
カミラの言葉を肯定すると、彼女は口角をあげて笑みを浮かべ、前のめりになる。するとそばにいた兵士がすぐに押さえ込んでもとの姿勢に戻す。
「だとしても」
私は彼女が取り押さえられて少し落ち着くまで待ってから、静かに続けた。
「……私から見ればそんなの誰しも同じですよ。誰しも、努力して健康でいるわけではなく、頑張って他人の手を借りずに生きられるように成ったわけではない。それなのに、あなた達は私がこういうふうなのを私のせいだと言いますね」
背筋を伸ばして、こちらをにらみつけている彼女に続けて言う。
「ただ、与えられただけの物を盾にして、それがままならない人間を貶める。それは、私が今、ヴィンセントの力を借りることができるようになってカミラをどうにかしてしまおうとしていることと何ら変わりはないと思いませんか?」
「わ、私はずっとあなたを助けてやったじゃないっ! それなのに見捨てるんですね!」
「はい。ああけれど別に、ヴィンセントの支援が得られたから復讐をしようなんて言うわけではないんです。そう言う意味ではない」
彼女のイラついた訴えかけるような言葉に私は頷いて、平然とした気持ちで言葉を返した。
そういうふうに威嚇するような言葉を吐けば、今まで私が黙っていたからこの期に及んでもそういう態度をとるのだろう。
だからこそ平然と返す私に彼女は驚いたような表情をした。
「私とあなたの力関係が簡単に逆転したように、人は弱い立場にも強い立場にもなることがある。それは生きていくうえで変えようのない事実でしょう。だからこそ、人の立場に立って思いやって行動するべきだと、私は思うというだけです」
「はぁ? だから人にやさしくなんて、あなた幼児か何かですか? というかそういうからには私に施しを与えてくださいよ! 慈悲を! 与えられるんでしょう? そういうからには!」
「もちろん。私は、立場の弱くなったあなたに、何もしません。ただ、調整をするだけです」
静かに告げて、ローナに視線をあげた。
そうすると彼女は小さな布袋を丁寧に手渡して、私はその中から、ヴィンセントと始めにした契約をつかさどっている魔石を手にする。
これはその契約書のようなものだ、ビー玉ぐらいの大きさのそれを握りこんで力を籠める。
「立場の弱い私にも尽くしてくれた人が、それをして損だったと思わないように差をつけます。あなたの生活と安全は保障しません。それに私のそばにも置きません。私を思いやってくれた人の気持ちが無駄になるので」
壊そうという意思を持って握りこめば魔石はパキッと音をたてて、中に保有していた魔力を放出してただのガラスのようになる。
「あなたはどこへでも行ってください、私はそれを感知しません」
「ふっ、なんだ、結局、そうなんですか」
「ええ、いつまた自分が弱い立場に戻るかもわからない、心の弱い私に出来るのはこの程度です。私は私をないがしろにされたことに関して、懲罰感情もわかない始末です」
ヴィンセントが私の為に怒ってくれる気持ちや、ローナが持っている敵対心のような気持ちをカミラにもつことは難しい。
一応幼いころからの従者だということもあるし、一線を超えはしたけれど、ほかの誰でもない彼女が一番、私の看病をしてくれたということは事実だ。
だからこそ、私は関知しないという事で手を打とうと思う。感知しないということは止めもしないという事だ。
私を助けてくれる人の気持ちを私はなにより尊重したい。
だからこうして場を設けたのだ。ローナにもその気持ちがきちんと伝わったと思う。
「では、後はお願いします。ヴィンセント……それにしても本当に、苦痛ではありませんか……人を害することは」
ヴィンセントはカミラを罰することを買って出てくれた。
というかそういう事をするのに少し忌避感があるという話をすると彼は、私が感知しないだけでいいと言ってくれた。
しかし、誰しも人を害するのはいい気分がしないだろう。そう思って隣にいる彼に視線をやると、普通にいつも通りの様子で、私を安心させるように気軽に言った。
「思う所はあるけれど、俺がやるのはただの憂さ晴らしだから気にしないで」
「そうですか、私がなさなければならない事を代わってくださってありがとうございます。もっと精神的に強くなろうと思います」
「いいよ、気にしないで。君は体を強くする方が先決だろ?」
「はい。精進します」
頭を下げて、それからローナに車椅子を押してもらって部屋を出る。カミラの方は見ずに、心の中だけでさよならを告げて、長い事勤めてくれた侍女にお別れをしたのだった。




