10 大切な人
サインをするだけでも一苦労の書類の数に私は少し辟易していて、書き終わったと同時に顔をあげると、ヴィンセントは私の手元をじっと見ていて、思わず私も自分の手元を見た。
『やだ、ひどい肌荒れ。肌も皺皺でおばあちゃんみたい。遠目で見てもなんかヨレヨレだなって思ったけど、近くで見るとよりひどい』
美しいリオノーラが私を見て言った言葉だ。弟のリオンとは違って彼女は容赦がまったくない。
容赦がないということは正直だという事だ。
思わずペンを置いてぱっと手を引く。自分で自分の手を隠すように握りこんでテーブルの下にもっていく。
「あ、ごめん」
「……いいえ」
ヴィンセントは不用意にじっと見てしまっていてそれに気が付いたから私が手を隠したのだと理解して、反射的に謝った。
別にそういうふうな興味を示されることはたまにある。
行き慣れていない場所に行くと、子供の方が多いが、大人でも細い足でよろよろ歩く私の事を珍し気にじっと見つめていったい何なのかと、その知的好奇心を満たそうとする。
だから私の方がそれに慣れた。ただ、先日言われたことはあまりにも鮮明に思い出されて、つい続けて言ってしまった。
「珍しいでしょう。私のような歳の女の手が老人のようで、可笑しいでしょう。いいんです事実ですから隠さなくとも気にしません」
口をついて出た言葉はまるで嫌味のようだった。
ただでさえ陰気な見た目をしているのだから中身ぐらいはこういう事を言わない人間になりたいと思っていたのに、自分を守るために、あらかじめ自分を貶めた。
「こんな状態の人間を見ることもそう多くはないでしょうから、珍しくて当然なんです。だから別に、ヴィンセント様は悪くありません」
「……」
「なんだか、申し訳ありません、卑屈なことを言ってしまって。サインは終わりましたから、あとのことはお願いします。私はただ契約を守っていただいて生活をさせていただけるだけで充分ですから」
黙ってしまった彼に早口で私は続けて、ずっと隠しているというのもおかしいので手を机の上に戻して書類をそろえて彼に差し出す。
すると無言のまま書類を取られて、それはテーブルの端に置かれ、ヴィンセントは改めて私の手に手を重ねた。
「……」
それから、少しの間が開いて、私は心臓が激しく鼓動してなんだか胸が痛かった。
「……ただ、俺は昨日のように君の手は冷えていないかと、気になっただけだ」
「でも、老婆のようでしょう」
「……どうして自分の事をそんなふうに悪意ある言葉で表す必要があるんだか、わからない。
たしかに痩せているけれど俺にとってはただの大切な人の手のひらに過ぎない、だから大切だからこそもっと健康的だったら嬉しいと思う。それだけ」
悲しそうに眉を落として静かに言う彼に、私はいつ彼の大切な人になったのだろうと、疑問に思うし、やっぱりこの人実は悪魔なんかではないだろうかと思う。
髪も黒いし……いやそういう差別的なことを言うつもりではないのだ。
けれどもこれでいて、私を人体実験の材料なんかにしようとしているというのだから、きっと人間としてのタガがどこか外れているに違いない。
そして、そういうふうに考えなければ、うれしくて思わず心底惚れてしまいそうだった。
手のひらをゆっくりと摩られるとこそばゆくて、彼の体温は火傷しそうなほど熱く感じる。
じんじんと痺れてくるようで、私は今とても複雑な表情をしているだろう。
「……思わせぶりなことを言うのはよくありません。それにあなたは少し距離が近いです。不快ではありませんが、誰にでもそうなのかと思ってしまいます」
「! そんなことない。ウィンディだけだ。君だけ、あ、でもごめん。また勝手に触って、でもあまり卑下するようなことを言うからつい」
「ついで、女性皆にそういう態度をとっているんですか? 背後から刺される可能性については考えたことはありますか?」
「なっ、だから違うって、違うよ。君だけだって言っているのに」
話を逸らして少し揶揄うように聞いてみた。
すると彼は予想通りに取り乱して、ごめんと言いつつも私の手を握って困ったように次の言葉を探している。
そんなヴィンセントはとてもきっちりした仕事が出来そうな男性に見えるのに、困っているところは少し幼く見えて可愛らしく映る。
普通に素の顔つきが端正だからこそどんな表情をしていても、好ましいということは変わらない、美人は何をしていても美人だとは言うが、ハンサムも同じ原理で少々うらやましい。
「お酒に酔っている人は酔っていないとしきりに言うそうです。それと同じで、している人はしていないとしきりにいうのでしょう」
「え? そんなことを言われたら、弁解しようがないんだけど」
「ええ、そうですね。申し訳ありません」
「あ、謝られても……」
困ったなぁという感じで素直に翻弄されてくれるヴィンセントに、私は引き続きなんだか胸が痛くて、手が温かくなるのを感じつつ、出来るだけ彼の手の感触を知らないふりをしたのだった。




